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名前を呼んで答え合わせを
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「……名前を、呼んで欲しい」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉を聞き返すと、ロイトは片膝をついたまま、まるで物語に出て来る王子様の様に手の甲にキスを落として、それからナティスへ真っ直ぐ視線を向けた。
「改めて自己紹介をしよう。俺の名は、ロイト・ヴィリーヴァ。今はこの魔族の国を統括する立場にいる、人間が魔王と呼んでいる存在だ」
「……魔王、ロイト・ヴィリーヴァ様」
自己紹介を受け、ナティスはようやく自分の意思でもって、きちんとロイトの名前を呼ぶ事が許された。
するとロイトは、この上なく嬉しそうにふわりと笑って、そして同時にその表情に暗い影も落とした。
「今まで、ナティスに名前さえ告げていなかったと思うと、本当に何をしているんだと、自分を殴りたくなる」
「や、止めて下さいね?」
「わかってる」
心配するナティスに、冗談だと笑うロイトの目は、本気ではないかと疑ってしまう程に真剣だ。
ロイトがどうして、頑なに名前を明かさなかったのか。
それはティアを失った悲しみから、これ以上誰かと深く関わる事を嫌厭したからだと、ナティスにはわかっている。
大切な人を、守るべき人を増やして、傷付くのを恐れた。
名乗らなかったのは、今現在ロイトの周りに居る身近な存在以外に、深入りする人物をこれ以上増やすつもりはないという、決意の表れだったのだろう。
ロイトにそうさせてしまったのは、心に深い傷を負わせたティアだ。
だから、ロイトが気にする事はないのだけれど、どうやらそれでは気が済まないらしい。
「様は、要らない……その理由の答え合わせを、してくれるだろうか?」
きっともう、答えは完全にわかっているのだろう。
それでも、ナティスの口から真実の全てを聞きたいと望む、懇願にも似た不安そうなロイトの表情は、見慣れなくて新鮮だ。
(もう、何も隠す必要はないのね)
そう確信して、ナティスはこくりと頷いた。
じっと黙ってナティスの言葉を待っているロイトを、今度はナティスが抱きしめたくなってしまう。
だが今そうしてしまうと、会話が有耶無耶になってしまいそうで、何とかその欲を抑えるように、ぎゅっとロイトの手を握り返し、ゆっくりと立ち上がる。
すると、片膝をついたままの体勢だったロイトも、導かれるまま続いてくれた。
魔王城の屋上、空に輝く月と星、小さなテーブルに用意されたティーセット、そして二人きりの時間。
ティアとロイトが、共に長く時間を過ごした思い出の場所に、ナティスとしてこうして立っていられるのが、今でも信じられない。
けれどそれが夢や幻ではないと示す様に、しっかりと握られた手は温かく、そして力強い。
「今の私は聖女でもなく、魔力も持たない、ただの平凡な人間です」
「うん」
「けれど、生まれた時からずっとこの胸の中にある前世の記憶は、私が過去に「聖女ティア」として生きていた事を示していました。生贄として魔王様の元へ遣わされ……そして愛する大切な人に出会った日のことを、昨日の事の様に覚えています」
「……うん」
ナティスの言葉の狭間に、それを噛み締めるように小さく頷くロイトは、何だか暗闇の中に一人取り残された子供の様で、握り合っている両手に少しだけ力を込める。
そしてナティスは、大きく息を吸い込んだ。
「生まれた時から、前世の記憶を抱えて生きて来ましたから、全く無関係とは言えないでしょう。それでも今の私はティアではなく、ナティスという別の人間です。でも今だけは……ティアとして言わせて下さい。一人にしてしまってごめんなさい。またお会いできて、とても嬉しいです。ロイト」
「俺も、また会えて……嬉しい」
今この時だけはと決意して、ティアとして名前を呼んだ瞬間、ロイトの頬に一筋の涙が流れた。
