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第四章:盤上の攻防
第35話 中立派の思惑
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ゲオルグは、戻れない。セドリック伯爵の執事が残した言葉は、私の心を深くえぐった。彼は私のために敵地のただ中へと飛び込んでいったのだ。その忠義の騎士を、私は見殺しにしてしまうのか。
(……いいえ、まだよ)
セドリック伯爵が彼の身柄を預かっている。その言葉を信じるしかない。今は感傷に浸っている場合ではない。伯爵が残した謎の警告、その真意を解き明かすことこそが、ゲオルグを救うための唯一の道かもしれないのだ。
『獅子を狩るための本当の罠は、森の中にあらず。獅子の巣の中にこそある』
獅子の巣。それは間違いなく、このローゼンベルク領のことだ。この鉄壁の結束を誇る我が領土に、宰相の罠が仕掛けられているというのか。
(……一体、何……?)
私は謁見の間で一人、思考の海に沈んだ。スパイは全て捕らえたはず。経済封鎖も打ち破った。他にどんな手があるというのだろう。
その時、ふとある可能性に思い至った。それはあまりにも考えたくない、最悪の可能性。
(……まさか。裏切り者がいるというの……?)
このローゼンベルクの中に。私に忠誠を誓った仲間の中に、宰相と通じている者がいる、と?いや、ありえない。私の民は、騎士たちは皆、私を女神とまで崇めてくれている。彼らが私を裏切るなど考えられない。
しかしセドリック伯爵は、ただの噂話で警告を発するような軽率な男ではない。彼がそう言うからには、何らかの確証があるはずだ。
私はここ数週間の出来事を一つ一つ思い返してみた。軍の再編成、新兵器の開発、グリューネヴァルトとの交渉。その全てが順調に進みすぎていたかもしれない。私の成功は、逆に誰かの嫉妬や焦りを生んでいた可能性はないだろうか。
(……誰?一体、誰が……?)
父上はありえない。コンラートもそうだ。彼の忠誠心は疑う余地もない。
では他の騎士団の隊長たちか。あるいは古くからローゼンベルク家に仕える文官たちか。それとも私が新たに徴兵した新兵の中に紛れ込んでいるのか。
疑い始めればきりがない。誰もが怪しく見えてくる。これこそが宰相の本当の狙いなのかもしれない。疑心暗鬼を生み出し、私たちの結束を内側から崩壊させること。
(……落ち着きなさい、ヴィクトリア。今私が乱れてはいけない)
私は大きく深呼吸をした。セドリック伯爵の言葉をもう一度反芻する。『天秤は傾いた』と彼はそうも言っていた。それは彼が王都側でもなく我々側でもなく、第三の選択肢を選んだことを意味しているのではないだろうか。
彼は我々と王都を争わせ、両者が疲弊したところで漁夫の利を得ようとしているのかもしれない。そのために私に謎の警告を与え、こちらの内部をかき乱そうとしているとも考えられる。
(……あの老獪な狸め)
彼の真意はまだ読めない。だが一つだけ確かなことがある。それはこのまま王都へ進軍するのは危険だということだ。巣の中に狐が紛れ込んでいるかもしれないのに、狩りに出かける獅子はいない。
まずは足元を固めなければ。このローゼンベルクに潜む『毒』を取り除かない限り、私たちは前に進めない。
私は決意を固めた。春の進軍計画を一時凍結する。そして極秘裏に裏切り者の捜索を開始するのだ。
誰にも悟られてはいけない。父上にもコンラートにも、このことは伏せておく。私が信じられるのは、もはや私自身だけかもしれないのだから。
私は城の地下牢へと向かった。そこには先日捕らえた宰相の間諜たちが、まだ数名生かしてあった。彼らならば何か知っているかもしれない。このローゼンベルクにいる協力者のことを。
扉の向こうから、男たちのうめき声が聞こえてくる。私はこれから人の心を壊す、汚い仕事をしなければならない。戦姫としてではなく、一人の孤独な君主として。
その時、私の脳裏にエリオット殿下の顔が浮かんだ。彼の真っ直ぐな瞳。
(……ごめんなさい、エリオット殿下。私はあなたの期待するような清らかな英雄ではいられないかもしれない)
私は自嘲の笑みを浮かべると、地下牢への重い鉄の扉を自らの手で押し開けた。ひんやりとした湿った空気が、私の火照った頬を撫でていく。
中立派の思惑は私を新たな、そして最も困難な戦いへと導いた。それは目に見える敵との戦いではない。味方の中に潜む、見えない悪意との孤独な戦い。
盤上の攻防は、私の想像を超えて複雑に絡み合い始めていた。
(……いいえ、まだよ)
セドリック伯爵が彼の身柄を預かっている。その言葉を信じるしかない。今は感傷に浸っている場合ではない。伯爵が残した謎の警告、その真意を解き明かすことこそが、ゲオルグを救うための唯一の道かもしれないのだ。
『獅子を狩るための本当の罠は、森の中にあらず。獅子の巣の中にこそある』
獅子の巣。それは間違いなく、このローゼンベルク領のことだ。この鉄壁の結束を誇る我が領土に、宰相の罠が仕掛けられているというのか。
(……一体、何……?)
