51 / 60
第六章:王都包囲と新時代
第51話 絶望の夜明け
しおりを挟む
王都の夜は嘘のような静寂に包まれていた。城門は固く閉ざされ、市民たちは恐怖から家に閉じこもる。しかし彼らはまだ本当の絶望を知らなかった。ローゼンベルク軍の規模を、その目で見てはいなかったからだ。
そして、夜が明けた。王都の民を絶望の淵へと叩き落とす、運命の夜明けが。
最初に彼らの眠りを破ったのは音だった。一つではない。幾千、幾万と重なり合った、荘厳で、しかし腹の底を震わせるような角笛の音。それはまるで天の御使いが最後の審判を告げに来たかのような、圧倒的な音の奔流だった。
ブオオオオオオオオオオッ!
王都の東、南、北。三方を完全に埋め尽くす大軍勢から、一斉に勝利の角笛が放たれた。その音に叩き起こされた王都の市民と兵士たちは、何事かと城壁の上へ駆け上がった。そして彼らは見た。生涯忘れることのできない、絶望的な光景を。
地平線の彼方まで、見渡す限りどこまでも続く兵士の波。林立する槍の穂先が朝日を浴びて無慈悲にきらめいている。そしてその頭上には、数えきれないほどの旗、旗、旗。
黄金の獅子と白銀の薔薇をあしらったローゼンベルクの旗。山狼、岩山と槌、辺境諸侯の勇猛な旗。そして昨日まで王家に忠誠を誓っていたはずの、周辺諸侯たちの見慣れた旗までもがその中に混じっている。
その数、十万。いや、それ以上かもしれない。もはや正確な数など誰にも分からなかった。ただ分かるのは、この王都が完全に飲み込まれようとしているという絶対的な事実だけだ。
「……あ……あ……」
城壁の上にいた近衛兵の一人が腰を抜かし、その場にへたり込んだ。その顔は血の気を失い、まるで死人のようだ。彼の恐怖は瞬く間に城壁の上の全ての兵士たちに伝染した。
「……嘘だろ。あんな大軍……」 「我々は一万しかいないのだぞ!勝てるわけがない!」 「もう終わりだ……。我々は皆殺しにされる……」
戦う前から彼らの心は完全に折れていた。昨日まで辺境の田舎軍と侮っていた相手。その本当の姿は、彼らの想像を遥かに超えた巨大な怪物だったのだ。
宰相リヒターもまた王宮の最も高い塔の上から、その光景を目の当たりにしていた。彼の顔は蒼白を通り越し土気色になっていた。その蛇のような瞳が恐怖に大きく見開かれている。
(……馬鹿な。なぜだ。なぜ、これほどの大軍に……)
彼の頭脳は完全に混乱していた。ヴィクトリアが北から来ることは計算外だった。諸侯たちが次々と寝返ることも計算外だった。グリューネヴァルトが裏で手を結んでいたことなど夢にも思わなかった。彼の完璧だったはずの盤上は今や見るも無惨に破壊し尽くされていた。
「……まだだ。まだ終わってはおらん」
宰相は震える声で呟いた。
「籠城すればまだ勝機はある。この王都の城壁は難攻不落。食料も数ヶ月は持つ。……その間に他の忠実な諸侯からの援軍が来れば……」
しかし、その希望的観測がいかに脆いものであったかを彼はすぐに思い知らされることになる。ヴィクトリアの本当の恐ろしさは、その軍事力だけではなかったのだから。
包囲を完了したローゼンベルク軍は、しかしすぐには攻撃を開始しなかった。彼らはただ静かに王都を取り囲んでいる。その不気味な静けさが、かえって城内の人々の恐怖を煽った。
やがてローゼンベルク軍の陣営から奇妙な物体が姿を現した。ヴィクトリアが開発させた新型の移動式投擲機(トレビュシェット)だ。その数、五十台以上。それらがずらりと王都の城壁の前に並べられていく。
「……いよいよ攻撃が始まるぞ!」 「石が飛んでくるぞ!伏せろ!」
城壁の上の兵士たちが身構える。しかし投擲機が放ったものは、彼らの予想を完全に裏切るものだった。
ヒュルルルル……
奇妙な風切り音と共に空から舞い降りてきたのは石ではなかった。それは無数の白い紙切れだった。雪のようにひらひらと王都の中に舞い落ちてくる。市民たちが恐る恐るその一枚を拾い上げる。そこには、簡単だが心を揺さぶる言葉が記されていた。
『王都の市民たちへ。我らが敵は宰相と王子のみ。罪なき、あなたたちではない。門を開け放て。さすれば、あなたたちの平和な暮らしを約束しよう』
それは降伏を促すビラだった。そしてヴィクトリアの攻撃はそれだけでは終わらなかった。次に投擲機が放ったものに、王都の人々はさらに度肝を抜かれることになる。それはパンであり、チーズであり、干し肉だった。食料が空から降ってきたのだ。
絶望の夜明け。それは王都の支配者たちにとっての終わりの始まり。そして虐げられてきた市民たちにとっては、解放の希望の光が差し込み始めた瞬間でもあった。
ヴィクトリアの本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
そして、夜が明けた。王都の民を絶望の淵へと叩き落とす、運命の夜明けが。
最初に彼らの眠りを破ったのは音だった。一つではない。幾千、幾万と重なり合った、荘厳で、しかし腹の底を震わせるような角笛の音。それはまるで天の御使いが最後の審判を告げに来たかのような、圧倒的な音の奔流だった。
ブオオオオオオオオオオッ!
