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第三章 足りない僕とコーヒーと
不束な僕ですが
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マドレーヌの試食を出した2日後に、利津さんが店に現れた。
「いらっしゃいませ」
僕がいつも通りに迎えると、気まずそうな顔をしている利津さん。
そういえば、下宿の提案をもらって返事をしていなかった。
利津さんはカウンター席に着いて、「ブレンドを」と小さな声で注文する。
「はい、ブレンドですね。ハンドドリップで良いですか?」
「お願いします」
キッチンのやかんに火をかけて、利津さんの様子をうかがう。
視線が色々なところに移っていて、普段より緊張しているようだ。
「あの」
「はっ、はい!」
うん、挙動不審だ。ちょっと面白い。このままこの利津さんを見ていたい気もする。
「下宿の件なんですが、もし利津さんのお父さんが歓迎して下さるなら、お願いしても良いですか?」
「えっ?! ホントに?? あ、あの、父はもう了承していて」
「そうなんですか??」
利津さん、根回しが早いなあ。というか、お父さん本当に良いのだろうか?
「定食屋は、やれるところまで続けるという話になっていますが……」
そうか、すぐにお店を閉めるというわけではないのか。それは良かった。
僕は利津さんの家でたまにメニューになるという絶品アジフライを是非食べてみたかったんだよ。
「じゃあ、定食屋がなくなるまで、就職活動や社会に出るために僕にできることはさせてもらいますね」
「そ、そんな……」
「一応これでも、社会人歴は長いですから」
まあちょっと前科者みたいな僕が威張ることではないんだけど……。
利津さんがほとんど社会人を経験しないで家の手伝いをしていたことを思えば、僕はこれでも10年以上社会人をやっているし。
企業との仕事も多かったし、少しは役に立てることがあるかもしれない。
「うちはいつからでも良いので。下見も含めて都合が良いところで来ていただければ。歓迎します」
「いや、なんかホントに、ありがとうございます」
お湯がふつふつと沸騰する。やかんのお湯で器具を温めてペーパーを濡らし、ドリッパーに豆をセットした。
「お父さん、ナツさんが来て下さるのを楽しみにしていますよ」
「えっ?! ホントですか?? 僕、そんなに利津さんのお父さんにお会いしたこともないんですけど……」
この町の人たちは、どうしてこんな簡単に僕を受け入れてくれるんだろうか。
会社で例の事件があった時、仕事関係の知人は一気に僕から距離を取った。
僕をこれでもかという位に持ち上げてくれた人であっても、「いわくが付いた」と判断した途端の掌の返し方は見事だった。
世間の冷たさは、とっくに身に染みていたはずなのに。
もう、社会で僕は必要とされていないのだと諦めていたのに。
コーヒー豆にお湯を落とすと、豆が空気を含んで香りが広がる。
利津さんがブレンドを決めてくれたこのコーヒーは、香りが華やかで甘い香りがした。スイーツとの相性がいいはずだ。
「祥太くんといい、利津さんといい……。どうしてこんな僕に優しくして下さるんですか?」
「えっ? どうして、ですか??」
「いや、ただのコーヒーショップの店長に対して優しすぎるじゃないですか」
別に祥太くんや利津さんを疑っているわけではない。
だけど、僕は2人に何も返せない。こんなに良くしてもらえても、迷惑しかかけられないだろう。
