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これから先を、愛する人と
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「どうして、もっと早く言って下さらなかったのですか」
拗ねた様な口調になってしまうのは、許して頂きたい。
確かに急に「実はこうなんだ」といわれても、「はい、そうですか」と受け入れられたかどうかは怪しい。
マルガリータは王家と関わりのある環境で育ったわけではないし、これからもそうだと思っていたのだから、突然全てを打ち明けられても、きっと冗談だと笑って終わっただろう。
正直、怒濤の様に襲ってくる訳のわからない状況の中だから、勢いで飲み込めているところが大きい。
ただ素直に「そうだったんですか」と納得してしまうのは、全く気づけなかったのを認める様で悔しいだけだ。
ぷく、と子供の様に頬を膨らませて拗ねてみせるマルガリータの頭に、ディアンがぽんと大きな掌を乗せてゆっくりと撫でる。
ハーブ園でも良くされたディアンのこの癖は、幼い頃まだハーブを良い香りのする草としか言えなくて、皆に上手く説明も出来ず「ただの雑草を大事にするなんて」と言われてしょげていた時に、オブシディアンがしてくれた慰め方と同じだった。
そんな些細な共通点から、同一人物だと推理する事は難し過ぎるとは思うけれど、わかってしまえば簡単に二人は重なる。
「本当はマルガリータを連れ出したあの湖で、全て話すつもりだったんだ。そして歪に結んでしまった関係を、元に戻したいと思っていた」
少しでも屋敷の使用人達の役に立ちたくて、苗の仕入れに同行させて貰えたのをただ喜んでいたけれど、実際は外出自体がマルガリータの為の気分転換であると同時に、奴隷としての生活からも救おうとしてくれていたという事か。
「私はずっと、守られていたんですね」
「いや、俺はいつも大事なところでマルガリータを守れていない。今回だって俺が連れ出したせいで、危険な目に遭わせてしまった」
忌々しげな表情でため息をつくディアンは、マルガリータが怪我をした責任を強く感じているようだ。
マルガリータとしては、確かに湖でアンバーとインカローズに出会ってしまったのは不幸な事だったと思ってはいるけれど、連れ出して貰えたことや馬に乗せて貰った事、綺麗な場所を見せて貰った事等、良いことの方が多かったと感じている。
それにいくら仲が良くなくても、兄弟で傷付け合うべきではないという考えは変わらない。
マルガリータは、自分の取った行動に後悔はなかった。
もちろんアンバーには、次期国王の自覚を持って、もっと広い視野を持って貰いたいし、いくら奴隷相手だろうと一方的に理不尽な剣を向けた事に対しては、大いに反省して欲しい所だけれど。
これを機に、目を覚ましてくれたならそれでいいと思う。
覚ましてくれることを、祈るしかない。
「私はこうして無事だったのですから、ディアンがこれ以上気にすることは何もありません」
「無事なものか! 処置が上手くいかなかったら……俺の魔力との相性が悪かったら……マルガリータは死んでしまっていたかもしれない」
「でも私は今、生きていますよ。ディアンのおかげで」
「だが、そもそも俺が……」
繰り返される、ディアンの後悔。
ディアンのせいでは決してないのだと、マルガリータが何度伝えても上手く伝わらない。
ずっと親からも兄弟からも、髪や瞳が黒いという理由だけで理不尽に疎まれて生きてきたのだとしたら、どんなに強くあろうとしても、根底に負の感情が根付いてしまっていても可笑しくはない。
それがマルガリータという大切に想う人を、危険にさらしてしまったという事実を前に、大きく膨らんでしまったとしたら、いくら言葉を尽くしても納得はなかなか出来るものではないのだろう。
(これは、そう簡単に解決しないやつね。それなら……)
「でもこれからは、私が穏やかに生きていけるように、ディアンが守ってくれるというお話ではないのですか?」
後ろばかり振り返っているディアンに前を向いて貰おうと、言い方を変えてふわりと笑ってみせる。
ディアンはマルガリータの問いかけに虚を突かれた様な顔をして、そして「参った」という様に笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「もちろんだ。もう二度と傷付けないし、傷付けさせない。俺はマルガリータを、一番近くで守る権利が欲しい」
「それでお父様に、突然あのようなことを仰ったのですね」
「突然ではないんだ。実は昔にも、一度同じ事を願い出た事がある。その時も、にべもなく断られてしまったのだが……俺は何か、オーゼンハイム卿に嫌われる事でもしてしまったのだろうか」
どうやら父親が昔笑顔で「断っておいたよ」と言っていた王子との婚約話の相手というのは、ディアンで間違いなかったらしい。
(あの時は、王子様なんて関わりの無い人だと思っていたし、王妃候補なんて絶対にご免だったから、お父様グッジョブ! という気持ちしかなかったのだけれど……。ここで邪魔されていなければ、もしかしなくても私の初恋は早々に叶っていたのでは?)
