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第三章 運命の人
66 王子の焦り、令嬢の漢気(おとこぎ)
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ヨルナがルピナスの腕のなかで昏倒したのを、アストラッドは打ち合わせのあとで聞いた。
王族のための塔。昼食を終えたあと。
先ほどのサロンとは趣をたがえ、様々な本を収めた書架や応接室。二つの寝室に四つの次の間に浴室をそなえた、かなり行き届いた空間の一つ――書斎で、護衛騎士エリックからの報告を受けている。
王城の執務室と遜色のない重厚な机にはサジェスが掛け、資料を挟んでアストラッドが立つ。前者はおや、と眉を上げ、後者は“無”になった。後背にブリザードが吹き荒れている。(※なまじ整った容姿のため、威圧感が半端ない)
エリックはしばらくの間口ごもり、残りの部分はできるだけ簡潔に述べた。
「…………と、迎賓館の侍女殿から聞いております。意識のないヨルナ嬢を、ルピナス殿が抱きかかえて来られたと」
「そうか。医師は?」
軽く流して先を促す王太子に、エリックはほっと表情を緩めた。
第三王子の放つ冷気をやり過ごし、なんとかサジェスに体ごと向き直る。
「旅疲れが出たのやも知れぬと。一晩様子を見られても良かろうとの見立てです」
「まぁ、そうなるな。ご苦労。下がって――」
「待って。彼女の意識は戻った?」
「は。私が待機しておりました時は、まだ昏睡しておいででした」
エリックは、ちら、とサジェスを窺う。
『わかった。下がっていい』と明言され、すみやかに退室した。
「アーシュ。その、むだな殺気を解け。我慢だぞー。俺だってアイリスと一緒に居たい」
「わかっています」
アストラッドは剣呑な気配のまま頷いた。サジェスがやれやれと嘆息する。
「阿呆。全然わかっていない。切り替えろと言ってるんだ。あと三十分もすれば会談が始まる。これで、旧エキドナへの視察の難易度がぐんと変わる。私事で空気を荒らされても邪魔だ。『後学のため』と無理やりついてきた、あれは嘘か」
「嘘ではありません」
「ならば集中しろ」
「……はい」
今、何をなすべきか。
優先順位はいつだって決められていて、アストラッドはそれに従ってきた。
(こんなときに)
いつだって、本当は君を一番にしたかった。その記憶が。焦燥が胸をこがす。
* * *
「ヨルナ様、お加減は大丈夫かしら……」
「そうですよね。ひどくならないと良いのですけど」
いっぽう、塔のサロンにて。
残された北公息女と東公息女は当たり障りなく会話を続けていた。流れを受けて、おっとりとミュゼルが問う。
「そういえば、アイリス様はお風邪をこじらせて王城での茶会を……。普段から気をつけてはいらっしゃったのですよね。なぜ崩されたのか、原因はわかりますの?」
「お恥ずかしながら」
――――――――
困ったように眉を下げて語る内容があまりに理不尽で、子どもじみた嫌がらせの極致だったため、ミュゼルは珍しくむかむかと声を尖らせた。
「最ッッ低ですのね。この辺りのご令嬢って。寄ってたかってですの? 親は一体何をしてるのかしら」
「親……というと。そのとき招かれたのはグレアルド侯爵家でしたが」
「グレアルド。たしか、北方では最大手の穀物商を営んでおいでね。舶来品の買い付けにも来ていたわ。交易所の顧客リストに名がありました」
「お詳しいですね」
「エスト家は、目端が利かなきゃ生き残れない家系なの。……となると、有事の際は兵糧を担当するのね。ふむふむ。――うわぁ。芳しい利権の香りがいっぱい。素敵ね」
「? 利権とは香るものなのですか?」
きょとん、と問い返すアイリスにミュゼルがうふふ、と笑う。「ものの例えですわ」
「失礼いたしました」
しおらしく肩を落とす一つ年上の少女に、ミュゼルはお気になさらないで、と微笑む。そこから更に続けた。
「察するに、アイリス様を貶めた令嬢がたのお家は、商売上の繋がりから役職斡旋も含めて、とことん癒着している可能性があります。娘が王太子妃となれば、市場を王都――いえ、ゼローナ全土まで拡げられますからね」
「……あの、わたくし、段々とミュゼル様こそが次代のお妃にふさわしいと思えて参りました。差し出がましいようですが、お家でも期待されていらっしゃるのでは……?」
「絶対に御免被りますわ。期待もされておりません」
「なぜ?」
ふぅ、と淹れ直してもらった紅茶に口をつけつつ、ミュゼルが遠い目をする。
「だって。わたくし、殿方にときめいたことは一度もありませんし。その上、殿下がたには意中の女性がちゃんとおありです。――アイリス様? 貴女も含めて、それに応えたいと本心では願っていらっしゃるかたがたを蹴落とすなんてできませんわ。お友達は、心から応援するほうが、もっと、ずっと楽しいですもの」
