その刹菜に

焼魚圭

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第二幕 ――パンドラ――

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 それは教室の中での出来事、里香が病欠と呼ばれし休日をいただいた時間、実は里香が攫われていたのだと知る者はいるだろうか。
 書き直される前の時間軸では居たはず、修正されてしまったがために消えてしまった。そんな事を知っているはずもない人々は作り上げられた嘘も見抜けないままただ過ごしているだけ。
 楓は教室に入って真っ先にラジオが置いてあることに気が付いた。そこにメモを挟んであるという事実が温かで確かな愛の証なのだと想いを巡らせながら読んでみたものの、その内容に違和感を覚えさせられる。

――昨日のアイドルのライブ楽しかったね、登山行けなかったのは残念だったけどまた今度。 次はラジオ持って帰るの忘れないようにね

 そう、昨日があの日、アイドルの半ば緊急で組まれたらしいライブがあった日。
「どうして、ここに置いてるのか」
 ため息をつくほかなかった。昨日は休日、今ここに置いてあるということは早朝に来たのだろうか。あの里香がわざわざ置いていくだろうか。用事があったとしても会って手渡したい。そう動いた方が自然な子。
 しかしながら普通に進学や就職関係、或いはテストや委員会。可能性は潰えていない。
 疑いにて溢れ出した思考を閉ざして大人しく過ごしていくことにした。昼休みになればなんだかんだできっとあの笑顔の花が咲き誇るはず。それに触れて楓自身もまた煌めく情に肩まで浸かって温まって。
 想うだけで身体が震えてしまいそうなまでに歓喜があふれ出る。
 今のままではきっと授業も集中出来ないことだろう。これからどう心を感情を上書きの上塗りで染めてみせようか。
 一度、大きく息を吸っては吹いてみる。たったそれだけ。深呼吸の一度。それが楓の心を落ち着ける。秋の寒気を取り入れる換気目的の窓の開放、それによって入ってきた外の空気がまた心地よい。
――さて、少しは集中出来るか
 開かれたがために重なった窓に、ガラス越しの空に薄ら映り続ける楓の顔、二重に映るその顔。目の下に残り続ける濃く深いくまは果たして消える日を迎えることが出来るだろうか。消してしまえばもっと里香の隣に立つに相応しい女となることが出来るだろうか。
――分からないな、顔もあまり良くないか
 控えめだった。きっとこのような女のところへと寄ってくる男などひとりもいないだろう。物好きでさえ傍にいない世界。きっと彼女の少し固めの表情と目から発せられる雰囲気が人々を遠ざけてしまうことだろう。
――里香がいるだけでも楽しいんだな
 ひとりの時間が嫌になる。またしても寂しさが、一緒に居たいという欲望が、湧いては膨らみ続けて止められない。
 彼女の中に宿る瞳の揺らめきを少しでも今という現実に向けながらどうにか授業と向き合って。
 教師が綴る文字たちの姿に理解ははち切れてしまいそう。予習前提の授業についていくことなど到底不可能だった。
 昨日の戦い、ゆっくりと帰るふたりと並んで途中まで一緒に歩いていた全てを覚えているあの子の姿が今の風景と重なり合う。あの時楓の手首にラジオはぶら下がっていた、そんな気がしていた。それは思い違いだっただろうか。そんな事実はなかったのだろうか。
 それからの時間は睡眠に身を委ねて終わらせるだけ。夕飯を放り込んで入浴からすぐさま布団に潜り込んでいた。膨大な疲れが身を襲う感覚は既に慣れていたものの、だからといって逆らう術を持ち合わせているわけでもなかった。
 きっとこれからも同じように過ごすのだろう。まさに、戦いは日常の妨げだった。
 そんな想いに更けながらノートに感情を挟まずに書き込まれる文字たち。教師の話も聞こえているのかいないのか。耳に届くだけ、頭の中を通り過ぎて消えていくだけであれば初めから聞いていないことと変わりない。
 やがてそんな無駄の塊を圧縮して詰め込んだ時間も過ぎ去って楓の気に掛かる彼女の姿を目にする時間が訪れた。
 そこは昼休みの教室。隣のクラス。弁当を持って入ってはみたものの、そこに愛しのあの子の姿は在りもしない。
 教室にいる女子に話を聞いてはみたものの、初めから来ていないというこれまた不思議な回答しか得られない。
 礼を告げて自分の教室に戻り、ただただ食べ物をつつきながら思考を回していく。
 思考の深みに嵌まって落ちて脳内にて渦を巻き続けるほどに今という状況がおかしな話として聳えていった。
――今日休んでいるのなら、里香は昨夜にでも届けに行ったのか
 考えを巡らせ続ける程に納得のいかない話でしかなかった。
――わざわざ夜の学校に忍び込んでまで届けるものか
 やはり奇妙。休まなければならない急用があったとすれば届ける心遣い、それも夜の内に忍び込むという奇行そのものがどこか噛み合わない。
 とはいえそこに楓の忘れ物があったことは事実。
 妙な寒気が脳裏を走る。迸る感覚に背中を撫でられて、日常生活では得られない心地悪さに凍えていた。
――絵海にも相談してみるか
 それが一番、そう結論を掛けてみるもののどうにも前を向くことが出来ない。未だに気に掛かって何事にも集中できない。今気にするべき事は。