マルガリータがオブシディアンの事をちゃんと知ろうとしなかった事や、あの頃のオブシディアンが何も教えてくれなかった事が大きな原因なので自業自得とは言え、頭に浮かぶ父親の爽やかな笑顔が、今はちょっと憎たらしい。
けれどディアンが、あの幼いマルガリータとの交流をきっかけに、婚約の意思を持っていてくれた事は素直に嬉しかった。
それに、まず父親に話を通そうとしたその行動は、貴族ならば本来間違いではない。
「ディアンの行動は、貴族に対するものとしては何一つ間違ってはいません。むしろ普通なら、好ましいものであったはずです。ただ……我が家は少し、事情が違っているのです」
「オーゼンハイム伯爵家だけの、特殊な事情が?」
「そんなに、大した話ではないのですけれど……。ディアンは私の両親が結婚した際の事情を、ご存じですか?」
「あぁ。詳しいことまでは知らないが……貴族の跡継ぎの結婚では規格外の身分差を超えた大恋愛の末、反対した親族全てを力尽くで黙らせた実力派だと、当時噂になっていたと聞いている」
「はい、大体そんな感じの認識であっております」
元々オーゼンハイム伯爵家は、良くある名ばかりの貧乏貴族の一つだった。
一人息子で嫡男だった父親は、若い頃に僅かばかりの領地を見学に訪れたある村で、母親を見初めたのだ。
一目惚れした父親は、畑仕事をする母親を手伝いながら猛アタックを続け、ようやく頷いた母親を連れて帰ったが、伯爵家の跡継ぎと村娘との結婚を賛成してくれる者はいなかった。
親や全親族達に反対され、「どうしてもと言うなら、愛人にでもするといい」と言い放った冷たい言葉の数々に、身を引こうとした母親を追いかけて、父親は一度家を捨てたという。
一人息子が突然出奔し慌てふためく親族達を尻目に、当時の王子で今のジェムスト国王と親しくなったり、母親の生まれ故郷である小さな村に住み着いて人々を貧困から救ったり、結構な大暴れっぷりだったらしい。
父親を主人公にした、壮大な冒険物語が平民の間で流行る活躍を見せた末、結婚を反対した親族達に懇願される形でオーゼンハイム伯爵家に戻って、家を継いだという経緯がある。
(大好きだった物語の主人公が、お父様をモデルにしたものだったと知った時の驚きは、今でも忘れられないわ……)
そんな両親だったので、貴族としての常識が通じない事柄がままある。
それで成功しているところも大きいので、面と向かって文句を言える者は居ないし、王とも懇意な父親を下手につついて立場を悪くするかもしれないという選択する者も居ない。
そしてその一番が、恋愛事に対するものであることは、仕方ないとも言えた。
「オーゼンハイム卿の手腕には、感心させられる事も多い。今更身分差について何かを言う者がいたとしても、それはただの妬みややっかみのようなもので、ご本人も気にしておられないと思うが……」
父親は自分が苦労したから子供にそうあって欲しくないと、厳しく相手を選んでいるのかもしれないとディアンは考えたらしい。
それは半分正解だけれど、半分間違いだ。
「確かにお父様は、周りの口さがない言葉に左右される方ではございません。だからこそ、子供である私たちにも、自由な恋愛を推奨しておられるのです」
「自由な恋愛?」
「現に、跡継ぎであるお兄様の婚約者は、学園に通っていらした時にお付き合いを始めた元クラスメートの令嬢で、幼い頃からの親に決められた相手ではありませんし」
両親のように身分差にならなかったのはただの偶然で、ほとんど決まった相手の居る学園内でフリーの相手に巡り会った兄は、運が良いとしか言えない。
それでも色々と噂になっていた様なので、マルガリータの知らない複雑な事情があるような気もするけれど、本人達の気持ちに揺るぎが無いことを両親に示したらしく、大きな反対はされていなかった。
オーゼンハイム伯爵家において、結婚相手として相応しいかどうかを判断する基準というのは、つまりはそういう事だ。
本人達の気持ちさえしっかりとしているならば、多少のいや多少ではない障害でも問題にはならない事を、両親が誰よりも知っているのだから。
(この世界において、こんな考えの親の元に生まれた事は、本当に幸せだったわ……真奈美の記憶を取り戻した私にとっては、特に)
逆に言うと相手くらい自分で探せ、とほったらかしにされるという事でもあるので、実はハードルが高くもあるのだけれど。
「身分や権力を重視しないというのなら、どうして俺では駄目なんだろう……」
