勇気をください。

橘 志摩

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30.迫られた決意

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「……別に、何かかえるってことはしなくていいんじゃねぇの?」
「……そういうものなんですか?」

 あの夜から一週間後の金曜日の夜、一週間ぶりに会った月村さんに、春花にした質問と同じことを聞くと、そんな答えが返ってきた。
 春花はわかるようでわからないアドバイスをくれたが、月村さん本人も本人で、これまた本当にそれでいいんだろうかという答えをくれる。
 果たしてそれでいいのか、春花の言葉を理解しようとすると、それはまるで正反対のことのような気がして仕方ない。
 眉間に皺を寄せて考え込んだ私に、彼は笑って、その眉間に指をグリグリと押し当てた。

「難しく考えなくていいよ。別に川崎としょっちゅう会うわけじゃないし、お前が会う必要もない。ただ俺が勝手にお前の名前利用させてもらってるだけだ」
「……でも、うっとおしいくらいには、アピールしてくるんですよね?」
「それでも諦めんだろ、俺は七種と別れるつもりないっていう体裁作ってるからな」

 彼はそう言いながら携帯を操作して、誰かにメールを送ったようだった。
 毎週のように遊んでくれるその人は、本来ならずっとずっと忙しい人のはずなのに、なんで私のために毎週毎週こんなに遊んでくれる時間を作ってくれるんだろう。

 今更そんなことが気になって、じっと彼の顔を見つめてしまう。
 そういえば、先週言っていた仕事はうまくいったんだろうか。私が彼の彼女のふりをすることで、円滑に仕事を進められるようになったのだろうか。

 それならそれで嬉しいが、それでもその仕事が続く限り、月村さんが川崎さんと会わなければいけないのかと思うと早く終わらせてくれたらいいのになどという身勝手な願いが胸に浮かぶ。

 もちろんそんなことを口に出せるわけはなくて、私は月村さんに気がつかれないように小さく息を吐いた。

 中学生の時から、もう12年も経っている。
 私も川崎さんも、もうあの頃のままじゃない。それはわかってるし、理解してるつもりだ。いくら心がその成長に伴っていなくても、見た目は大人になっている。

 あの日、あの夜再会した川崎さんは、私よりも遥かに綺麗で、できる女の人に見えた。

 もし、もしも私が月村さんと知り合っていなかったら、もしかしたら月村さんは川崎さんとそういうことになっていたのかもしれないのだろうか。
 そう考えると少しだけ複雑な気持ちになってしまう。

 彼は優しいから、私の存在を気にしてくれているだけだ。私が弱っちくて情けないから、だからこの立ち位置にいさせてくれているだけだ。

 そんなのはわかっているし、もしかしたら自分の存在が彼の幸せの邪魔になってしまっているかもしれないとも思うけれど、そう思うと、胸が小さく痛む。

 誰より大事にしてもらっているのは、ちゃんとわかっているけれど、この立場は、いつか誰かに、月村さんが好きになったその人に明け渡さないといけない場所なんだろう。

「……恋する女の子は、ヤキモチ妬くんですって。春花が言ってた」
「はあ? お前またあいつに何吹き込まれたんだ?」
「……私、恋愛感情についてちゃんと知ったほうがいいって言われました。……私、ちゃんと恋愛、したほうがいいですか? そうじゃないと、月村さんの役には、たてないですか?」