「私、別に優しくしているつもりはないですよ。多分、祥太はもともと優しいタイプなんだと思いますけど」
「いや、優しくなかったら下宿なんて受け入れてくれないですよ、こんな他人を」
僕が本当の悪人だったらとか、そういうことまで考えたりしないのだろうか。
利津さんも祥太くんも、そして利津さんのお父さんも。
「ナツさんは、この町を選んでくれた人です」
「この町を……はい」
利津さんは、どこかはにかんだような顔で席に置かれた水を飲んだ。
コーヒーを抽出している間は、普段よりも穏やかに時間が流れるような気がする。
「一緒にこの商店街で働いているんですから、他人じゃありませんよ」
利津さんは僕と目を合わせずに、普段よりも小さな声で言った。
僕は、他人ではないと言われたのは人生で初めてで、そんなことを利津さんから言われるなんて考えたこともなかった。
コーヒーにお湯を注ごうと、やかんを握ると手が震える。
お湯を注ぐ時に危うく手元が狂いそうになって、そこで初めて力の加減が自分で出来ていないことに気付いた。
「ありがとう、ございます……」
こんな風に、無条件で人に受け入れられたのはいつ振りだろう。
僕は『クリエイティブディレクターの夏木ユウタロウ』を捨ててから、全てを失ったのだと疑っていなかった。
「その代わり、この商店街は距離が近いしお節介だし、噂が広まるのも早いですよ」
利津さんが釘をさすように言う。
「じゃあ、僕の悪評が広まるのも早いってことですか」
きっと前職のことでこの町の人に嫌われるのも時間の問題なのだろう。
「違いますよ、そういう意味じゃなくて……」
「?」
「もう、みんなナツさんを頼っているじゃないですか。看板とかデザインとか、お祭りとか……。あっという間に噂が広がってしまって」
ああ、なるほど、そっちも確かに広がるのは早かったかもしれない。
デザイナーってすぐに頼られるみたいなところがあるから、僕はデザイナーだと思われて色々と頼まれるようになった。
僕はあまりデザインで自分の手を動かさないし、クリエイティブディレクターとデザイナーは違うんだけど。
「この町で出来ることがあるのなら、役に立ちたいですからね」
何気ない本音だけど、利津さんは釈然としない顔をする。
「そんな風に考えているナツさんを、私やこの町のみんなが放っておくわけないじゃないですか」
危うく、僕は手元が狂ってドリッパーの中のコーヒー豆を散乱させてしまうところだった。
きっと僕は、一生利津さんに頭が上がらない。
そして、何があっても祥太くんのことを嫌いになれないだろう。
この人たちがいる、この町を選んでよかったと心から思うから。
「いらっしゃいませ」
僕がいつも通りに迎えると、気まずそうな顔をしている利津さん。
そういえば、下宿の提案をもらって返事をしていなかった。
利津さんはカウンター席に着いて、「ブレンドを」と小さな声で注文する。
「はい、ブレンドですね。ハンドドリップで良いですか?」
「お願いします」
キッチンのやかんに火をかけて、利津さんの様子をうかがう。
視線が色々なところに移っていて、普段より緊張しているようだ。
「あの」
「はっ、はい!」
うん、挙動不審だ。ちょっと面白い。このままこの利津さんを見ていたい気もする。
「下宿の件なんですが、もし利津さんのお父さんが歓迎して下さるなら、お願いしても良いですか?」
「えっ?! ホントに?? あ、あの、父はもう了承していて」
「そうなんですか??」
利津さん、根回しが早いなあ。というか、お父さん本当に良いのだろうか?