「ディアンが駄目なのではありません。順番を、間違えているだけですよ」
人間的に嫌われてしまっているのかと頭を抱えるディアンに、マルガリータはヒントを出す。
情報過多気味で、混乱しかなかった最初と違い、ディアンと話をしているうちに段々と状況が整理できてきて、ようやくディアンがマルガリータをこれから先もずっと想ってくれる人なのだと、確信を持てた。
ディアンと、こうしてゆっくり二人で話す時間はとても落ち着く。
そして何より、それを嬉しく思う自分の気持ちに気付いた。
元々、幼いマルガリータはオブシディアンの事が大好きだったし、奴隷のマルガリータは庭師のディアンと一緒に居ると安心出来た。
昔からずっと傍に居て楽しい人は一緒だったという事なのだから、疑問が解かれた以上、思い悩むことは何もない。
「順番?」
「オーゼンハイム伯爵家において、生涯の相手を決めるのは親ではなく、本人同士の気持ち次第なのです」
だから、まず最初に許可を取るべきは、気持ちを伝え受け入れて貰えるかを確かめるべきは、当主である父親ではない。
マルガリータの言葉の意味は、最後まで口にしなくてもどうやら伝わったらしい。
「そうだったのか……ならば、オーゼンハイム卿に断られても仕方ないね。確かに、それが本来の形であるべきだ」
「そう理解して下さる方は、稀ですよ」
肩をすくめて笑うディアンに、くすりと笑みを返す。
それを合図に、隣で胡座をかいていたディアンが一度立ち上がり、姿勢を正してマルガリータの正面に跪いた。
マルガリータの左手を壊れ物を触るようにそっと取って、ディアンは真剣な表情で真っ直ぐ見つめ、口を開く。
「マルガリータ・フォン・オーゼンハイム嬢、どうか私とこの先の人生を、一緒に歩んではくれませんか?」
「今の私は、伯爵令嬢ではありません。オブシディアン殿下の奴隷なのですから、こんな回りくどいことをせずとも、ご命令なさっては?」
王子然として真摯な言葉をくれたディアンに、伯爵令嬢ではないマルガリータは返事をもたない。
ディアンの望むオーゼンハイム伯爵令嬢は、もうこの世に存在しないから。
それでは駄目だときっぱりと断ると、ディアンは驚いた様に目を見開いて悲しそうに俯く。
そして、何かを決意したように息を吐いてから真剣な顔で顔を上げ、大きく首を横に振った。
「俺は、マルガリータを奴隷だと思った事は一度も無い。あの時は助け出す方法が他になく、契約を交わす羽目になってしまったが、マルガリータに下された理不尽な命は、既に撤回されている」
「え……?」
どうやらマルガリータがあの屋敷で奴隷らしくないのんびりとした生活を送っていた間に、ディアンは色々と動いてくれていたらしい。
黒仮面の男には避けられていると思っていたのだけれど、実際は毎日のように朝食後から昼間まで、庭師のディアンとしてハーブの世話をしながらマルガリータと話をしてくれていた。
ディアンはその後の時間を使って、立場としては軟禁状態であるはずだから動き回るのは難しかっただろうに、マルガリータを本来なら一度堕ちたら二度と抜け出せないはずの場所から救い出すべく、動いてくれていたという事だ。
忙しいのは、当たり前だった。
しかもその命令は、王位継承権を持つアンバーが下したものだったのだから、簡単に撤回できるはずもない。
避けられるどころか、もの凄く気に留めて貰っていたのだ。
「時間がかかってしまって、申し訳なかった。あの湖で話したかった一番の内容は、俺の正体云々よりもマルガリータがもう自由だという事だったんだ」
「交わした奴隷契約は?」
「あんなもの、契約書を燃やしてしまえば済む事だ。それにもう、マルガリータの肌に刻まれた、あの忌々しい奴隷紋は消えているだろう?」
視線が胸元に下り、そこに奴隷紋どころか何の跡もない事を、ディアンが確認しながら問いかける。
マルガリータも同じように視線を落とすが、やはりそこには何もない。
「でも、どうして……」
「俺があの奴隷商人に、奴隷紋を消す方法を尋ねたのは覚えている?」
「はい。でもあの商人の口振りから、とても消せるようなものでは無いと思っていました」
「それは俺もだ。だから俺は契約書を破棄した後、マルガリータに奴隷紋が残っていたとしても構わないと思っていた。仕方なかったとは言え、そこに魔力を込めて紋を刻み大事な身体を傷付けたのは俺なのだし、一生背負うつもりでいた。その位、奴隷紋を消すための条件は厳しいものだったし、起こってはいけない事だったから」
