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第六章 鬼灯堂の鬼女

広告企画の依頼

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「あれ? 佐和子ちゃんじゃん。なに、今日はデート? 誰かと待ち合わせ?」

「あ、山吹くん……。いや、デートとかじゃなくて、普通に買い物」

 横浜駅の改札を出たところで、偶然山吹に会った。パリッとしたスーツ姿の彼を見て、佐和子は尋ねる。

「休日出勤? 大変だね」

 今日は土曜の昼間。土日休みだと聞いていたので、本来なら仕事はないはずだ。

「いやー、新規プロジェクトが忙しくてさ。今昼飯に出てきたとこ。お昼まだ? まだなら一緒にどう?」

 相変わらず人懐っこい笑顔の彼に押され、佐和子は曖昧に微笑む。

「私もこれからだから。一緒に行こうかな」

「よし! あ、でもあんまりゆっくりできないから、あそこのチェーンのうどん屋でもいい?」

「大丈夫」

 山吹が指し示したのは、地下街の入り口にあるうどん店。中に入ると、鰹出汁のいい香りが鼻をくすぐった。本当はまだそこまでお腹は空いていなかったので、食べたい気分ではなかったのだが。店内に立ち上る湯気や、釜の中で踊る麺の様子を見たら、ぐう、とお腹が鳴った。

「俺、きつねうどんで。佐和子ちゃんは? 俺が払うから」

「え、いいよいいよ。悪いし。私は、えーとかけうどんかな」

「相変わらず真面目だなあ。遠慮しなくてもいいのに」

 男の人に奢られるのは、貸しを作るみたいでなんだか嫌だった。お金を払ってもらったことで、変な遠慮をしなければなくなるくらいなら、自分で払って好きなものを食べた方がずっといい。

「で、最近どう? 仕事の方は」

 席をついて早々、山吹は佐和子に尋ねた。

「え」

「佐和子ちゃんもマーケだったよね」

「あ……そのことなんだけど」

 前回飲みに行った時、うまく自分のことを話せず、誤解が生じてしまったままだったことを思い出す。訂正するいいチャンスだが、やはりあやかし瓦版のことは話せない。

「実は、仕事辞めてて。今は、求職中なんだ」

「えっ、そうだったの。まじか」

 社会人生活四年目ともなれば、転職なんて珍しくない。「求職中」とさえ言っておけばもうそれ以上突っ込まれないだろう。コミュニケーション下手な自分にしては良い返しをしたと思ったのだが。思わぬ返答が山吹から返ってきた。

「え、じゃあさ。もしよかったら、うちの会社のマーケティング部に来ない?」

「えっ」

「佐和子ちゃんてさあ。昔から真面目だし、なんでも一生懸命だし。一緒に仕事するには最高の人材だと思うんだよね。どう、やってみない?」

 山吹からの提案に、佐和子は言葉を発することができなかった。

 最近はあやかし瓦版の仕事が楽しくなってきたところで、それなりにやりがいも感じ始めている。

 でも、あそこは「あやかしの職場」なわけで。人間である佐和子が、一生働き続けられる場所ではないとも思っている。履歴書に書くことができない経歴であるし、長く働き続ければ続けるほど、人間の社会へと戻りづらくなることは否めない。

「経験者で俺の紹介なら、即採用されると思うんだよねー」

 まだ、人間社会の仕事を辞めてからは、半年も経たない。
 今、こちらの世界に戻れるなら、きっとまだ人間としてやり直せる。

 ––––でも私、今の仕事も……嫌いじゃないんだよね……。

「あれ、佐和子ちゃん? どうしたの? 黙っちゃって」

「あ、ごめん。すごい嬉しいんだけど、今、即答はできない……あの、選考が……進んでる他の会社があって」

「そっかそっか。じゃあさ、とりあえずうちの会社のパンフレット渡すから考えてみてよ。もし受けたいなって思ったら、連絡して!」

「うん……ありがと」

 そのあとはうどんに集中するふりをして、会話を避けて黙々と食べ続けた。

 ––––どうしよう。どうするのが一番いいんだろう。

 食べながら考えてはみたが、答えは出ぬまま。食事を終えてさわやかに立ち去る山吹に手を振りながら、佐和子はしばらくその場にとどまっていた。


 ◇◇◇


 編集室の固定電話が鳴る。

 マイケルが即座に受話器を取ると、電話口の相手の言葉に返答をしつつ、佐和子の方へ視線を合わせた。

「葵さん宛のお電話です」

 ––––え、私……?

