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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第三十二話 私は愚かなのだろうな。 #2

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 王宮に辿り着くと、一行は大部屋に通された。

 そこで、ミーシャ達は宮宰きゅうさいを名乗る小太りの男から、以降についての説明を受ける。

「王への謁見えっけんが許されておるのは、ミーシャ姫、お一人でございます。他の方々は、それぞれにお部屋をご用意させていただきますので、今夜はそこにご滞在ください。くれぐれも出歩かれませぬよう、重ねてお願い申し上げます」

 そう告げている間、宮宰きゅうさいの視線は、レイボーンに釘付けになっていた。

 出歩くなという言葉は、どう考えてもこの骸骨へ向けたものだろう。

 無理もない。何も知らない人間が廊下で出会ったなら、卒倒することだろう。

「一緒に行かなくて、大丈夫か?」

「うん、大丈夫。みんなは先に休んでて」

 レイボーンの問いかけにそう答えてから、ミーシャは何か違和感を感じて首を傾げる。

 あらためて周囲を見回してみると、皆、一様に顔を引き攣らせていた。

「「「喋った……!?」」」

 よくよく考えてみれば、レイが実際に声を出して喋ったのは、ミーシャと出会って以来これが初めて。

 よりにもよって声帯すら存在しない、この最も喋りそうにない身体になって、初めて喋った。

「ゆ、勇者様、どこから声を出しておられるのですか!?」

「なんで、骨だけで喋れんのよ!」

「……なんでと言われても困る」

 急に騒がしくなった部屋を後にして、ミーシャは宮宰きゅうさいに先導されるままに、王宮の廊下を歩いていく。

 やがて、彼は革張りの豪奢な扉の前で足を止めた。

「ミーシャ姫をお連れ致しました!」

「……ご苦労」

 宮宰はゆっくりと扉を開け放つと、ミーシャに中へと入るよう促す。そして、彼女が部屋に入ってしまうと、自らは廊下の外に出て扉を閉じた。

 それほど大きな部屋ではない。

 白壁の真ん中を緑色のラインが一本。

 そこに、まるで鋲を打つみたいに、金細工で百合の花が描かれている。

 中央にはソファー。

 そして、その向こう側に、窓の外を眺める男の姿があった。

「お久しぶり。義兄にい様」

 男はゆっくりと振り返るとじっとミーシャを見つめた。

「……ますますオリビアに似てきたな」

「錯覚よ。二十年ぐらいじゃ、エルフの容姿は大して変わらないもの」

 ミーシャの突き放したような物言いに、男は弱々しい微笑みを浮かべた。

 均整の取れた体格。厳めしい顎髭あごひげとは対照的に、二十年ぶりに会った義兄ジェラールの目元には、ありありと疲労の色が見て取れた。

「ただ、会いに来てくれたという訳では無さそうだな。何をしに来た?」

「姉様のお墓参りに。この国が滅んだ後じゃ、それも出来なくなっちゃうしね」

 ミーシャは怒らせる気でそう言ったのだが、ジェラールは静かに唇を噛んだだけ。

 かつての豪快な雰囲気は、どこにも見当たらない。

 ミーシャが不愉快げに顔を歪めると、ジェラールは目を逸らしたまま口を開く。

「ミーシャ。この国では、もはやエルフは歓迎されない。むしろ敵意を持つものさえいる」

「お祖父ちゃんたちが、義兄様の救援依頼を断ったから?」

「ああ」

「馬鹿馬鹿しい! っていうか! なんで勇者なんてバカを焚き付けて、魔王を討伐させるようなバカなことすんのよ!」

「バカ……そうだな。私は愚かなのだろうな」

 ジェラールが怒りもせず、弱々しげにそう呟いた途端、ミーシャの中で何かが決壊した。

 彼女は大きく目を見開いて、義兄へと詰め寄る。

「魔王のこともそう。でも、もっと愚かなのは、姉様にアンタ達の信仰を押し付けたことよ! そもそも姉様は高位の精霊使い。流行り病などで死ぬはずが無かった。なのに、姉様はあなた達の所為せいで、精霊の声が聞こえなくなったのよ! 姉様を死なせたのはアンタ! アンタの所為せいよ!」

 ジェラールの奥歯が、ギリリと音を立てる。

 彼がその瞳に、怒りとも、悲しみともつかぬ感情をたたえて、ミーシャを睨みつけたその時。

「お父様! 叔母様がお出でになられてるそうではありませんか! どうしてランジェを呼んでくださらないのです!」

 ノックもせずに、一人の少女が扉を開けて、部屋の中へと飛び込んでくる。

 年の頃は十七、八。

 どこかおっとりとした雰囲気の少女。

 特徴的な長い耳。

 だが肩までのつややかな髪は、エルフにはありえない鴉の濡羽色。

 それはハーフエルフの少女だった。

 ジェラールが慌てて背を向けると、ミーシャは少女の姿を眺めたまま固まった。

「……叔母様?」
 
「あなたがオーランジェ? 髪の色は違うけど……ほんとに姉様そっくり」

「お会いしとうございました。お母様は、いつも叔母様のお話をされておられましたので……」

 その一言に、ミーシャは目の奥が熱くなるのをじっとこらえて、背を向けたままのジェラールに問いかける。

「義兄様、オーランジェとゆっくりお話したいんだけど……」

「ああ……そうだな。そうしてくれ。ランジェ、叔母様をおまえの部屋へご案内してさしあげなさい」


  ◇ ◇ ◇


 深夜、レイボーンは割り当てられた部屋のベッドに横たわって、天井を見上げている。

 ミーシャが王に会いにいってから、既に五時間近くが経過していた。

 彼をこの部屋へと案内してくれたメイドは終始、今にも卒倒しそうな顔をしていた。

 見た目だけで言えば骸骨そのものなのだから、それも仕方が無い。

 最後に「ありがとう」と声を掛けると、彼女は飛び上がる様にして、走り去っていった。

「あれは、流石に傷つくぞ……」

 そうは言ってみたものの、実際、今、ベッドに横たわっている彼の姿は、酷い絵面である。

 どうみても、発見の遅れた白骨死体にしか見えない。

 その時、コンコンと扉を叩く音が部屋に響き、彼が返事をするより先に扉が押し開けられた。

 レイボーンが身を起こして、そちらを眺めると、そこには陰鬱な表情でたたずむミーシャの姿があった。

 酷く疲れたような、思いつめたような、表情のミーシャは、レイボーンのがらんどうの眼窩を見据えて口を開く。

「ねえ、……何も言わずに手伝ってよ」

「それは……キミのいう『その時』が来たということか?」

 レイボーンのその問いかけに、ミーシャは静かに頷いた。

「明日、オーランジェを……。私の姪をさらうわ」
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