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本編 第一部
34. 夏至祭
しおりを挟むそれから日々をなんとかやり過ごし、夏至祭の前日になった。
もう夜の十時近いのに、外は明るい。
春から次第に日が出ている時間が長くなった。夏は昼が長く、冬は夜が長くなる。この時期、庶民は夕方には仕事を切り上げ、酒場で酒や食事を楽しみながらおしゃべりするそうだ。
僕は時計を見て行動し、できるだけ体内時計を同じにたもっている。
この時期は、日をさえぎる分厚いカーテンが欠かせない。
タルボは朝からはりきって準備しており、寝る前に籠に入れた薬草を持ってきた。
「ディル様、明日は夏至祭ですね。というわけで、前日の今日は、薬草を枕の下に置いて寝てください。明日は、これでハーブティーを飲みましょう。今日摘んだ薬草は、特に効果が高いといわれているんですよ」
夏至は、夏の到来を意味する。
これからの実りを祝って、シーデスブリーク王国では各地で祭りをする。
〈楽園〉にとっては、神の使徒オメガのお披露目の日だ。信者や観光客がどっと詰めかけ、にぎやかになるそうだ。
タルボが分かりやすく浮かれているので、僕は思わず話しかける。
「タルボはずいぶん楽しそうだね」
「ええ、夏至祭は楽しいじゃないですか。神官もごちそうを食べられるんですよ。それに何より、ディル様を飾り付けて、信者に自慢できるのが楽しい!」
タルボにとっては、仕えているオメガを自慢できる最高の日らしい。
僕は笑いをこぼす。
「明日は日の出起床で、すぐに風呂に入って体を清めて、それから衣装の着付けでしたっけ?」
「ええ。いつもでしたら、ディルレクシア様は歌か舞を披露なさいますが、今回は手を振るだけで結構ですよ」
「そういえば、既婚のオメガは夏至祭や冬至祭はどうするんですか?」
僕は寝床に入る。枕の下に敷かれた薬草がほんのり香った。僕は結構、好きなにおいだ。
「発情期以外では、できるだけ参加することとなっております。〈楽園〉だと警備が万全なので、こちらにお帰りいただく形ですね。こればっかりはオメガがわがままを言っても、神官は認めません。オメガの生活は、神殿への寄付金でまかなっていることが多いので、信者に顔見せくらいはしないと示しがつきませんからね」
年に二回の顔見せだけで、この生活ができるなら、お代としてはかなり安上がりだなと僕は考える。
「では、お休みなさいませ」
「お休み、タルボ」
タルボが魔導具の明かりを消して、部屋を出て行く。
僕はすっと眠気に引き込まれながら、「そういえばタルボはほとんど傍にいるが、いつ休憩をしているんだろうか」と、不思議に思った。
翌朝、目が覚めるなり、僕は首を傾げた。
(なんか、暑いような)
気のせいか熱っぽいように思うが、今日は忙しいからと見て見ぬふりをして、タルボが用意してくれた風呂に入る。
薬草入りの風呂を出ると、ハーブティーと朝食が待っていた。
食欲はあるので、出された食事をたいらげると、今度は着付けだ。
白い絹のロングワンピースに、大きな布を巻き付けて、豪華な宝石と金の飾りでとめる。古代の神官の衣装を模倣しているらしく、シンプルなのに威厳があるように見えた。
僕の頭には、黒髪に映えるようにと、銀製の草の冠に、白薔薇をとめた。
「ディル様、神話に出てくる神様みたいですよ。素晴らしい! しかし、ディルレクシア様は不遜な男神という感じでしたのに、ディル様だと中性的に見えるなんて不思議ですねえ」
衣装は毎回同じものだという。
ディルレクシアを見慣れているタルボは、物珍しげに僕を眺めた。
「はは……」
返事に困った僕は、とりあえず笑った。
「さて、中央棟に参りましょうか。大神殿に入る時は、決して私から離れませんように。熱心な信者は、時に猛獣のようで恐ろしいですからね」
「はい」
群衆が駆け寄ってくる様を想像すると、僕は緊張する。
「今回は特別に、婚約者候補のお二人を呼んでいます。祭事の後は忙しいので、今のうちにお声がけください」
薔薇棟の廊下を進みながら、タルボはにんまり笑顔で言った。
二人がいるのかと思うと、着慣れない格好がとたんに気になってしまう。
(大仰すぎて、衣装に着られているような)
そわそわしながら中央棟に入ると、薔薇棟に近い廊下で、シオンとネルヴィスが待ち構えていた。どちらも正装だ。
シオンは黒衣、ネルヴィスは灰色の服装である。薄手のものながら、上着とシャツ、トラウザーズがびしっと決まっている。シオンは青、ネルヴィスは黄色を差し色にしており、カフスやネクタイピンがさりげなくおしゃれだ。
生粋の貴族は、服の着こなし方を親から受け継ぐため、自然な気配りが服装の細かいところに出る。成金が貴族から教養を学びたがる理由は、そういったところにあった。
(さすが、二人とも、ほれぼれする着こなしだなあ)
服を選ぶのが好きなせいか、僕はファッションセンスが良い人を見かけるとじっくり観察してしまう癖がある。
