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13.あの夜諦めてしまった何か

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「がっ、は……ぁ」

 肺の中の空気が一度に吐き出され、苦しさに必死に息を吸う。

 動けなくなったオレの隣で、「ひっ」と悲鳴が聞こえて何かが潰される音がした。

 ……ああ、ダメだった。殺されてしまったのだと悟り、オレはようやく得た酸素に咳き込んで蹲る。

 滲んだ涙に霞む視界で、近づく神父の優しい笑顔……ああ、もういい。もう十分だ。だって、彼に引き取られて僅か2年でも、本当に幸せだっただろう? 酔いどれの父親に殴られることもなく、優しい母が泣く姿もみず、優しい神父とふたりの兄弟たちと。心から笑って暮らせたのだから。

 もういい……彼の手で殺されるなら諦められる。

 そう思って目を閉じた。

 震える唇が無意識に言葉を吐き出す。

『……ごめんな、ハデス』

 声にならなかった言霊は、しかし届いていた。左手の中に出現した鎌は、顕現した形のままに神父の首を深々と貫く。

「っ……」

 悲鳴は喉に詰まった。

 神父の驚愕の表情はすぐに柔らかな笑みに変わり、彼の瞳が生来の茶色にもどる。震える手が伸ばされ、そっとオレの頬を撫でて髪に触れた。赤い血を滴らせる唇が「ありがとう」と言葉を作り、死体が倒れ込む。
 
 どさりと重い神父の身体を受け止めたが、すぐに死体は砂のように粉々になった。悪魔に魅入られた者は死体を残さない。父親の死で知っていた事実に、見開いた目から涙が零れ落ちた。

 彼の人は負けてしまったのだ。

 悪魔ではなく、悪魔に唆された心が……折れてしまったのだろう。起き上がろうとした左手に握った鎌を、床に放り出した。この鎌があったから助かったと思う反面、自分だけが生き残ってしまった後味の悪さに吐き気がする。






 目を覚ました寝台の上で、オレは久し振りに涙を流した。思い出したのは凄惨で生臭い過去と、優しかった育ての親の最期の言葉――不吉の色とされる青紫の瞳を褒めてくれたのは母親と彼の人だけだったこと。

「……絶対に許さない」

 闇堕ちなどしない。

 彼の人が身を持って教えてくれた現実は心に焼き付いていた。固い決意をこめ、ぐっと拳を握り締める。

 寝台から見上げる窓の外には、あの夜と同じ三日月が鋭く切っ先を突きつけていた。
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