美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

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第三章 足りない僕とコーヒーと

ひとそれぞれでいい

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 僕と祥太くんはリビングでお弁当を食べている。
 祥太くんのお母さんもお父さんも、もうとっくに寝ている時間だとか。
 いつも思うけど、祥太くんのお母さんはお店を終えてから寝付くまでが早すぎる。身支度とか食事が恐ろしく早いのだろう。

「まあ、おふくろはシャンプーの日々チェックってことで店のスタッフに髪を洗ってもらってるんで、お風呂で頭洗わないし、早いですよ」

 祥太くんは、お母さんのお風呂が短い理由をそんな風に言っていた。
 なるほど、職場で髪を洗って来ているのかと納得したのを覚えている。

「で? 僕は祥太くんに任せますよ。話せる内容だけ話して下さい」

 口に含んだアジフライはサクサクという食感ではなかったけれど、それでも衣の中でアジがふっくらしていてやっぱり美味しい。

「あー、はい。真樹ちゃんは……一応両想いではあるんですけど」
「……小学生みたいなことを言い始めましたね」
「男にトラウマがある子なんです」

 なるほど、訳ありだったのか。それで祥太くんの歯切れが悪かったんだな。

「出会ったのは先週で、友達から紹介された子で」
「トラウマ抱えてる割に両想いになるのが早いんですね」
「……そうですかね」

 祥太くんがひるんでしまった。別に責めているわけじゃないのに。
 トラウマがあってもちゃんと君を好きになれたんだねって意味なんだけど。

「俺、初めて会った時からタイプだなとは思ってたんですけど、過去の話を聞いているうちに側にいてやりたいと思っちゃって」
「……ほう」
「気付いたら好きで」
「……続けてください」
「なんか、添い寝をしに行くように……」
「……」

 添い寝と来たか。それは想像もしていなかった。
 それで彼女ではないと言っていたのか。でも両想いなんだから彼女って言ってもいいんじゃないの? え? 僕の感覚がおかしい?

「呆れてます?」
「いえ、両想いの添い寝っていうのはもう彼氏彼女じゃないんですか?」
「なんか、お互い彼氏彼女は要らないって宣言してるので、なんとなく付き合おうって言いづらくて」
「そこちょっと理解ができませんが」

 祥太くんは遠慮をしているだけらしい。恐らく本音は付き合いたいのだろう。
 彼女じゃない、の真相はそんなことだったのか。

「まあでも、ひとそれぞれで良いんじゃないですか?」
「はい」
「祥太くんと真樹ちゃんがいいなら、僕がどうこう言う話じゃないですから」
「ありがとうございます」

 祥太くんはあっという間にお弁当を平らげていた。
 若いからだろうか、細いのに祥太くんは一般的な成年男子よりも食べる方だ。のり弁はご飯を大盛りにしていた。

「俺、なんか尽くしたい願望があるのかもしれないんですよね」
「ああ、そうでしょうね。僕は気付いてましたけど」
「……そうなんですか?」

 利津さんに対する祥太くんを見ていると、幼馴染にすら相当尽くしていた。
 自分で気付いていなかったってどういうことだろう。
 案外自分のことは分からないんですねと僕が言ったら、祥太くんは「そうなのかなあ」と納得していない。

 それから僕は、日葵から電話があったことを祥太くんに報告した。
 僕の案が盗まれたこと、盗んだのは日葵と付き合っていた男だったこと。
 恐らくその男が日葵に近づいてきた理由は企画を盗むためで、過去の僕はその男に日葵も案も取られていたのだということ。

 だから昨日、真相がわかって愚痴りたかったんですよーと冗談ぽく言うと、祥太くんは本気で謝って来た。

「それは、一緒にお酒でも飲みたかったですね」
「はは、でも僕、あんまりお酒でストレス解消できるタイプじゃないんですよね」
「いつも、どうしてるんですか?」

 祥太くんに聞かれて、僕はどうやってストレスを解消して来たのかと思い出してみる。
 今まで、何をしてきたんだっけ……。

「あんまり、何かをしてストレスをどうこうしてきたことってなかったんですよね」
「溜まりっぱなしですか?」
「うーん、どうなんだろう。ひたすら映画を観続けたりしますかね」

 僕がそう言うと、祥太くんは「今日何か観ます?」と気を遣って来た。
 やっぱり君は優しいんだねと、信用のおける友人が嬉しい。

「その言葉だけで充分ですよ」

 このやるせなさが伝わっただけで、さっきまで抱えていたモヤモヤとした気持ちが晴れていく。

 どうやら僕は、共感が欲しかったらしい。
 どうして今回に限って祥太くんに共感して欲しかったのかは分からないけれど。

「祥太くんが分かってくれたので、もう大丈夫です」
「そんな簡単な話じゃないと思うんですけど……」

 確かに、日葵に振られた理由が僕の企画を盗むために近付いたやつのせいだったというのは、なかなかどうして飲み込むのにはいびつすぎる出来事だった。

 でも、その部分に対してはもうなんとも思っていない。
 聞いた時は複雑ではあったけれど、僕にとって日葵との別れが必然だったことは理解している。

「その件がなくても、僕と日葵はそのうちダメになっていました。だから、企画を盗まれて自分以外の人間が自分の案で好き勝手やることが、ちょっと許せないなという感じなんですよ」
「分かりますよ、なんとなく」

 僕は、他人に対して「分かる」という言葉を使う人が得意ではない。
 どうしても他人の「分かる」は軽くて、「何が分かる」と思ってしまいがちだ。

「なんでなんだろうな、祥太くんだけですよ」
「何がですか?」
「そう言われても、嬉しいのって」

 僕が言ったので、祥太くんは一瞬何かを考えたようだった。

「分かります、って誰が言うかですよね」
「誰が言うか?」
「適当に分かるっていう人もいますけど」
「祥太くんは違う?」

 祥太くんはちょっと気まずそうに頷いてから、「だってナツさんのことですから」と当然のように言った。

「日葵さんと付き合っていたら上手くいかなくなるだろうことも、ナツさんの渾身の企画が誰かの手によって汚されていく悔しさも、何となく分かります」

 僕たちの前には、空になった弁当がらが置かれている。
 ダイニングのテーブル席に座って、ただ会話をしていただけだ。

「僕、この町に来て良かったのは……祥太くんに会えたことかもしれない」

 つい、人生で初めてこんなことを言ってしまった。
 こんなことなら、お酒があればよかったなと思わなくもない。
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