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本編

第八話 雪華

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 秋競馬の日、僕―源光太は、いつになく沈んだ気持ちで、家に帰った。
 原因は一つ、あさひの落馬だ。
 あさひが落馬して、病院に運ばれた。骨折で1か月くらい入院する。と狼森先輩から説明があった。
「・・・・」
 部活中の事故。最悪の場合、廃部だ。
 ほかの部活はそれでも何とかなるかもしれない。でも、野馬追部にはそうはできない理由がある。
 馬たちの行方だ。
 野馬追部の馬は、競馬や馬術競技で落ちこぼれたり、気性難だったりする馬だ。ほかの乗馬クラブに移しても、結果は見えてる。
「ただいまぁ」
 玄関を開けると、妹の小梅が走ってきた。目に涙を浮かべてる。
「お兄ちゃん、きいて!!雪華が処分されちゃうの!!」
 小梅は、市営の馬事公苑で、乗馬を習ってる。
 雪華は、小梅がよく乗っている馬だ。その名の通り、真っ白な体を持っている。
 馬というものは一頭飼うだけでも莫大な費用が掛かる。
 趣味で買っているのとは違い、公営の施設だから、予算の都合で馬が廃棄、つまりは処分されたりすることもあるのだ。
(まあ、出されたところで行き先は見えるな)
 小梅にとって、雪華は兄弟のようなものだ。それが処分されるんだから、とてもつらいだろう。
「ねぇ、お兄ちゃんの部活で何とかできないの?私には、雪華が処分されるなんて無理だよ!」
 そうは言われても、部活がつぶれるかの瀬戸際に、余計な馬を飼う余裕なんてない。
 廃馬の値段は、肉値だ。だいたい20万円前後が相場になる。
 うちの親は、野馬追に関しては、いろいろやらせてくれるけど、買い取っても小梅に世話できるか・・・・・
「・・・・ふぅ」
 結局「無理」ということになってしまう。
(どうしよう・・・・)
 そう考えているとき、一人の顔が思い浮かんだ。社台やゴドルフィンともタメを張れるくらいの大牧場の息子で、野馬追部部長の顔が。
「ちょっと待ってて」
 ポケットから、スマホを取り出す。数回のコール音の後・・・・
《はい、もしもし、狼森です》
 よし!出た!
「先輩!!助けてください!!」
《どうした、光太?なんかあったか?》
 僕は、今の状況を話した。電話の向こうからは、先輩が相槌を打つ声が聞こえてくる。
「なるほどな・・・・・」
 話し終えると、先輩は、しばらく黙り込んだ。
 長い沈黙ののち、先輩が口を開いた。
《鬼鹿毛とか天照は、『部員の馬を預かってる』という扱いなんだ。だから、その小梅ちゃんが、将来野馬追部に入るんなら、学校のほうに予算を申請できる。馬房も一つ空いてるしな。それか、預託料を払うか》
「ちょっと待ってください」
 小梅のほうを見る。
「小梅が高校で、野馬追部に入るなら、預かってもいい。どうだ?」
 小梅は、大きくうなずいた。
「うん!わたし、南相馬高校に入る!!野馬追部に入る。だから、お願い」
 先輩に、報告する。
「だいじょうぶです。預かってもらって、いいですか?」
《全然OKだよ。引き取りは、いつ?》
 小梅に確認する。
「11月の終わりだそうです」
《だったら、うちの馬運車を出せるから、それ使いな》
「ありがとうございます!何から何までお世話になってしまい、すいません。」
 電話の向こうで、先輩の明るい声がする。
《いいんだいいんだ、仲間が増えるのはうれしいし、馬運車もずっと使ってなくて、『そろそろ苔が生えるか』とか言い合ってたんだからな》






