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EX1 スパッツな水曜

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「はっ、はっ、はっ、はっ、」

小刻みに息を吸い、吐いていく。
朝の空気は心なしか澄んでおり、呼吸をするたびに体の中の悪いものいいものに入れ替わっていくようだ。

「はっ、はっ、はっ、はっ、」

右足が地面につく。歩く時よりも速いスピードで体を前に進め、次は左足を地面につける。
腕は90℃に曲げて胴体にぴったりとつける。できるだけ上体は動かさないようにして、最小限の動きだけで体を前に進めていく。

水曜の朝。別に学校が休みというわけでもない。普通に普通な平日だ。
そんな朝に、俺は学校のジャージを着て近くの大きな公園をランニングしていた。
1周3.5キロメートルという微妙な大きさのこの公園にはランニングコースが設定されており、多くも少なくもないこれまた微妙な数のランナーがウェアやランニングシューズを着用して走りこんでいる。

俺もその一人。少しでもるなちゃんにかっこよく見てもらうために、今までしてこなかったランニングなんてものを始めてみた。
水、金、日がランニング。火、木、土は筋トレにあてている。
ついこの前始めたばかりなので、あいにくランニングウェアなんてものは持っていない。
買うほどでもないと思ったので俺の服装は上下ともに学校のジャージを使っている。まあジャージを着て走っていようが、同じ高校の生徒に会うこともない。
なにせ俺の家は学校から電車を使わなければいけないくらいには離れている。徒歩で行くことも可能だが、それでも一時間強はかかる距離だ。
こんなところに同じ学校の生徒がいるはずもない。

「あれ?もしかして紅野あかのくん?」
「はっ、はっ、はっげほっげっほ!!」

突然俺の名前を呼ばれ、驚きで思わずむせる。
後ろから俺の様子を見て焦った声が聞こえてきた。元気で明るい声は高く、どうやら女性のもののようだ。

「だ、大丈夫?」
「けほっ、み、水野みずのさん?」

そこにいたのは――俺のクラスメイト、水野みずの綺星きららさんだった。

誰だよ同じ高校の生徒に会うこともないなんて言ったやつ。言ってから10秒もしないうちにエンカウントしたぞ。運命かよ。

水野さんは陸上部だ。きっと今走っているのも自主練の一環だろう。
にもかかわらず、ランニング初心者の俺に合わせてスピードをかなり遅くしてくれた。本来なら俺なんて置いて早く走りたいだろうに、俺にペースを合わせてくれる優しさが心に沁みる。

「お、おはよう水野さん……。あれ、家この近くだっけ」
「そうだよ、って前にその話したじゃん。忘れちゃった?」

笑いながらそう言われ、急いで記憶を探る。
……ああ、そうだ。確かあれはちょっと前に俺がるなちゃんに『とりあえず』の意味を問いただされ焦っていた時。いいタイミングで教室に入ってくれた水野さんに月ちゃんから逃れるため話しかけた。
その時にした雑談の中にそんな話もあったような気がする。

「ごめんごめん、そういや家近いって話したした」
「うん、歩いて5分もかからない距離だったよね。まさか、こんな時間に会うとは思わなかったけど」
「ははは、それは確かに……!?」

今まで転んだりしないために前を向いて話していたのだが、速度を落としたので今日初めて水野さんの方を落ち着いて見た……のだが。
そこで気づいてしまった。いやむしろ、なぜ今まで気づかなかった――!
俺と違って長袖長ズボンのジャージではなく、半袖の体操服を着ている水野さん。
だがしかし、それは上半身の話。
下は――スパッツのみだった。

「水野くん、どうかした?なんか前かがみになってるけど」
「どどどどうもしてないよ!?ほんとなんもないから!ただちょっと神様ありがとう!!!」
「ほんとどうしたの!?」

もちろん厚めの生地で、人に見せる用のものだ。ものなのだが、そんなことは関係ない。
俺、スパッツ大好きなんだよ……!
あのぴっちりしてる感じが最高で最高で女のことが履いているというただそれだけでやばいというのに、履いている水野さんが水野さんだ。
俺より少し長い茶髪に、快活な笑顔。そして小さいけれどしっかりと主張をしている胸部。
その見た目に違わず明るい性格で入学してまだ一か月経っていないというのにクラス外にもたくさんの友達がいる。
さらには部活は陸上部というTHEスポーツ少女。
そんな美少女が、だ。そんな美少女が上には体操服、下には――スパッツ。