「ディル様、このよき日にお会いできて光栄で……。ええっ、ちょっと待った!」
ネルヴィスがスマートにあいさつしようとして、突然、動揺をあらわにして後ろに下がった。
「フェルナンド卿の言う通りです。ディル様、どうしてお部屋から出ていらっしゃるんです? このまま先に進んでは危険です」
シオンもまた、後ろにじりっと下がる。
「どうしたんですか?」
この二人はなんだかんだ優しいから、社交辞令でも服装を褒めてくれるかもと期待していた僕は、ちょっとがっかりした気分で問う。
「タルボ殿、ベータだから気づかないんですか? ディル様、フェロモンが出ていますよ。発情期が始まっているようです」
「なんですって!?」
仰天したのはタルボだけでなく、僕もだ。
「おかしい。次の発情期は、夏至祭を終えてから二週間後くらいのはず……こんなにずれるなんて。うーん、駄目だ、薬草のにおいをかぎすぎて、ディル様のフェロモンまで分かりません」
どうやら、夏至祭の準備のために薬草を扱っていたことで、タルボの鼻のききが悪くなっていたみたいだ。不幸な偶然である。
「ディル様、ただちに薔薇棟に戻りましょう。誰か!」
タルボは神官を呼び、事情を話して不参加を告げる。
「教えていただいてありがとうございます、お二方。やはりアルファは、オメガのにおいに敏感ですね。こればっかりはベータの私では訓練しようがありません。不徳のいたすところです。大変申し訳ありませんでした、ディル様」
「構わないよ。僕も気づいていなかったから」
ささいな違和感はあったが、タルボが発情期を把握していたから、僕は気のせいだと見過ごした。僕の責任でもある。
「わざわざご足労いただいたのに、申し訳ございません、お二人とも」
僕が謝ると、シオンが首を振る。
「その麗しいお姿を拝見できただけで、やって来た甲斐があるというものです。こちらのことは構わず、薔薇棟にお戻りください」
「ええ、神話の神のようでお美しいですが、あなたのフェロモンは凶悪なんですから、早くお帰りください。今日は人の出入りが多いんです。害虫が寄ってきてはことですから」
――ディルレクシアのフェロモンは、凶悪なの……!?
ネルヴィスの言葉に、僕はたじろいだ。
とにかく二人が戻れと急かすので、僕はお辞儀をして薔薇棟に駆け戻る。門番の神官も、事情を聞いて泡をくった顔をした。
僕は薔薇棟に戻ると、すぐに部屋着に着替えた。
そして落ち着いた途端、本格的に発情期がやって来て、とてもじゃないが立っていられない。
「何……これ。強烈すぎる」
熱に浮かされ、腰の奥がうずく。
前の世界の時は、もっとおだやかな発情だった。微熱が出て、けだるくて、でも部屋に閉じこもって寝ていれば、そのうち終わるのに。
ディルレクシアの体だと、王太子に番破棄をされた後の、狂おしい発情期並みにきつい。
そう、例えば、ずっと全力疾走するはめになっているかのようだ。
「ディル様、発情の緩和剤をお飲みください」
タルボがすぐに薬を持ってきた。
「抑制剤は?」
「なんですか、それ」
この世界には、抑制剤がない!?
僕は一瞬、発情期も忘れて驚いた。
「副作用はありますが、フェロモンも発情も抑える薬ですよ。僕の世界では飲むのがマナーです」
「そんな副作用があるようなものを、神殿が許可を出すと思います?」
「……そうですね」
そもそも、この世界ではオメガは希少だ。神殿が徹底に監督しているのだから、間違いが起こるわけがない。
ひとまず緩和剤を飲むと、心臓の鼓動がいくらか落ち着いた。ふうと息をつく。
「ディルレクシアはどうやってこの発情期を乗り越えていたんです?」
「ご存じでしょう? フェルナンド卿を寝屋に呼んでいました」
「うっ、それですか」
確かに、アルファの体液を摂取するのが早いとはいえ、僕には抵抗が強い。
「お呼びしましょうか?」
「いえ」
一週間、がんばって耐えるしかなさそうだ。
そう思ったが、三十分後にはきつすぎて、僕は体にこもる熱を発散しようがなく、ひどく苦しんでいた。
「もうっ、無理です! またこんな目にあうくらいなら、死んだほうがましです!」
とうとう思い余って、窓枠に足をかけたところで、タルボに羽交い絞めにされて寝室に戻された。
「ディル様! 落ち着いて!」
「はーなーしーてーっ」
「駄目ですってば!」
格闘すること数分。
とうとうタルボが音を上げた。
「しかたありませんね。とりあえずこれ、お薬です。飲んでください」
副作用があろうが、なんでもいい。
僕は藁にもすがる思いで、タルボが渋々出した薬を飲む。
すると、強烈な眠気に襲われた。
「睡眠薬です。こうなってはしかたありません。あなたはお嫌でしょうが、あの方にご協力いただきますよ」
申し訳なさそうなタルボの言葉を最後に、僕は泥に沈むような眠りに落ちた。
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