先程ナティスが名前を呼んだ時とは全く違う反応に、胸がズキリと少し痛む。
ティアとナティスは髪色こそ同じだが、姿形は全く似ても似つかない。
共通点があまりに少なくて、同一人物だと信じるのは、正直難しいと思う。
けれどそれでも、ロイトはそれを疑ってくれていた。ほんの僅かなティアの欠片を、ナティスの中に見出していてくれた。
ティアの視点からみれば、愛されていると自惚れても良い状況であると言える。
その喜びとは裏腹に、ナティスからすると今の自分を見て貰えていない様で、少し複雑な気持ちもある。
けれど、ロイトが再び瞳に光を灯し、嬉しそうに笑ってくれる未来があるなら、今はそれでいい。
目の前に居るナティスが、愛するティアなのだと、ロイトの中でようやく完全に重なった様だ。
ロイトはこれまでどれだけの時間、愛する人を失った悲しみと孤独に、耐え続けてきたのだろう。
ティアはどれだけ深く、ロイトの心を傷付けてしまったのだろう。
先程とは逆に、今度はナティスがロイトの目尻を指で拭う。
「人間を世界ごと滅ぼそうと考えてしまう程、愛して下さってありがとうございます。でももう、いいんです。これ以上自分を傷付けるのは止めて、前へ進んで下さい……ティアの為にも」
「ティアの、為?」
本当はロイトが一番、魔族と人間が手を取り合う未来を望んでいた事を、ナティスは知っている。
その為に、沢山の努力を続けてきた事も。
そのロイトの夢を壊してしまったのは、応援していたはずのティア自身だ。
苦労を背負い、若くして魔王という座にまで辿り着き、ようやく見え始めていたロイトの描いていた未来を、全部真っ黒に染めてしまった。
そしてロイトは、今までの努力を全部捨てて、望みとは真逆に舵を切った。
描いた未来を捨てる選択を惜しまない、それ程までに愛してくれていた事は、正直嬉しい所もある。
けれどティアは、愛する人が自身でさえ気付かない内に、人知れず傷付き続ける明日を、絶対に望んではいない。
自分を見失うことなく、ロイトがロイトらしく、人間と魔族の橋渡しになれる新しい魔王を目指してくれる事こそが、ティアの心からの望みだったとナティスは誰よりも知っている。
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉を聞き返すと、ロイトは片膝をついたまま、まるで物語に出て来る王子様の様に手の甲にキスを落として、それからナティスへ真っ直ぐ視線を向けた。
「改めて自己紹介をしよう。俺の名は、ロイト・ヴィリーヴァ。今はこの魔族の国を統括する立場にいる、人間が魔王と呼んでいる存在だ」
「……魔王、ロイト・ヴィリーヴァ様」
自己紹介を受け、ナティスはようやく自分の意思でもって、きちんとロイトの名前を呼ぶ事が許された。
するとロイトは、この上なく嬉しそうにふわりと笑って、そして同時にその表情に暗い影も落とした。
「今まで、ナティスに名前さえ告げていなかったと思うと、本当に何をしているんだと、自分を殴りたくなる」
「や、止めて下さいね?」
「わかってる」
心配するナティスに、冗談だと笑うロイトの目は、本気ではないかと疑ってしまう程に真剣だ。
ロイトがどうして、頑なに名前を明かさなかったのか。
それはティアを失った悲しみから、これ以上誰かと深く関わる事を嫌厭したからだと、ナティスにはわかっている。
大切な人を、守るべき人を増やして、傷付くのを恐れた。
名乗らなかったのは、今現在ロイトの周りに居る身近な存在以外に、深入りする人物をこれ以上増やすつもりはないという、決意の表れだったのだろう。
ロイトにそうさせてしまったのは、心に深い傷を負わせたティアだ。
だから、ロイトが気にする事はないのだけれど、どうやらそれでは気が済まないらしい。
「様は、要らない……その理由の答え合わせを、してくれるだろうか?」
きっともう、答えは完全にわかっているのだろう。
それでも、ナティスの口から真実の全てを聞きたいと望む、懇願にも似た不安そうなロイトの表情は、見慣れなくて新鮮だ。
(もう、何も隠す必要はないのね)
そう確信して、ナティスはこくりと頷いた。