 今まで佐和子宛の電話など来たことがなかった。記事に記名をしているわけではないので、読者が佐和子の名前など知りようがない。

「どなたですか?」

鬼灯堂ほおずきどうのメイクアップ事業部 マーケティング部の華山さんからお電話です」

「聞いたことない人だな……。とりあえず回してください」

「内線にとばしますね」

 マイケルがカチカチと電話を操作すると、すぐに佐和子の手元の電話が鳴る。内心ドキドキしながらも、受話器を上げた。

「お電話代わりました。担当の葵です」

「お話しできて嬉しいわ。あなた、人間よね?」

 電話口から聞こえてきたのは、色香の漂う、少し低めだが、女性らしい話し声だった。

「あ、はい……どうしてそれを……」

「テーマパークの記事、読んだわ。人間ならではの視点で面白かった」

「え、あ……ありがとうございます!」

 緩みそうになる頬を堪える。自分の記事に対する反応を、実際の声として聞くのが嬉しくて。思わず声が震えた。

 喜びのあまり一瞬押し黙ってしまったが、問い合わせの電話だったとハッとして、緊張しながらも、佐和子は尋ねる。

「それで、今回はどういったご用件で……」

「あなたにうちの広告企画記事を頼みたいのよ。春のメイクアップ用品の販促企画でね。まずは今日四時に鬼灯堂本社に来られる? 詳細はその時に話すから」

「少々お待ちください。予定を確認いたします」

「四時と言ったら四時よ。いいわね」

 優雅だが、有無を言わさぬ力強さでそう言われ、電話を切られてしまった。慌ててスケジュールを見たが、幸い自分の予定は入っておらず、ほっと胸を撫で下ろす。

「なに? どうしたのよ。なんか困った電話だったの?」

 落ち着きのない佐和子の様子を見て、刹那が声をかけてきた。

「いや、なんか『鬼灯堂ほおづきどう』ってとこのメイク用品の広告企画の依頼で……」

「鬼灯堂? 超大手化粧品メーカーじゃない!」

「え、そうなの? っていうか、あやかしの世界にも化粧品会社ってあるんだね?」

 当たり前じゃない、と刹那は眉根を寄せる。

「アイシャドウやアイライナー、白粉だとか、人間の世界で売ってるような品物はあやかし向けの化粧品会社でも作ってるわよ。ただ、メイクのテイストはだいぶ違うわね」

 井川とのデートのために人間のメイク方法も習得した刹那曰く、あやかしの化粧は「個性を強調するメイク」らしい。だからアイシャドウや口紅も奇抜だったり派手な色味が多いし、メイクの土台となるファンデーションや白粉おしろいも、白っぽいものが多いのだそうだ。

 対して人間世界の化粧は「粗を隠し、美人とされる顔に近づける」ことに重きを置いたメイクが主体の印象だという。だから市販の化粧品も、ビビットな色合いのものより素肌に馴染むようなものが多い。

「でも、なんで佐和子あてに直接きたのかしら?」

 首を伸ばしながら、刹那は疑問を口にする。

「テーマパークの記事が、人間ならではの視点で面白いってことで、私に話が来たみたい」

「……? なんであの記事が、人間が書いた記事ってわかったのかしら。いや、記事経由で広告企画が来たこととはありがたいことだし。あんたの頑張りの成果なんだけど」

 刹那がそう言うのを聞いて、佐和子も首を傾げた。

 彼女の言う通り、あやかし瓦版としては「人間が記事を書いている」ことを大々的に宣伝したりはしていない。永徳曰く、あやかしの人間に対する感情も千差万別なので、リスクを考えて公表しないことにしているらしい。