もちろんスパッツはどんな女の子が履いても素晴らしいものだ。
だが、水野さんのようなスポーツ少女が履いてこそその真価は発揮される。
俺はそう――信じている。

だがこのままずっと興奮し続けても水野さんに申し訳ない。他のことを考えて意識を紛らわし、なんとかテンションをいつも通りにする。

「ふう……ふう……もう大丈夫、オーケー。ごめんね、疲労で変なテンションになってたみたい」
「……そ、そうなんだ。ところでなんでアタシから目逸らしてるの?」
「寝違えてて」
「さっき思いっきりこっち見てたよ?」
「えーとじゃあ」
「じゃあって言っちゃったよ……」
「可愛い水野さんの天使みたいな笑顔が眩しすぎて、そっちが見れないんだ」

自分で言っておいてなんだが鳥肌が立った。うおお……俺気持わりい。
さすがにこれは引かれたと思い、恐る恐る水野さんの方へ視線を向ける。

だが、横に水野さんはいなかった。
水野さんは――真っ赤な顔を両手で覆い隠しながら立ち止まっていたのだ。

「水野さん……?」
「だ、だって急に可愛いなんて言うからっ!」
「あ、ごめん。気持ち悪かったよね……」
「確かに少し『うわ……』とは思ったけど」
「思ったんだ……」
「で、でもそうじゃなくて!」

そこでようやく水野さんは顔から手を離。だが顔の火照りは収まってはおらず、耳まで真っ赤になったままだ。
なぜか俺の方をキッ!睨みつけながら、水野さんが口を開く。

「お、女の子に……特にアタシみたいに言われ慣れてない子に『可愛い』とか『天使みたい』とか冗談でも言っちゃダメなんだよ!」
「ごめんなさい……」

俺はいったい何を謝っているんだろうか。褒めたのに怒られるってのは理不尽だと思うんだけど。

「まあ言葉選びこそ冗談みたいなものだけどさ……そんなに可愛いのに言われ慣れてないの?俺、最初に水野さんのこと見たときモデルさんかと思ったくらいなんだけど」
「だ、だから!そういうのを簡単に言っちゃダメだって!」
「まあまあ。それで、ほんとに言われ慣れてないの?」
「そ、そうだよっ。ほら、アタシって髪短かったり性格もがさつだから……男っぽくてかっこいいとか頼もしいって言われることはあっても、可愛いとかそういうのは……ほんと全然」

そ、そういうものなんだろうか。俺がずれてるの?
俺、水野さんのことすごい可愛いと思ってるのに。もしかしたら世間一般ではこれがボーイッシュなのか?

確かに水野さんはお上品という感じでもないが、別に女の子らしさっていうのは『上品』とか『清楚』だけじゃないだろう。
人それぞれ違った可愛さっていうのがあると思うし、物の整理とかはがさつでも人の心の動きには敏感でいつもさりげなくクラスメイトの力になってあげている水野さんには、そんな水野さんにしかない可愛さがあると思うんだけど。

「だ、だからほんと突然で驚いて……紅野くんって確かにチャラそうだけど、そこまでチャラいとは思ってなくて」
「待って、俺チャラいって思われてる!?」
「だってなんか軽いじゃん。いろいろと」
「いろいろと!?自分で言うのもなんだけど結構真面目でおとなしいタイプだし、チャラそうな言動した記憶ないんだけど!」

ノリが軽い自覚はあるが、入学してからの数週間で「軽いけどチャラくはないそこそこ真面目な子」くらいの立ち位置は築いてたと思ってたのに!
俺の勘違いなんてことはないよね……?ちゃんと「真面目な紅野くん」ってみんな思ってくれてるよね!

