下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~

黒井丸

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室町の名門 田村家

 杉谷の家に入ってきた初老の男性は「拙は田村と申す」と名乗った。
 痩身で着ているものはみずぼらしいが、鋭い眼光に引き締まった肉体は武士である事を如実に語っている。

 郷土史を書いていると、たまにこのような小うるさい人間から御教授を賜る事がある。
 だいたいは自分の家の自慢話なのだが、時折 自分だけが知っている正しい歴史の講釈をする男と言うのが出てくるのだ。
 この『秘蔵の歴史』と言うのは子孫の贔屓目と願望で語られる事が多く「当家は有名人物の御落胤だった」とか「家伝書は焼失して無くなったが将軍家の血を引く一族である」などの閉口するような内容が殆ど、いわば自慢話を聞いてくれそうな人間を探しているようなものである。
 なので適当にあしらおうと杉谷は思っていると、それを察知されたのか鋭い眼光が向けられた。

『この方は高麗にも渡られた事があるかもしれぬな』

 1592年に行われた高麗出兵。そこに参加した者特有の目つきを杉谷は感じ取った。
 何故なら杉谷の父がそのような目で従軍時の苦難を語っていたからだ。
 それゆえに杉谷は頭を下げ、話を聞いてみることにした。

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「まず、ここの朽網の乱は天文では無く、大永の頃の話じゃ。それに宗麟公の幼いころのにはタイ捨流などという剣術は存在せぬ」
 田村の指摘は恐ろしく多様だった。
 杉谷が意図して書いた部分もあれば、単純に勘違いしていた部分もある。
「それに豊後の書状では唐国の比喩を使う事などめったにない。所領のや礼状、今後の指針など事務的なものばかりじゃ」
 と実際の書状と杉谷の創作の誤りを的確に指定してきた。
 しかし杉谷も一端の物書きとして、読者に読まれるために書いた創作もある。
「なるほど、ですが今の若い物は古流剣術は存じませぬ。荒々しい剣法と言えばタイ捨流と書かねば合点がいかぬものでして」
 と、言い訳の準備はしていた。
 そもそも売れる為に書いた創作なのだ。
 史実が書きたかったわけではない。

 …などと言えば怒りを買うのは目に見えていたので、かねてから用意していた自己弁護を披露する。
 不当に悪者として書かれている大友宗麟や大友家の検証を目的とした本なので、読まれないと意味が無い。
 そのためなら、武士としてあらゆる武略を駆使し主命を果たす覚悟である事。
 特に『キリシタンだった宗麟の話を書き続けるには、一部荒唐無稽な話にして架空の物語なのだとしなければ続刊自体が難しいのだ』と説明すれば、田村と言う老人も納得したようだった。
 最後の方には
「主命の為 大友家の為、敢えて汚名も辞さぬ覚悟であったとは見事なり」
 と、時代が勝った口調でおほめの言葉まで頂戴した。
 方便にしては上手く説得できたものである。
 そう思いながら杉谷は安堵していると、

「田村様ではございませぬか」

 と後ろで驚きの声が聞こえる。
「權之介か。久しいの」
 みれば佐伯惟重が驚きの顔で立っていた。それに旧知の仲であるかのように田村という老人は答える。
「お知り合いですか?」
「田村様はな、室町様(足利家)に使えていた公家の一族で灯明寺(宗麟の父親)様の御代に豊後に定住されたお方じゃ。豊後での席次は久我様に並ぶ一等の方の一族にあらせられる」
 杉谷の不思議そうな顔を見て、惟重は田村を説明した。
 大企業で言うなら社外取締役とか名誉顧問クラスの要人である。
 それがどれほど凄い事なのか?それは後から来た猪兵衛の対応を見れば嫌と言う程わかった。
「田村様がお越しになられただと!」
 とやって来たかと思えば
「これはこれは田村様、このような所へわざわざご足労いただき誠に恐悦至極に存じます」
 と90度の角度で頭を下げて礼をする。
 そして
「このような所で立ち話をしてはお疲れになられるでしょう。ささ、汚い所ではございますがおあがり下され」
 と、屋敷に上げるとめったに出さない銘酒でおもてなしを始めた。

 このころの武士は身分と名誉を重視する。
 猪兵衛にとって名門大友家でも重用された公方衆は至高の存在だったのだろう。
 無骨ながらも精いっぱいの敬意と礼節で対応するその顔には誇りと喜びにあふれていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「さて、騒がしく成る前に本題を話そう」
 もてなしの準備で猪兵衛が席をはずしている間に、田村は数枚の書状を出してきた。
 武家にとって書状とは、家の成績表であり、再士官する際の紹介状であった。
 ゆえに一族の中で誰かが士官を志した際や、嫁入りの際には数通書状を持たせて由緒をつたえる家もあった。
 そのせいで一家の書状が散逸し現代の史家が苦労するのだが、愚痴を言えば長くなるので話を戻す。

