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第六章:王都包囲と新時代
第52話 城壁の上の微笑み
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ヴィクトリアの仕掛けた心理戦は効果てきめんだった。空から降ってきたビラは瞬く間に王都中に広まった。市民たちはそれを読み、囁き合う。
「ローゼンベルクの姫君は、俺たちの敵じゃないそうだ」 「宰相と王子だけを引き渡せば、街には手を出さないと……」
人々の心に宰相への不満と、ヴィクトリアへの淡い期待が芽生え始めた。その期待に火を注いだのが、次に降ってきた食料だった。
王都はすでに宰相の命令で籠城体制に入っている。食料は配給制となり市民は飢え始めていた。そんな彼らの頭上に、天からの恵みのようにパンや肉が降ってきたのだ。
子供たちが歓声を上げてパンに駆け寄る。母親たちが涙を流してそれを拾い集める。その光景は王都の支配者たちが作り出した地獄と、あまりにも対照的だった。
「何をしておるか!そのパンを食べるな!毒が塗ってあるやもしれんぞ!」 「全て燃やしてしまえ!反逆者の恵みなど受けてはならん!」
宰相の命令を受けた近衛兵たちが市民から食料を奪い、燃やそうとする。しかしその行為が、決定的な亀裂を生んだ。
「やめてくれ!俺たちの食料だ!」 「お前たちは俺たちを飢え死にさせる気か!」
今まで権力者に黙って従うだけだった市民が、初めて公然と反抗の声を上げたのだ。街のあちこちで市民と近衛兵との小競り合いが始まる。王都の結束は内側から音を立てて崩壊し始めていた。
私はその全ての光景を小高い丘の上の本陣から、遠眼鏡で静かに見つめていた。全て私の筋書き通り。私はこの戦いを血で終わらせるつもりはなかった。王都を火の海にすれば勝つことはできるだろう。しかしそれでは多くの罪なき民が犠牲になる。そして焼け野原になった都を手に入れても意味がない。
私が欲しているのは人心。民が心から私を新しい指導者として受け入れること。そのための布石だった。
「……ヴィクトリア。お前は本当に恐ろしい娘だな」
隣で同じく遠眼鏡を覗いていた父が、感嘆とも呆れともつかない声で言った。
「戦場で剣を振るうだけが戦ではないと、初めて知ったわ。……人心をこれほどまでに巧みに操るとはな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ、父上」
私は遠眼鏡から目を離し、父に微笑みかけた。
「宰相は恐怖で人を支配しようとしました。しかし恐怖による支配は脆い。より大きな恐怖の前には、あっさりと崩れ去ります。……私が与えようとしているのは恐怖ではありません。希望ですわ」
飢えた者にはパンを。虐げられた者には解放を。未来を諦めた者には、新しい時代の夢を。それこそがどんな新兵器よりも強力な武器なのだ。
父は何も言わず、ただ私の肩を力強く叩いた。その無言の手が、お前のやり方を信じている、と語っているようだった。
私は再び遠眼鏡を覗いた。王宮の最も高い塔に人影が見える。おそらく宰相リヒターだろう。彼もまたこの王都の混乱を見ているはずだ。そして自分の足元が崩れ始めていることに気づき、焦っているに違いない。
私は彼に見せつけるように、ゆっくりと兜を脱いだ。私の白銀の髪が春の陽光を浴びてキラキラと輝く。そして私は王宮に向かって、優雅に微笑んでみせた。
城壁の上の微笑み。それは絶対的な勝利を確信した女王の微笑み。そして、これから始まる旧時代の終わりの鎮魂歌(レクイエム)だった。
私のその挑発的な微笑みは、宰相の最後の理性を完全に破壊することになる。追い詰められた彼はもはや誰の声も耳に届かなくなり、狂気の淵へと転がり落ちていくのだ。
「……コンラート」
私は側に控えていたコンラートを呼んだ。
「はっ」
「王都の内部にいる協力者たちに伝えなさい。『時は満ちた。今宵、獅子が牙を剥く』と」
協力者。その筆頭にいるのはもちろん、エリオット第二王子殿下。そして彼に賛同する改革派の貴族たち。彼らが内側から門を開ける、その時が来たのだ。
外からの軍事的な圧力。内からの民衆の蜂起。そして宮廷内部からのクーデター。三重の波状攻撃が、今夜、王都を飲み込む。宰相にもはや逃げ場はなかった。