「起こっては、いけない事?」
「契約書には、こう書いてあったんだ『主が奴隷紋を消したいと望み、奴隷が主を唯一と認め、その身体を以って命がけで主を守った場合のみ、既に契約を以って関係を縛る必要は無いと認め、刻まれた奴隷紋を身体から消す事が出来る』と」
ディアンをアンバーの剣から守って倒れた時に、胸元が熱を持ったことを思い出す。
ディアンが治療のために魔力を注いだ事から起きた変化だと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
それが、奴隷紋が消える合図だったのだろう。
あの時は夢中で、唯一と認めるとかそんな難しく考えたりはしていなかった。
勝手に身体が動いてしまっただけなのだけど、あの時に条件が満たされたという事か。
今は消えて跡形もない胸元にそっと手を当てると、何も無いはずのそこが温かい様な気がした。
「私はちゃんと、ディアンを守れたと言う事ですね」
奴隷紋が消えたと言うことは、マルガリータの気持ちだけでは無く、ディアンが心から奴隷紋を消したいと願ってくれていたのに他ならず、マルガリータは奴隷紋が消えた事よりも、そんな優しいディアンを自身が守れた事の方が誇らしい。
伯爵令嬢だった頃は、ただ守って貰うだけで嬉しいと思ったかもしれないけれど、奴隷になって真奈美の記憶を取り戻した今となっては、好きな人とは一方的に守られるばかりではなく対等でいたい。
だがディアンからすれば、守りたいと思っていたマルガリータ本人に命を賭して守られた事は、例え本当の意味で奴隷から解放される事になったのだとしても、複雑な思いであるらしい。
「マルガリータを守る役目が欲しいのに、逆に守られたなんて情けないにも程があるけど」
「あら。では先程下さった言葉は、撤回ですか?」
「まさか! いやでもそうだな……やはり、撤回させてくれ」
「え?」
マルガリータには、もう既にプロポーズを断る選択肢がなくなってしまっていた。
だからこそディアンが本格的に落ち込んでしまう前に、少しからかって気分を戻してあげようとした言葉だったのに、そのまま受け入れられてしまって驚く。
思わず不安な表情で見上げると、ディアンが柔らかく笑って、ずっと包み込んでいたマルガリータの左手をぎゅっと力強く握った。
「形式張った言葉を使って、何の力も無い名前だけの王子という身分に頼った私が、伯爵令嬢へ伝えるプロポーズなんて何の意味も無かった」
「ディアン……」
「俺はただのディアンとして、マリーという小さな女の子に出会って、その笑顔と言葉に救われて……愛したんだから。マルガリータが貴族だろうが平民だろうが、例え出会った時から奴隷だったとしても関係ない。これからは俺が、マルガリータを守りたい。一生大切にする。マルガリータいやマリー、俺と結婚して下さい」
「…………はい、喜んで」
真っ直ぐで、飾り気のない言葉。
一人称が「私」ではなく「俺」なのも、「マルガリータ」を「マリー」と愛おしそうに呼んだのも、きっと第一王子としてでは無く、ただのディアンとしての言葉だったから。
心から想ってくれていると、ちゃんと自分の言葉で伝えてくれたから、今度はマルガリータも素直に頷いた。
幼い頃の初恋の相手だと知らなくても、王子だと知らなくても、命がけで守りたいと思える位に、マルガリータは今のディアンを好きになっていた。
そしてディアンも、身分など関係なくただのマルガリータが良いと言ってくれたのだから、断る理由はもうない。
マルガリータを包み込んでいたディアンの手を、反対側の手で更に包み込んでふわりと笑う。
伸びてきたディアンのもう片方の手はマルガリータの肩へ回り、引き寄せられた身体がディアンの胸の中にぽすんと落ちた。
ぎゅっと大事に抱き込まれる形になって、マルガリータが大人しくその身を委ねていると、吐息と共に「ありがとう」とまるで泣き出しそうな震える声が、耳をくすぐった。
拗ねた様な口調になってしまうのは、許して頂きたい。
確かに急に「実はこうなんだ」といわれても、「はい、そうですか」と受け入れられたかどうかは怪しい。
マルガリータは王家と関わりのある環境で育ったわけではないし、これからもそうだと思っていたのだから、突然全てを打ち明けられても、きっと冗談だと笑って終わっただろう。