「あ、それ……もしかしたら自分のせいかもしれないです……」

 マイケルは申し訳なさそうに頭を掻いた。

「あの、この間レジャー記事について電話で問い合わせが来た時、つい言っちゃったんです。人間の編集部員が書いてるんだって。そしたら、『例の嫁候補か』ってしつこく聞かれたんです。それが、鬼灯堂の方だったと」

「ダメじゃない、個人情報をペラペラと喋っちゃ」

 刹那に嗜められたマイケルは、身を縮こませる。

「すみません」

「鬼灯堂のあやかしは、なんで嫁候補の話を知ってたのかしら。まあ、編集長が佐和子を紹介する時、取材先には『嫁候補』だって言ってるから、誰も知らない話ではないわけだけど。でも芸能人でもあるまいし、そんなに騒ぎ立てるような話題でもないと思うけどねえ」

「……一番怒ってた刹那さんがそう言うと、説得力がないですね」

「うるさいわねマイケル! あの時は圭介とのことで悩んでて、イライラしてたのよ!」

 マイケルに向かって烈火の如く怒る刹那だったが、すぐに気を取り直した様子で佐和子の方を向く。

「で、相手はなんて言ってたの?」

 刹那に問われ、佐和子は電話の要旨を説明する。

「今日四時に打ち合わせをしたいから来てくださいって。あまりに急だから予定を調整して後日にしようかと思ったんだけど、押し切られちゃって」

「なんか嫌な予感がするわね……。編集長! 編集長、ちょっと、厄介な匂いのする仕事がきたわよ!」

「ええ……なんだって?」

 永徳は居眠りをしていたらしく、自席であくびをしながら伸びをしている。ふわふわとした調子で返事をする様子にイライラしたのか、さらに声のボリュームを上げて彼女は言った。

「編集長! なにのびなんかしてるんですかっ! 鬼灯堂から広告企画の依頼です。しかも今日来いって」

「え? 鬼灯堂から? うわっ!」

 のけぞりすぎたのか、永徳はそのままデスクチェアごとうしろにひっくり返った。腰を押さえながらよろよろと立ち上がると、困ったような顔を刹那に向ける。

「今日って、ずいぶん急だね。何時だって?」

「四時に鬼灯堂本社だそうです」

 佐和子がそういえば、永徳は手を顎にあて、渋い顔をする。

「今日の四時か……。なんとか調整するから俺も一緒に行こう。マイケル、君も行けるかな? 空いていたよね? ミーティングのメモ取りをお願いしたい」

「あ、はい! 大丈夫です」

「編集長、アタシには声をかけてくれないわけ? 化粧品といえば、女性のあやかしが必要なんじゃありません?」

「刹那はその時間予定があるだろう」

「あらほんとだわ。うっかり」

 自分以外の編集部員の予定まで把握しているとは。この人は本当に、サボっているようでちゃんとしていると佐和子は感心した。

 必要な打ち合わせを永徳と終えると、佐和子は自席に戻り、鬼灯堂について調べ始めた。情報に集中しながらも、自然と口角が緩んでしまう。

 ––––私の書いた記事を見たあやかしから、広告企画の依頼が来た……。

 これまで仕事をしてきて、こんなふうに自分のしたことが、なにかの成果に結びついたのは初めてだ。

「葵さんの記事は今回の鬼灯堂の案件以外にも、結構反響があるんだよ。フォームからもちょこちょこ読者から感想をもらっているし。知人から『あの記事が良かった』って言われたこともあるし」

 いつの間にか佐和子の横に来ていた永徳がそう言ったのを聞き、佐和子ははにかんだ。

「そうなんですね、それは、良かったです……」

「葵さんのお手柄だよ。ただ、まあ今回の件は内容を聞いてからだけどね」

「……はい」

 永徳の最後のひと言に不安を感じつつも、佐和子は言いようのないむず痒さに、頬を緩ませたのだった。
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