私は燃え盛るような夕日を見つめていた。この美しい夕日が沈む時、一つの時代が終わりを告げる。そして新しい太陽が昇るのだ。私のこの手によって。
「ローゼンベルクの姫君は、俺たちの敵じゃないそうだ」 「宰相と王子だけを引き渡せば、街には手を出さないと……」
人々の心に宰相への不満と、ヴィクトリアへの淡い期待が芽生え始めた。その期待に火を注いだのが、次に降ってきた食料だった。
王都はすでに宰相の命令で籠城体制に入っている。食料は配給制となり市民は飢え始めていた。そんな彼らの頭上に、天からの恵みのようにパンや肉が降ってきたのだ。
子供たちが歓声を上げてパンに駆け寄る。母親たちが涙を流してそれを拾い集める。その光景は王都の支配者たちが作り出した地獄と、あまりにも対照的だった。
「何をしておるか!そのパンを食べるな!毒が塗ってあるやもしれんぞ!」 「全て燃やしてしまえ!反逆者の恵みなど受けてはならん!」
宰相の命令を受けた近衛兵たちが市民から食料を奪い、燃やそうとする。しかしその行為が、決定的な亀裂を生んだ。
「やめてくれ!俺たちの食料だ!」 「お前たちは俺たちを飢え死にさせる気か!」
今まで権力者に黙って従うだけだった市民が、初めて公然と反抗の声を上げたのだ。街のあちこちで市民と近衛兵との小競り合いが始まる。王都の結束は内側から音を立てて崩壊し始めていた。
私はその全ての光景を小高い丘の上の本陣から、遠眼鏡で静かに見つめていた。全て私の筋書き通り。私はこの戦いを血で終わらせるつもりはなかった。王都を火の海にすれば勝つことはできるだろう。しかしそれでは多くの罪なき民が犠牲になる。そして焼け野原になった都を手に入れても意味がない。
私が欲しているのは人心。民が心から私を新しい指導者として受け入れること。そのための布石だった。
「……ヴィクトリア。お前は本当に恐ろしい娘だな」
隣で同じく遠眼鏡を覗いていた父が、感嘆とも呆れともつかない声で言った。
「戦場で剣を振るうだけが戦ではないと、初めて知ったわ。……人心をこれほどまでに巧みに操るとはな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ、父上」
私は遠眼鏡から目を離し、父に微笑みかけた。
「宰相は恐怖で人を支配しようとしました。しかし恐怖による支配は脆い。より大きな恐怖の前には、あっさりと崩れ去ります。……私が与えようとしているのは恐怖ではありません。希望ですわ」
飢えた者にはパンを。虐げられた者には解放を。未来を諦めた者には、新しい時代の夢を。それこそがどんな新兵器よりも強力な武器なのだ。
父は何も言わず、ただ私の肩を力強く叩いた。その無言の手が、お前のやり方を信じている、と語っているようだった。
私は再び遠眼鏡を覗いた。王宮の最も高い塔に人影が見える。おそらく宰相リヒターだろう。彼もまたこの王都の混乱を見ているはずだ。そして自分の足元が崩れ始めていることに気づき、焦っているに違いない。
私は彼に見せつけるように、ゆっくりと兜を脱いだ。私の白銀の髪が春の陽光を浴びてキラキラと輝く。そして私は王宮に向かって、優雅に微笑んでみせた。
城壁の上の微笑み。それは絶対的な勝利を確信した女王の微笑み。そして、これから始まる旧時代の終わりの鎮魂歌(レクイエム)だった。
私のその挑発的な微笑みは、宰相の最後の理性を完全に破壊することになる。追い詰められた彼はもはや誰の声も耳に届かなくなり、狂気の淵へと転がり落ちていくのだ。
「……コンラート」
私は側に控えていたコンラートを呼んだ。
「はっ」
「王都の内部にいる協力者たちに伝えなさい。『時は満ちた。今宵、獅子が牙を剥く』と」
協力者。その筆頭にいるのはもちろん、エリオット第二王子殿下。そして彼に賛同する改革派の貴族たち。彼らが内側から門を開ける、その時が来たのだ。
外からの軍事的な圧力。内からの民衆の蜂起。そして宮廷内部からのクーデター。三重の波状攻撃が、今夜、王都を飲み込む。宰相にもはや逃げ場はなかった。
私は燃え盛るような夕日を見つめていた。この美しい夕日が沈む時、一つの時代が終わりを告げる。そして新しい太陽が昇るのだ。私のこの手によって。
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