正直、怒濤の様に襲ってくる訳のわからない状況の中だから、勢いで飲み込めているところが大きい。
ただ素直に「そうだったんですか」と納得してしまうのは、全く気づけなかったのを認める様で悔しいだけだ。
ぷく、と子供の様に頬を膨らませて拗ねてみせるマルガリータの頭に、ディアンがぽんと大きな掌を乗せてゆっくりと撫でる。
ハーブ園でも良くされたディアンのこの癖は、幼い頃まだハーブを良い香りのする草としか言えなくて、皆に上手く説明も出来ず「ただの雑草を大事にするなんて」と言われてしょげていた時に、オブシディアンがしてくれた慰め方と同じだった。
そんな些細な共通点から、同一人物だと推理する事は難し過ぎるとは思うけれど、わかってしまえば簡単に二人は重なる。
「本当はマルガリータを連れ出したあの湖で、全て話すつもりだったんだ。そして歪に結んでしまった関係を、元に戻したいと思っていた」
少しでも屋敷の使用人達の役に立ちたくて、苗の仕入れに同行させて貰えたのをただ喜んでいたけれど、実際は外出自体がマルガリータの為の気分転換であると同時に、奴隷としての生活からも救おうとしてくれていたという事か。
「私はずっと、守られていたんですね」
「いや、俺はいつも大事なところでマルガリータを守れていない。今回だって俺が連れ出したせいで、危険な目に遭わせてしまった」
忌々しげな表情でため息をつくディアンは、マルガリータが怪我をした責任を強く感じているようだ。
マルガリータとしては、確かに湖でアンバーとインカローズに出会ってしまったのは不幸な事だったと思ってはいるけれど、連れ出して貰えたことや馬に乗せて貰った事、綺麗な場所を見せて貰った事等、良いことの方が多かったと感じている。
それにいくら仲が良くなくても、兄弟で傷付け合うべきではないという考えは変わらない。
マルガリータは、自分の取った行動に後悔はなかった。
もちろんアンバーには、次期国王の自覚を持って、もっと広い視野を持って貰いたいし、いくら奴隷相手だろうと一方的に理不尽な剣を向けた事に対しては、大いに反省して欲しい所だけれど。
これを機に、目を覚ましてくれたならそれでいいと思う。
覚ましてくれることを、祈るしかない。
「私はこうして無事だったのですから、ディアンがこれ以上気にすることは何もありません」
「無事なものか! 処置が上手くいかなかったら……俺の魔力との相性が悪かったら……マルガリータは死んでしまっていたかもしれない」
「でも私は今、生きていますよ。ディアンのおかげで」
「だが、そもそも俺が……」
繰り返される、ディアンの後悔。
ディアンのせいでは決してないのだと、マルガリータが何度伝えても上手く伝わらない。
ずっと親からも兄弟からも、髪や瞳が黒いという理由だけで理不尽に疎まれて生きてきたのだとしたら、どんなに強くあろうとしても、根底に負の感情が根付いてしまっていても可笑しくはない。
それがマルガリータという大切に想う人を、危険にさらしてしまったという事実を前に、大きく膨らんでしまったとしたら、いくら言葉を尽くしても納得はなかなか出来るものではないのだろう。
(これは、そう簡単に解決しないやつね。それなら……)
「でもこれからは、私が穏やかに生きていけるように、ディアンが守ってくれるというお話ではないのですか?」
後ろばかり振り返っているディアンに前を向いて貰おうと、言い方を変えてふわりと笑ってみせる。
ディアンはマルガリータの問いかけに虚を突かれた様な顔をして、そして「参った」という様に笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「もちろんだ。もう二度と傷付けないし、傷付けさせない。俺はマルガリータを、一番近くで守る権利が欲しい」
「それでお父様に、突然あのようなことを仰ったのですね」
「突然ではないんだ。実は昔にも、一度同じ事を願い出た事がある。その時も、にべもなく断られてしまったのだが……俺は何か、オーゼンハイム卿に嫌われる事でもしてしまったのだろうか」
どうやら父親が昔笑顔で「断っておいたよ」と言っていた王子との婚約話の相手というのは、ディアンで間違いなかったらしい。
(あの時は、王子様なんて関わりの無い人だと思っていたし、王妃候補なんて絶対にご免だったから、お父様グッジョブ! という気持ちしかなかったのだけれど……。ここで邪魔されていなければ、もしかしなくても私の初恋は早々に叶っていたのでは?)