「そ、それにチャラくなかったら可愛いなんて言わないでしょ!」
「それは偏見じゃないかなぁ。俺はただ純粋に水野さんを素敵な女の子って思ったから『可愛い』とか『天使みたい』とか言ったんだけど」

追加で『スパッツ素晴らしいよスパッツ』も付け加えようとしたが、そこはさすがに控えておいた。こういう自制ができるあたり、俺ってやっぱり真面目だと思うんだけど。

俺の言葉を聞くや否や、水野さんはずんずんと近づいてきて怒りを俺の二の腕にぶつけてくる。
本気で叩いてきてるのか冗談抜きで痛い。ほんと痛いよ。

「もう!紅野くんは女心が分かってないなぁ!もう!」
「今日の会話で分かる気がしなくなったよ……痛い、ちょ、ほんとに痛いから待って!」
「あんまりそんなこと言ってると勘違いする女の子だっているんだからね!」
「勘違いじゃないよ、水野さんは本気で可愛いから!俺が保証するよ!大丈夫、綺星きららって名前の通りすごいいい感じだから!」
「いい感じってなにさ!!」

俺を叩く勢いはばんばん!と先ほどよりも強くなっており、少し涙目になってしまう。水野さんは俺へのヴァイオレンス行為で怒りを発散させると、腕を組んで慎ましやかな胸を少し強調させながらそっぽを向いてしまった。

「ふんだ。どうせ紅野くんだってアタシに『綺星きらら』なんて名前似合わないって思ってるんでしょ」
「うーん、そう言われるとそんな気もしてきたかも」
「ほら、アタシにこんな可愛い名前なんて変だもん。きっと『銀次郎ぎんじろう』とかの方が良かったんだよ」
「それはそれで似合わなそうだけど……水野さんは『きらら』っていうより『きらっ!』って感じかなーって。まあそこは感性の問題だしね。第一名前なんてただの一要素だからそこまで深く考えなくてもいいと思うし」
「それ言っちゃうの……。アタシ名前で結構馬鹿にされて……苦労もしたんだけど」
「それは水野さんの天使っぷりを見ないで名前ばっかり見てるその人たちが馬鹿なだけだと思うよ?」
「い、意外とバッサリいくんだね……。あっ、天使だなんて言わないで!」

『あっ』って言っちゃったよ。もしやこれは褒め言葉を受け入れつつ証ではなかろうか。もうひと押しふた押しすれば怒らなくなるかもしれない。

「だって、正直名前なんて……こんなこと言っちゃうと名付けてくれた親には悪いけど、ただの記号じゃん?名前はどんな人に育って欲しいかっていう『祈り』ではあるかもしれないけど、それで人を判断する要因にはならないと思うんだよね」

……月ちゃんに『名前を組み合わせると月曜になるから運命感じた』なんて言っておきながらこんなことを言うのもなんだけど、それでもあれだってあくまで『言葉遊び』の範疇だ。名前から月ちゃんの人柄を判断なんてしなかった。

俺が彼女に恋をしたのは、そんなところが理由じゃない。

「じゃあ……紅野くんはアタシの名前、どう思ってるの?」
「……怒らない?」
「回答次第かな」

そう言って水野さんは右手を挙げた。明らかに構えてるんですけど!俺の二の腕を狙いに来てるんだけど!
今日一日二の腕が使い物にならないかもしれない覚悟をしながら、あんだけかっこつけたことを言ったのだから嘘だけはつくまいと本音を簡潔に述べた。

「特にどうとも思ってない、かな」
「どう……とも……?」
「最初はすごい読み方するなぁ、とは思ったよ。けど、せいぜいそのくらいかな。それ以外は特になにも」
「いやでも、結構珍しい名前だと思うけど」
「そうだけど……。ああもしかしたら、俺も名前ちょっと珍しい読み方するからその影響かも。珍しいと思っても、思うだけで他に感想がないんだ」

さすがに名前をどうとも思わないと言われたのは思うところがあったのか、構えられた手が俺を襲うことはなかった。
返される言葉はない。水野さんはなにも言う気はないのだと判断した俺は、今の言葉の続きを伝える。

「だから、水野さんの名前が『綺星きらら』でも『花子はなこ』でも例え『銀次郎ぎんじろう』だったとしても、俺はこうして仲良くなりたいなって思うよ」
「ど、どうして?」

どうして、と言われても簡単すぎて答えに迷う。
散々悩んだ末に、下手に言葉を飾り付けるのはやめてシンプルに返すことにした。

「また怒っちゃうかもしれないけどさ……名前なんて関係なく、俺は本当に水野さんのことを素敵な女の子だって思ってるから。ただそれだけだよ」
「~~~~~~っ!!!」

言いたいことを言えて俺はすっきりしたのだが……言われた水野さんは顔が真っ赤。
むしろ真っ赤という色すら越えて『深紅』あたりまで到達している気がする……あれ、もしかしなくても体調やばいんじゃないの!?

