勇気をください。

橘 志摩

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28.負けない自信

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「―――大丈夫だよ、お前は強くなった。あんなのに負けてない。自信もっていい。な?」
「ひ、っ、う、うう、……っ」
「大丈夫、俺が保証してやる。今のお前にはちゃんと、友達だっているだろ。ちゃんと働いて、自立して、一人で立って生きてる。あんなやつに全然負けてないから」

 きっと私を慰めてくれているんだろう。
 彼の優しい言葉に何度も頷いて、ぎゅっと、その人のコートを握り閉めた。
 心に浮かぶのは悔しいという気持ちだけだ。

 情けない。悔しい。変われたと思ったのに、全然変われていない。
 昔の、同級生に会っただけでこんなふうに崩れるなんて、私はなんにも変われていない。

 だけど、その人だと気がついた瞬間、何よりも早く、恐怖が心を支配していた。
 記憶はあっという間に中学時代に戻り、私の思考を埋め尽くしていた。

 川崎梨絵は、中学時代私をいじめていたグループの、リーダー的存在の女の子だった。

 こんなふうに子供みたいに泣きじゃくってしまう自分のどこが、変われたと言うんだろう。
 きっと、月村さんがいなかったら、私はあの場から動けなくて、きっと今も、川崎さんに言われたい放題だっただろう。
 月村さんに助けてもらわなかったら、あの場でみっともなく怯えて、一人家に帰って一人で惨めに泣いてしまうだけだった。

 彼の胸の中で泣けるのは、きっと、多分ものすごく、幸せなことなんだろう。

 どれだけの間泣いていたのかはわからない。
 けれど、その間ずっと、彼は私の身体をぎゅっと、一人にならないように、迷子にならないように、強く抱きしめてくれていた。

「……ご……ごめんなさい……」
「……なんで謝るんだ、馬鹿。お前別に悪いことしてねぇだろ」

 声は震えていてみっともない。掠れていてちゃんと言葉にもできなかったけれど、彼はきちんとその言葉を聞いてくれたらしい。
 苦笑して、ポンポンと私の頭を撫でてから、そっと身体を解放してくれた。

「……少しは落ち着いたか?」
「……はい……」
「なら、お茶入れてやる。少し休んだら送っていくから、顔洗って来い」

 ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられて、小さく声が出てしまったが、顔をあげた時、月村さんはもうリビングに足を向けていた。
 謝罪だけじゃなくて、ここまで連れてきて、泣き止むまでずっとそこにいてくれたその人にお礼を言わなきゃと思うのに、口が動かない。
 その場で立ち尽くしている私に気がついたのか、月村さんは首だけで振り返って、洗面所の場所を教えてくれた。

「そんな顔してんなよ、いつまでも。俺はお前の笑った顔、結構好きなんだから笑っとけ」
「……え」
「あと、化粧ぐちゃぐちゃだからな。気がついてないだろうけど」

 そう言ってやけに楽しそうに笑ったその人に、はたっと自分の状況を省みる。
 今の今まで泣きじゃくっていたのだ。いくら水に耐性がある化粧品を使っていると言えど、それはもはや意味をなしてないだろう。
 そんな顔を月村さんに見られていたのだと気がついて、私は慌てて洗面所に飛び込んだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 顔を洗って、鏡に映った自分の顔は、化粧を落とす前よりかは幾分ましになったとはいえ、瞼が腫れていて、それなりに酷い顔だった。
 カバンの中に簡易的なメイク落としを入れていた自分を褒めたいと思ったが、瞼が腫れるほど泣き喚いた自分をまず叱りたい。
 洗面台に手をついてがっくりとうなだれて、小さく息を吐いた。

 情けない自分はもう十分自覚した。彼には十分甘えた。このままここに閉じこもっているわけにもいかず、私はとりあえず、顔だけは作ってしまおうと、カバンの中からポーチを取り出して、今落としたばかりの化粧を急いでし直してから、彼が待っているのだろうリビングに入った。

「―――なんだ、お前化粧し直してたの? 別にすっぴんでくりゃいいのに」
「……そ、そういうわけには……。すっぴん、あんまり見られたくないもん……」
「ふーん。まぁ今はそれでいいけど。ほら座れ。今あったかいコーヒー淹れてきてやるから」
「……ありがとうございます……」

