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第四章:盤上の攻防
第37話 隣国の不穏な動き
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裏切り者の正体を掴むべく私が領内を密かに調査している最中、予期せぬ、そして極めて厄介な報せが届いた。西の国境を守る砦からの早馬だった。
「申し上げます! 隣国グリューネヴァルト王国が、国境付近に大規模な軍を集結させているとの報! その数、およそ三千!」
その報告に、城の評定の間は静まり返り、凍てついた。
「……馬鹿な!」
父が思わず声を上げた。
「フリードリヒ王は我々と相互不可侵条約を結んだはずだ!それを一方的に破棄するというのか!?」
「おそらくは……。我々と王都との内乱に乗じ、漁夫の利を得ようという魂胆なのでしょう。あの『狡猾狐』ならば、やりかねません」
コンラートが悔しそうに唇を噛む。家臣たちは皆、動揺を隠せない。無理もない。ただでさえ王都という強大な敵を前にしているのだ。今、背後を突かれればローゼンベルクは崩壊する。二正面作戦――それは軍事における禁忌にして、最悪の愚策だ。
(……フリードリヒ王。あなたも、私を裏切るの……?)
私の胸に失望と怒りが込み上げた。あの砦で固く握手を交わした彼の顔が蘇る。あの豪快な笑みも、全ては偽りだったというのか。やはり国家間の約束など、薄っぺらな紙切れ一枚ほどの価値もないのか。
「……ヴィクトリア。どうする?」
父が苦悩に満ちた表情で私に問う。今やローゼンベルカの最終的な意思決定権は、私に委ねられている。
「……やむを得ません。王都への進軍は延期。軍を二つに分け、半数を直ちに西の国境へ」
私は苦渋の決断を下した。本心では、今すぐにでも王都へ攻め込みたい。だが背後の憂いを断たぬ限り、それは不可能だ。
「私が西へ向かいます。父上は残りの兵を率いて、この領都の守りを固めてください」
「……分かった。だがヴィクトリア、くれぐれも無理はするな。戦わずして勝つ道もあるはずだ。外交の余地はまだ……」
「いいえ、父上」
私は父の言葉を遮った。その瞳には氷のように冷たい光が宿っていた。
「裏切り者にもはや言葉は不要。鉄と炎による制裁あるのみです」
私の変貌に、父は息を呑んだ。もはやそこにいるのは彼の愛する娘ではない。国を背負い、非情な決断を下す、一人の冷徹な君主の姿があるだけだった。
その日から、ローゼンベルクはにわかに慌ただしさを増した。二千五百の兵が、急ぎ西の国境へと旅立ってゆく。その光景を、領民たちは不安げな表情で見送っていた。一枚岩だった領内の空気に、初めて不協和音が生じ始めたのを感じる。
(……これもリヒター宰相の狙い通りという訳か)
おそらくグリューネヴァルトの不穏な動きも、宰相が裏で糸を引いているのだろう。彼はフリードリヒ王に甘言を弄し、我々の背後を突くよう仕向けたに違いない。そして我々が兵力を分散させた隙を突き、王都から大軍を差し向ける。完璧な策略だ。
私は西へ向かう軍の先頭で、馬を駆りながら思考を巡らせていた。どこかがおかしい。あまりに事が運びすぎている。まるで誰かが描いた筋書きの上で踊らされているかのようだ。
(……フリードリヒ王。あなたは本当に、そんな単純な利益に釣られる男だったかしら?)
私の脳裏に、あの狡猾な王の切れ長の目がちらつく。彼は確かに油断ならない男だ。しかし同時に、極めて優れた現実主義者でもあった。ローゼンベルクを敵に回すリスクを、彼が理解していないはずがない。
宰相が提示するであろう甘言と、ローゼンベルクとの全面戦争。現実主義者の彼がその二つを天秤にかけ、前者を選ぶだろうか?いや――。
(……何か裏がある)
私は直感した。この隣国の不穏な動きは、単なる裏切りではない。もっと複雑な、何か別の意図が隠されている。
セドリック伯爵の謎めいた警告。そして、グリューネヴァルトの不可解な軍事行動。二つの出来事が、私の頭の中で繋がりそうで繋がらない。濃い霧の中を彷徨っているようだ。
私は馬上で小さくため息をついた。孤独だった。この巨大な謎を、誰にも相談できず、一人で解き明かさねばならない。信じられるのは、己の直感と判断力のみ。
西の国境までは、あと三日。それまでに答えを見つけなければ。さもなければ我々は、本当に破滅する。
空には不吉な暗雲が垂れ込めていた。ローゼンベル-クの未来を暗示するかのように。私は見えない敵の正体を突き止めるため、ただひたすらに馬を走らせ続けた。
「申し上げます! 隣国グリューネヴァルト王国が、国境付近に大規模な軍を集結させているとの報! その数、およそ三千!」
その報告に、城の評定の間は静まり返り、凍てついた。
「……馬鹿な!」
父が思わず声を上げた。
「フリードリヒ王は我々と相互不可侵条約を結んだはずだ!それを一方的に破棄するというのか!?」
「おそらくは……。我々と王都との内乱に乗じ、漁夫の利を得ようという魂胆なのでしょう。あの『狡猾狐』ならば、やりかねません」
コンラートが悔しそうに唇を噛む。家臣たちは皆、動揺を隠せない。無理もない。ただでさえ王都という強大な敵を前にしているのだ。今、背後を突かれればローゼンベルクは崩壊する。二正面作戦――それは軍事における禁忌にして、最悪の愚策だ。
(……フリードリヒ王。あなたも、私を裏切るの……?)
