美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

文字の大きさ
27 / 77
第一章 定食屋で育って

無意識の意識

しおりを挟む
 今、ナツさんは頭を下げて私に謝っているわけだけど。
 ナツさんが怒ったのは私に原因があるのだから、これはなんかおかしい。

「それより、なんでナツさんが怒ったかの方が気になっています。きっと聞かれたくない事なんでしょうけど、このまま知らずにいたら同じようなことを繰り返すだけのような気がして……」

 私は、以前店に来た3人の話を思い出していた。
 ナツさんは、本当に人を殺しかけたことがあるのだろうか。

「そうですよね。祥太くんにもいつか話したかったので、いい機会かもしれません」

 ナツさんはそう言って頭を上げ、私と祥太を交互に見た。

「利津さんは、僕の元同僚から何か聞いたんじゃないですか?」

 どきり、と私の心臓が音を立てたような気がする。
 ここで嘘をついても、仕方がないのだろうか。

「実は……。ナツさんが、人を殺しかけたというような話を聞きました」
「は??」

 祥太が素っ頓狂な声を上げて目を丸くしている。まあ、こんな普通じゃない話、日常会話で聞けるようなものではない。
 ナツさんは対照的に冷静で、ただ頷いただけだった。

「その話は、事実ですよ」

 ナツさんが想像していた通りの反応で、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃が来た。こんな優しい笑顔をしている人が、殺人なんて。

「それも、ものすごく残酷な方法で」
「いやいや、ナツさんがそんな」

 祥太は想像もしていなかった告白に混乱している。私だって最初聞いたときは耳を疑った。

「僕は、会社に責任をとる形で前職を退職しました。それまでは名物社員だなんだと持ち上げられていたけれど、会社っていうのは社会からの目を一番大事にしますから」
「犯罪を犯した社員は雇ってはいられないとか、そういう……」

 ナツさんは諦めたような顔をしながら頷いた。祥太の顔が歪む。
 初めて聞いた事実に、どう向き合っていいのか分からないという顔をしていた。

「まず、僕は……利津さんにも話しましたけど、会社に不利益をもたらしました。当時若手人気俳優だった波野耕平を起用してお客さんである企業の映像を作り、その後、耕平くんのスキャンダルが発覚して」
「でもそれはナツさんのせいではないはずです」
「僕のせいですが、百歩譲って完全には僕のせいではないかもしれないとします。でも、僕は当時迷惑をかけたお客さんの信用を取り戻すために急遽映像の作り直しを急ぎました」

 私と祥太はナツさんの言葉に真剣に耳を傾ける。ただただ頷くことしかできずに。

「僕の下には後輩の女の子がひとり付いていて。彼女に新しい候補の俳優さんを探してもらい、一刻も早く撮影をし直す段取りを依頼したんです」
「いや、それは……ナツさんが正しいっていうか……」
「でも、僕は分かっていなかった。普通はそういうのって業務時間内だけでやるものらしくて。僕にとってはそんな生ぬるいもんじゃなかったんですよ。駆けずり回ってでも一秒でも早く何とかしたかった」

 徐々に、ナツさんの話の終わりが見えてきた気がして、私は息を呑む。

「それが、彼女にプレッシャーを与えていたみたいなんです。何しろ、耕平くんは僕と友人関係だったことから条件良く出てくれることになっていたから、代わりで見つけてきた俳優さんが見劣りしてしまうのは必然で」
「……もしかして、お客さんは納得してくれなかったんですか?」

 祥太の問いに、ナツさんは困ったように頷く。

「耕平くんのことがあった2週間後、後輩は非常階段から飛び降りました。自殺未遂でした。遺書も丁寧に用意されていた」
「そんな……」

 自殺未遂、ということは……。それほど、追い詰められてしまったんだ。

「彼女は首の骨を折る重傷でしたが助かって。そうしたら、今まで味方だと思っていた同僚が次々、僕の問題点を告発し始めたんです」
「……」
「彼女と親御さんへのポーズも、会社には必要でした。僕は会社を退職して、もうクリエイティブの仕事から足を洗うつもりで。もっと別の、人を純粋に幸せに出来る仕事を探すことにしたんです」
「それが、コーヒーショップだったんですか?」

 ナツさんは寂しそうな顔で笑う。

「適性があるなんてちっとも思えなかったけど、コーヒーショップなら自分のクリエイティブも少しは活かせるんじゃないかと期待をしました。この町の人たちは優しくて、こんな僕にも居場所をくれた」
「ナツさんは、優しいですよ。少なくとも、私はそう思います」

