鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏

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第三章

不束な嫁 4

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 急に席がピリッと張り詰めたような空気に変わる。
 これまで笑顔を崩さなかった源愈から、怒気のようなものが伝わってきている。

 花森は静かに、一度呼吸を整えた。

「源愈さんがおっしゃる『八雲さんの価値』というのは、八雲さん本人の価値ではなく、源愈さんにとっての価値です」
「それがなんだと?」
「だから、私や八雲さんの言うことが下らないのではないでしょうか?」
「……貴女に何が分かるのか」
「少なくとも、私の親は結婚を諦めさせようとか、脅迫じみたことは絶対にしません。私の幸せを第一に考えるはずです」

 花森は、先ほどまでの源愈を思い出して思い切り笑顔を浮かべた。
 それまでずっと感情を露わさなかった源愈の表情が曇る。

「脅迫じみた、ですか。何のことか分かりませんね」
「そうでしょうね。脅迫に当たりそうな言動だけはしっかりと避けていらっしゃるところは流石だと思いました。不勉強な方が多いので、こういったケースでの脅迫罪は簡単に成立してしまうのが普通なのですが」
「……東御流の宗家ですから、最低限の法律を知らないと弟子が路頭に迷います」
「そうですね。例え実刑が2年以下で30万円以下の罰金程度の軽犯罪でも、罪歴がついた代表というのは見栄えが悪いものです」

 横で聞いていた東御は、ポカンとしながら花森の発言を聞いている。

 花森が法学部を卒業しているのは知っていたが、これまでの会話で源愈の問題点を探っているとは想像もつかなかった。

「それでは、源愈さんもご存じのはずです。子は親の持ち物ではありません。人権にのっとり、大人しく身を引いてください」
「……断った場合は?」
「私たちは成人していますから、個人の判断での契約、つまり婚姻に踏み切ります。妨害をなさるおつもりなら、全面的に戦いましょう。大人らしく、次は法廷で」

 花森は余裕の笑みでにっこりと笑う。
 大学のOBやOGは法曹関係者ばかりだ。相談先には困らない。

「「親を脅すお嬢さんだったとは。どんな教育を受けていらしたのか底が知れますね」
「三橋大学法学部法律学科を、春に卒業したばかりです。私の底が知れて満足ですか?」

 にこやかに返しながら、ポケットから赤いランプが点いたICレコーダーを取り出してテーブルに置いた花森に、源愈が言葉を失う。

 子どもの結婚に反対をして嫁に訴えられたとなっては、実刑がなくとも社会的なダメージは計り知れない。
 何かをした事実が明るみになれば信用を失う。

「八雲は、これで満足か?」

 暫く黙っていた東御を見て、源愈は静かに口を開く。

「何度も申し上げたはずですが、私の伴侶は、ここにいる花森沙穂以外ありえません」
「……お前なりの答えがこれか」

 そう呟いた後、源愈は口を開かなかった。
 三人は静かに席に座っていたが、源愈の携帯電話が鳴る。

「もう時間だ」

 現役の源愈は、まだ弟子を育てている最中だ。
 そろそろ引退が囁かれている年齢だが、頼りにならない跡継ぎのためにやらなければならないことはいくらでもある。

「本日は、わざわざ――」

 東御が口を開きかけたところで源愈は「いい」と制する。

「義理の父親を脅す嫁がこの世にいるとは思わなかった。せいぜい、お互い愛想をつかされないようにするんだな」

 そう言うと源愈は席を立つ。

「師匠の時間を拘束したんだ。ここの支払いはお前が払え」
「勿論です。弟子の私的なことでお時間を頂戴し、大変恐れ入ります」

 東御は源愈が建物を出て行くまで、立ったまま頭を下げ続けていた。
 その光景は花森からすると異様にも映ったが、親子ではなく弟子と師匠の敬意として見ればまた違うのかもしれない。

「八雲さん、源愈さんって、お花の師匠としてはどんな方なんですか?」
「……偉大だな。親としては足りないところだらけだが、花の世界ではまだ追いつける気がしない」
「そうなんですね」

「もう行こうか」と東御は伝票を持って支払いをする。
 そこで3人分のドリンクだけで会計が6,000円以上になっているのを知り、花森がひとしきり驚いていた。

 東御は源愈が出て行った外の方向ではなく、花森の手を取って建物の奥に向かう。

「え?」

 当たり前のようにエレベーターに乗り込むと、地階に降りるボタンを押して花森の唇を荒々しく塞いだ。

「ど、どうしたんですか」
「人前では控えたが、ずっと伝えたかった」

 すぐに到着した地階に放たれて、静かな廊下で花森は東御に強く抱きしめられる。

「愛している、沙穂。これで入籍できる」
「あっ……」

 気付いた途端、花森はしまったと思う。
 まだ結婚に対する具体的な覚悟ができていないのに、源愈に対する対抗心だけで了承を勝ち取ってしまった。

「あの、もしかして……私たちって障害がなくなっちゃいました?」
「沙穂の両親がまだ残っているが」
「……反対はしないと思います、けど……」
「けど?」
「就職したばっかりなのに、結婚なんて早すぎますよお……」
「結婚相手との出会いが、結婚したい時期と重なるとは限らない」
「そうですけどぉ……」

 東御は花森の顔中にキスをすると、「さっきは痺れた」と耳元で囁く。

「もしかして、惚れ直しましたか?」

 花森はくすりと笑いながら、東御を上目遣いで見た。
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