 田村家は大友家で3家あった公方衆、足利将軍家と関わりのあった家の一つだという。
 源氏長者の久我、儀礼式典に詳しい小笠原家、そして田村家だ。
 1594年に大友宗麟の息子 義統が編纂した日記には田村氏は公方(将軍)衆として記載され小笠原氏や他の領主より上座に位置していた事が書かれている。
 1640年には小笠原氏の子孫は豊前の大名となった小笠原氏に、久我氏は一尾氏と姓を変えて毛利家に世話になったというが、田村家は足利家と関係が深く、室町幕府が滅亡した跡は権勢を失ったという。

 そんな名門の彼が持っていたのは数枚の書状だ。

「これは我が祖先が大友宗麟公より賜りし書状である」
 と言って見せられたのは
『今度肥後国玉名郡の内窪十郎三郎跡20町分。飽田郡の室薗26町分預け遣わす。
         2月14日  義鎮
           田村三郎殿 』
『肥後国で田村三郎に合力した事は厳重に知行するので心添えられることが肝要である。
 1月18日  義鎮
          大津留常陸介 志賀左馬介 清田越後守 清田遠江守 帆足民部少輔 吉岡三河守 田吹上総守 岐部能登守』

 と、田村氏が義鎮から肥後の領地を与えられたものなどだ。
「お主の掲載せし書状は偽物が多い。これではこの本の格が落ちようというものじゃ」
 と田村は言い
「そこで本来ならば門外不出のこの書状を、特別に使わせてやってもよい」
「つまり、この書状を掲載しろ…という事ですか?」
 田村の凄さがイマイチ理解できない杉谷はストレートに相手の要望を尋ねてみた。
 その直球な無礼さに佐伯の眉がピクリと動いたが
「掲載させてやってもよいというのじゃ」
 気位が高いのか、田村はあくまで強気に言う。
 このような応援は執筆の邪魔になったり『あいつが書かれたのに、何故ウチの家の話は出てこないのだ』というやっかみが起こるため遠慮したいところだった。
 それに、もし誤字でもあろうものなら、どのような言いがかりをつけられるか分かった物では無い。
 だが佐伯様や猪兵衛の態度を見ると断るという選択肢はありえないようだった。
 第一そんなお偉いさんを邪険に扱ったとなれば何を言われるか分かったものではない。
「では……ありがたく、使用させていただき申す」
 深々と頭を下げると、今回の話で使えそうな書状を4通書き移した。

 こうして、5巻目にして初めて大友興廃記は今も現存する本物の書状を掲載することになる。
 これは今まで創作書状や現存しない書状だけで構成された大友興廃記の大きな転換点となった。
 隗より始めよという言葉があるように、一つ正文の書状が掲載されると京などに滞在していた旧大友家臣からも書状が持ち込まれだしたのである。

 このため、杉谷も大友家の活動を当時の書状から伺い知ることができるようになったのだが、それは後の話。

 その後に猪兵衛はありったけの料理で田村を持てなし、杉谷家の面目だと上機嫌だった。
 猪兵衛は、今回の出来事を死ぬまで自慢し
「当家には田村様が来られたのだ」
 と親しい者たちに語っていた。
 宗重にとって猪兵衛はあまり好きな上司ではなかったが、子供のようにはしゃいで喜ぶ姿を見ると『興廃記を書いて良かった』と思ったものである。
 翌日、田村は伊勢神宮への参拝にいくと行って屋敷を出た。
『帰りに再び寄るので、それまでに話を書くように』と命じながら。

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 田村氏は顔が広く、面倒見もよかった。
 田北・野上・斉藤などの家の書状も借りてきたり、大友家文書なる書状の写しを引っ張ってきた時もある。
 時には名前だけ切り取って自分の祖先の名を張り付けるという雑な偽文書が含まれている時もあるが
「色々つき合いがあるとな、偽物と分かっていても紹介せざるを得ない時もあるのじゃ」
 と飄々と言った。
「世の中には他人から奪った系図に自分の家の系図を継ぎ足して立派な由緒をねつ造する家もあるのだから、それに比べたらかわいいものだ」
 そう言われては杉谷も強く反発できなかった。