マルガリータがオブシディアンの事をちゃんと知ろうとしなかった事や、あの頃のオブシディアンが何も教えてくれなかった事が大きな原因なので自業自得とは言え、頭に浮かぶ父親の爽やかな笑顔が、今はちょっと憎たらしい。
けれどディアンが、あの幼いマルガリータとの交流をきっかけに、婚約の意思を持っていてくれた事は素直に嬉しかった。
それに、まず父親に話を通そうとしたその行動は、貴族ならば本来間違いではない。
「ディアンの行動は、貴族に対するものとしては何一つ間違ってはいません。むしろ普通なら、好ましいものであったはずです。ただ……我が家は少し、事情が違っているのです」
「オーゼンハイム伯爵家だけの、特殊な事情が?」
「そんなに、大した話ではないのですけれど……。ディアンは私の両親が結婚した際の事情を、ご存じですか?」
「あぁ。詳しいことまでは知らないが……貴族の跡継ぎの結婚では規格外の身分差を超えた大恋愛の末、反対した親族全てを力尽くで黙らせた実力派だと、当時噂になっていたと聞いている」
「はい、大体そんな感じの認識であっております」
元々オーゼンハイム伯爵家は、良くある名ばかりの貧乏貴族の一つだった。
一人息子で嫡男だった父親は、若い頃に僅かばかりの領地を見学に訪れたある村で、母親を見初めたのだ。
一目惚れした父親は、畑仕事をする母親を手伝いながら猛アタックを続け、ようやく頷いた母親を連れて帰ったが、伯爵家の跡継ぎと村娘との結婚を賛成してくれる者はいなかった。
親や全親族達に反対され、「どうしてもと言うなら、愛人にでもするといい」と言い放った冷たい言葉の数々に、身を引こうとした母親を追いかけて、父親は一度家を捨てたという。
一人息子が突然出奔し慌てふためく親族達を尻目に、当時の王子で今のジェムスト国王と親しくなったり、母親の生まれ故郷である小さな村に住み着いて人々を貧困から救ったり、結構な大暴れっぷりだったらしい。
父親を主人公にした、壮大な冒険物語が平民の間で流行る活躍を見せた末、結婚を反対した親族達に懇願される形でオーゼンハイム伯爵家に戻って、家を継いだという経緯がある。
(大好きだった物語の主人公が、お父様をモデルにしたものだったと知った時の驚きは、今でも忘れられないわ……)
そんな両親だったので、貴族としての常識が通じない事柄がままある。
それで成功しているところも大きいので、面と向かって文句を言える者は居ないし、王とも懇意な父親を下手につついて立場を悪くするかもしれないという選択する者も居ない。
そしてその一番が、恋愛事に対するものであることは、仕方ないとも言えた。
「オーゼンハイム卿の手腕には、感心させられる事も多い。今更身分差について何かを言う者がいたとしても、それはただの妬みややっかみのようなもので、ご本人も気にしておられないと思うが……」
父親は自分が苦労したから子供にそうあって欲しくないと、厳しく相手を選んでいるのかもしれないとディアンは考えたらしい。
それは半分正解だけれど、半分間違いだ。
「確かにお父様は、周りの口さがない言葉に左右される方ではございません。だからこそ、子供である私たちにも、自由な恋愛を推奨しておられるのです」
「自由な恋愛?」
「現に、跡継ぎであるお兄様の婚約者は、学園に通っていらした時にお付き合いを始めた元クラスメートの令嬢で、幼い頃からの親に決められた相手ではありませんし」
両親のように身分差にならなかったのはただの偶然で、ほとんど決まった相手の居る学園内でフリーの相手に巡り会った兄は、運が良いとしか言えない。
それでも色々と噂になっていた様なので、マルガリータの知らない複雑な事情があるような気もするけれど、本人達の気持ちに揺るぎが無いことを両親に示したらしく、大きな反対はされていなかった。
オーゼンハイム伯爵家において、結婚相手として相応しいかどうかを判断する基準というのは、つまりはそういう事だ。
本人達の気持ちさえしっかりとしているならば、多少のいや多少ではない障害でも問題にはならない事を、両親が誰よりも知っているのだから。
(この世界において、こんな考えの親の元に生まれた事は、本当に幸せだったわ……真奈美の記憶を取り戻した私にとっては、特に)
逆に言うと相手くらい自分で探せ、とほったらかしにされるという事でもあるので、実はハードルが高くもあるのだけれど。