 きっと、ナツさんは仕事に真摯に向き合っていたんだろう。
 その必死さが後輩の子を追い詰めてしまったのかもしれない。
 どちらが悪いとかではないのだ。きっと世界はそんなに単純にできてはいない。

「今も彼女は心に傷を負ったままです。大けがを負った後の世界を生きている。僕は、人ひとりの人生を滅茶苦茶にしてしまった」
「でも」
「自分の犯した罪を背負って生きるしかないんです」

 そこで、祥太がキレた。

「いや、その後輩はナツさんが必死だったのを側で見てたんじゃないんですか? そんなに辛ければ、そんな追い詰められる前に会社になにか言うことはできたんじゃないですか? 別にナツさんひとりが悪いはずないじゃないですか。ナツさんは、お客さんのためだったのに」

 完全にナツさん擁護の姿勢で、やり切れないのだろう言葉を紡ぐ。
 ナツさんが充分傷付いていたのを、祥太は分かっているようだった。

「でもね、祥太くん。誰のためとかは関係ないんですよ。彼女が自ら命を絶ちたくなるほどに辛い思いをしたのは事実なんです。そしてその原因になっていたのは僕で、側にいながら気付けなかったのも僕なんです」

 祥太は小さな声で「そんなのって、納得できない」と言って項垂れていた。
 私だって、納得なんかしたくはないけれど……。

「ところで、それがどうして私を怒ることに繋がったんですか?」

 私の一番聞きたかったこと。この事実を知られたくなかった? それとも、もっと別の理由だろうか。

「僕は、無意識のうちに人を利用して傷付けてしまうんです。あの日の利津さんを見て、それに気付いた。利津さんに甘え過ぎていた。きっとまた巻き込んで傷付けてしまう」
「そんなわけないじゃないですか。急に拒絶される方がよっぽど傷付きます」

 まさか、ナツさんがそんなことを気にしているとは思わなかった。

「日葵さんは普通にナツさんと仕事してたじゃないですか!」
「おい利津、お前、今それぶっこむ?」

 祥太のツッコミを私は無視した。
 どうして日葵さんはずっとナツさんと一緒にいられたのに、私だとダメなのだろう。そこに特別な感情があるから?

「日葵は……同期で僕の一番足りないところを知っているから。いまさら僕の言動で傷ついたりはしません。でも利津さんは人間関係が原因で仕事を辞めたことがあるのに、また僕みたいな無意識に人を傷付ける人間に関わっちゃダメだと」
「そんなの……おかしいです」

 日葵さんは「日葵」で私は「利津さん」呼びなだけでも私は傷つく。
 それに、日葵さんはあんなに綺麗で、愛想も良くて、接客業にも向いていて。

「これから、私はナツさんに深く関わらない方が良いんですか? 私では、役に立ちませんか?」
「いや、そんなことは……」

 明らかに困っているナツさんを見ながら、一連のことがナツさんを深く傷つけたのだろうというのが分かった。

「私も祥太も、ナツさんを尊敬しているし、慕っています。だから見くびらないで欲しいんですよ。きっとナツさんが私を傷付けようとしていたら、その時はハッキリ言います。嫌なことは嫌と言います」
「そうですよ。前は会社で上下関係があったから、きっと後輩の子も追い詰められて行ったんじゃないですかね。ナツさんは有名で先輩だったから言いにくかった、とか。俺とナツさんの間にはそういうの無いし、なんならこの町の先輩は俺と利津ですし」

 私たちが必死だったからだろうか。ナツさんは根負けしたように「分かりました」と困ったような顔を浮かべる。

「この話をしても変わらない祥太くんと利津さんを見ていたら、僕も覚悟を決めました。2人を信じて、色々相談したり、仲良くしてもらうことにします。じゃあ、とことん付き合ってもらっても良いですか?」

 ナツさんに言われて「当たり前じゃないっすか」と祥太はちょっと鼻をすすった。私は隣のナツさんの腕に向けて拳を繰り出す。

「いたっ。ちょっ、利津さん暴力反対です」
「私だって、こうやってナツさんを無意識に傷付けるかもしれません」
「無意識ですか?! ホントに??」
「ナツさん、そいつ口より先に手が出るタイプ」