 特に田村は豊前・筑後・筑前のかつての領主の名に精通しており、彼のおかげで全く知らなかった肥後情勢をもっともらしい話に仕立てることができた。

 実は1550年~1562年までの大友家の戦いは現代でも正確な年がわからず断片的な書状から推測する程度の精度となる。
 毛利家の『吉田物語』という本では『大友と毛利の戦いは、』というトンでもない誤記をし、それを他の資料が引用したものだから『1557年に山口の大内家が滅ぶ3年前から広島の毛利家は福岡の門司に渡って大友家と戦った』というあり得ない話がまじめに町史に書かれていた時代があるのだ。

 それほど記録の残っていない時代の話を賭けたのは僥倖だった。

 …………なお大友興廃記の5巻では田村の史料を掲載して肥後出陣の話を書いている。
 史実では『豊後と肥後の守護だった大友宗麟の父が死んで混乱しているどさくさに、叔父の菊池義武が1550年4月に肥後を乗っ取ろうと隈本で反旗を翻したので、大友家が討伐の軍を出し、10月に討伐が完了した話』であって、全て1550年に起こった出来事である。

 これが大友興廃記だとの出来事として書かれている。

 さらには討伐された菊池義武という男が大友家の味方として書かれ、肥後の乱の平定後に『肥後の統治を任された』などという大胆な事実誤認をしている。

 これは大友家の書状には基本的に月日しか書かれておらず、家臣に渡す書状は土地の証文などが多いためだろう。
 また肥後の領主は1588年に殆どが豊臣秀吉に反乱を起こして討伐されたので、記録が殆ど残っていないのも原因だ。

 現代では『八代日記』のような現地人が書いた資料により、大友家の肥後出兵は何年にあったのかを正確に知ることができるが、印刷技術の未熟な当時では知る由もなかった。
 なのでこれは、わざとというよりも単純に当時の肥後を書いた記録が世に出ていなかったため仕方ない事ではある。
 わからない部分でも書かないといけない場合、人は見てきたような嘘をつくしかないのだ。

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 そんな間違いだらけの内容ながら、肥後の戦いを書いた5巻は若い世代にも評判がよく結構人気があった。
 書いた杉谷本人が首を傾げるほどだった。

「留吉よ、何故今回の話は人気が出たのかのう?」

 いくら考えても分からないので尋ねてみる。すると
「それは大阪の陣で『もはや戦乱は終わった』と思われていたのが、反乱鎮圧という名目で再び蘇るかもしれないと言う打算があるのではないでしょうか?」
 と留吉は客層から推測した私見を言う。
「なるほど。出世の糸口が目的か」
 言われてみて気がついた。
 1615年から23年、小さな反乱は数あれど幕府軍の総大将が討たれるほどの激戦というのは今までなかった。
 そのため、第二第三の島原の乱を望む貧乏武士たちが戦の勉強に呼んでいるのだと言う。
 近畿では反乱が起こしにくいが、九州という監視の難しい遠方なら不平をもった浪人が現れるかもしれない。
 その際にかつての豪族や戦いの様子を書いた本は何らかの参考になるだろうというのだ。
「あんな規模の反乱は二度と起こらぬだろう?それくらいの予想は付きそうなものであるが」
「それでも、武に憧れる若い衆は再び機会があると信じたいのですよ。富くじみたいなもんです」
 柳の下のどじょうの例え通り、同じことなど二回起こる事は滅多にないと知っている。
 それでも期待するのが人間と言うものだ。
 前回は長崎だったが今度は別の地域で反乱が起こるかもしれない。
 そう考えた意識の高い貧乏侍たちが2匹目のドジョウを狙って予習しようとしたらしい。

「くじ感覚で反乱を期待されても困る」

 だが、これは杉谷にとって追い風だ。
 武は終わり、文の時代が来るとにらんでいた杉谷が、武によって文才を認められたと言うのも皮肉な話だが豊前、筑前と大友家の戦は残っているので、そこを書けばさらに人気が出るかもしれない。
 そう思って6巻では、1557年に滅亡した大内家の領地をめぐる豊前の戦いを張り切って書いた。
 さらに大友家が元々治めていた筑後の反乱鎮圧も書く。

 かつて地元で権勢を振るった豊前宇都宮氏や筑後の15人の領主たちの名前は九州出陣の際の基礎教養となるだろう。

 そんな打算こみの執筆である。

 宗重が家長の猪兵衛から呼ばれたのはそんなおりだった。
 今まで宗重を少し敵視していた猪兵衛は、田村の一件から非常に態度が変わった。
 先生、とまでは言われないものの宗重自信が寒気がするほどの厚遇っぷりだった。
 そんな猪兵衛と対面すると、開口一番にこう言われた。

「おぬし、豊後に行ってきてくれぬか?」
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