4 / 19
第4話 未払い案件①
しおりを挟む
あくる日は、出張の仕事だった。
先輩の運転する社用車に、山崎と一緒に乗り込む。
それから、高架の市道を走り始めた。
車内には、サイドブレーキのすぐそばのケースから取り出されたCDが流れている。
「先輩ージャズとかあんまりあたし好きじゃないんですけど」
僕の隣で、山崎が口を尖らせる。
「課長の趣味なんだからしょうがないだろ。ラップなんかかけてみろ、殺されるぞ」
「えー。Kポップは駄目なんですか」
「知るかよ」
それから、しばしドライブ。曲がった道の先に、山間が見える。
僕たちのカバーしている範囲は広いので、出張ともなれば、市内の端にまで車を飛ばさなければならない場合がある。
……遠ければ遠いほどいい。帰りが遅くなっても。
そう、ふと思った。
「先輩」
山崎に話しかけられる。ちょっと虚をつかれる。
「えっ。何」
「どうかしたんですか。あんまり元気ないですよ」
車内には、スムースジャズのコンピレーションが奏でるもったりしたサックスの音色が響いていて、そのはざまで、答えを探そうとした。
「お前ら、これから行くところな。課長から聞いてるとは思うが」
先輩が、バックミラーで僕たちに視線を送りながら言う。
ちょっとだけ、背筋を伸ばす。
「まぁまぁしんどいかもしれん。お前らは立ってるだけでいいから、俺のやること、よく見とけよ」
「はぁい」
山崎の返事。
僕はというと、ほんの少し、身を固くする。
それから目的地まで、八分ほどかかった。
「……先輩」
また、山崎に話しかけられた。
「やっぱり、元気ないですよね。むりしないでくださいよ。心配です」
……なんと返したのか、覚えていない。
ただ、どのみち、山崎に対しては、申し訳無さがあった。
本気で心配してくれていると分かっていたから。
到着した場所は、結構大きな屋敷風の住宅だった。
……とはいえ、実態が外見に伴っていないのは、垣根の手入れがされていないことと、屋根瓦が色あせていることから伺いしれた。
玄関を開けて出てきたのは、四十すぎくらいの眼鏡の男性だった。
誘導されて、据え付けられたガレージに停車。
それからひとしきりのあいさつを済ませて、中にはいる。
「今日はご足労いただき……本当に。ごめんなさいね、急に」
男性は、笑顔もなく、少し疲れている様子だった。
僕たちは家の中の様子以上に、そこに引っかかりを覚えた。
先輩は彼と小さくやりとりとかわしながら先を進む。にわかに緊張が高まる。
「こちらです。お願いします」
「失礼します」
そうして、大きな部屋の前。男性が、ふすまを開けようとした時。
「渡さない、この人は絶対に、渡しませんよ! 帰ってもらいなさい!」
女性の声。恒例の。大きく、激しく。
隣で、山崎が少し驚いた様子を見せた。
しかし、先輩は男性とうなずきあって、中に入った。僕たちも、それに続いた。
足を踏み入れた時、山崎が少しだけ呻いた。
そこに居たのは、大量の管が身体に突き刺さり、ベッドの上に横たわっている枯れ枝のような老人と、その隣に控えてこちらを睨みつけているお婆さんだった。
……聞かされていたとおりだ。『貴腐老人』。
もはや、生命維持の理由が、尊厳以外の何者でもない、そんな存在。
今のこの国の、八十歳以上の老人は、大半が『これ』だと、そう知った。
「マサタカ、どうして入れたの、この人達を! この人達はね、うちの人をおカネにしようっていうんですよ! 分かってるの!?」
「落ち着いて、落ち着いて……また倒れちゃうから」
どうやら、眼鏡の男性は息子のようだった。もう若くないのに、生家に居る。裏側の事情が、立ちどころに分かるようだった。
「申し訳ございません、わたくし健康福祉課の――」
「いい、いい、そんな御託なんか! 帰って、帰ってちょうだいっ、」
先輩に近づきながら追い払うジャスチャーをした矢先、老婆は咳き込んで、腰を折った。
男性がしゃがみながら背中を擦る。その間も、ベッドの上の老人は、生きているのか死んでいるのかわからないまま、ただそこにいる。こころなしか、異臭もある。モニターに表示された通知だけが、生存を教えてくれる。
「……」
山崎が、助けを求めるように僕を見た。
とはいえ、僕だって実際ははじめてだ。だから、ただ、見ているしか出来ない。
「この人はね、この人はどれだけ苦労してきたか、それでこうなったんだよ、分かるかいあんたら若いのに、それがカネなんかで買えるもんかね。渡さない、この人は渡さないよ……」
そこで老婆は泣き崩れてしまった。
先輩は、男性の方に視線をやった。
「すみません。ここを出て奥に、ダイニングがあります。そこの椅子で、待ってていただけますか。落ち着いたら、すぐ行きます」
「承知いたしました」
先輩は、男性に頭を下げた。僕らも、それに続く。
……先輩は、かけらも動じていない。
僕の予測だが、その男性の反応を、待っていたのではないだろうか。