「身分や権力を重視しないというのなら、どうして俺では駄目なんだろう……」
「ディアンが駄目なのではありません。順番を、間違えているだけですよ」
人間的に嫌われてしまっているのかと頭を抱えるディアンに、マルガリータはヒントを出す。
情報過多気味で、混乱しかなかった最初と違い、ディアンと話をしているうちに段々と状況が整理できてきて、ようやくディアンがマルガリータをこれから先もずっと想ってくれる人なのだと、確信を持てた。
ディアンと、こうしてゆっくり二人で話す時間はとても落ち着く。
そして何より、それを嬉しく思う自分の気持ちに気付いた。
元々、幼いマルガリータはオブシディアンの事が大好きだったし、奴隷のマルガリータは庭師のディアンと一緒に居ると安心出来た。
昔からずっと傍に居て楽しい人は一緒だったという事なのだから、疑問が解かれた以上、思い悩むことは何もない。
「順番?」
「オーゼンハイム伯爵家において、生涯の相手を決めるのは親ではなく、本人同士の気持ち次第なのです」
だから、まず最初に許可を取るべきは、気持ちを伝え受け入れて貰えるかを確かめるべきは、当主である父親ではない。
マルガリータの言葉の意味は、最後まで口にしなくてもどうやら伝わったらしい。
「そうだったのか……ならば、オーゼンハイム卿に断られても仕方ないね。確かに、それが本来の形であるべきだ」
「そう理解して下さる方は、稀ですよ」
肩をすくめて笑うディアンに、くすりと笑みを返す。
それを合図に、隣で胡座をかいていたディアンが一度立ち上がり、姿勢を正してマルガリータの正面に跪いた。
マルガリータの左手を壊れ物を触るようにそっと取って、ディアンは真剣な表情で真っ直ぐ見つめ、口を開く。
「マルガリータ・フォン・オーゼンハイム嬢、どうか私とこの先の人生を、一緒に歩んではくれませんか?」
「今の私は、伯爵令嬢ではありません。オブシディアン殿下の奴隷なのですから、こんな回りくどいことをせずとも、ご命令なさっては?」
王子然として真摯な言葉をくれたディアンに、伯爵令嬢ではないマルガリータは返事をもたない。
ディアンの望むオーゼンハイム伯爵令嬢は、もうこの世に存在しないから。
それでは駄目だときっぱりと断ると、ディアンは驚いた様に目を見開いて悲しそうに俯く。
そして、何かを決意したように息を吐いてから真剣な顔で顔を上げ、大きく首を横に振った。
「俺は、マルガリータを奴隷だと思った事は一度も無い。あの時は助け出す方法が他になく、契約を交わす羽目になってしまったが、マルガリータに下された理不尽な命は、既に撤回されている」
「え……?」
どうやらマルガリータがあの屋敷で奴隷らしくないのんびりとした生活を送っていた間に、ディアンは色々と動いてくれていたらしい。
黒仮面の男には避けられていると思っていたのだけれど、実際は毎日のように朝食後から昼間まで、庭師のディアンとしてハーブの世話をしながらマルガリータと話をしてくれていた。
ディアンはその後の時間を使って、立場としては軟禁状態であるはずだから動き回るのは難しかっただろうに、マルガリータを本来なら一度堕ちたら二度と抜け出せないはずの場所から救い出すべく、動いてくれていたという事だ。
忙しいのは、当たり前だった。
しかもその命令は、王位継承権を持つアンバーが下したものだったのだから、簡単に撤回できるはずもない。
避けられるどころか、もの凄く気に留めて貰っていたのだ。
「時間がかかってしまって、申し訳なかった。あの湖で話したかった一番の内容は、俺の正体云々よりもマルガリータがもう自由だという事だったんだ」
「交わした奴隷契約は?」
「あんなもの、契約書を燃やしてしまえば済む事だ。それにもう、マルガリータの肌に刻まれた、あの忌々しい奴隷紋は消えているだろう?」
視線が胸元に下り、そこに奴隷紋どころか何の跡もない事を、ディアンが確認しながら問いかける。
マルガリータも同じように視線を落とすが、やはりそこには何もない。
「でも、どうして……」
「俺があの奴隷商人に、奴隷紋を消す方法を尋ねたのは覚えている?」
「はい。でもあの商人の口振りから、とても消せるようなものでは無いと思っていました」
