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第三章:獅子の覚醒
第30話 来るべき日のために
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グリューネヴァルト王国との相互不可侵条約の締結。その報はローゼンベルク領に大きな安堵とさらなる熱狂をもたらした。我が君主ヴィクトリア様は、戦だけでなく外交においても天才的な手腕をお持ちなのだ、と。領民たちの私への崇拝はもはや揺るぎないものとなっていた。
そして季節は移ろい、厳しい冬が訪れた。大地は厚い雪に覆われ、軍を動かすことは不可能になる。それは王都軍も我々も同じこと。必然的に、両軍は長きに渡る停戦期間に入ることになった。
嵐の前の静けさ。しかし私たちは決して休んではいない。この冬の期間こそが、来るべき春の決戦に向けて最終的な準備を整えるための最後の時間なのだから。
私は城の最も暖かい暖炉のある地図室に籠もりきりになっていた。そこには父とコンラート、そして各部隊の隊長たちが集まっている。巨大なエーデルラント王国の地図を囲み、私たちは連日軍議を重ねていた。
「……王都へ進軍するルートは三つ。北の山岳路、中央の大街道、そして南の森林路です」
私が地図上の三本のルートを指示棒で示しながら説明する。
「敵が最も警戒するのは最短距離である中央の大街道でしょう。おそらく街道沿いのいくつかの砦に大軍を配置し、我々を待ち構えているはずです」
「うむ。正面からぶつかれば、我らとて無傷では済むまいな」
父が腕を組み、唸る。
「では、ヴィクトリア様はどのルートをお考えで?」
コンラートの問いに、私はにやりと笑った。
「……もちろん三つ全てよ」
「な……!?三つ全てですと!?しかしそれでは兵力が分散してしまい、各個撃破される恐れが……!」
コンラートが慌てて反論する。
「ええ、普通に考えればそうね。でも私の考えは少し違うわ」
私は地図の上に駒を置いていく。赤が我が軍。青が敵軍だ。
「まず兵力の半分を陽動部隊として中央の大街道を大々的に進軍させます。大軍がいるように見せかけるため、旗指物を実際の倍の数掲げさせ、夜は篝火を盛大に焚かせるのです」
「……なるほど。敵の目を中央に引きつけるという訳ですな」
「その通りです、父上。敵が中央の偽りの大軍に気を取られている隙に……私と父上が率いる本隊が、それぞれ北の山岳路と南の森林路を密かに迂回し、王都の背後と側面を同時に突きます」
私の大胆な作戦に、隊長たちは息を呑んだ。これは敵の完全な意表を突く奇策だ。しかし成功すれば、敵を三方から包囲殲滅することも可能になる。
「……だがヴィクトリア。その作戦は各部隊の完璧な連携と時間管理が必要不可欠だ。一つでも歯車が狂えば全てが崩壊する、危険な賭けでもあるぞ」
父の的確な指摘に、私はうなずいた。
「ええ。だからこそこの冬の間に、徹底的に図上演習を繰り返すのです。雪が全ての動きを封じ込めているこの静かな時間こそ、我々の頭脳と結束を研ぎ澄ますための最高の訓練場ですわ」
その日から私たちの地図上での戦いが始まった。あらゆる事態を想定し、何度も何度もシミュレーションを繰り返す。兵站の確保、伝令のルート、天候の変化。考えられる全ての要素を計算し、作戦を練り上げていく。
それはまるで精密な絡繰り人形を作り上げるような、緻密で根気のいる作業だった。
雪がしんしんと降り積もる夜、軍議を終え一人自室に戻った私は、窓の外を見つめていた。白一色に染まった静寂の世界。あの喧騒に満ちたローゼンベルクの街も、今は深い眠りについている。
(……春になれば、この静寂も終わりを告げる)
そして血と炎の季節がやってくる。多くの命が失われるだろう。この美しい故郷も戦火に焼かれるかもしれない。
本当にこれで良かったのだろうか。もっと別の道はなかったのだろうか。ふと、そんな迷いが心の片隅をよぎった。
その時だった。机の上に置いていた一枚の羊皮紙が目に入った。それは王都を脱出する前にエリオット第二王子から受け取った密書だった。宰相に不満を持つ貴族たちのリスト。
(……エリオット殿下。貴方もあの腐敗した王都で、今、戦っておられるのでしょうか)
彼の憂いを帯びた優しい瞳を思い出す。彼は私の唯一の理解者だった。彼もまたこの国を憂い、変革を望んでいた。
(……私、一人じゃない)
そうだ。この戦いは私一人の戦いではない。エリオット殿下のように、王都の内側から国を正そうとしている人々もいるはずだ。そして私を信じ、全てを懸けてくれるローゼンベルクの民もいる。
私の迷いは消えた。
来るべき日のために。
私はただ前だけを見据えよう。この長い冬が終わった時、ローゼンベルクの獅子は目覚める。そして王国に新しい春を告げるのだ。