王族のための塔。昼食を終えたあと。
先ほどのサロンとは趣をたがえ、様々な本を収めた書架や応接室。二つの寝室に四つの次の間に浴室をそなえた、かなり行き届いた空間の一つ――書斎で、護衛騎士エリックからの報告を受けている。
王城の執務室と遜色のない重厚な机にはサジェスが掛け、資料を挟んでアストラッドが立つ。前者はおや、と眉を上げ、後者は“無”になった。後背にブリザードが吹き荒れている。(※なまじ整った容姿のため、威圧感が半端ない)
エリックはしばらくの間口ごもり、残りの部分はできるだけ簡潔に述べた。
「…………と、迎賓館の侍女殿から聞いております。意識のないヨルナ嬢を、ルピナス殿が抱きかかえて来られたと」
「そうか。医師は?」
軽く流して先を促す王太子に、エリックはほっと表情を緩めた。
第三王子の放つ冷気をやり過ごし、なんとかサジェスに体ごと向き直る。
「旅疲れが出たのやも知れぬと。一晩様子を見られても良かろうとの見立てです」
「まぁ、そうなるな。ご苦労。下がって――」
「待って。彼女の意識は戻った?」
「は。私が待機しておりました時は、まだ昏睡しておいででした」
エリックは、ちら、とサジェスを窺う。
『わかった。下がっていい』と明言され、すみやかに退室した。
「アーシュ。その、むだな殺気を解け。我慢だぞー。俺だってアイリスと一緒に居たい」
「わかっています」
アストラッドは剣呑な気配のまま頷いた。サジェスがやれやれと嘆息する。
「阿呆。全然わかっていない。切り替えろと言ってるんだ。あと三十分もすれば会談が始まる。これで、旧エキドナへの視察の難易度がぐんと変わる。私事で空気を荒らされても邪魔だ。『後学のため』と無理やりついてきた、あれは嘘か」
「嘘ではありません」
「ならば集中しろ」
「……はい」
今、何をなすべきか。
優先順位はいつだって決められていて、アストラッドはそれに従ってきた。
(こんなときに)
いつだって、本当は君を一番にしたかった。その記憶が。焦燥が胸をこがす。
* * *
「ヨルナ様、お加減は大丈夫かしら……」
「そうですよね。ひどくならないと良いのですけど」
いっぽう、塔のサロンにて。
残された北公息女と東公息女は当たり障りなく会話を続けていた。流れを受けて、おっとりとミュゼルが問う。
「そういえば、アイリス様はお風邪をこじらせて王城での茶会を……。普段から気をつけてはいらっしゃったのですよね。なぜ崩されたのか、原因はわかりますの?」
「お恥ずかしながら」
――――――――
困ったように眉を下げて語る内容があまりに理不尽で、子どもじみた嫌がらせの極致だったため、ミュゼルは珍しくむかむかと声を尖らせた。
「最ッッ低ですのね。この辺りのご令嬢って。寄ってたかってですの? 親は一体何をしてるのかしら」
「親……というと。そのとき招かれたのはグレアルド侯爵家でしたが」
「グレアルド。たしか、北方では最大手の穀物商を営んでおいでね。舶来品の買い付けにも来ていたわ。交易所の顧客リストに名がありました」
「お詳しいですね」
「エスト家は、目端が利かなきゃ生き残れない家系なの。……となると、有事の際は兵糧を担当するのね。ふむふむ。――うわぁ。芳しい利権の香りがいっぱい。素敵ね」
「? 利権とは香るものなのですか?」
きょとん、と問い返すアイリスにミュゼルがうふふ、と笑う。「ものの例えですわ」
「失礼いたしました」
しおらしく肩を落とす一つ年上の少女に、ミュゼルはお気になさらないで、と微笑む。そこから更に続けた。
「察するに、アイリス様を貶めた令嬢がたのお家は、商売上の繋がりから役職斡旋も含めて、とことん癒着している可能性があります。娘が王太子妃となれば、市場を王都――いえ、ゼローナ全土まで拡げられますからね」
「……あの、わたくし、段々とミュゼル様こそが次代のお妃にふさわしいと思えて参りました。差し出がましいようですが、お家でも期待されていらっしゃるのでは……?」
「絶対に御免被りますわ。期待もされておりません」
「なぜ?」
ふぅ、と淹れ直してもらった紅茶に口をつけつつ、ミュゼルが遠い目をする。
「だって。わたくし、殿方にときめいたことは一度もありませんし。その上、殿下がたには意中の女性がちゃんとおありです。――アイリス様? 貴女も含めて、それに応えたいと本心では願っていらっしゃるかたがたを蹴落とすなんてできませんわ。お友達は、心から応援するほうが、もっと、ずっと楽しいですもの」
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