私の胸に失望と怒りが込み上げた。あの砦で固く握手を交わした彼の顔が蘇る。あの豪快な笑みも、全ては偽りだったというのか。やはり国家間の約束など、薄っぺらな紙切れ一枚ほどの価値もないのか。
「……ヴィクトリア。どうする?」
父が苦悩に満ちた表情で私に問う。今やローゼンベルカの最終的な意思決定権は、私に委ねられている。
「……やむを得ません。王都への進軍は延期。軍を二つに分け、半数を直ちに西の国境へ」
私は苦渋の決断を下した。本心では、今すぐにでも王都へ攻め込みたい。だが背後の憂いを断たぬ限り、それは不可能だ。
「私が西へ向かいます。父上は残りの兵を率いて、この領都の守りを固めてください」
「……分かった。だがヴィクトリア、くれぐれも無理はするな。戦わずして勝つ道もあるはずだ。外交の余地はまだ……」
「いいえ、父上」
私は父の言葉を遮った。その瞳には氷のように冷たい光が宿っていた。
「裏切り者にもはや言葉は不要。鉄と炎による制裁あるのみです」
私の変貌に、父は息を呑んだ。もはやそこにいるのは彼の愛する娘ではない。国を背負い、非情な決断を下す、一人の冷徹な君主の姿があるだけだった。
その日から、ローゼンベルクはにわかに慌ただしさを増した。二千五百の兵が、急ぎ西の国境へと旅立ってゆく。その光景を、領民たちは不安げな表情で見送っていた。一枚岩だった領内の空気に、初めて不協和音が生じ始めたのを感じる。
(……これもリヒター宰相の狙い通りという訳か)
おそらくグリューネヴァルトの不穏な動きも、宰相が裏で糸を引いているのだろう。彼はフリードリヒ王に甘言を弄し、我々の背後を突くよう仕向けたに違いない。そして我々が兵力を分散させた隙を突き、王都から大軍を差し向ける。完璧な策略だ。
私は西へ向かう軍の先頭で、馬を駆りながら思考を巡らせていた。どこかがおかしい。あまりに事が運びすぎている。まるで誰かが描いた筋書きの上で踊らされているかのようだ。
(……フリードリヒ王。あなたは本当に、そんな単純な利益に釣られる男だったかしら?)
私の脳裏に、あの狡猾な王の切れ長の目がちらつく。彼は確かに油断ならない男だ。しかし同時に、極めて優れた現実主義者でもあった。ローゼンベルクを敵に回すリスクを、彼が理解していないはずがない。
宰相が提示するであろう甘言と、ローゼンベルクとの全面戦争。現実主義者の彼がその二つを天秤にかけ、前者を選ぶだろうか?いや――。
(……何か裏がある)
私は直感した。この隣国の不穏な動きは、単なる裏切りではない。もっと複雑な、何か別の意図が隠されている。
セドリック伯爵の謎めいた警告。そして、グリューネヴァルトの不可解な軍事行動。二つの出来事が、私の頭の中で繋がりそうで繋がらない。濃い霧の中を彷徨っているようだ。
私は馬上で小さくため息をついた。孤独だった。この巨大な謎を、誰にも相談できず、一人で解き明かさねばならない。信じられるのは、己の直感と判断力のみ。
西の国境までは、あと三日。それまでに答えを見つけなければ。さもなければ我々は、本当に破滅する。
空には不吉な暗雲が垂れ込めていた。ローゼンベル-クの未来を暗示するかのように。私は見えない敵の正体を突き止めるため、ただひたすらに馬を走らせ続けた。
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