「福津さん危ない」

 体育館という独特の香りと空気の通過で涼しさと寒気と風の流れのグラデーションに彩られた空間、更に独特な心地を持った滑りの良い床に倒れる。
 頭を打ち付けるのはふたつの痛み。勢い任せに打ち付けられた全身に走る痛みが例外なく頭にも走っていた。もう片方は果たして。
 きっと、否、間違いなく倒れているだろう。今を見つめる目、この時間に引き戻された視界に広がる光景は明かりを灯す仕事を待ちわびた埃積もる照明の揺れと鉄骨の支えが露わな天井。
 視界の外にて愉快に動く違和感、周りの人々の動きとは明らかに異なるリズムやテンポをどこかで知ってそこへと顔を向けてみる。
 床を転がるボール。
 もうひとつの痛みの正体にようやく気が付いた。
 体育の時間に気を抜くことは戦場での気の緩みとなにひとつ変わりないのだと言うことを。


  ☆


 女子生徒たちに身体諸共時間まで運ばれているような感覚、妙な心地に揺られながら楓は里香のことを想い続ける。心配は更に深い心配を呼び寄せて。ひとつに纏まって幾つにも分解されて、いつまでもそこに居続けて。
 夢を見ているのかしっかり現実をつかんでいるのか、はっきりとしないこの空気感。緩く曲げられた指の間をすり抜ける光景は、優しい風は色とりどりの緑の音色を纏めていく。
 これからの予定のために動くことは出来るだろうか、恐らく出来ないことはないだろう。などと思いつつも仮に戦いが起きてしまえばまともに向き合うことなど出来ないだろうと想像を繰り広げていた。
 これから先のことが不安で仕方がなかった。秋の風はどうしても不安を呼び寄せてしまう。里香の現状に対して嫌な予感が波を寄せて煽り続けていて、どうしようもなかった。
――絵海も戦えないよな
 記憶以外は何もかもが一般人。異能の世界の中では恐ろしいまでに貧弱。しかしそれでも異能者と一纏めにされて一歩か二歩か、少しだけずれが生じた別の世界を思わせる場所で生きる運命を背負っている。平等などないのだとひしひしと伝わってくる。
 絵海ならばきっと上手く立ち回ることだろう、何を言っても生き残るように動くことだろう。
 しかし、楓が戦闘で頼りにならない時点で巻き込むことは良くないと思い始めていた。いざという時、絶対に常識から外れた能力の力がなければならない時、守れない理由は責任は完全に楓が握るもの。
 ならば責任に誓って彼女を巻き込まないべきではないだろうか。
 嫌な予感に立ち向かって死するだろうか、またしても里香を死なせて全てをやり直してしまうのだろうか。
――あの子には死んで欲しくない。例え次の世界があるとしても、死の苦痛もその度に
 やがて保健室のベッドへと運ばれて、待っていた女が楓の顔を覗き込む。
「もっと美人が運ばれてきたら良かったのに」
 何を言っているのだろう。仕事に私的な願望を持ち込んでいるこの職員は人を不快にさせることに躊躇いはないのだろうか。
「まあいいや、ちょっと頭打っただけでしょ。少し寝てたら治るんじゃないかな」
 もはや診るつもりもないらしい。楓としてはありがたいことだった。
 このような発言をするような人物に触れられることそのものが嫌悪感の温床となる。心が強く訴えかけていた。
「もっと純粋でかっこいいスポーツマンとか運ばれてこないかなあ、あのピュアなのに強い感じがいいのに……まっすぐな瞳とかでも女性と話せたら嬉しいとかあんな感じの」
 欲望がダダ漏れ、しかも歳不相応の願望。
 楓の中では歳不相応、しかし現実、男は大人になっても変わりないことが多いのだということ。楓はこの事実をまだ知らなかった。更けても尚相変わらずな姿が不釣り合いで違和感しかない。そんな彼らの姿を見ても尚歳不相応なのだと言ってのける事が出来るだろうか。楓の思考の中には大人の世界など一切入っていなかった。
「でも学校卒業したら責任感と純粋なだけじゃいられないことを知ってもらわなきゃ。二十四くらいには成長してもらわなきゃイケナイの」
 語る、独り言を零し続ける。あの女はどのような心理で生きているのだろう。得体の知れない恐怖や色彩が背筋を引っ掻きながらくすぐり、同時に撫でてくる。
 あまりの心地悪さに立ち去ってしまいたくなってしまう。しかしそれも許されないだろう。と思いつつも異なる思考が駆けて横入りしてきた。もしかするとこの職員なら許してくれるかも知れない。そう思い直して身体を起こそうとするものの、頭に気怠さが走って動かない。頭を打った余韻であれば仕方がない。
 やむを得ず、寝転がり続けて、保健室の職員が零すおめでたい妄想を聞き流しながら快復を祈り続けるだけだった。
「あのチビがもっと身長伸びたら男装させるのもありかも。結構普通な感じが格好良く見えるの」
――誰がチビだ
 目を細めると共に深く色付いたくまが強調される。楓に対する視線を変えた職員に見つめられながら放課後の訪れを待つというおぞましい時間が送られていった。