「大丈夫!?顔色とんでもないことになってるよ!?」
「だ、だ、だ……だいじょばない……」
「だろうね!ちょっとそこらへんで休憩を……」
「ご、ご休憩!?ま、まだアタシたちには早いよ!」
「なんの話!?」

どうにも話が噛み合っていないのだが、とにもかくにも早いところ休ませないといけない。
このままではらちがあかないと判断し、俺は水野さんの腕を掴んで休めそうなところへ引っ張ろうとする。

「とりあえずそこらのベンチに……」
「えっ、わ、わぁ!?」

引っ張ろうとした瞬間、水野さんが足をもつれさせて倒れかけてしまう。こちらに倒れる分には受け止めるだけだから問題ないのだが、水野さんは横に――俺から見て右側へと体勢を崩していた。

「あっ、危ないっ!」

腕を掴んでいた右手を離し、水野さんの倒れた方へと手を伸ばす。
掴んだところが胸だった……なんてラッキースケベを起こさないよう細心の注意を払ってお腹のあたりを手で支えなんとか転倒を免れた。
……と、思ったのだが。

「ぬおっ!」

ランニングの疲労が溜まっていた俺の足は、水野さんを支えて踏ん張ることができずにたたらを踏んでしまった。
足の位置を変え、なんとか倒れることだけは避けようとする。空いている左手が掴めるものを求め宙を空振った。

そして――

「ひゃんっ!!」

ギリギリのところで倒れるのを避けた俺は――スパッツに包まれた水野さんのお尻を左手で揉んでいた。

「あ……えっと」

踏ん張らねばと足に意識を向けすぎてしまい、完全に左手のことを忘れていた。
反射的に掴めるものを求めてなにもない宙を空振った左手は、まるで吸い込まれるように水野さんのお尻にたどり着いてしまっていたのだ。

「ご、ごめんなさい。わざとじゃないんです」

水野さんの体勢が崩れないことを確かめながら、ゆっくりと、ゆっくりと体を離していく。
赤くなったまま動かない水野さんに、ささやくような大きさで弁明を試みる。

「あの、びっくりするくらいジャストミートしたけど、ほんとわざとじゃないんです。確かにスパッツは大好きだけど、さすがにそこらへんの倫理観はちゃんとしてるし、ほんとわざとじゃないんです」

焦りのせいで俺の好みを暴露してしまう。逆効果じゃねえか、これ。

ああ、だめだ!そりゃ焦りだってするよ!俺の大好きなスパッツを履いた、あの水野さんのお尻だぞ!?事故とはいえ、揉んでしまって冷静でいられるはずがないだろう!!

だが、それとは別に水野さんへの申し訳ない気持ちがあるのも事実。
先ほどの感触を思い出し、ムラムラが沸き起こるたびに吐きそうになるほどの罪悪感が胸の中で暴れまわる。

事故だし本当にわざとじゃないけれど、揉んでしまったのは事実だし煮るなり焼くなり好きにされようと俺が覚悟を決めたころ……固まっていた水野さんがようやく動き出した。

「……スパッツ、好きなの?」
「えっ……はい……とても、好きです……」

なぜ俺はスパッツを履いた同級生にスパッツ好きだとを宣言しているのだろうか。
まさかさっきの罰として、このまま公園で羞恥プレイでも始まるのか……!