私は謁見の間で一人、思考の海に沈んだ。スパイは全て捕らえたはず。経済封鎖も打ち破った。他にどんな手があるというのだろう。
その時、ふとある可能性に思い至った。それはあまりにも考えたくない、最悪の可能性。
(……まさか。裏切り者がいるというの……?)
このローゼンベルクの中に。私に忠誠を誓った仲間の中に、宰相と通じている者がいる、と?いや、ありえない。私の民は、騎士たちは皆、私を女神とまで崇めてくれている。彼らが私を裏切るなど考えられない。
しかしセドリック伯爵は、ただの噂話で警告を発するような軽率な男ではない。彼がそう言うからには、何らかの確証があるはずだ。
私はここ数週間の出来事を一つ一つ思い返してみた。軍の再編成、新兵器の開発、グリューネヴァルトとの交渉。その全てが順調に進みすぎていたかもしれない。私の成功は、逆に誰かの嫉妬や焦りを生んでいた可能性はないだろうか。
(……誰?一体、誰が……?)
父上はありえない。コンラートもそうだ。彼の忠誠心は疑う余地もない。
では他の騎士団の隊長たちか。あるいは古くからローゼンベルク家に仕える文官たちか。それとも私が新たに徴兵した新兵の中に紛れ込んでいるのか。
疑い始めればきりがない。誰もが怪しく見えてくる。これこそが宰相の本当の狙いなのかもしれない。疑心暗鬼を生み出し、私たちの結束を内側から崩壊させること。
(……落ち着きなさい、ヴィクトリア。今私が乱れてはいけない)
私は大きく深呼吸をした。セドリック伯爵の言葉をもう一度反芻する。『天秤は傾いた』と彼はそうも言っていた。それは彼が王都側でもなく我々側でもなく、第三の選択肢を選んだことを意味しているのではないだろうか。
彼は我々と王都を争わせ、両者が疲弊したところで漁夫の利を得ようとしているのかもしれない。そのために私に謎の警告を与え、こちらの内部をかき乱そうとしているとも考えられる。
(……あの老獪な狸め)
彼の真意はまだ読めない。だが一つだけ確かなことがある。それはこのまま王都へ進軍するのは危険だということだ。巣の中に狐が紛れ込んでいるかもしれないのに、狩りに出かける獅子はいない。
まずは足元を固めなければ。このローゼンベルクに潜む『毒』を取り除かない限り、私たちは前に進めない。
私は決意を固めた。春の進軍計画を一時凍結する。そして極秘裏に裏切り者の捜索を開始するのだ。
誰にも悟られてはいけない。父上にもコンラートにも、このことは伏せておく。私が信じられるのは、もはや私自身だけかもしれないのだから。
私は城の地下牢へと向かった。そこには先日捕らえた宰相の間諜たちが、まだ数名生かしてあった。彼らならば何か知っているかもしれない。このローゼンベルクにいる協力者のことを。
扉の向こうから、男たちのうめき声が聞こえてくる。私はこれから人の心を壊す、汚い仕事をしなければならない。戦姫としてではなく、一人の孤独な君主として。
その時、私の脳裏にエリオット殿下の顔が浮かんだ。彼の真っ直ぐな瞳。
(……ごめんなさい、エリオット殿下。私はあなたの期待するような清らかな英雄ではいられないかもしれない)
私は自嘲の笑みを浮かべると、地下牢への重い鉄の扉を自らの手で押し開けた。ひんやりとした湿った空気が、私の火照った頬を撫でていく。
中立派の思惑は私を新たな、そして最も困難な戦いへと導いた。それは目に見える敵との戦いではない。味方の中に潜む、見えない悪意との孤独な戦い。
盤上の攻防は、私の想像を超えて複雑に絡み合い始めていた。
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