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第三章 亡霊、竜になる

第二十四話 たった一つの大事なもの #2

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 ――そこを曲がれ!

「命令すんじゃないわよ!!」

 アリアの身体がギリギリ通り抜けられる程の路地へと飛び込むと、飛竜ワイバーンは、左右の建物を翼で破壊しながら追ってくる。

 アリアが血走った目で背後の飛竜ワイバーンを凝視していると、レイが間の抜けた声で話掛けてきた。

 ――なあ。

「それどころじゃない! 話しかけないで!」

 ――いや、その……前からも来るぞ。

「ええっ!?」

 見れば、確かに前方でも激しい土煙が、こちらへ向かって一直線に向かってくるのが見えた。

「ふぬぉおおおおおお!」

 アリアは蜘蛛の尻を振り上げて糸を放つと、通りの裏側に見える一番高い建物、鐘楼へと絡みつけて、一気にそれを手繰たぐり寄せる。

 糸に引かれて、宙を舞う蜘蛛と兎。

 眼下では、左右から迫ってきていた土煙がぶつかり合って、ズシンと重い音を立てた。

「はあぁぁぁぁあぁぁぁ……死ぬかと思った……」

 鐘楼の屋根に降り立って、アリアは大きなため息を吐く。

 見上げれば、町の上空を埋め尽くす飛竜ワイバーンの姿。

 一時的なことだろうが、どうやら飛竜ワイバーン達は、レイとアリアの姿を見失ってくれたらしい。

 高い所に立って見下ろしてみれば、あしの葉が風に揺られるようなザワザワという音が、いたる所から響いてくる。

 逃げまどう人々の声。

 飛竜ワイバーンは人を襲ってはいないようだが、ほぼパニックというような状況になりつつある。

 明るい炎が見えるのは西の門の辺り、その灯りに照らされて城門の方へと殺到する人の群れが見える。

 おそらく東の門でも、状況は同じだろう。

 唐突に真下の通りから、女の甲高い罵声が聞こえてきた。

「なにが竜殺しよ! 真っ先にビビって逃げてんじゃないのよ」

「うるせぇ! くそ女! あの数だぞ! 無理いうんじゃねぇ! 俺ぁ逃げるぞ!」

「ちょ! ちょっと! 待ってってば! バカ! この腑抜けやろう!」

 下を覗き込んでみれば、半裸の男がでっかい剣を放り出して、一目散に逃げはじめるところ。

 情事の途中だったのだろう。身体にシーツを巻き付けただけの女が、悪態をつきながら、その後を追っていくのが見えた。

 その姿をじっと見つめていたレイは、顔を上げると赤い目をアリアに向ける。
 
 ――頼みがある。

「いやよ!」

 ――ほんの少しでいい。次に襲い掛かってくる飛竜ワイバーンの動きを止めてほしい。

「無茶苦茶言うわね、アンタ。そんなこと出来る訳ないし、そもそも、何でアタシがそんな事しなくちゃいけないのよ!」

 ――出来ると思ってるから頼んでる。

 真剣な兎の顔というのは、正直ちょっと不気味である。

 その謎の威圧感に軽くひきながら、アリアは唇を尖らせた。

「で……。それでどうにかなるわけ?」

 レイは、口元を引き結んで、こくりと頷く。

「分かったわよ! じゃあ、アンタ。とりあえずアタシに謝んなさいよ」

 ――巻き込んだことか?

「それもそうだけど! なにより腹立たしいのが、アンタがあのエルフから飛竜ワイバーンを引き離すために、アタシを利用してることよ! 他の女の為に利用されるなんて、本当に屈辱だわ」

 ――なるほど……バレていたか。それはすまない。

「アンタの考えてる事は筒抜けなんだってば! でもアンタ、なんでそんなに大事にしてんのよ? あの娘。アンタの女って訳でもないんでしょ?」

 レイは、少し考える様な素振りを見せた。

 そして、

 ――自分の身体でさえ借り物なんだ。大事にするだけの価値ある物が他に無い。

 その答えに、アリアは小さく肩を竦めた。

「ああ、もう! やってらんない! 人の物って、なんで魅力的に見えんのかしら……。どう? あんなガキンチョよりも、アタシのことを大事にしてみない? アンタに見合った身体も用意してあげるし、アタシ、こう見えて結構尽くすタイプなんだけど?」

 ――喰われるのは御免だ。

「馬鹿ね、アタシを退屈させなきゃ良いだけよ」

 赤い目に困惑の色を浮かべるレイの姿に、アリアは思わず吹き出す。

 だがその時、宙空で渦を巻いていた飛竜ワイバーンの中から、数匹が二人の方へと急降下してくるのが見えた。

 ――来たぞ! 頼む。
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