鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏

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第三章

不束な嫁 3

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「交渉……?」

 花森は訳が分からず小首を傾げる。

「彼女、花森沙穂さんとの結婚を認めていただきにきました」

 東御はそう言うと席で深く頭を下げる。
 驚いた花森は同じように頭を下げなければいけないのか、どうしたらいいのか分からない。

「……花森さん」

 源愈に声を掛けられ、「はいっ」と花森はハッキリ返事をした。

「八雲は花の世界では比較的有名でしてね。才能に加えてこの見た目でしょう」
「はい、よく分かります」
「私のところにも耳に入るんですがねえ、八雲はとても評判が良い」
「はい」
「いくらで身を引いていただけますか?」
「はい??」

 穏やかな調子を崩さない源愈に、花森は何か聞き間違えたのだろうかとキョトンとする。

「未来あるお嬢さんにご迷惑をお掛けした分は、父親である私が誠意を持って責任を取ります。500万円でいかがでしょうか?」
「おっしゃっている意味がわからないのですが」
「本来、八雲は自由に結婚を選べる立場にないのです。その位の事も分からないで、貴女に期待を持たせた罪は大きい。重罪です」
「それで、お金なんですか?」
「本人同士で決めたこととはいえ、私のせいで破談になるわけですから、無料タダというわけにはいかないでしょう。ああ、あの家がお望みですか?」
「……物やお金の話は一度もしておりませんが」

 真剣な顔でにこやかな源愈の顔を直視する。
 こんなに穏やかな顔を浮かべながら悪意を他人に向けられる人に、花森は出会ったことがない。

「花森さんのようにお若い方ですと、同じ会社で出会った上司と自由に恋愛をするというのは普通なのかもしれませんね。八雲が至らなかったばかりに」
「八雲さんは、何も悪いことをしていません。私たちが望んでいるのは、ただこれから家族になる事を認めていただきたいだけです」

 花森の身体が小さく震えてくる。
 どうしてこんなことをにこやかに、まるで本日のお日柄などを訪ねるように話すことが出来るのか。

 背があまり変わらないのか、向かい合って座る花森の目線が真っ直ぐ源愈にぶつかった。

「失礼いたします」

 そこで給仕の女性がやってきて、源愈の注文したコーヒーと東御の注文したコーヒーを席に置くと、すぐ後に男性の給仕が続き、花森の紅茶を一杯ティーカップに注いでティーポッドごと席に置いていった。
 源愈はコーヒーカップに口をつけた後、チラリと花森を見やる。

「悪い話ではないはずです。それだけのお金が手に入る事もそうないでしょう。確かに八雲の資産を思えば、身を引くのは惜しいかもしれませんが」
「いえ、私はただ、八雲さんの側にいられれば……一緒にいられればと思っています」

 花森が源愈と話している間、東御はずっと言葉を失っている。

「つまり、八雲の価値を分かってはいないんですね」

 源愈はそう言って「ふふ」と笑った。

「お言葉ですが、八雲さんの価値とはなんでしょう?」
「……私が教えるのですか? 花森さんには分からないと?」

 笑顔を浮かべながらも語尾が馬鹿にしている様子だとよく分かった花森は、さすがにカチンとした。

「お父様がご存じないようでしたから、念のため尋ねただけです」
「貴女のような娘はおりませんから、『源愈げんそうさん』とでも呼んでください」
「では、源愈さん」
「……はい?」
「八雲さんは私のことを心から慕ってくださっています。そして私も、心から八雲さんを慕っています」
「心、ですか」

 ふふんと鼻を鳴らすように笑う源愈に、東御はまだ何も口を開かない。

「頭のおかしなお嬢さんですね」
「口を慎んでください、お父さん」

 源愈の言葉に対して、咄嗟に東御は注意をした。

「彼女を馬鹿にするような発言は、いくらお父さんであろうと許せません」
「八雲? とうとう気でも狂ったか?」
「私の愚かなところはいくらでも責めてくださって結構です。身の程知らずで彼女を好きになった自分を責めて下さる分には、納得もできます」
「八雲さん……」

 これまで無口だった東御が、ずっと自分のことだからと我慢をしていたのだと花森は気付く。

「ですが、沙穂は……花森沙穂のことは悪く言わせません。私が思うこの世で一番素晴らしい女性です。お父さんが私を罵りたい気持ちは分かりますが、彼女の隣を誰かに譲る気はありません」

 花森は隣でハッキリと言い切った東御を見つめながら、じんわりと涙が込み上げそうになるのをぐっと堪えた。
 まだ、源愈には何も伝わっていない。

「八雲さんは、こうして私の味方になって下さいます。どんな時でも、何があっても、八雲さんだけは私の傍で支えて下さいます」
「別に、他の男性と八雲で、その辺は変わらないと思いますが」
「八雲さんは、私相手でなければこうはなりません」
「お父さん、それは間違いありません。私は、彼女以外選べません」

 源愈は、そこで初めてうんざりしたような表情を浮かべてコーヒーをごくりと飲んだ。

「下らない」
「そうやって簡単におっしゃることができるのは、源愈さんが八雲さんを親として愛していないからだと言っているようなものですよ」

 ぴしゃりと花森が告げると、源愈のこめかみがピクリと動く。

「お言葉ですが、赤の他人の貴女に私の家族の何が分かるというのでしょうか?」

 源愈は席で姿勢を正す。薄茶色の着物が、急に威厳を持ったように見えた。
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