美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

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第一章 定食屋で育って

二次会

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 祥太の家は美容室の2階と3階だ。私の家も定食屋の2階で、この辺りの家は1階に店、上に住居を構えている建物が多い。
 一軒ずつがほんの数十センチしか離れておらず、家と家の間は猫くらいしか通らない。美容室の隣にはクリーニング屋があり、その店の2階も住宅になっていた。

 『美容室 前田』の脇にある階段を上り、2階に向かう。前田は祥太のお祖母さんがもともとやっていたお店だった。祥太のお父さんはサラリーマンで、お母さんの実家に住んだ。だから、祥太の苗字はお父さんの「坂田」姓だ。

 階段を上った先に住居の扉があり、祥太は鍵を出して開ける。

「ただいまー」

 扉を開けるとふんわりと何かの料理が香る。21時まで仕事をしている祥太のお母さんは、夕食が遅い。きっと食事を済ませてからあまり時間が経っていないのだろう。

「おかえりー。りっちゃん、久しぶり」

 祥太のお母さんが奥から出て来てくれる。艶のある肩まで伸びた黒髪に緩めのパーマをかけている祥太のお母さんは、年齢よりも大分若く見える。やはり髪は女の命なのだろうか。

「お久しぶりです。おばさん、最近お店行ってなくてすいません」
「そうよ、若いのに伸ばしっぱなしなんて。美容室から足が遠のいた女は現実から目を背けてるものなんだから」

 あははと笑って誤魔化してしまったけど、ぐうの音も出ない。
 まさに私は現実逃避の産物となっていたし、隣にナツさんがいて現実を見るのがつらいなんて思っていた。

「どうぞどうぞ、狭いけど」

 祥太のお母さんはナツさんと私をリビングに案内してくれる。私とナツさんは必然的にソファで隣り合ってしまった。

「どうします? お酒もあるし、お茶でもコーヒーでも。あ、ナツさんにコーヒーを淹れるのはなんか違うか。それに夜だし」

 祥太がリビングの隣にあるキッチンで気を遣ってくれている間、おばさんは寝室に向かったようだ。おじさんは朝が早い仕事のはずで、だから生活リズムは朝型だった気がする。もう、寝ているのかもしれない。

「私は……コーヒーがいいかな」

 ナツさんの隣にいるというのに、お酒の後でコーヒーが飲みたくなった。

「じゃあ、僕にも」

 何故かナツさんも祥太にコーヒーを頼んでいる。「プレッシャーでしょ! なんで俺がナツさんにコーヒー淹れることになってんですか!」と不満げだ。

「僕、人が淹れてくれるコーヒーって好きなんです」
「ああ、はいはい。分かりました」
「がんばれ。どうせインスタントでしょ?」
「ばーか。俺だってドリップコーヒーぐらい淹れられるっつーの」

 祥太はやかんでお湯を沸かし始めると、その辺に売っているコーヒー豆をコーヒードリッパーにセットした。ふんわりと豆の香りがする。

「利津さん、香りで豆の種類が分かったりしますか?」
「ええと……ブレンドコーヒーだと思うんですけど、コロンビアがメインの豆……でしょうか」

 なんとなく思った産地を上げると、祥太が「お前すげえな」とキッチンで声を上げた。
「やっぱり、利津さんはすごいな。羨ましい」
「別にそんなことは……」

 私が隣に視線をやれずに謙遜していると、もしかしてナツさんは香りで産地が分からないのだろうかとふと思った。

「これ、慣れたらみんな分かることじゃないんですか?」
「まあ、ある程度は慣れで分かりますけど、まだお湯を注いでもいない、挽きたてでもないコーヒー豆で分かるのは相当ですよ。それも市販の豆でブレンドで」

 ナツさんにハッキリと言い切られて、そういうものなのかなと首を傾げる。
 それなりに鼻が良い自覚はあるものの、それをはっきりと羨ましいと言われたことは無かった。

「おい利津、いつもの調子が出てないな」
「うるっさいなあ」

 キッチンから祥太の笑い声混じりの野次が届く。そりゃそうだ。私はナツさんと話すのも会うのも久し振りで、それにしては距離が近い。

 こんな気まずい思いをするなら来なければ良かった。
 そんなことを考えていたら、祥太のコーヒーがお湯を注がれたようで、室内にふんわりと優しいコーヒーの香りが漂う。

 フィルターからポタポタと雫が落ちていく音を聞いていると、不思議と気持ちが落ち着いた。

 私たちは特に何も言わず、その場で暫く無言だった。
 祥太のコーヒーがソファ前のテーブルに置かれる。祥太も自分用の黒い大きなマグカップを持って向かいのソファであぐらをかいた。

「ありがとうございます」
「ありがと」

 私とナツさんも小ぶりなマグカップを持ち上げ、祥太の淹れたコーヒーを飲む。

「やっぱり他人の淹れたコーヒーが一番美味しい」

 ナツさんはそう言ってニコっと笑った。毎日コーヒーを淹れている人が。
 祥太は珍しく何も言わずに、ナツさんにニコリと何か含みのある笑みを浮かべた。

「で、お互い何か言いたい事があるんじゃないかと思ったんですよ、俺は」

 私は祥太に何を言うんだと責めるような視線を送る。この期に及んで、ナツさんに何を言えばいいのか分からない。聞きたいことは、沢山あるけれど。

「はい……。あの、利津さん、すいませんでした!」

 隣に座っているナツさんが私の方に身体を向け、頭を下げている。
 あまりに驚いて私は「ええ?!」としか反応できない。

「すごく失礼なことを言ってしまった自覚があります。あの後、利津さんはお店に来てくれなくなったし、姿も見せてくれなくなって……」
「いやだって、ご迷惑かと……」
「だから、本当にすいませんでした」

 何が起きているというのか。ナツさんが私に頭を下げている。
 確かに、最後に会った時のナツさんは少し怖かったけれど。

「ナツさん、ちょっとアドバイスしとくと、利津は多分理解してません」

 祥太がそう言ってあぐらをかいていた片足を抱えるようにして座り直す。
 図星だけど、それよりもこの状況をどうすればいいのかが一番分からない。
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