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第三章 亡霊、竜になる

第二十一話 『マニア向け』はたぶん誉め言葉ではない。 #2

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「ううっ……悪霊女、生きて……る?」

「なんとか……」

 ミーシャが問いかけると、ドナはうめく様に応じた。

 ミーシャは自分自身の状態を探る。

 恐らく頭から血が出ているのだろう。顔の右側を生ぬるい液体が滴り落ちていく感触がある。

 ――大丈夫か?

 頭上にレイの気配を感じて片目を開くと、ミーシャは息も絶え絶えに口を開いた。

「アンタ……これ大丈夫に……見えんの?」

 ――見えない。

「でしょう……ね」

 実際、ダメージの八割方は、レイの跳び蹴りの所為せいだと思うのだが、それを責めるのは筋が違うことぐらいは分かる。

 そうしなければ今頃、三人ともあの燃え盛る馬車の下敷きになっていたのだ。

「勇者様は、ご無事で?」

 ドナのその問いかけに、レイはこくりと頷くと、くるりと背を向けて周囲を見回す。

 ミーシャが痛む身体を起こすと、いつの間にか松明を掲げた男達が、遠巻きに取り囲んでいるのが見えた。

「あはは……なにこれ、絶対絶命のピンチってヤツ?」

「動かないでください。すぐに治療しますから」
 
 ミーシャが渇いた笑いをこぼすと、ドナはミーシャの頭上に手を翳した。

「主よ、祈りにこたたまえ、善き物に善なる恩寵おんちょうを垂れ給え――キュア・インジュアリー」

 ドナの手が光ると同時に、ミーシャは痛みが引いていくのを感じながら、ぼんやりと男達の向こう側、煙に巻かれて苦しげにいななく馬の方へと目を向ける。
 
 すると馬の前足に、白いロープ状のものが絡みついているのが見えた。

「そりゃ、ああなるわ……」

 ミーシャがそう呟くと、静かにたたずんでいた男たちが道を開けて、その向こうから女が一人歩いてくるのが見えた。

 真っ赤なイブニングドレスに身を包んだ肉感的な女。

 歳の頃は恐らく三十近く。

 腰までの黒髪に赤い瞳、病的に白い肌、口元の黒子ほくろが妖艶な色気を醸し出している。

「あらら、傷物にしちゃダメじゃないの、もう悪い子ねぇ」

 女はそう言って、自らの足元に擦り寄る大型犬ほどの黒い塊へと、とがめるような目を向けた。

 それは蜘蛛。暗くてシルエットでしか分からないが、恐らくヒュージスパイダーという奴だろう。

 品定めする様にドナとミーシャを眺めていると、その視線を一匹の兎が遮って、女は一瞬きょとんとした顔になった後、愉快げに声を上げて笑った。

「あはははは、これは珍しいわね。首狩り兎ボーパルバニーを手懐けるなんて。もしかして、そっちのエルフちゃんが調教師テイマーなのかしら」

 ――中身は兎じゃないけどな。

「あら、そうなの」

 その瞬間、ミーシャの背筋に冷たい汗が滑り落ちた。

 今、この女はレイの言葉に反応したのだ。

 精霊使いエレメンタラーか、さもなければ……。

「アンタ……何者なのよ!」

「一応、この街の顔役ってことになってるんだけど……マダムアリアって名前聞いたことなぁい?」

 ミーシャがドナと目を合わせると、彼女は眉間にしわを寄せてふるふると首を振る。

「あら残念、ちょっと傷ついちゃった」

 女は口を尖らせた。

 ――で、そのアダムマリアが、私達に何の用だ。

「……マダムアリアね。もう、アリアで良いわよ。見ての通り、このところさっぱり景気が悪くてねぇ。大歓楽街として栄えたこの町もこの有様。女の子も減っちゃって、まったく商売あがったりよ」

 ――なるほど。それでこの二人に目をつけた訳か。だが、幾ら女を集めたところで、この町の有様ではどうにもなるまい。

「ばっかねぇ、アンタ。どうせすぐにこの町は魔王の手に落ちるわ。そうなったら魔族相手の娼館が大繁盛よ。だからそうなるまえに可愛い女の子をたーっくさん仕入れて、準備しとかなくっちゃ」

 途端にレイの背後で、ドナとミーシャが顔を引き攣らせる。

 その表情をうっとりとした目つきで眺めながら、アリアは話を続けた。

「心配しなくても大丈夫よぉ。ウチは女の子を大事にするので有名なんだから。だって大事な大事な商売道具だもの。そっちの神官さんなんか、きっと人気出るわよぉ。元神官で巨乳の女の子がサービスしてくれるってすっごく背徳的じゃない? ウケると思うのよねぇ。そっちのエルフちゃんは……まあ……マニア向きかしら」

「だれがマニア向きよ!!」

「汚らわしい!」

「あら、褒めてるのよ?」

 二人が口々に抗議の声をあげるも、アリアはニヤニヤと笑うばかり。むしろ楽しんでいる様にさえ見える。

 そして、彼女は再びレイの方へと目を向けた。

「よかったらアンタも雇ってあげてもいいわよ。きっと良いマスコットになれると思うのよねぇ。女の子たちの人気者よぉ?」

 ドナとミーシャをちらりと振り返って、レイは考え込むように目線を上へと向けた。

 ――ふむ。
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