  ☆


 時間というものはいつでも同じように過ぎ去っている。それが信じられない程に人の感覚というものは不確かなもの。不確かなものに頼り切り、確実で無いものに確実な基準を差し込んで。
 楓は学校を後にして紙に書かれた文字に改めて目を通しながら進み続ける。景色など目に映っては通り過ぎるだけ、脳に焼き付くこともなければ意識に刷り込まれることさえない。
これから向かうところは過去をなぞるようなもの。
 恐らくはあの山に向かえば行くことの出来る場所。どのように入ればいいのだろう、どのように進めばいいのだろう。なにひとつ分からない。全くもって見通すことが出来ない。自分という今ここにある身体を姿を信じて進むだけ。それ以外の何も出来ない。
 道路を歩き、頼りない舗装に身を包んだ黒塗りの道。下には何を隠しているのだろう。
 そんな場所を歩いている楓、踏みしめる地面の下に広がるものはただの自然か人の手の加わったインフラ設備の一部か。
 楓の薄っぺらで浅い縁の糸の巡りの中に何かが眠っている。そんな気がしてたまらない。
 何か忘れていないだろうか。何を忘れているのだろうか。確か青春のさなか、主に男たちの間で語られる非現実的な話。現在の日本という文明の社会に合わせて姿も色も変えてしまった暗いおとぎ話。
 それはやはり男たちの間で語られていた、彼ら高校生男子がうわさとして楽しみしゃぶり続けていた。
「ここだ」
「ここって言っても広いらしいよな」
「ああ、うわさによればあの山のどこかから入れるんだよな」
 そのうわさ、言葉だけが広め続けて形も無くただ存在だけを不確かな形で披露するそれ。その正体は続けて口にされた。
「ほんとにこんなしょぼい町に超科学研究施設なんてあるものか、わからねえよな」
 そう、地下にて何かしらの研究が進められ、それがやがて人々の運命をも左右する。未来も過去も今でさえも、何もかもが研究の成果を作り上げた者が手にしてしまうという耳をも凍り付かせる話。
 楓が普通に日常の真ん中を歩くだけの女の子であれば鼻で笑うか全てを疑うか男の想いに呆れかえるか、限りないまでに広い手法を持ちつつ限りある狭い感情で常識的な選択肢を手に取ることが出来ただろう。
 しかしながら、異能の世界に足を踏み入れた人物であればそう簡単に思考の放棄を取れなくて。
 超科学、恐らくは異能力までもが含まれた分野。どこまで見ているのか、どれ程まで個人の好き勝手に出来るのかは分からないものの、仮に異能の力を封じるところまで及んでいたとしたら、或いは他者の異能の力を自在に操ることが出来るとしたら。
 最も恐れるべきはそうした技術を奮って異能の力を持つ者を狩る集団が現れたら。