 ナツさんは「利津さん暴力は止めてください」と言いながら笑い、私たちはその後に他愛もない話をたくさんした。

 この町で育ってきて、この町で見て来たことやちょっとした事件のこと。
 下町という場所の人の距離について。
 
 きっとナツさんはお節介な人たちに囲まれて、嫌でも人付き合いに巻き込まれるに違いないと私たちは予言する。

 祥太は冷蔵庫から発泡酒を3缶出してきて、もうこうなったら飲むぞと0時前からお酒を勧めて来た。
 しょうがないなあと言いながら私とナツさんはそれを飲む。
 暫くして私は眠くなったのかリビングの床に横になったところまでは覚えている。

 私が横になったので、祥太はタオルケットを私に掛けた。
 そして、私が寝付いたのを見てナツさんに話を振る。

「日葵さん、ナツさんの元カノですよね?」
「……まあ、祥太くんには、バレバレですよね」

 意識が途切れる前、それだけは聞こえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

追放聖女だってお茶したい!─セカンドライフはティーサロン経営を志望中─

石田空
ファンタジー
「ミーナ今までありがとう。聖女の座を降りてもらおう」 貴族の利権関係が原因でいきなり聖女をクビになった庶民出身のミーナ。その上あてがわれた婚約者のルカは甘味嫌いで食の趣味が合わない。 「嫌! 人の横暴に付き合うのはもうこりごり! 私は逃げます!」 かくしてミーナは神殿から脱走し、ティーサロン経営のために奔走しはじめた。 ときどき舞い込んでくるトラブル。 慌ててミーナを探しているルカ。 果たしてミーナは理想のセカンドライフを歩めるのか。 甘いお菓子とお茶。そしてちょっとの恋模様。 *サイトより転載になります。

第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結

まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。 コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。 「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」 イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。 対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。 レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。 「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」 「あの、ちょっとよろしいですか?」 「なんだ!」 レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。 「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」 私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。 全31話、約43,000文字、完結済み。 他サイトにもアップしています。 小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位! pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。 アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。 2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。 「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」

【完結】言いつけ通り、夫となる人を自力で見つけました!

まりぃべる
恋愛
エーファ=バルヒェットは、父から十七歳になったからお見合い話を持ってこようかと提案された。 人に決められた人とより、自分が見定めた人と結婚したい! そう思ったエーファは考え抜いた結果、引き籠もっていた侯爵領から人の行き交いが多い王都へと出向く事とした。 そして、思わぬ形で友人が出来、様々な人と出会い結婚相手も無事に見つかって新しい生活をしていくエーファのお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ているもの、違うものもあります。 ☆現実世界で似たもしくは同じ人名、地名があるかもしれませんが、全く関係ありません。 ☆現実世界とは似ているようで違う世界です。常識も現実世界と似ているようで違います。それをご理解いただいた上で、楽しんでいただけると幸いです。 ☆この世界でも季節はありますが、現実世界と似ているところと少し違うところもあります。まりぃべるの世界だと思って楽しんでいただけると幸いです。 ☆書き上げています。 その途中間違えて投稿してしまいました…すぐ取り下げたのですがお気に入り入れてくれた方、ありがとうございます。ずいぶんとお待たせいたしました。

Blue Moon 〜小さな夜の奇跡〜

葉月 まい
恋愛
ーー私はあの夜、一生分の恋をしたーー あなたとの思い出さえあれば、この先も生きていける。 見ると幸せになれるという 珍しい月 ブルームーン。 月の光に照らされた、たったひと晩の それは奇跡みたいな恋だった。 ‧₊˚✧ 登場人物 ✩˚。⋆ 藤原 小夜(23歳) …楽器店勤務、夜はバーのピアニスト 来栖 想(26歳) …新進気鋭のシンガーソングライター 想のファンにケガをさせられた小夜は、 責任を感じた想にバーでのピアノ演奏の代役を頼む。 それは数年に一度の、ブルームーンの夜だった。 ひと晩だけの思い出のはずだったが……

十八歳で必ず死ぬ令嬢ですが、今日もまた目を覚ましました【完結】

藤原遊
恋愛
十八歳で、私はいつも死ぬ。 そしてなぜか、また目を覚ましてしまう。 記憶を抱えたまま、幼い頃に――。 どれほど愛されても、どれほど誰かを愛しても、 結末は変わらない。 何度生きても、十八歳のその日が、私の最後になる。 それでも私は今日も微笑む。 過去を知るのは、私だけ。 もう一度、大切な人たちと過ごすために。 もう一度、恋をするために。 「どうせ死ぬのなら、あなたにまた、恋をしたいの」 十一度目の人生。 これは、記憶を繰り返す令嬢が紡ぐ、優しくて、少しだけ残酷な物語。

処理中です...