「それは俺もだ。だから俺は契約書を破棄した後、マルガリータに奴隷紋が残っていたとしても構わないと思っていた。仕方なかったとは言え、そこに魔力を込めて紋を刻み大事な身体を傷付けたのは俺なのだし、一生背負うつもりでいた。その位、奴隷紋を消すための条件は厳しいものだったし、起こってはいけない事だったから」
「起こっては、いけない事?」
「契約書には、こう書いてあったんだ『主が奴隷紋を消したいと望み、奴隷が主を唯一と認め、その身体を以って命がけで主を守った場合のみ、既に契約を以って関係を縛る必要は無いと認め、刻まれた奴隷紋を身体から消す事が出来る』と」
ディアンをアンバーの剣から守って倒れた時に、胸元が熱を持ったことを思い出す。
ディアンが治療のために魔力を注いだ事から起きた変化だと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
それが、奴隷紋が消える合図だったのだろう。
あの時は夢中で、唯一と認めるとかそんな難しく考えたりはしていなかった。
勝手に身体が動いてしまっただけなのだけど、あの時に条件が満たされたという事か。
今は消えて跡形もない胸元にそっと手を当てると、何も無いはずのそこが温かい様な気がした。
「私はちゃんと、ディアンを守れたと言う事ですね」
奴隷紋が消えたと言うことは、マルガリータの気持ちだけでは無く、ディアンが心から奴隷紋を消したいと願ってくれていたのに他ならず、マルガリータは奴隷紋が消えた事よりも、そんな優しいディアンを自身が守れた事の方が誇らしい。
伯爵令嬢だった頃は、ただ守って貰うだけで嬉しいと思ったかもしれないけれど、奴隷になって真奈美の記憶を取り戻した今となっては、好きな人とは一方的に守られるばかりではなく対等でいたい。
だがディアンからすれば、守りたいと思っていたマルガリータ本人に命を賭して守られた事は、例え本当の意味で奴隷から解放される事になったのだとしても、複雑な思いであるらしい。
「マルガリータを守る役目が欲しいのに、逆に守られたなんて情けないにも程があるけど」
「あら。では先程下さった言葉は、撤回ですか?」
「まさか! いやでもそうだな……やはり、撤回させてくれ」
「え?」
マルガリータには、もう既にプロポーズを断る選択肢がなくなってしまっていた。
だからこそディアンが本格的に落ち込んでしまう前に、少しからかって気分を戻してあげようとした言葉だったのに、そのまま受け入れられてしまって驚く。
思わず不安な表情で見上げると、ディアンが柔らかく笑って、ずっと包み込んでいたマルガリータの左手をぎゅっと力強く握った。
「形式張った言葉を使って、何の力も無い名前だけの王子という身分に頼った私が、伯爵令嬢へ伝えるプロポーズなんて何の意味も無かった」
「ディアン……」
「俺はただのディアンとして、マリーという小さな女の子に出会って、その笑顔と言葉に救われて……愛したんだから。マルガリータが貴族だろうが平民だろうが、例え出会った時から奴隷だったとしても関係ない。これからは俺が、マルガリータを守りたい。一生大切にする。マルガリータいやマリー、俺と結婚して下さい」
「…………はい、喜んで」
真っ直ぐで、飾り気のない言葉。
一人称が「私」ではなく「俺」なのも、「マルガリータ」を「マリー」と愛おしそうに呼んだのも、きっと第一王子としてでは無く、ただのディアンとしての言葉だったから。
心から想ってくれていると、ちゃんと自分の言葉で伝えてくれたから、今度はマルガリータも素直に頷いた。
幼い頃の初恋の相手だと知らなくても、王子だと知らなくても、命がけで守りたいと思える位に、マルガリータは今のディアンを好きになっていた。
そしてディアンも、身分など関係なくただのマルガリータが良いと言ってくれたのだから、断る理由はもうない。
マルガリータを包み込んでいたディアンの手を、反対側の手で更に包み込んでふわりと笑う。
伸びてきたディアンのもう片方の手はマルガリータの肩へ回り、引き寄せられた身体がディアンの胸の中にぽすんと落ちた。
ぎゅっと大事に抱き込まれる形になって、マルガリータが大人しくその身を委ねていると、吐息と共に「ありがとう」とまるで泣き出しそうな震える声が、耳をくすぐった。
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