「ふーん、そっか。す、好き、なんだ……」

そう言いながら、彼女はなぜかにまにまと笑っている。その様子を見るにどうやら羞恥プレイが始まることはなさそうだ。
ひとしきりにやけたり自身のスパッツを触ったりしてから、水野さんは俺の顔をまっすぐ見ながら質問してきた。

「ほんとにわざとじゃないんだよね?」
「そ、それは絶対!神に誓って!」
「ならよし」

そう言って、水野さんはあっさりと俺のことを許してくれた。あまりの唐突さに俺が口を開けてぽかーんとしていると、彼女は急に俺の腕に抱きついてきた。

「み、水野さん!?」
「許してあげる代わりに、アタシを家まで連れてって?」
「そ、それはいいけど……なんで腕に抱きついてくるの?」
「ほら、体調悪いし」
「ああ、なるほど。俺なんかでいいならいくらでも支えになるから、無理はしないでね」

そうだ、もともと倒れそうになったのも体調が悪そうな水野さんを休ませようとしたからだ。
水野さんを見れば、顔を真っ赤にして口をもにゅもにゅさせながら俺の腕に抱きついている。もしや、俺が思っているよりもずっと体調悪いんじゃないだろうか?

水野さんはこんなにも体調の悪い体を頑張って動かしている。
だというのに。

俺は……ぶっちゃけい今すごいムラムラしている……!

運動していた影響か、今の水野さんは教室で見るより少し色っぽい。そんな水野さんがゼロ距離の位置にいる……だけじゃない。
『逆に歩きづらいんじゃない?』と言いたくなるほど腕にしっかりと抱きつかれているせいで、小ぶりでも確かにそこにある胸がさっきまでばしばし叩かれていた二の腕に押し当てられている。
その上、手の甲が水野さんの腰あたりに当たってしまうせいで、その、スパッツに手が……。

こんな弱った水野さんを性的な目で見てしまう自分が憎い!自己嫌悪で吐きそうだ!

「あ、紅野くんも大丈夫?なんかさっきよりも前かがみになってるけど」
「だ、大丈夫……。水野さんこそ顔がすごく赤いけどこのまま歩いて大丈夫?無理してない?」
「無理……っていうか、慣れないことはしてるけど大丈夫。と、ところでさ!」
「ん?」

急に大きな声を出した水野さんは、俺の腕に顔を押し当てながら先ほどとは打って変わって小さな声で話し始める。

「アタシの名前……変って思ってないんだよね?」
「うん、そうだよ」
「な、ならさ……アタシのこと、名前で呼んで?」
「い、いいけど……」

呼ぶのは何の問題もないが、いったいどんな風に呼べばいいのだろう。
……ちゃん付けは月ちゃんに笑われたしなぁ。かといって下の名前で呼ぶのにさん付けはおかしい気もする。
となるともう呼び捨てしかない。
若干の照れくささを感じながら、俺は水野さんの名前を呼んだ。

綺星きらら

腕に顔をうずめるような体勢になっている水野さんに呼びかけるため、耳元でささやくような形になってしまった。いったいどんな反応をされるのやら……。

「こ、これからもずっとそれで呼んでほしい……ひかる
「え、俺の名前……」
「……だめ?」
「別に構わない、っていうかむしろ大歓迎けど……」

女の子にぐいぐい来られることに慣れていないので、戸惑ってしまう。
もちろん嫌ではない、月ちゃんには以前話したけど、俺は自分の名前が気に入っているのだ。だから名前で呼んでくれるのはむしろ嬉しい。

「じゃ、じゃあ……家までよろしくね。ひかる
「了解。綺星きらら

普通にランニングをするよりも疲れたが気がするが……それでもまあ、クラスメイトと仲良くなれたのだ。良いことだろう。

綺星きららは体調不良と、俺は性欲と戦いながら家までの道のりを歩いていく。
ちょっと考えたくないことではあるが、水曜日はまだ始まったばかりだ。
深呼吸をして、気持ちを切り替える。

よし、今日一日スパッツのことしか考えられないだろうけど、それはそれとして頑張ろう!

ちなみに。
学校に登校した際、しれっとした顔で教室にいた綺星きららに対して『綺星きらら!?朝あんな調子悪そうだったのに学校来て大丈夫なの!?』と叫んでしまい、クラスに俺と綺星きららの変な噂が流れてしまったのはまた別の話。
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