いのちうるはて、あかいすなはま。

緑茶

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第7話 逆回しのフィルム①

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 ――フラッシュバック。

 必死に、避けようとしていた。
 多分その日の夜は酒を飲んでいて、便器に顔を突っ込んでいた。

 自制を失ったその姿が、残像として焼き付き続けている。
 そうなれば具体的な日付など何の意味ももたない。
 卑猥な言葉を吐き散らし、カーテンを引きずり下ろして、壁を何度も叩く姿を、他人事のように見ている。

 その口から、瞼の裏側から、漏れ出す。
 虫が。
 みにくい、肉色の、虫が。

 よだれと一緒に流れている。血。赤色の……。



「……さのニュース、本当なの。ちょっと」

 目の前。
 馴染みのおばさんだ。今日は紫のハットを被っている。
 気付く。まくし立てている相手は僕だ。いつもの要件ではなかった。

「ちょっと、聞いてるの?」
「あ、はい、申し訳ございません」
「本当にしっかりしてよ。あれ、ここの話じゃないの。どうなってるのよ、あんなことになるなら……」

 あんなこと。
 やや遅れて、思い出す。ああ、あのことか。今朝のニュースだ。
 記憶が数時間前に飛ぶ。

 今朝、テレビのニュースを付けた時、官邸前に報道陣が大挙して押し寄せている映像を見た。
 リポーターが画面に向けて言っていた。

「先日行われた臨時国会において、森厚労省大臣は、生活困窮者交換給付制度における『給付元』について『役に立てている』と発言した件について、与野党各位から疑問の声が上がっています」

 SPに囲まれながら、スーツを着た男が車に向かっている。
 そこに、カメラとレコーダーを携えた者たちが群がっている。

「大臣、役に立てている、とはどういうことですか」
「彼らの所在はどうなっているのですか」
「いい加減はっきりさせたらどうなんです」
「無視しないでくださーい」
 しかし結局、大臣は答えることなく、走り去っていった……。

 ……それを受けて。目の前のお客が何を聞いているのかを理解する。
 不安なのだ。自分が『預けた』叔父が、いったいどうなったのか。

「あんなことになるなら、渡さなけなければよかったって思うのよ、分かるでしょ、ね、どうなってるの、ちゃんと答えて頂戴……」
「すみません、我々といたしましても、こちらではお預かりの窓口のみとなっておりますので、それ以降については何も……」
「何も聞いてないってことはないでしょ、答えなさいよ……『カネになったヒトは、どうなるの』?」

 あまりにも、無遠慮で、直截的な言葉。
 でも、それが何よりも真実を伝えている。

 そうだ――#我々の仕事は。ヒトを、カネにするのだ。
__・__#
 カッとなる頭と、ざわつく胸を抑え込んで、僕はなんとか、次の言葉を吐き出す。

「……お答え、出来かねます。相談窓口についての資料をお渡しいたしますので、どうか問い合わせはそちらに――」

 資料を渡そうとすると、彼女は抵抗した。

「いいわよそんなの、前にもらってるもの……もういいわ、聞かない、聞かない。最低よあなた達。最低のしごと」

 そう言って、女性は怒りをためこんだまま、足早に窓口から去っていく。
 僕は、彼女の姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
 執拗に。いつも以上に深く、長く。
 いやみったらしく。



「あんな言い方しなくっても。ね、先輩」

 山崎が、言った。

「……先輩?」
「悪いけど、そっとしといてくれ」

 それだけ答えると、トイレに行った。
 鏡で自分の顔を見る。
 大丈夫だ、全然元気じゃないか。
 新卒の時、色々な肉体労働に駆り出されていたころのほうが、やつれた顔をしていた。

 だから大丈夫だ。
 僕は元気だし、彼女だって……。

 ――フラッシュバック。
 彼女は、制御を失っていた。その姿。
 その時、隣の部屋に住んでいる人に迷惑がかかるから、となだめようとして、それが無駄骨に終わるどころか、逆効果だった時。
 自分は何を思ったのか。

「ちょっと、困ります。事前の連絡もなしに――」
「ええ、ええ、分かっています。ちょっと答えてもらうだけでいいんですよ。どうかお願いします」

 どうやら、窓口に別のお客。どうやらテレビ局の人らしい。課長が出てきて、追い返そうとしている。
 そのやり取りを、どこか、ひどく遠い場所で見ていた。

 僕は、彼女のことを、考えている……。
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