美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

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第三章 足りない僕とコーヒーと

神の舌 1

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 祥太くんの家から出勤して、いつもより早く店に着く。
 折角だから、利津さんに試食してもらうためにスイーツを仕込むことにした。

 利津さんのジャッジは毎回厳しいけれど、感想の内容が僕とはまるで違う。
 毎日定食屋の味見を担当しているだけあって、味は細かな違いまで分かるらしい。

 スフレパンケーキはコーヒーショップのメニューとしてはダメだったけれど、考えてみればコーヒーとフードのペアリングはそれぞれの豆の特徴とどこか風味の合う食品を選ぶ。

 例えば、ナッツ系のフレーバーが楽しめる豆はナッツを使ったお菓子とよく合う、という風に。

 コーヒーの専門ではないのに、利津さんの指摘は真っ当だった。
 あのスフレパンケーキはコーヒーのコクなどを一切意識していない。
 ペアリングが成立しないのに、フードメニューも何もない。

 今日はブレンドコーヒーに合いそうな焼き菓子を焼いてみよう。
 混ぜて焼くだけで仕込みは完了するし、ガトーショコラより手軽な焼き菓子なら、安価に出せば注文数が増えるかもしれない。

 ガトーショコラは1日3件ほどしか注文されていなかったから、メニューから取り下げるべきか迷っていた。
 チョコレート菓子はコーヒーによく合う。だから注文されるかと思っていたけれど、ここの立地ではスイーツを食べたくてコーヒーショップに入る人は少ないらしい。

 この店は、スタッフが僕しかいない。
 だからフードメニューまで自分で用意しようと思ったら、より簡単にできるものでないと続かないだろう。

 こういう考え方ができるようになったのも、利津さんの指摘のお陰だ。
 利津さんは、有能だ。まあ、ちょっと目が厳しくて怖いけど。

 材料を混ぜて型に流し込む。オープン時に思い切って導入した業務用のガスオーブンは、焼き菓子を焼くのに向いていた。

  *

 午後の時間、客足が落ち着いたころに利津さんはやって来る。

「こんにちはー」

 最近ヘアスタイルとメイクを変えた利津さん。聞くところによると祥太くんのアドバイスによるものらしい。
 確かに以前より垢抜けて、若者らしい雰囲気になった。本当に祥太くんはお節介と言うか人が良い。

「利津さん、今日は3種類の焼き菓子を用意しました」

 カウンター前に立つ僕の目の前、利津さんは席に着いた。
 審査員を見るような目で、僕は利津さんを見る。今日もきりりとした目がこちらに向けられている。

 プレゼン(※プレゼンテーション、企画発表の場)の時だって、こんなに緊張したことはない。利津さん、大企業の重役よりも圧が出ているのは何故なんだ。

 気を取り直して白いお皿に3種のマドレーヌを乗せる。
 先入観を与えないため、全て一般的なシェル型で焼いた。
 ドキドキしながら、利津さんの席にそれを置く。

「ノーマルなマドレーヌ、オレンジピール入り、ココアマドレーヌの3種です。今、ブレンドコーヒーを持って来ますね」

 利津さんは席に置かれていた水をひと口飲むと、目の前に置かれたマドレーヌを凝視している。冷や汗が出そうだ。

 僕はブレンドコーヒーを利津さんの席に置いた。
 相変わらずマドレーヌを睨んでいる利津さん。頼むから何か言って欲しい。

「あ、あの。何か気になりました?」
「いえ、食べてから感想は言いますね」

 来たよーー。これだよ、これ。これが超怖いんだよ。
 地獄の前で審判を待っている気分になる。閻魔大王様みたいな利津さん。

「なるほど」

 利津さんはノーマルなマドレーヌをひと口かじると、すぐにブレンドコーヒーを飲んだ。

「わあ、合いますね!」

 うそおおおおおお。うわあああい、褒められたアアア……。

「ありがとうございます!!」

 利津さんに深々と頭を下げたら、やたら驚いている。
 いやだって、こんなに褒めてくれたこと無かったじゃないか。
 これまでの評価を思い出して欲しいんだけど。

「中に入ってるのはアーモンドプードルですか? 香ばしいナッツの香りがコーヒーに合いますね」
「そうです。本来ナッツだったらこのブレンドコーヒーよりも他の豆の方が合う気がするんですけど、このくらいの香りならいけますかね?」

 利津さんは、もう一度ノーマルなマドレーヌを食べた。定食屋とはいえ、アーモンドプードルの味も分かるんだな。ナッツの種類が違っても分かるんだろうか……ちょっと興味が湧いてきた……。

「はい、香りがぶつかり合わないし、どちらも焦がしたような香りで相性良いですね」

 ああああー初めてこんなにしっかり褒められたんじゃ??
 これは絶対にメニュー化できるやつ。簡単だし。

「あの……」

 僕が利津さんに握手を求めていると、困っている様子でなかなか応じてくれない。
 ああ、こういうの嫌いなのかなと思って手を引っ込めようとしたら慌てている。

「ご、ごめんなさい。嫌だったわけじゃなくて、握手の習慣があまりないので戸惑っただけです」

 利津さんはそう言って控え目に僕の手を握って来た。
 定食屋で水仕事をしている利津さんは、日葵のような保湿に全労力をかけているようなしっとりした手ではない。

 皮膚は若い女性の割に硬かったけれど、どこか無骨に感じて僕には眩しい。
 人の美しさに対する価値観が変わったのは、自分がお店をはじめてからだ。
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