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第四章:盤上の攻防
第33話 第二王子からの密書
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経済封鎖という宰相の陰湿な罠を鮮やかに打ち破った私のもとに、待ちわびていた報せが舞い込んだ。それは王都に潜む私の影――情報屋ギルドの長からもたらされた、一通の極秘の密書だった。
差出人の名はない。しかしその優雅で知的な筆跡は、見間違えるはずもなかった。エリオット第二王子殿下。あの偽りに満ちた王都で、私に唯一光を示してくれた聡明な人。
私は人払いをした自室で、震える手でその封を解いた。胸が高鳴るのを抑えられない。それは重要な軍事情報への期待からか。それとも彼の安否を気遣う私的な感情からか。今の私には分からなかった。
密書にはまず簡潔な時候の挨拶と、私の身を案じる温かい言葉が綴られていた。
『麗しの戦姫、ヴィクトリア殿へ。
君がローゼンベルクの地で獅子奮迅の活躍をしていることは風の噂で聞いている。そのたくましさを頼もしく思うと同時に、君のその華奢な双肩にあまりにも多くのものがのしかかっていることを案じている。
どうか、無理だけはしないでくれ』
その優しい言葉だけで、私の心はじんわりと温かくなった。彼は分かってくれている。私がただの鉄の女ではないことを。私が本当は孤独と重圧に苛まれていることを。この短い文章だけで、彼は私の心を救ってくれるのだ。
(……エリオット殿下)
私はそっとその文字を指でなぞった。そして続きを読む。そこから先は、私とローゼンベルクの運命を左右する、極めて重要な情報が記されていた。
『本題に入る。先日、兄上と宰相、そして軍の首脳部による最終的な軍議が開かれた。私はその場で、君たちローゼンベルク軍を殲滅するための恐るべき作戦の全容を耳にした。
宰相の狙いは、やはり中央街道を進む君たちの陽動部隊をガラン砦で叩くことにある。しかしそれは、彼の三重の罠の序章に過ぎない』
(……三重の罠ですって?)
私は息を呑んだ。私の予測をさらに上回る狡猾な策が、そこにはあったのだ。
『まず第一の罠。ガラン砦にいる王都軍の主力が偽りの敗走を始める。勢いに乗った君たちの陽動部隊が追撃のために砦の奥深くへと進んだ時、第二の罠が発動する。
砦の周囲の山に隠れていた別働隊が君たちの退路を断ち、完全に包囲殲滅する計画だ。ここまではおそらく、君も予測しているだろう』
(……ええ。そこまでは読んでいたわ)
しかし問題は、その先だった。
『本当の恐ろしさは第三の罠にある。宰相は君がこの程度の陽動は見抜いていると確信している。そして君自身が本隊を率いて北か南の迂回路から王都を奇襲することを、知っているのだ』
(……何ですって!?)
私の背筋に冷たい汗が流れた。なぜ宰相が私の作戦を。まさかこちらの軍議の内容が漏れていたというのか。
『宰相は君が本隊を率いて進軍してくるであろう南の森林路に、王国最強と謳われる竜騎士団を密かに配置した。彼らは森に身を潜め、君が完全に油断した状態で森を抜けようとした、その瞬間を狙っている。
竜騎士団は少数精鋭だが、その一人一人が一騎当千の猛者。不意を突かれれば君の本隊とてただでは済まないだろう。宰相の真の狙いは陽動部隊ではなく、君の首、ただ一つなのだ』
……やられた。完全に読み負けていた。あの老獪な狐は、私の思考のさらにその先を読んでいたのだ。もしこの密書がなければ、私は何も知らずに竜騎士団が待ち受ける死地へと足を踏み入れていただろう。
(……エリオット殿下。あなたが、いなければ)
私は彼のおかげで、また命を救われたのだ。
密書の最後は、こう結ばれていた。
『ヴィクトリア。これは君主としての私から君への警告だ。そしてこれは、一人の男としての私から君への願いでもある。
――死なないでくれ。
必ず生きて、この腐敗した国を変えてくれ。私は王都の内側から君のその戦いを支えると約束する。
再び君と笑顔で会える日を、心から願っている。 エリオット』
初めて記された彼の名。その署名から彼の覚悟が痛いほど伝わってくる。もしこの密書が宰相の手に渡れば、彼とてただでは済まないはずだ。彼はそのリスクを覚悟の上で、私に全てを教えてくれたのだ。
涙が一筋、頬を伝った。それは恐怖からではない。彼のそのあまりに真っ直ぐで誠実な想いが、嬉しくて、そして少しだけ切なかった。
私は密書を胸に強く抱きしめた。彼の想いを決して無駄にはしない。
「……見ていてください、エリオット殿下」
私は窓の外の月に向かって誓った。
