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襲撃者の素性

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 マヤタによると、今回の襲撃者については組織の一員という様子ではなく、単独犯である可能性が高いという事だった。
 大修道院の中でも大神官に近い立場に居る神官等から、「今年生贄となった聖女が、大神官の本意に背く行為を行っている」と聞きつけた盲信者によって依頼された、暗殺者だという。

 今の人間の国内には、既に大修道院以外に組織と呼べるものは存在していない。
 太陽が奪われ本格的に魔族達が侵攻する以前には、冒険者ギルドや商人ギルドといった職業ごとの組織から、一般には知られていない闇の仕事を請け負う怪しい集団まで、国中に多数存在していたらしいが、それも絶えて久しい。

 もし、暗殺集団の様なものが独自に生き長らえていたとしても、今回の暗殺者はそこに所属している雰囲気ではなく、人間の世界が闇に覆われ崩壊を始めた事で、食うに困って何でも引き受けている、元冒険者のなれの果てといった所の様だ。

 実際、その旨の言質は取れたらしい。
 本人は雇われただけの様だし、その辺りは信用しても良さそうだという。
 ただ、城下を警備するマヤタの部下達の目をかいくぐって魔族の国に入り込んだ事や、魔王城から滅多に出る事のないナティスを、完璧なタイミングで正しく襲撃した手腕を見る限り、協力者の存在は完全に否定できない。

 例え元々の冒険者としての腕が良かったとしても、暗殺者として高度な隠匿等の訓練を受けてる様子はない。
 それに魔王城だけでなく城下でも、魔力がない人間が魔族の国に入り込んだ時点で、すぐに分かるようになっている程度の警戒は、魔族側が優位になった現在も行われている。

 特に城下で暮らす民達は、ティア襲撃事件の時に町に火を放たれた経緯もある。
 あの事件以後は、特に見知らぬ者に対しての警戒心を強く持っていた。

 いくら隠れる事が得意であったとしても、いつ魔王城から出て来るかわからないナティスを狙って長期滞在になればなる程、街中に紛れ続けるのは難しいはずだ。
 魔族達の目を上手くかいくぐって入国した上に、着いて数日も経たない内に、暗殺者にとってはタイミング良く、逆に言えばナティスにとっては悪く、ナティスが城下に出たという可能性もなくはない。
 だが、余りにもその計画は運任せ過ぎる。

 暗殺者本人は否定していたが、依頼者が計画を成功させる為に、実行を手助けをする者を用意していたか、他にも同じように暗殺者を雇って魔族側の目を分散させ、今回の襲撃者の運を上げる結果になった可能性は十分にあった。
 実際、警備の者や城下町の住人からの不審者の報告が、ここ最近多く上がって来ているという。

 すぐに対応はしていたらしいが、その数が多ければ多いほど、こぼれ落ちていた者が出てもおかしくはない。
 何より、依頼者が大修道院の関係者ではなく、ただの一信者であるという所が、今回の一番の懸念材料だという事だった。

 ナティスから見ると、大きな組織だったり、それこそ大修道院からの暗殺者ではなかった事は、良かったのではないかと思っていたのだけれど、逆に組織からの襲撃の方が今後の対策が容易だという。
 個々人からの手が容認されているとなると、今後もこういった暴走した信者による暗殺依頼がいつ起こるかわからず、そしてそれを阻止する手立てが対策し辛いらしい。

 そう言われてみると確かに、何処かの組織から放たれた刺客だったのならば、荒ぽっく言ってしまえばその組織を潰してしまえば終わりだ。
 けれど、個人がそれぞれ自分の考えで動いている結果が今回の襲撃だったとするならば、一件一件については簡単に捕まえられるし阻止は出来るが、元から止める手立てはほとんど無い。

 個人が動く原因、つまりは大修道院そのものを潰すだけでなく、尚且つ思想ごと変えてしまう程の対策を立てなければ、完全に襲撃を断つことは出来ないという事になる。
 逆を言えば、盲信者の暴走であるならば、大神官の考え方が変われば、自ずと思想も変わる可能性も高い。
 そうなれば防ぐことは出来るかもしれないけれど、それは物理的に大修道院を潰す事よりも、遙かに難しい事の様に思えた。

(あの大神官が、簡単に考えを改めるとは思えないもの……)

 ナティスとしては、大神官個人の考えは変えられなくとも、二年間の猶予の内に魔族と人間が手を取り合える一歩を踏み出すことが出来れば、多くの人々の気持ちが変わるきっかけになるかもしれないと思っていた。
 けれど、それは考えが甘かったという事だろうか。

 皆が皆、大神官や大修道院の言葉を盲信して、考えることを放棄してしまっているとは思いたくない。
 けれど、今の人間の国の状況下にあっては、縋れるものには縋りたい気持ちもわからなくはなかった。

 ナティスが生贄として魔王城に来て、たった数ヶ月。
 それなのに、一信者の判断で暗殺者を送り込まれるような事態になっているという事は、どこからかあの出立前の大神官とナティスの取引まがいの会話が、漏れた可能性が大きい。

 魔族の言葉がわかる事は口にしなかったけれど、匂わせて大神官を脅すような台詞を使い、ナティスが二年という猶予を勝ち取ったのは確かだ。
 大神官自身は、ただの小娘の言う事だと大きくは受け止めていない様だったし、余裕もあったのか出来るものならやってみろという尊大な態度でしかなかったけれど、大神官に無礼な態度を取っていたのは間違いない。
 もし、誰かに聞かれていたのだとしたら、叛意があると取られていてもおかしくなかった。

 実際、今も尚ナティスは大神官の考え方に、ひとつも賛同出来ないでいる。
 だがあの大神官が、自分の野望を誰かに聞かれるようなミスをするとは、余り考えられなかった。
 あくまで個人の意見ではなく、神からの言葉を代弁し人々を導く者だという、分厚い面の皮を被っていたし、それが完璧に演じられていたからこそ、今の地位があると本人が自覚しているからだ。

 例え本意を漏らすことがあったのだとしても、それは自分の信頼が置ける僅かな人数の部下だけに留めておく様に、細心の注意を払う人物だと思う。
 ナティスに対して胸の内の一部分を話したのは、ナティスが生贄として魔王の元へ捧げられる者、つまり二度と生きて人間の国の地を踏むことがない者だと判断されたからに他ならない。

 いくら大神官が本当に、ナティスの事を邪魔だと思っていたとしても、まだ聖女として魔王の生贄にされてそう時も経っていないし、今は魔族達の攻撃の手も止んでいるはずだ。
 ある意味大神官の言う神のお告げ通りに、聖女を魔王に捧げた事で、一時的な平和が保たれている形が出来ている今のタイミングで、大神官が「あの聖女は偽物だ」とか「人間にとって害を及ぼす存在である」とか、そんな事を言うだろうか。

 それに魔族の国へ入り込んで襲撃するという、失敗すれば戦争にもなりかねない大きな決断を、個人の判断に任せて放置するとは考えにくい。
 しかも失敗の恐れが高く、すぐに足のつきそうな計画だ。
 そんな安直に、魔族の国に危害を与える方法を実行に移す事を、あの大神官が知っていて野放しにするはずがなかった。

 もしかすると魔族の襲撃とは別に、大修道院内の統率が崩れる程の事態が、人間の国で起こっている可能性も十分にある。
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