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いざ旅行(4)

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 お風呂を上がり、部屋にあった浴衣に着替える。私は初めて見る紘人さんの和服にもときめいて、ぽうっと見惚れていたが、彼は「そんな風に見られると照れる」と口元を手で覆ってそっぽを向く。

「……由奈の方が、よっぽど似合うし、素敵だよ」
「紘人さん、私が何を着てもそれ言うじゃないですか」
「うん、だって本当にそう思っているから」

 広いベッドに寝転んだ紘人さんの腕枕に飛び込むと、また彼の甘やかしが始まった。そんな風に言ってもらえるような容姿ではないのにといたたまれなくなって、彼の腕から抜け出そうとする。

「ダメ。逃げないで? 由奈は自分のこと可愛くないって言うけど、本当に可愛いんだよ? 少なくとも、俺は可愛いって思っているのに、そんなことないって否定されたら、悲しいな。由奈は俺とくっついているの、いや? 俺はずっと由奈のこと抱きしめていたいけど」

 むず痒いほど甘い言葉をかけられて、おずおずと彼の腕の中に戻る。今度は私が逃げられないように、背中にしっかりと手のひらが宛てられていて、足も緩く絡められた。口をへの字に曲げて目を合わせずにいる私の額に、紘人さんの額がこつんとぶつけられる。

「もう、そんな顔していても、可愛いって言われるだけだよ」
「紘人さんも、たまに可愛いですよ」
「なに、反撃しているつもり? いいよ。由奈が可愛いって思うなら、可愛いでも。かっこいいも可愛いも、つまりは好きってことでしょ? 嬉しいよ」
「……私は、自分のこと、可愛いだなんて思えない……紘人さんは、どうしてそんなに自信を持てるんですか?」
「それは……それは、由奈が、俺に何度も好きって言ってくれるからだよ……由奈、こっち、ちゃんと見て?」

 紘人さんが私の背中を摩って、目を逸らし続けていた私に顔を上げるように促した。なんだか目の奥がつんとして、泣きたい気持ちになる。

「由奈はさ、たまーに、自己肯定感低いときがあるよね。奥ゆかしくて、真面目な由奈も大好きだけど、もっと自分に自信を持ってほしいなって思うときもあるかな。由奈は可愛いよ。それに、俺が可愛いって感じていることを否定されてしまうのは少し悲しい。由奈が自分のことを可愛いって思えなくても、俺は可愛いって思っている。それをわかって、信じてほしい」
「紘人さん……私、」
「うん、俺がどうしてこんなに自信持てるかって聞かれたよね。それはね、百パーセント由奈のおかげだよ。大事にしていた人に裏切られて、自分には価値がないって思っていた時期もあるし、だからこそ仕事に打ち込んで、そこに自分の価値があるって思いこもうとしていた。でもね、由奈は展望台で、俺のために戦ってくれたでしょ? あれでね、俺は、由奈に愛されている自分に自信が持てるようになった。だから、そんな俺に愛されているって、由奈も自信を持ってほしい。愛されている自覚はあるでしょ?」

 ぷくり、と涙が目の端に浮かぶ。紘人さんがそれを指先でつついて、なかったことにした。

「可愛いって、見た目だけじゃないからね? もちろん見た目も可愛いけど、嬉しいとか楽しいとかおいしいとか、ありがとうとか、そういう感想がさらっと出てくる素直さも可愛い。由奈は自分は仕事ができないって言うけど、由奈は仕事ができない子じゃない。人一倍丁寧で、責任感が強いだけ。仕事に一生懸命になっているところも応援したくなる可愛さがあるよね。俺のことを好きだって言って引っ付いてくれるときは、愛しくて愛しくて可愛いって思う。どうかな、上手くまとまらないけど、俺にとってはとびきり可愛くて大切な存在だよ」
「紘人さん、好き……」
「うん、そうやって、たまに語彙力がなくなるところも、気持ちがいっぱいになっているんだなって、可愛く思える。俺、初めてご飯に行ったときから、そういうところ全部好きだった」

 紘人さんがぎゅむぎゅむと強く私を抱きしめる。ほかほかと温かい身体をくっつけ合うと、心の内から外から満たされて、花が舞うような幸せな気持ちで包まれた。
 自分にはもう恋愛をする機会もないと思っていた数カ月前が遠い昔のよう。紘人さんが夜食に誘ってくれたあの瞬間から、私の世界ががらりと変わった。

「由奈は、俺にとってはとっても可愛いの。わかったね?」
「……はい」
「よし、いい子」

 よしよしと頭を撫でられる。まるで子どもにするような仕草がこそばゆくて、彼の胸をぽかぽかと叩く。紘人さんはびくともせず、そんな私にまた「可愛い」と呟いた。
 しばらくベッドでごろごろと抱きしめ合った後、部屋のとびきり大きなテレビを点けると、地方局の初めて見るアナウンサーさんが今週の天気予報を読み上げていて、今日も明日も明後日も、私たちがここにいる間は、ずっとよいお天気だと言っていた。
 そのまま明日と明後日の予定を考えながらだらだらする。どこかに出かけるのも楽しそうだが、一日中宿でゆっくりするのも魅力的で捨てがたい。そんな話をしているとあっという間にご飯の時間になる。紘人さんは「期待していて?」とどこか含みのある笑いを浮かべ、頭にはてなマークを浮かべる私を見て、「お楽しみだよ」とはぐらかした。

「こちら、本日のお夕食のお品書きでございます。手前から―――」

 お部屋に運び込まれたお料理の数々、その豪華さに圧倒されて言葉を失った私を紘人さんが笑いを堪えながらちらちらと見てくる。机の中心に置かれたお鍋の横に、脂身が多くいかにも高価なものに見える牛肉。お刺身のお造りだけでなく、あわびと伊勢海老まで鎮座している。中居さんの説明が頭に入ってこないほど料理に見惚れてしまった。

「ひ、ひろとさん……」
「あー、もう限界。由奈、そんなに嬉しそうな顔しないでよ。笑いそうになったじゃん」

 中居さんが退室してすぐ、紘人さんがけらけらと笑いだした。冷める前に早く食べようと、箸を取る彼と対照的に、私はまだ現実を受け止めきれず、机の上に並べられたお料理に目を奪われていた。

「いやー、その顔が見たかった……内緒にしていた甲斐があったよ。由奈、これおいしいよ。早く食べな?」
「紘人さん、こんな豪華なご飯、私……」
「今回は、とびきり贅沢しようって思ったから、奮発しちゃった。めいっぱい味わって食べようね」

 紘人さんに勧められて、ようやく料理を口に運ぶ。口の中に繊細な味わいが広がって、飲み込むのがもったいないくらいの料理に、目が自然と見開かれる。彼の方を見ると、そんな私を見てにこにこと微笑んでいた。
 お部屋も、料理も、紘人さんに驚かされてばかりだ。私が喜ぶところを見たいと言って、こっそりとたくさんのことを考えていてくれたことが本当に嬉しい。今はありがとうしか言えないが、せめて心からお礼を伝えて、いつか何かでお返しをしたい。
 最後の一口まで堪能して、二人でお腹がいっぱいと笑い合う。食休みをしたらまたお風呂に入ろうね、と瓶ビールを空けてほろよいの紘人さんがお風呂を指さした。
 ソファーに座りテレビを点けて、どうでもいいバラエティーを眺める。非日常的な時間の進み方夢見心地でいる私を紘人さんは愛し気に見つめながら、何度も何度も髪を撫でてくれていた。
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