「あなたのその覚悟、私が必ず勝利という形で応えてみせますわ」
宰相の三重の罠。それを逆手に取る、さらにその上を行く新たな策が、私の頭脳の中で今、形を成し始めていた。
この盤上のゲーム、最後にチェックメイトを告げるのは、この私よ。エリオット殿下から託された希望と共に。私は新たな戦いへと身を投じる覚悟を決めた。
差出人の名はない。しかしその優雅で知的な筆跡は、見間違えるはずもなかった。エリオット第二王子殿下。あの偽りに満ちた王都で、私に唯一光を示してくれた聡明な人。
私は人払いをした自室で、震える手でその封を解いた。胸が高鳴るのを抑えられない。それは重要な軍事情報への期待からか。それとも彼の安否を気遣う私的な感情からか。今の私には分からなかった。
密書にはまず簡潔な時候の挨拶と、私の身を案じる温かい言葉が綴られていた。
『麗しの戦姫、ヴィクトリア殿へ。
君がローゼンベルクの地で獅子奮迅の活躍をしていることは風の噂で聞いている。そのたくましさを頼もしく思うと同時に、君のその華奢な双肩にあまりにも多くのものがのしかかっていることを案じている。
どうか、無理だけはしないでくれ』
その優しい言葉だけで、私の心はじんわりと温かくなった。彼は分かってくれている。私がただの鉄の女ではないことを。私が本当は孤独と重圧に苛まれていることを。この短い文章だけで、彼は私の心を救ってくれるのだ。
(……エリオット殿下)
私はそっとその文字を指でなぞった。そして続きを読む。そこから先は、私とローゼンベルクの運命を左右する、極めて重要な情報が記されていた。
『本題に入る。先日、兄上と宰相、そして軍の首脳部による最終的な軍議が開かれた。私はその場で、君たちローゼンベルク軍を殲滅するための恐るべき作戦の全容を耳にした。
宰相の狙いは、やはり中央街道を進む君たちの陽動部隊をガラン砦で叩くことにある。しかしそれは、彼の三重の罠の序章に過ぎない』
(……三重の罠ですって?)
私は息を呑んだ。私の予測をさらに上回る狡猾な策が、そこにはあったのだ。
『まず第一の罠。ガラン砦にいる王都軍の主力が偽りの敗走を始める。勢いに乗った君たちの陽動部隊が追撃のために砦の奥深くへと進んだ時、第二の罠が発動する。
砦の周囲の山に隠れていた別働隊が君たちの退路を断ち、完全に包囲殲滅する計画だ。ここまではおそらく、君も予測しているだろう』
(……ええ。そこまでは読んでいたわ)
しかし問題は、その先だった。
『本当の恐ろしさは第三の罠にある。宰相は君がこの程度の陽動は見抜いていると確信している。そして君自身が本隊を率いて北か南の迂回路から王都を奇襲することを、知っているのだ』
(……何ですって!?)
私の背筋に冷たい汗が流れた。なぜ宰相が私の作戦を。まさかこちらの軍議の内容が漏れていたというのか。
『宰相は君が本隊を率いて進軍してくるであろう南の森林路に、王国最強と謳われる竜騎士団を密かに配置した。彼らは森に身を潜め、君が完全に油断した状態で森を抜けようとした、その瞬間を狙っている。
竜騎士団は少数精鋭だが、その一人一人が一騎当千の猛者。不意を突かれれば君の本隊とてただでは済まないだろう。宰相の真の狙いは陽動部隊ではなく、君の首、ただ一つなのだ』
……やられた。完全に読み負けていた。あの老獪な狐は、私の思考のさらにその先を読んでいたのだ。もしこの密書がなければ、私は何も知らずに竜騎士団が待ち受ける死地へと足を踏み入れていただろう。
(……エリオット殿下。あなたが、いなければ)
私は彼のおかげで、また命を救われたのだ。
密書の最後は、こう結ばれていた。
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再び君と笑顔で会える日を、心から願っている。 エリオット』
初めて記された彼の名。その署名から彼の覚悟が痛いほど伝わってくる。もしこの密書が宰相の手に渡れば、彼とてただでは済まないはずだ。彼はそのリスクを覚悟の上で、私に全てを教えてくれたのだ。
涙が一筋、頬を伝った。それは恐怖からではない。彼のそのあまりに真っ直ぐで誠実な想いが、嬉しくて、そして少しだけ切なかった。
私は密書を胸に強く抱きしめた。彼の想いを決して無駄にはしない。
「……見ていてください、エリオット殿下」
私は窓の外の月に向かって誓った。
「あなたのその覚悟、私が必ず勝利という形で応えてみせますわ」
宰相の三重の罠。それを逆手に取る、さらにその上を行く新たな策が、私の頭脳の中で今、形を成し始めていた。
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