 わたし―春峰あさひは、十一月のはじめに、一か月間お世話になった病院を退院した。
 お見舞いに来てくれた結那から、新しい馬が入ることは聞いていた。
 そして、退院3週間後の今、その馬を迎えるために、わたしは、ほうきを握っている。
 長いこと使ってなかった馬房を隅から隅まで掃除する。
 新しい飼葉桶と水桶も用意した。
「グフフ、グフフ」
 となりの馬房から、天照が顔を出して甘えてきた。
「よーしよしよし、いい子だね。」
 一度失った信頼関係を取り戻すのは簡単じゃない。もう一度わたしが天照を引き運動できるまで二週間、乗り運動できるまでは三週間近くかかった。
「いい子いい子」
 その細長い顔をなで、もう一度作業に入る。
「よしっ!」
 ピカピカにした馬房を見て、ちょっとガッツポーズ。
「おーい、できたぞー」
 先輩と光太が出来上がったネームプレートを持ってくる。
 それを馬房の横にかけた。
「おつかれさまでーす」
 委員会の仕事で遅れた結那が入ってきた。
「おっ、新しい馬の準備、もう終わったんですか。早いですねぇ」
 狼森先輩が「だろ、だろ、もっとほめてくれ」ってオーラを出してるけど、あっけなくスルーされる。
「雪華・・・・・ですか、いい名前ですね」
 新しく来る馬のことは、すでに光太から聞かされていた。
 楽しみだなぁ、どんな馬なのかなぁ。
 






 十一月三十日、今日は、新しい仲間、雪華がやってくる日だ。
「それじゃあ、行ってくる」
 狼森先輩と光太が手配しておいた馬運車に乗り込んだ。

 ブルルルン

 馬運車が、福島市にある業者に向かって出発した。
 公共施設で飼っている馬の処分は、「備品の廃棄」にあたる。だから、最初の業者を経由してから、ここまで来るんだ。







 三時間後、馬運車が帰ってきた。
 荷台からは、中にいる馬の息遣いが聞こえてくる。
 荷台から、光太の妹の小梅ちゃんが下りてきた。福島からずっとつきっきりだったらしい。

 それから、厩舎の入り口で待っていたわたしと結那に、きっちりと頭を下げた。
「雪華のことを、よろしくお願いします」
「お前も土日は世話するんだろうが」
 後ろから来た光太が、小梅ちゃんの頭をこつんと突いた。
「いたたたた・・・・もう、やめてよ」
 小梅ちゃんが、頭を押さえる。
「そんなことやってる暇があったら、早く降ろそうか。輸送熱でも出されたらいけない」
 狼森先輩の指示が飛ぶ。
『はい、わかりました』
 全員の声が重なった。

 クイィィィィン

 ドライバーさんの操作で、馬運車の後ろの扉がゆっくりと降りてきた。
 扉はそのまま地面について、スロープの代わりになる。

 ドン、ドン・・・・ 

 そのスロープの上を雪華が小梅ちゃんに牽かれて降りてきた。
「うわぁ、きれい」
 となりで見ていた結那が放心したような声を上げる。
 雪華は、事前に光太から聞いていた通りの美しい馬だった。白百合のように真っ白な体には、差し毛一つなく、体全体が日の光を浴びて輝いている。

 カッ、カッ・・・・

 小梅ちゃんに牽かれて、素直に新しいすみかに入っていく。小梅ちゃんと雪華の信頼関係の強さがわかる光景だ。
「グフフ、グフフ」
 新しい馬房に収まった雪華は、鼻を鳴らしながら小梅ちゃんにほおずりした。
「小梅ちゃん」
「はい、何ですか?」
 わたしは小梅ちゃんに問いかける。
「これからこの子をお世話するにあたって、何か気を付けることって、ある?」
 「そうですね・・・・・。エサは普通にあげても大丈夫です。音に敏感で、初めて見るところは怖がって進もうとしなくなることがあります」
「なるほど、ありがとう」
  そんなこんなで、この白毛のクオーターホースは、無事に野馬追部の一員となったのだった。
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