先輩の運転する社用車に、山崎と一緒に乗り込む。
それから、高架の市道を走り始めた。
車内には、サイドブレーキのすぐそばのケースから取り出されたCDが流れている。
「先輩ージャズとかあんまりあたし好きじゃないんですけど」
僕の隣で、山崎が口を尖らせる。
「課長の趣味なんだからしょうがないだろ。ラップなんかかけてみろ、殺されるぞ」
「えー。Kポップは駄目なんですか」
「知るかよ」
それから、しばしドライブ。曲がった道の先に、山間が見える。
僕たちのカバーしている範囲は広いので、出張ともなれば、市内の端にまで車を飛ばさなければならない場合がある。
……遠ければ遠いほどいい。帰りが遅くなっても。
そう、ふと思った。
「先輩」
山崎に話しかけられる。ちょっと虚をつかれる。
「えっ。何」
「どうかしたんですか。あんまり元気ないですよ」
車内には、スムースジャズのコンピレーションが奏でるもったりしたサックスの音色が響いていて、そのはざまで、答えを探そうとした。
「お前ら、これから行くところな。課長から聞いてるとは思うが」
先輩が、バックミラーで僕たちに視線を送りながら言う。
ちょっとだけ、背筋を伸ばす。
「まぁまぁしんどいかもしれん。お前らは立ってるだけでいいから、俺のやること、よく見とけよ」
「はぁい」
山崎の返事。
僕はというと、ほんの少し、身を固くする。
それから目的地まで、八分ほどかかった。
「……先輩」
また、山崎に話しかけられた。
「やっぱり、元気ないですよね。むりしないでくださいよ。心配です」
……なんと返したのか、覚えていない。
ただ、どのみち、山崎に対しては、申し訳無さがあった。
本気で心配してくれていると分かっていたから。
到着した場所は、結構大きな屋敷風の住宅だった。
……とはいえ、実態が外見に伴っていないのは、垣根の手入れがされていないことと、屋根瓦が色あせていることから伺いしれた。
玄関を開けて出てきたのは、四十すぎくらいの眼鏡の男性だった。
誘導されて、据え付けられたガレージに停車。
それからひとしきりのあいさつを済ませて、中にはいる。
「今日はご足労いただき……本当に。ごめんなさいね、急に」
男性は、笑顔もなく、少し疲れている様子だった。
僕たちは家の中の様子以上に、そこに引っかかりを覚えた。
先輩は彼と小さくやりとりとかわしながら先を進む。にわかに緊張が高まる。
「こちらです。お願いします」
「失礼します」
そうして、大きな部屋の前。男性が、ふすまを開けようとした時。
「渡さない、この人は絶対に、渡しませんよ! 帰ってもらいなさい!」
女性の声。恒例の。大きく、激しく。
隣で、山崎が少し驚いた様子を見せた。
しかし、先輩は男性とうなずきあって、中に入った。僕たちも、それに続いた。
足を踏み入れた時、山崎が少しだけ呻いた。
そこに居たのは、大量の管が身体に突き刺さり、ベッドの上に横たわっている枯れ枝のような老人と、その隣に控えてこちらを睨みつけているお婆さんだった。
……聞かされていたとおりだ。『貴腐老人』。
もはや、生命維持の理由が、尊厳以外の何者でもない、そんな存在。
今のこの国の、八十歳以上の老人は、大半が『これ』だと、そう知った。
「マサタカ、どうして入れたの、この人達を! この人達はね、うちの人をおカネにしようっていうんですよ! 分かってるの!?」
「落ち着いて、落ち着いて……また倒れちゃうから」
どうやら、眼鏡の男性は息子のようだった。もう若くないのに、生家に居る。裏側の事情が、立ちどころに分かるようだった。
「申し訳ございません、わたくし健康福祉課の――」
「いい、いい、そんな御託なんか! 帰って、帰ってちょうだいっ、」
先輩に近づきながら追い払うジャスチャーをした矢先、老婆は咳き込んで、腰を折った。
男性がしゃがみながら背中を擦る。その間も、ベッドの上の老人は、生きているのか死んでいるのかわからないまま、ただそこにいる。こころなしか、異臭もある。モニターに表示された通知だけが、生存を教えてくれる。
「……」
山崎が、助けを求めるように僕を見た。
とはいえ、僕だって実際ははじめてだ。だから、ただ、見ているしか出来ない。
「この人はね、この人はどれだけ苦労してきたか、それでこうなったんだよ、分かるかいあんたら若いのに、それがカネなんかで買えるもんかね。渡さない、この人は渡さないよ……」
そこで老婆は泣き崩れてしまった。
先輩は、男性の方に視線をやった。
「すみません。ここを出て奥に、ダイニングがあります。そこの椅子で、待ってていただけますか。落ち着いたら、すぐ行きます」
「承知いたしました」
先輩は、男性に頭を下げた。僕らも、それに続く。
……先輩は、かけらも動じていない。
僕の予測だが、その男性の反応を、待っていたのではないだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる