美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

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第三章 足りない僕とコーヒーと

祥太くんという男 2

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「で? 日曜日の予定を聞いてきたのは何?」
『直接謝りたくて……』
「いや、いいってそんなの。僕はもう会社は辞めてるから、企画を立てた時の人件費だけきっちり払ってもらえればいいよ。特に失うものもないし」
『ごめん……』
「日葵は自分のことを心配しなよ。僕は、盗まれて採用されるほどいい案を作ったんだなと思っておくことにするし」
『ありがと……』

 電話で泣いているのが分かると、どうも弱い。
 本当は案を盗まれることは大嫌いだし、僕の案を別の人間が好き勝手ひっかきまわして制作をするのだと思うと腹は立つ。

 だけど、日葵は騙されただけでなく仕事まで奪われて、一時でも惹かれていた男が単なる企画泥棒のために近寄って来たのだと知ってしまった。
 さすがに、そんな状況に置かれている元カノであり元同僚に冷たく当たれるほど僕は冷酷ではない。

「人間の考えることだから、偶然、案が似ることだってある。みんなにはそう思わせておいた方がいいよ」
『うん、そうする……』
「じゃあね。次はもっとちゃんとした人と付き合いなよ」
『……』

 日葵は気まずいのか、何も言わなかった。そりゃ、振った人間に言われたら余計なお世話も甚だしいのだろう。

「切るね」

 日葵の声を待たずに携帯電話の通話を切る。
 メッセージもなくかけ直しても来ないあたり、納得はしたのかもしれない。
 事実、これ以上僕らが話していても仕方ない。

 やりきれない気持ちが身体の奥でうごめいている。
 僕の声を反響させていた店のコンクリート壁は、いつもよりも冷たくて無機質だった。

「なんだよ、今日は早く帰んなきゃと思ってたのに」

 無性に、何かにぶつかりたい衝動に駆られる。
 
 早く帰って身体を休めないと。
 また明日、店の営業を無事に始めて無事に終わらせて。
 開業資金を返せるように、3年はここで頑張らないと。

「あー……」

 行き場のない気持ちが、僕の中で沸騰しそうだ。
 こんな時は、誰かにすがって自分の中の悪いものを鎮めながら眠りたい。
 誰か、なんてすぐに頼れる人はいないけど。

 今、この瞬間、祥太くんはまきちゃんを抱きしめているのかもしれない。
 僕が羨ましいのは、祥太くんじゃなくてまきちゃんだ。
 祥太くんに思い切り吐き出せたら、楽になるのに。

 どうしてこんなに、人の優しさを欲するようになってしまったのか。

 こうなってみるまで、気付かなかった。
 僕は、自分が思っていたよりもずっとずっと弱いってこと。

 戸締りをして店を出た時、隣の定食屋の2階から明かりが漏れていた。
 利津さんは、お店の2階に住んでいる。そんな環境を今は羨ましく思いながら、定食屋の前を横切った。

  *

 次の日、開店準備をしていると携帯電話にメッセージが来た。

『昨日はすいませんでした。今日でよければウチ来ませんか?』

 まさかの祥太くんだ。
 きっと今頃、まきちゃんと離れて自宅に帰っているか美容室に出勤中なんだろう。
 家にいれば簡単に出勤できるものを、わざわざ勤務先から離れた女の子の家に行っていたに違いない。

 いやあ、僕にはその若さが眩しいよ……。
 実際に見たわけじゃないけど……。

 すぐに祥太くんにメッセージを送った。お言葉に甘えて泊まりに行きたいということ、色々聞きたい事があるということ。

『聞きたいことですか、はい。覚悟しておきます』

 祥太くんは観念したのか、例のまきちゃんについて話してくれるつもりらしい。
 改めてちゃんと話してもらおうと思ったら、案外どうでもいいかもしれないと思い始めて来た。

 祥太くんは恐らく、単に恋愛をしているだけだろう。
 僕は彼の恋バナを聞きたいわけではない。

  *

「いや、ほんと……昨日はすいませんでした」
「なんで謝るんですか。いつも僕が甘えてるだけなのに」
「いや、ナツさんやっぱり俺の家に住んだらどうですか?」
「……祥太くんの部屋に?」

 いやさすがにそれは、と祥太くんも唸っていた。

「まきちゃんはどうなったんですか?」
「あーそれまだ早い、早いですよナツさん」

 祥太くんと僕は商店街を歩いている。すっかり秋の気配がしてきたと思っていたら、夜は大分冷えるようになっていた。
 そろそろ上着が要るなと、シャツだけの格好に頼りなさを感じる。

 この商店街には明るい街灯がある。夜でも明るい道を歩いているけれど、陽も短くなったせいですっかり寂しさのようなものが漂っていた。

 今日は祥太くんのお母さんが夕食を準備できないというので、僕と祥太くんはお弁当を買いに大野さんのお総菜屋さんに向かっているところだ。

「まあ、お弁当食べながらゆっくり話すつもりなんですけど、僕と一緒に暮らしたら祥太くんは彼女と会えなくなりますよ?」
「まあ、そういうのは別に……」

 ここまで来ても祥太くんは歯切れが悪い。
 僕は日葵とのことを詳細に話したというのに、どうして祥太くんはこんなに話しづらそうにするんだろう。

「おばちゃーん、のり弁ひとつー」

 総菜屋さんは通りに面した注文カウンターがある。祥太くんは普段の調子でそこから声をかけていた。

「あれ? 祥太、珍しいじゃない」
「すいません、僕はアジフライ弁当で」
「はーい。ナツさん、アジフライ好きねえ」

 アジフライの美味しさを知らない日本人がいたら、僕は憐みの目を向けて手を合わせたくなるだろう。そのくらい、アジフライは素晴らしい食べ物だと思っている。好きなんじゃなくて、アジフライが革命的なだけだ。

「ナツさん、30代後半って夜に揚げ物食べたらもたれるんじゃないんですか?」
「おっさん扱いしない! 後半て35だし! いやまあ、世間的にはおっさんかもしれませんけど」

 がっつりした肉メニューを食べたいと思わなくなって来たのは老化なのかもしれない。祥太くんに馬鹿にされそうなので言うのは止めよう。
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