王都の東、南、北。三方を完全に埋め尽くす大軍勢から、一斉に勝利の角笛が放たれた。その音に叩き起こされた王都の市民と兵士たちは、何事かと城壁の上へ駆け上がった。そして彼らは見た。生涯忘れることのできない、絶望的な光景を。
地平線の彼方まで、見渡す限りどこまでも続く兵士の波。林立する槍の穂先が朝日を浴びて無慈悲にきらめいている。そしてその頭上には、数えきれないほどの旗、旗、旗。
黄金の獅子と白銀の薔薇をあしらったローゼンベルクの旗。山狼、岩山と槌、辺境諸侯の勇猛な旗。そして昨日まで王家に忠誠を誓っていたはずの、周辺諸侯たちの見慣れた旗までもがその中に混じっている。
その数、十万。いや、それ以上かもしれない。もはや正確な数など誰にも分からなかった。ただ分かるのは、この王都が完全に飲み込まれようとしているという絶対的な事実だけだ。
「……あ……あ……」
城壁の上にいた近衛兵の一人が腰を抜かし、その場にへたり込んだ。その顔は血の気を失い、まるで死人のようだ。彼の恐怖は瞬く間に城壁の上の全ての兵士たちに伝染した。
「……嘘だろ。あんな大軍……」 「我々は一万しかいないのだぞ!勝てるわけがない!」 「もう終わりだ……。我々は皆殺しにされる……」
戦う前から彼らの心は完全に折れていた。昨日まで辺境の田舎軍と侮っていた相手。その本当の姿は、彼らの想像を遥かに超えた巨大な怪物だったのだ。
宰相リヒターもまた王宮の最も高い塔の上から、その光景を目の当たりにしていた。彼の顔は蒼白を通り越し土気色になっていた。その蛇のような瞳が恐怖に大きく見開かれている。
(……馬鹿な。なぜだ。なぜ、これほどの大軍に……)
彼の頭脳は完全に混乱していた。ヴィクトリアが北から来ることは計算外だった。諸侯たちが次々と寝返ることも計算外だった。グリューネヴァルトが裏で手を結んでいたことなど夢にも思わなかった。彼の完璧だったはずの盤上は今や見るも無惨に破壊し尽くされていた。
「……まだだ。まだ終わってはおらん」
宰相は震える声で呟いた。
「籠城すればまだ勝機はある。この王都の城壁は難攻不落。食料も数ヶ月は持つ。……その間に他の忠実な諸侯からの援軍が来れば……」
しかし、その希望的観測がいかに脆いものであったかを彼はすぐに思い知らされることになる。ヴィクトリアの本当の恐ろしさは、その軍事力だけではなかったのだから。
包囲を完了したローゼンベルク軍は、しかしすぐには攻撃を開始しなかった。彼らはただ静かに王都を取り囲んでいる。その不気味な静けさが、かえって城内の人々の恐怖を煽った。
やがてローゼンベルク軍の陣営から奇妙な物体が姿を現した。ヴィクトリアが開発させた新型の移動式投擲機(トレビュシェット)だ。その数、五十台以上。それらがずらりと王都の城壁の前に並べられていく。
「……いよいよ攻撃が始まるぞ!」 「石が飛んでくるぞ!伏せろ!」
城壁の上の兵士たちが身構える。しかし投擲機が放ったものは、彼らの予想を完全に裏切るものだった。
ヒュルルルル……
奇妙な風切り音と共に空から舞い降りてきたのは石ではなかった。それは無数の白い紙切れだった。雪のようにひらひらと王都の中に舞い落ちてくる。市民たちが恐る恐るその一枚を拾い上げる。そこには、簡単だが心を揺さぶる言葉が記されていた。
『王都の市民たちへ。我らが敵は宰相と王子のみ。罪なき、あなたたちではない。門を開け放て。さすれば、あなたたちの平和な暮らしを約束しよう』
それは降伏を促すビラだった。そしてヴィクトリアの攻撃はそれだけでは終わらなかった。次に投擲機が放ったものに、王都の人々はさらに度肝を抜かれることになる。それはパンであり、チーズであり、干し肉だった。食料が空から降ってきたのだ。
絶望の夜明け。それは王都の支配者たちにとっての終わりの始まり。そして虐げられてきた市民たちにとっては、解放の希望の光が差し込み始めた瞬間でもあった。
ヴィクトリアの本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
51
あなたにおすすめの小説
『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』
鷹 綾
恋愛
内容紹介
王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。
涙を流して見せた彼女だったが──
内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。
実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。
エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。
そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。
彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、
**「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。
「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」
利害一致の契約婚が始まった……はずが、
有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、
気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。
――白い結婚、どこへ?
「君が笑ってくれるなら、それでいい」
不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。
一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。
婚約破棄ざまぁから始まる、
天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー!
---
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さくら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
【完結】「お前に聖女の資格はない!」→じゃあ隣国で王妃になりますね
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【全7話完結保証!】
聖王国の誇り高き聖女リリエルは、突如として婚約者であるルヴェール王国のルシアン王子から「偽聖女」の烙印を押され追放されてしまう。傷つきながらも母国へ帰ろうとするが、運命のいたずらで隣国エストレア新王国の策士と名高いエリオット王子と出会う。
「僕が君を守る代わりに、その力で僕を助けてほしい」
甘く微笑む彼に導かれ、戸惑いながらも新しい人生を歩み始めたリリエル。けれど、彼女を追い詰めた隣国の陰謀が再び迫り――!?
追放された聖女と策略家の王子が織りなす、甘く切ない逆転ロマンス・ファンタジー。
家族から虐げられた令嬢は冷血伯爵に嫁がされる〜売り飛ばされた先で温かい家庭を築きます〜
香木陽灯
恋愛
「ナタリア! 廊下にホコリがたまっているわ! きちんと掃除なさい」
「お姉様、お茶が冷めてしまったわ。淹れなおして。早くね」
グラミリアン伯爵家では長女のナタリアが使用人のように働かされていた。
彼女はある日、冷血伯爵に嫁ぐように言われる。
「あなたが伯爵家に嫁げば、我が家の利益になるの。あなたは知らないだろうけれど、伯爵に娘を差し出した家には、国王から褒美が出るともっぱらの噂なのよ」
売られるように嫁がされたナタリアだったが、冷血伯爵は噂とは違い優しい人だった。
「僕が世間でなんと呼ばれているか知っているだろう? 僕と結婚することで、君も色々言われるかもしれない。……申し訳ない」
自分に自信がないナタリアと優しい冷血伯爵は、少しずつ距離が近づいていく。
※ゆるめの設定
※他サイトにも掲載中
婚約破棄を兄上に報告申し上げます~ここまでお怒りになった兄を見たのは初めてでした~
ルイス
恋愛
カスタム王国の伯爵令嬢ことアリシアは、慕っていた侯爵令息のランドールに婚約破棄を言い渡された
「理由はどういったことなのでしょうか?」
「なに、他に好きな女性ができただけだ。お前は少し固過ぎたようだ、私の隣にはふさわしくない」
悲しみに暮れたアリシアは、兄に婚約が破棄されたことを告げる
それを聞いたアリシアの腹違いの兄であり、現国王の息子トランス王子殿下は怒りを露わにした。
腹違いお兄様の復讐……アリシアはそこにイケない感情が芽生えつつあったのだ。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私は実は“本物の聖女”でした。
さくら
恋愛
私――ミリアは、クラスで地味で取り柄もない“都合のいい子”だった。
そんな私が、いじめの張本人だった美少女・沙羅と一緒に異世界へ召喚された。
王城で“聖女”として迎えられたのは彼女だけ。
私は「魔力が測定不能の無能」と言われ、冷たく追い出された。
――でも、それは間違いだった。
辺境の村で出会った青年リオネルに助けられ、私は初めて自分の力を信じようと決意する。
やがて傷ついた人々を癒やすうちに、私の“無”と呼ばれた力が、誰にも真似できない“神の光”だと判明して――。
王都での再召喚、偽りの聖女との再会、かつての嘲笑が驚嘆に変わる瞬間。
無能と呼ばれた少女が、“本物の聖女”として世界を救う――優しさと再生のざまぁストーリー。
裏切りから始まる癒しの恋。
厳しくも温かい騎士リオネルとの出会いが、ミリアの運命を優しく変えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる