『「女は黙って従え」と婚約破棄されたので、実家の軍隊を率いて王都を包囲しますわ』

放浪人

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第一章:偽りの王都

第9話 嵐の前の静けさ

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王宮を飛び出した私は、待たせておいた馬車に乗り込み一直線に王都の屋敷へと戻った。夜会の会場は今頃、大混乱に陥っているだろう。アルフォンス殿下とリヒター宰相が私を捕らえるために追手を放つまで、そう時間はかからないはずだ。

残された時間は、わずか。

屋敷に到着するなり、私は信頼の置ける数名の家臣と侍女たちを集めた。彼らは私がこの屋敷へ来る時から、いざという時のために父が選んでくれた覚悟のある者たちだ。

「皆、聞いて。今夜、私たちはこの王都を脱出します」

私の宣言に、彼らは驚きもせずただ静かに頷いた。皆、この時が来ることをとうに覚悟していたのだ。

「荷物は最低限に。食料と水、そして武具を優先しなさい。私は書斎で最後の仕事を片付けます。準備が整い次第、裏口に集合して」

指示を出すと、彼らは一斉に無駄のない動きで行動を開始した。その見事な連携は、さながら歴戦の兵士のようだ。

私は一人書斎に向かう。机の上には山積みの書類と、王都の地図が広げられていた。最後の仕事とは、この王都にいる数少ない味方への連絡と、安全な脱出経路の最終確認だ。

まずペンを取り、エリオット殿下への短い手紙を書く。

『殿下。 計画通り、私は王都を去ります。これまでのご助力、心より感謝いたします。

今後、王都は混乱するでしょう。どうかご自身の身を第一にお守りください。

再びお会いする日を楽しみにしております。その時はきっと、新しい時代の夜明けとなるでしょう。

ヴィクトリアより』

彼から貰った指輪を持つ伝令に、この手紙を託す。彼ならばきっとこの困難な状況を乗り越え、国の内側から改革の礎を築いてくれるはずだ。

次に広げられた地図に視線を落とす。エリオット殿下から提供された情報のおかげで、王都の警備体制、検問所の位置、そして宰相の私兵が潜む場所まで、ほぼ完璧に把握できていた。

通常の街道を通って脱出するのは自殺行為に等しい。追手は必ず主要な街道を封鎖するだろう。

(……やはり、この道しかない)

私が選んだのは、古くから使われている森を抜ける獣道だ。道は険しく夜間の踏破は困難を極める。だが、だからこそ追手の警戒も手薄になるはずだ。

そして、その森を抜けた先には――。父の密命を受け、私を待っているはずのコンラート率いる騎士団がいる。そこまで辿り着けば、もう安心だ。

私は地図の上に駒を置くように指を滑らせ、追手の動きを予測し、対抗策を幾重にも練り上げていく。それはいつか父と書斎で夜通し楽しんだ、盤上遊戯(チェス)によく似ていた。

思考に没頭していると、不意に窓の外が静まり返っていることに気づいた。今まで聞こえていた街の喧騒が嘘のように消えている。

嵐の前の静けさ。

私は窓辺に立ち、最後の王都の夜景を目に焼き付けた。無数の灯りがまるで宝石のようにきらめいている。

この美しい都が、一部の愚かな者たちのせいで腐敗し、蝕まれている。その事実がたまらなく悲しかった。

(私は、この都が嫌いだったわけじゃない)

ただ、偽りの自分でいなければならないこの場所の空気が、息苦しかっただけだ。もし違う形で出会えていたなら。もしアルフォンス殿下が、もう少し賢明な方だったなら。

……いや、詮無いこと。過去を振り返っても何も変わらない。変えるべきは、未来だ。

私は壁に飾ってあった一振りの剣を、鞘から抜き放った。それは私が初めて父から贈られた、細身の美しい剣だ。『銀薔薇』の二つ名の由来となった白銀の刀身が、月明かりを反射して妖しく光る。

剣を握ると、不思議と心が落ち着いた。やはり私の居場所は、ドレスと扇子のある舞踏会ではなく、鉄と血の匂いがする戦場なのだ。

(父上、コンラート、そしてローゼンベルクの皆……。今、帰ります)

故郷への想いが胸に込み上げてくる。愛する領民たちの屈託のない笑顔。どこまでも広がる緑豊かな大地と、澄み渡る空。

全てを守るために。私はこれから始まる嵐の中へ身を投じる。

「ヴィクトリア様、準備が整いました」

ドアの向こうから家臣の声が聞こえた。

「ええ、今行きます」

私は剣を腰に差し、書斎を後にした。もうこの部屋に戻ることはないだろう。

屋敷の裏口には、戦闘服に着替え武装した十数名の仲間たちが静かに私を待っていた。彼らの瞳に不安の色はなく、ただ私への絶対的な信頼と固い決意だけが宿っている。

私は彼らの顔を一人一人見渡し、力強く頷いた。

「皆、覚悟はいいわね?」

全員が無言で頷き返す。

「――行くわよ。私たちの故郷へ!」

私の号令と共に、屋敷の裏門が静かに開かれた。その先に広がるのは、王都の深い闇。

決別の時は来た。嵐は、もうすぐそこまで迫っている。
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