私は窓の外の雪景色に向かって静かに誓った。必ず勝つ、と。そしてエリオット殿下と再会するのだ、と。新しい時代の夜明けの下で。
第三章『獅子の覚醒』は、静かに、しかし確かな決意と共に、幕を閉じようとしていた。
そして季節は移ろい、厳しい冬が訪れた。大地は厚い雪に覆われ、軍を動かすことは不可能になる。それは王都軍も我々も同じこと。必然的に、両軍は長きに渡る停戦期間に入ることになった。
嵐の前の静けさ。しかし私たちは決して休んではいない。この冬の期間こそが、来るべき春の決戦に向けて最終的な準備を整えるための最後の時間なのだから。
私は城の最も暖かい暖炉のある地図室に籠もりきりになっていた。そこには父とコンラート、そして各部隊の隊長たちが集まっている。巨大なエーデルラント王国の地図を囲み、私たちは連日軍議を重ねていた。
「……王都へ進軍するルートは三つ。北の山岳路、中央の大街道、そして南の森林路です」
私が地図上の三本のルートを指示棒で示しながら説明する。
「敵が最も警戒するのは最短距離である中央の大街道でしょう。おそらく街道沿いのいくつかの砦に大軍を配置し、我々を待ち構えているはずです」
「うむ。正面からぶつかれば、我らとて無傷では済むまいな」
父が腕を組み、唸る。
「では、ヴィクトリア様はどのルートをお考えで?」
コンラートの問いに、私はにやりと笑った。
「……もちろん三つ全てよ」
「な……!?三つ全てですと!?しかしそれでは兵力が分散してしまい、各個撃破される恐れが……!」
コンラートが慌てて反論する。
「ええ、普通に考えればそうね。でも私の考えは少し違うわ」
私は地図の上に駒を置いていく。赤が我が軍。青が敵軍だ。
「まず兵力の半分を陽動部隊として中央の大街道を大々的に進軍させます。大軍がいるように見せかけるため、旗指物を実際の倍の数掲げさせ、夜は篝火を盛大に焚かせるのです」
「……なるほど。敵の目を中央に引きつけるという訳ですな」
「その通りです、父上。敵が中央の偽りの大軍に気を取られている隙に……私と父上が率いる本隊が、それぞれ北の山岳路と南の森林路を密かに迂回し、王都の背後と側面を同時に突きます」
私の大胆な作戦に、隊長たちは息を呑んだ。これは敵の完全な意表を突く奇策だ。しかし成功すれば、敵を三方から包囲殲滅することも可能になる。
「……だがヴィクトリア。その作戦は各部隊の完璧な連携と時間管理が必要不可欠だ。一つでも歯車が狂えば全てが崩壊する、危険な賭けでもあるぞ」
父の的確な指摘に、私はうなずいた。
「ええ。だからこそこの冬の間に、徹底的に図上演習を繰り返すのです。雪が全ての動きを封じ込めているこの静かな時間こそ、我々の頭脳と結束を研ぎ澄ますための最高の訓練場ですわ」
その日から私たちの地図上での戦いが始まった。あらゆる事態を想定し、何度も何度もシミュレーションを繰り返す。兵站の確保、伝令のルート、天候の変化。考えられる全ての要素を計算し、作戦を練り上げていく。
それはまるで精密な絡繰り人形を作り上げるような、緻密で根気のいる作業だった。
雪がしんしんと降り積もる夜、軍議を終え一人自室に戻った私は、窓の外を見つめていた。白一色に染まった静寂の世界。あの喧騒に満ちたローゼンベルクの街も、今は深い眠りについている。
(……春になれば、この静寂も終わりを告げる)
そして血と炎の季節がやってくる。多くの命が失われるだろう。この美しい故郷も戦火に焼かれるかもしれない。
本当にこれで良かったのだろうか。もっと別の道はなかったのだろうか。ふと、そんな迷いが心の片隅をよぎった。
その時だった。机の上に置いていた一枚の羊皮紙が目に入った。それは王都を脱出する前にエリオット第二王子から受け取った密書だった。宰相に不満を持つ貴族たちのリスト。
(……エリオット殿下。貴方もあの腐敗した王都で、今、戦っておられるのでしょうか)
彼の憂いを帯びた優しい瞳を思い出す。彼は私の唯一の理解者だった。彼もまたこの国を憂い、変革を望んでいた。
(……私、一人じゃない)
そうだ。この戦いは私一人の戦いではない。エリオット殿下のように、王都の内側から国を正そうとしている人々もいるはずだ。そして私を信じ、全てを懸けてくれるローゼンベルクの民もいる。
私の迷いは消えた。
来るべき日のために。
私はただ前だけを見据えよう。この長い冬が終わった時、ローゼンベルクの獅子は目覚める。そして王国に新しい春を告げるのだ。
私は窓の外の雪景色に向かって静かに誓った。必ず勝つ、と。そしてエリオット殿下と再会するのだ、と。新しい時代の夜明けの下で。
第三章『獅子の覚醒』は、静かに、しかし確かな決意と共に、幕を閉じようとしていた。
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