 思うだけでどこまでも大きなどん底に頭から突き落とされている感覚にうなされていく。潰されてしまいそう。顔を振ってもどこを向こうにも光が見えてこない、そんな未来。
 楓の足取りは変わることなく昨日足を運んだ屋アマの前の公園にまでたどり着いた。ライブの様子は既にそこになく、残っているのはありもしない残響。その心地はまさに夢の跡。
「ここに……いるのか」
 名を呼ぶことすら出来ない。返事が無いということただひとつ。それだけで息が詰まってしまう、ここにはいないことなど分かっているはずなのに、無事を確かめているような気分に陥ってしまう。
 周囲を見渡して、景色を全てその目に収め、理解へと変換。
 楓の中に生まれた不安、そんな幻は突如形を持って現れた。
 山をも溶かす蒼黒い水が山から噴き出し宙を舞っては流れ出る。
 その水を納めると共に濃いくまの刻まれた目は嫌な予感を感じ取った。
 そこにあるもの、流れて自然をも飲み込むそれは明らかに飲み込んだ物質相当の膨らみを持たない。
――もしかして、消し去っている
 もはや里香を救出するという段階ですらなかった。後ろへと、逃げの姿勢へと向き直り、その足を素早く動かしていく。
 根拠などなにひとつ無いただただ強く訴えかけてくる予感。粘り気と異臭に包まれた感情はあの破滅の水から逃れようと懸命に楓を逃げの道へと手招きしていた。

 それから世界がどのような運命を辿ったのか、楓に観測する権利など残されていなかった。


  ☆


 身体を起こし、大きな欠伸と共に朝日を飲み込む。
 昨日のアイドルのライブは全くもって楽しめなかった。好みで無いことは否定の余地の無い事実だったものの、それだけの理由では無かった。楓を呼び出して襲いかかってきた異能力者たちが休日という貴重な時間を、里香とふたりで楽しむ人生の邪魔を決行してしまったのだから。
 そんな想いをクシで髪とともにといて流してドアを開いた。
 外へと足を踏み出した途端、目の前に人の姿を認めた。
「何か用か、絵海」
 絵海はいつも通りの伸びきった服の袖に隠れた右手を楓に差し出して告げた。
「この日は二回目、ネクロスリップが起きた」
 楓は目を見開いた、その目には決して映らない出来事を見つめて歯を食いしばる。
――里香を死なせたくないんじゃなかったのか。なにやってるんだ、この前の今日の私
 想いは濃く、酷な色を身体中に塗り付ける。このままではもう一度里香を死なせてしまう。絵海が今ここにいる時点で既に学校になど行っている余裕は無いのだということ。
 これから出来ることなど言葉のひとつも無しに絵海の姿を追うだけだった。
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