じっと黙ってナティスの言葉を待っているロイトを、今度はナティスが抱きしめたくなってしまう。
だが今そうしてしまうと、会話が有耶無耶になってしまいそうで、何とかその欲を抑えるように、ぎゅっとロイトの手を握り返し、ゆっくりと立ち上がる。
すると、片膝をついたままの体勢だったロイトも、導かれるまま続いてくれた。
魔王城の屋上、空に輝く月と星、小さなテーブルに用意されたティーセット、そして二人きりの時間。
ティアとロイトが、共に長く時間を過ごした思い出の場所に、ナティスとしてこうして立っていられるのが、今でも信じられない。
けれどそれが夢や幻ではないと示す様に、しっかりと握られた手は温かく、そして力強い。
「今の私は聖女でもなく、魔力も持たない、ただの平凡な人間です」
「うん」
「けれど、生まれた時からずっとこの胸の中にある前世の記憶は、私が過去に「聖女ティア」として生きていた事を示していました。生贄として魔王様の元へ遣わされ……そして愛する大切な人に出会った日のことを、昨日の事の様に覚えています」
「……うん」
ナティスの言葉の狭間に、それを噛み締めるように小さく頷くロイトは、何だか暗闇の中に一人取り残された子供の様で、握り合っている両手に少しだけ力を込める。
そしてナティスは、大きく息を吸い込んだ。
「生まれた時から、前世の記憶を抱えて生きて来ましたから、全く無関係とは言えないでしょう。それでも今の私はティアではなく、ナティスという別の人間です。でも今だけは……ティアとして言わせて下さい。一人にしてしまってごめんなさい。またお会いできて、とても嬉しいです。ロイト」
「俺も、また会えて……嬉しい」
今この時だけはと決意して、ティアとして名前を呼んだ瞬間、ロイトの頬に一筋の涙が流れた。
先程ナティスが名前を呼んだ時とは全く違う反応に、胸がズキリと少し痛む。
ティアとナティスは髪色こそ同じだが、姿形は全く似ても似つかない。
共通点があまりに少なくて、同一人物だと信じるのは、正直難しいと思う。
けれどそれでも、ロイトはそれを疑ってくれていた。ほんの僅かなティアの欠片を、ナティスの中に見出していてくれた。
ティアの視点からみれば、愛されていると自惚れても良い状況であると言える。
その喜びとは裏腹に、ナティスからすると今の自分を見て貰えていない様で、少し複雑な気持ちもある。
けれど、ロイトが再び瞳に光を灯し、嬉しそうに笑ってくれる未来があるなら、今はそれでいい。
目の前に居るナティスが、愛するティアなのだと、ロイトの中でようやく完全に重なった様だ。
ロイトはこれまでどれだけの時間、愛する人を失った悲しみと孤独に、耐え続けてきたのだろう。
ティアはどれだけ深く、ロイトの心を傷付けてしまったのだろう。
先程とは逆に、今度はナティスがロイトの目尻を指で拭う。
「人間を世界ごと滅ぼそうと考えてしまう程、愛して下さってありがとうございます。でももう、いいんです。これ以上自分を傷付けるのは止めて、前へ進んで下さい……ティアの為にも」
「ティアの、為?」
本当はロイトが一番、魔族と人間が手を取り合う未来を望んでいた事を、ナティスは知っている。
その為に、沢山の努力を続けてきた事も。
そのロイトの夢を壊してしまったのは、応援していたはずのティア自身だ。
苦労を背負い、若くして魔王という座にまで辿り着き、ようやく見え始めていたロイトの描いていた未来を、全部真っ黒に染めてしまった。
そしてロイトは、今までの努力を全部捨てて、望みとは真逆に舵を切った。
描いた未来を捨てる選択を惜しまない、それ程までに愛してくれていた事は、正直嬉しい所もある。
けれどティアは、愛する人が自身でさえ気付かない内に、人知れず傷付き続ける明日を、絶対に望んではいない。
自分を見失うことなく、ロイトがロイトらしく、人間と魔族の橋渡しになれる新しい魔王を目指してくれる事こそが、ティアの心からの望みだったとナティスは誰よりも知っている。
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