『「女は黙って従え」と婚約破棄されたので、実家の軍隊を率いて王都を包囲しますわ』

放浪人

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第二章:侮辱と決別

第11話 運命の謁見の間

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私たちが身を投じた地下水道は、まさにこの世の地獄だった。鼻を突く悪臭、足元を流れる汚水、そしてどこからともなく聞こえる不気味な物音。太陽の光が一切届かない、完全な闇の世界だ。

「ヴィクトリア様、ご無理なさらないでください」

忠実な家臣が松明の灯りで私の足元を照らしてくれる。戦闘服に着替えていたとはいえ、ドレスで着飾っていた令嬢の身にはあまりに過酷な環境だった。泥にまみれ髪は汚れ、自分でもひどい有様だと思う。

(……けれど、不思議ね)

心はあの華やかな王宮にいた時よりも、ずっと自由で晴れやかだった。偽りの仮面を被り、心にもないお世辞を言う必要はもうない。ここにあるのは剥き出しの現実と、生き残るための闘争心だけ。それは私が戦場で慣れ親しんだ感覚に、とても近かった。

「皆、もう少しの辛抱よ。この水路を抜ければ王都の外に出られるわ」

私は仲間たちを鼓舞し、先頭に立って暗闇を進んだ。どれほどの時間が経っただろうか。不意に湿った空気の中に、新鮮な夜風が混じっていることに気づいた。

「……出口よ!」

壁の隙間から微かに星の光が漏れている。私たちは最後の力を振り絞り、その光を目指した。

苔むした鉄格子を数人がかりでこじ開け、外へと這い出る。ひんやりとした森の空気が汚れた肺を満たしていく。ああ、生きている。その実感が全身を駆け巡った。

私たちは王都の北側に広がる『嘆きの森』と呼ばれる広大な森林地帯に脱出したのだ。

「やりましたな、ヴィクトリァ様!」 「これで故郷へ帰れる!」

仲間たちが安堵の表情で顔を見合わせる。しかし私が軍略家として叩き込まれた勘が、警鐘を鳴らしていた。

(……静かすぎる)

獣の鳴き声一つ聞こえない。まるで森全体が息を潜めているかのようだ。これは異常な事態だった。

「待って、皆!何かおかしいわ!」

私が叫んだ、その瞬間だった。

ヒュッ!

鋭い風切り音と共に一本の矢が私の頬を掠め、背後の木に突き刺さった。あと数センチずれていれば私の頭を貫いていただろう。

「……っ!?」

次の瞬間、森の暗闇の至る所から松明の火が、悪魔の目のように次々と灯された。カシャリ、カシャリと無数の甲冑が擦れる音。気づいた時には、私たちは完全に包囲されていた。

「くそっ、待ち伏せか!」 「いつの間に……!?」

家臣たちが慌てて剣を抜き、私の周りを固める。敵の数は目算で百を超える。対する私たちはわずか十数名。絶体絶命の状況だった。

松明の光の中から、一人の男がゆっくりと姿を現した。その顔には見覚えがあった。リヒター宰相に忠誠を誓う子飼いの騎士団長、ルドルフだ。

「これはこれは、ヴィクトリア嬢。……いや、今は『反逆者』と呼ばせていただくべきかな?」

ルドルフは粘つくような笑みを浮かべ、馬上から私たちを見下ろしている。その目は獲物をいたぶる蛇のように、冷酷で残忍な光を宿していた。

「みすぼらしいお姿ですな、『戦場の銀薔薇』も泥にまみれてはただの汚れた花。宰相閣下は全てお見通しでしたよ。貴女がこの抜け道を使うことも、ね」

(……やられた)

リヒター宰相は、私が王都から脱出することすらも計画の内に含んでいたのだ。彼は私をこの森に誘い込み、反逆者として確実に抹殺するつもりだったのだ。

この森こそが、私にとっての『運命の謁見の間』。王宮の玉座の間よりもずっと残酷で、真実が剥き出しになる場所。ここで私の運命が裁かれるというのか。

「さあ、大人しく武器を捨てて投降しろ。さすればローゼンベルク家の名誉に免じて、苦しまずに殺してやろう」

ルドルフが勝ち誇ったように言い放つ。仲間たちの顔に絶望の色が浮かんだ。

しかし、私は――笑っていた。

「……ふふっ」

「何がおかしい?」

怪訝な顔をするルドルフに、私は毅然として言い返した。

「あなたこそ宰相の犬として、哀れな方ですわね、ルドルフ卿」

「な、何だと……!?」

「あなたはこの私を、ただか弱いだけの令嬢だと思い完全に侮っている。……その油断こそが、あなたの敗因よ」

私はゆっくりと銀薔薇の剣を抜き放った。その切っ先をルドルフにまっすぐに向ける。

「確かに数ではあなたが圧倒的に有利。正面からぶつかれば、私たちに勝ち目はないでしょう」

私は包囲網をゆっくりと見渡す。敵兵たちは松明の光を頼りに円陣を組んでいる。そのせいで彼らの目は、外の暗闇に慣れていないはずだ。

「――けれどここは森の中。地の利は、必ずしもあなたたちにあるとは限らないわ」

私は仲間たちにだけ聞こえる声で、短く指示を出す。

「皆、散開して!森の闇に紛れなさい!合図があるまで決して動かないで!」

仲間たちは一瞬の戸惑いの後、私の意図を理解し一斉に四方へと散った。あっという間にその場には私一人が取り残される。

「逃げる気か!卑怯者め!」

ルドルフが罵るが、私は動じない。

「いいえ。これは逃走ではなく、『狩り』の始まりよ」

私はわざとルドルフを挑発するように、優雅に微笑んでみせた。そして彼らが反応するよりも早く、身を翻して森の闇の中へと飛び込んだ。

これから始まるのはただの戦闘ではない。『戦場の銀薔薇』の真骨頂であるゲリラ戦。この嘆きの森を、彼らの墓場に変えてみせる。

絶望的な状況の中、私の心は不思議と燃え上がっていた。本当の戦いが、今、始まるのだ。
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