 彼に促されてソファに腰を下ろした私の頭を、月村さんは軽く叩いてからキッチンに入っていった。
 その後ろ姿を見つめてから小さく息を吐いて、まだ少し乱れたままの気持ちを整える。
 これ以上迷惑かけるわけにはいかないけれど、まだ一人になりたくない。
 まだもう少し甘えてもいいだろうかと迷いが胸をよぎったが、答えを出す前に月村さんはコーヒーカップを持って戻ってきた。

「ほら」
「……ありがとう、ございます……」
「……まぁ、なんつーか、俺も、ごめんな」
「……え?」

 謝るのは私の方なんじゃないだろうか。
 そう思って首を傾げた私に、月村さんはただ気まずそうに私の顔を見つめ返してきて、そっと頬を撫でた。
 その仕草に胸が音を立ててしまうのは仕方ないだろう。少しづつ近づいてきて、コツンと重なった額に気を取られて思考が真っ白に染まった時、彼の深いため息が私の唇に触れた。

「……俺があいつと仕事してなきゃ、お前はあれに会う必要も、あそこで声をかけられずにもすんだろ」
「……え……っえ、いやでもそれは……っ」
「……ごめんな、きつい思いさせて」
「っ月村さんのせいじゃないです!」
「……七種?」
「……月村さんの、せいじゃないんです……。私が、弱かったから……」
「? 別にお前は弱くないだろ。むしろあれの前で必死で自分保とうとして、保ててただけ強いと思うぞ」
「……でも、泣いちゃったし……」
「ここまでは堪えただろ。それだけで十分強いよ」

 彼は優しいから、きっとそう言ってくれているんだろう。
 そのことがなんだかいたたまれなくて、唇を軽くかんで俯いた私に、月村さんは少しだけ笑って、私の頭の後ろに腕を回して、ぎゅっと抱き寄せた。

 再び彼の腕に抱きしめられたことで、心臓が大きな音を立てる。
 頬が一気に熱くなって、慌てて彼から離れようとしたが、ぎゅっと力を込められたせいでそれは叶わなかった。

「……これからも巻き込む。ごめんな」
「……はい?」
「……俺が、お前のこと、あいつに彼女だって紹介しただろ。……なんでだと思う?」

 耳元でそう問われて、心臓の音が大きくなったが、必死でその答えを考える。
 だが、色々と混乱してテンパっている思考回路では何も思い浮かばなくて、「えーと」を繰り返す私に、月村さんは焦らすことなくその答えを教えてくれた。

「あいつ、うっとおしいって言ったろ。今の仕事相手だ。俺のこと狙ってんだかなんだかしんねぇが、女アピールがうざい。俺に彼女でもいれば諦めると思ったから、お前のことそう紹介した」
「……えっ」
「だけど、川崎がお前のこと昔と同じように見てるんだとしたら、なにしてくるか逆にわかんなくなった。……お前のことは何がなんでも守るけど、先に謝っとく。巻き込んでごめん」
「……は、……はあ……」

 それ以外に、なんて返事をすればいいのかわからなかっただけだ。
 随分とマヌケな言葉で返事をした私に、月村さんはポンポンと背中を叩いて、それからゆっくりと私の身体を離してくれる。

 今言われたことを必死で整理しようと少しだけ黙り込んで、深く深呼吸をしてから顔を上げると、月村さんはどこか不安そうだった。

「……で……でも、あの、」
「うん?」
「……私が、月村さんの彼女役、ちゃんと出来たら、……月村さんは、助かりますか?」
「―――当たり前だろ。一緒にいたのがお前じゃなかったら、こんなこと思いつきもしなかったよ」

 そういった彼の言葉に、それならと、私は迷うこともなく、小さく息を吐いてから頷いた。

「……頑張ります、だって、月村さんは、大事な友達、だから……っ」
「七種?」
「た……、確かに、川崎さんのことはまだ怖いけど……けど、……わ、私は、昔の自分より、月村さんのほうが大事にしたいっ、から……っ」

 そう言い切った私に、月村さんは驚いたようで、目を見開いて見つめ返してきたが、まっすぐ見つめる私の顔に何かを悟ってくれたのか、小さく笑った。

「やっぱ頼もしいわ、七種」

 だって、思ったんだ。
 確かに過去と対峙するのは怖い。今はどうなるのかわからなくて不安だ。
 でも、やっとできた、大事な大事な友達を助けられるなら、そのために頑張れるような自分になれているなら。
 彼が頼ってくれたように、私が彼にとって頼りがいのある友人になれていたのだとしたら。

 きっと、昔のそのトラウマも、私の中から昇華できるかもしれないと、そう思った。




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