 真剣な顔でそう聞くと、彼は小さく息を呑んだような気がした。
 今のままでは本当に彼の役に立てないだろうか。

 もし彼がお前じゃ役にたたないと言ったら、私はこの立場からどかないといけないだろうか。

 川崎さんじゃなくても、彼の傍に別の人がいることを、見ないといけないのだろうか。

 春花の言葉を考えて、色々考えて、色んな可能性を想像した。
 恋愛感情が何かなんてわかんないけれど、月村さんと一緒にいれなくなるのは、嫌だ。

 それだけが今の私の嘘のない感情で、もし今の段階で彼が役に立たないと判断するなら、私は色々と心に決めないといけないのだろうと、そう思った。

「……そんなことねぇよ。七種は十分俺の力になってくれてる」
「……本当に?」
「嘘ついてどうすんだよ。面倒な嘘をつく必要はねぇし、お前に嘘ついても俺に何か得になることないだろ。……ただまぁ、……お前が乗り越えられる可能性があるならとは、思うけどな」
「え?」
「あの川崎ってやつと、本気で戦う気があるなら、もっといろんなこと、お前に頼むよ。ずっとずっと踏み込んだとこまで頼む。けどそうじゃないなら、名前貸してくれるだけでいい」
「……え……」
「一緒にいるとこ見せれば効果的だろうなとは思ってるよ。でも、それと同時にお前が傷つくならあいつにお前は会わせたくない。俺のせいでお前が泣くことになるなんてまっぴらゴメンだ。俺は七種を傷つけたいわけじゃない」
「……月村さん……」

 それは、自分の困った状況をなんとかするためとかだけではなくて、私のことも考えてくれていたということだろうか。
 確かに川崎さんは私のトラウマの元であって、この先も変わりたいと願うなら、乗り越えなければいけない存在なのは確かなことだ。けれど、今の私に川崎さんと対峙する理由はないし、そんな勇気も理由もない。
 けれど、そのための理由を作ってくれようとしているんだろうか。

「……立ち止まったままじゃ、嫌なんだろ。お前、俺に変わりたいからって会いに来ただろ、一番最初。変わりたい、友達を作りたいって、そう言ってただろ。友達はできた。それなら、次は変わるための克服がしたいんじゃねぇのかって思ったんだよ」
「……っ」
「別にいいんだ。俺の方は何とでもあしらえるし。けど、……まぁ、俺も、お前が変わって、ちゃんとはっきり自分で前を向いてるって自覚してくれた方が、色々と都合がいい」
「……都合?」
「それはまた、その時になったら言う。だけど、今この場から進むかどうかはお前に任せる。まだ勇気がないって言うならそれでいいし、そうじゃなくて、自分のこれからの人生のために一歩進みたいっていうなら、俺に協力してもらう」
「……それは……た、確かに……変わりたい、ですけど……」

 なんでこの兄弟ははっきり言ってくれないのだろう。
 春花も月村さんもはっきりと答えを言ってくれなくて、私はこないだから頭をフル回転させてばかりだ。いい加減考えることも疲れてきた。

 しどろもどろに言葉を紡いだ私に、月村さんは何かを探るような、決断するような視線を向けてきた。

 もちろん、私が変わりたいと本気で願うことで、彼のためになるならばそうしたい。けど、月村さんが言っているのはそういうことじゃなくて、私が私自身のために決断することを願っているような気がして、彼を言い訳に使ってはいけないような気がした。

「……ぁ……の……」
「……うん?」
「……も、もし、私が、本気で変わりたいって、言ったら、月村さんは、どうするんですか……?」
「川崎との打ち合わせの場にお前のこと連れてく」
「へ……っ?」
「もちろん仕事だから、偶然を装ってだけど。けどお前、こないだ顔合わせただけで泣き崩れてたから、それはきついんだろ? まだ」
「……それは……」

 確かにそうだけれど、でも、そんな状態の私を彼女に合わせて、彼は私が変わると思っているんだろうか。
 何かが変わる可能性があると、そう思ってくれているんだろうか。

「―――だけどもし、お前が本気で変わりたいって思うなら、戦う覚悟ができるくらいのことはしてやるよ」
「……で、できるんですか……?」
「多分な。多少荒療治になるだろうけど」
「荒療治……」
「春花に言ったんだろ? このこと。それなら七種は十分ヒントもらってるようなもんだし、俺も待とうかと思ったけど、こんなチャンス早々ないから。お前が幸せになるなら、賭けてみようかってくらいには、可能性あると思ってる。……俺の勘違いじゃなければの話だけど」

 その言葉に怖気づいてしまうのは、私が臆病だからだろうか。
 少しだけ考えている間、彼は待っていてくれている。

 私は顔を上げて、きゅっと唇を噛み締めた。

「……あの、少しだけ、時間、もらえませんか……」
「……いいよ。お前にはもう十分力になってもらってるから。今変わりたいって決意する必要もないし、無理することもないからな」

 そういった彼はどこかホッとしたようにも、寂しそうにも見えた。



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