「定食屋は、やれるところまで続けるという話になっていますが……」
そうか、すぐにお店を閉めるというわけではないのか。それは良かった。
僕は利津さんの家でたまにメニューになるという絶品アジフライを是非食べてみたかったんだよ。
「じゃあ、定食屋がなくなるまで、就職活動や社会に出るために僕にできることはさせてもらいますね」
「そ、そんな……」
「一応これでも、社会人歴は長いですから」
まあちょっと前科者みたいな僕が威張ることではないんだけど……。
利津さんがほとんど社会人を経験しないで家の手伝いをしていたことを思えば、僕はこれでも10年以上社会人をやっているし。
企業との仕事も多かったし、少しは役に立てることがあるかもしれない。
「うちはいつからでも良いので。下見も含めて都合が良いところで来ていただければ。歓迎します」
「いや、なんかホントに、ありがとうございます」
お湯がふつふつと沸騰する。やかんのお湯で器具を温めてペーパーを濡らし、ドリッパーに豆をセットした。
「お父さん、ナツさんが来て下さるのを楽しみにしていますよ」
「えっ?! ホントですか?? 僕、そんなに利津さんのお父さんにお会いしたこともないんですけど……」
この町の人たちは、どうしてこんな簡単に僕を受け入れてくれるんだろうか。
会社で例の事件があった時、仕事関係の知人は一気に僕から距離を取った。
僕をこれでもかという位に持ち上げてくれた人であっても、「いわくが付いた」と判断した途端の掌の返し方は見事だった。
世間の冷たさは、とっくに身に染みていたはずなのに。
もう、社会で僕は必要とされていないのだと諦めていたのに。
コーヒー豆にお湯を落とすと、豆が空気を含んで香りが広がる。
利津さんがブレンドを決めてくれたこのコーヒーは、香りが華やかで甘い香りがした。スイーツとの相性がいいはずだ。
「祥太くんといい、利津さんといい……。どうしてこんな僕に優しくして下さるんですか?」
「えっ? どうして、ですか??」
「いや、ただのコーヒーショップの店長に対して優しすぎるじゃないですか」
別に祥太くんや利津さんを疑っているわけではない。
だけど、僕は2人に何も返せない。こんなに良くしてもらえても、迷惑しかかけられないだろう。
「私、別に優しくしているつもりはないですよ。多分、祥太はもともと優しいタイプなんだと思いますけど」
「いや、優しくなかったら下宿なんて受け入れてくれないですよ、こんな他人を」
僕が本当の悪人だったらとか、そういうことまで考えたりしないのだろうか。
利津さんも祥太くんも、そして利津さんのお父さんも。
「ナツさんは、この町を選んでくれた人です」
「この町を……はい」
利津さんは、どこかはにかんだような顔で席に置かれた水を飲んだ。
コーヒーを抽出している間は、普段よりも穏やかに時間が流れるような気がする。
「一緒にこの商店街で働いているんですから、他人じゃありませんよ」
利津さんは僕と目を合わせずに、普段よりも小さな声で言った。
僕は、他人ではないと言われたのは人生で初めてで、そんなことを利津さんから言われるなんて考えたこともなかった。
コーヒーにお湯を注ごうと、やかんを握ると手が震える。
お湯を注ぐ時に危うく手元が狂いそうになって、そこで初めて力の加減が自分で出来ていないことに気付いた。
「ありがとう、ございます……」
こんな風に、無条件で人に受け入れられたのはいつ振りだろう。
僕は『クリエイティブディレクターの夏木ユウタロウ』を捨ててから、全てを失ったのだと疑っていなかった。
「その代わり、この商店街は距離が近いしお節介だし、噂が広まるのも早いですよ」
利津さんが釘をさすように言う。
「じゃあ、僕の悪評が広まるのも早いってことですか」
きっと前職のことでこの町の人に嫌われるのも時間の問題なのだろう。
「違いますよ、そういう意味じゃなくて……」
「?」
「もう、みんなナツさんを頼っているじゃないですか。看板とかデザインとか、お祭りとか……。あっという間に噂が広がってしまって」
ああ、なるほど、そっちも確かに広がるのは早かったかもしれない。
デザイナーってすぐに頼られるみたいなところがあるから、僕はデザイナーだと思われて色々と頼まれるようになった。
僕はあまりデザインで自分の手を動かさないし、クリエイティブディレクターとデザイナーは違うんだけど。
「この町で出来ることがあるのなら、役に立ちたいですからね」
何気ない本音だけど、利津さんは釈然としない顔をする。
「そんな風に考えているナツさんを、私やこの町のみんなが放っておくわけないじゃないですか」
危うく、僕は手元が狂ってドリッパーの中のコーヒー豆を散乱させてしまうところだった。
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この人たちがいる、この町を選んでよかったと心から思うから。
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