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千里眼の魔法使い3 --死の風と喪失の小鳥--
3-2 無防備な小鳥
しおりを挟むその日、近衛騎士のサリタス・グエンはすっきりと目が覚めた。
普段は眠りが浅いのだが、珍しく熟睡してしまった。上半身を起こして伸びをすると、横から声がかかった。
「おはようございます、サリタス」
耳触りの良いイスルの声に、朝はテンションが低いことの多いサリタスの機嫌は自然と良くなった。
「おはよう、よく眠れ……た?」
語尾が疑問形になったのは、イスルの腰に引っ付いている金髪の少女を見つけたからだ。
「何それ」
「ラナですよ。朝、起きるなり部屋に飛びこんできて、くっついて離れないんです。まだ怖いんでしょうね」
ラナは恐る恐るイスルの後ろから顔を出して、ぽそりと言う。
「……おはよう」
可愛らしいソプラノの声だ。
助けようとしたからか、サリタスには好意的のようだ。
「おはよう、ラナ。俺はサリタス・グエン。サリタスって呼んでいいよ」
「……うん。サリタスお兄ちゃん」
兄妹がいないサリタスにも、妹のように可愛らしく見えた。
イスルはラナの頭を撫でる。
「良い子だね、ラナ。すごいですよ、サリタス。ラナ、対人恐怖症になっているみたいで、他の人には口を利かないそうなんです。良かったですね」
「ああ……」
頷いたサリタスであるが、対人恐怖症になったのかと、それも当然かもしれないと不憫な気持ちになる。しかし今は正直、ラナが羨ましくてならない。
「俺もくっついていい?」
「え?」
返事を聞く前に、サリタスはイスルをぎゅっと正面から抱きしめる。ラナが負けじとイスルの腰に抱き着いた。
「え? え? あの、苦しいんですけど、何なんですか」
イスルが戸惑う声を出した時、コンコンと扉がノックされた。サリタスが返事をすると、エイダが顔を出し、怪訝そうにする。
「何をしているのだ?」
「くっついてるだけですが」
「まあ何でもいいが」
いいのか、と、あっさり流すエイダにサリタスは心の中で突っ込みつつ、この姿勢で上司の話を聞くのもまずかろうと、サリタスはイスルから離れる。
エイダはラナに声をかけた。
「ラナ、君の着替えなどを用意してある。こちらの女性と風呂に入ってこい」
「やだ!」
宮廷魔法使いの女の中でも、優しい者を選んだのだろう、エイダの後ろにいる二十代の女は、見るからにおっとりしていた。しかしラナは間髪入れず拒否した。
ラナは白いワンピース姿だ。保護した時よりも綺麗だから、寝ている間に着替えさせたのかもしれない。
イスルはしゃがみこんでラナと目線を合わせる。
「ラナ、君は女の子だから、僕はお風呂の世話は出来ないよ。大丈夫だよ、この白い服を着ている人達は、皆、君の味方だ。他に怪我もあるかもしれないし、お世話になっておいで」
「でも……」
離れがたそうにするラナの、汚れてくすんだ金色の髪を、イスルは軽く撫でる。
「きっと君の髪は、小麦畑みたいにとても綺麗なんだろうね。洗ったらもっと輝くよ。僕、見てみたいなあ」
「……見たいの?」
ラナはむむっと眉を寄せて問う。
「うん、ものすっごく見たい」
「……師匠がそう言うなら仕方ない」
渋々頷いて、ラナは受け入れた。
魔法使いの女は、微笑ましそうににこにこと笑う。
「ラナちゃん、よろしくね。私はニコラといいます」
「……うん」
ニコラの言葉には頷きしか返さなかったが、ラナはニコラについて部屋を出て行った。
エイダは感心したように言う。
「相変わらず、子どもの相手が上手いな、イスル・ブランカ」
「村の子に手習いを教えるのは、薬師の仕事の一つでしたから。ラナへの基礎教育はお任せ下さい、アレット様」
「ほう、そうか。後でどんなものか見ても構わぬか? 場合によっては、案件が一つ片付きそうだ」
「畏まりました。必要でしたら、いつでもお申し付け下さい」
イスルが丁寧にお辞儀をすると、エイダはサリタスを見る。
「グエン男爵、君は、今日はこちらでのラナの護衛任務だ。ラナに聞き取りもしたいが、しばらくはそっとしておくつもりだ。近衛騎士団には話を通してあるが、うるさい輩がいたら適当に追い払ってくれ」
「畏まりました」
サリタスは頷いた。盗賊団の件で怒っている貴族が押しかけてくる可能性があるのかと、護衛の内容についてすぐに思い当る。保護されたばかりで、対人への恐怖もつのっているらしい少女に、これ以上、精神的な傷を負わせたくはない。
心の中で気合を入れた。
「イスル・ブランカ、今日はラナの世話がお前の仕事だ。魔法使いの保護も立派な仕事だ、身を引き締めてかかるのだぞ」
「はい、ご配慮に感謝します、アレット様」
「うむ。とりあえず着替えて、ラナとグエン男爵とともに食事を取ってこい。ずっと寝ていたから空腹だろう。ではな」
エイダはぽんぽんとイスルの頭を撫でると、部屋を出て行った。
「また子ども扱いされた……」
イスルは悲しげに呟いて、頭に手を当てる。
前ならこのやりとりを見てイラついただろうが、昨日、イスルのことをエイダに頼まれたお陰だろうか、サリタスはエイダとイスルの関係性が不思議なくらい気にならなくなった。
「本当に君の保護者なんだね、アレット伯爵って。氷の伯爵と名高い方だから意外だ」
「アレット様は分かりにくいだけで、情に厚い優しい方ですよ。宮廷魔法使いは皆知っています。結構、人気あるんですよ。ただ、怒ると誰よりも怖いですけどね」
「……うん、怒ってるところと毒舌しか見たことないから、俺はかなり驚いてる」
サリタスの上司ルドとエイダは年の離れた友人同士だ。ルドの方が年上なのに、エイダにしょっちゅう説教されている。どちらが年長者か分かったものではない。
そこでイスルはサリタスを見上げ、申し訳なさそうに肩をすくめた。
昨日、宿舎に運んだ際に、お仕着せのマントだけは外したが、詰襟の白い上着に白いズボンという、宮廷魔法使いの制服姿だ。マントがゆったりしている反面、上着とズボンは結構体のラインにぴったりと沿っていて、イスルの細い体躯がありありと分かる。
「サリタス、昨日は申し訳ありませんでした。僕が上着を掴んでたせいで、離れられなかったんでしょう?」
色々と食べさせてもう少し太らせた方がいいのだろうかとこっそり考えながら、サリタスは返事をする。
「ううん、いいよ、あれくらい。むしろ役得。お陰でぐっすり眠れた」
昨日、なかなか上着を離れない右手に、最初は外そうと格闘していたのだが、エイダに一緒に寝てしまえと部屋に放り込まれたのだ。
保護者のわりに、案外、雑である。
貞操とか気にならないんだろうかと、何故かサリタスの方が気になる始末だ。
そのせいでサリタスは夕食を食べ損ねたが、普段から食事には関心が薄いせいか、まあいいかで片付いた。
(まあ、大変だったけど……)
魔力回復中の魔法使いは、死んだように眠るものらしい。サリタスがイスルを抱えたまま部屋をうろついても、全く起きないのは驚きだった。
流石に尿意をもよおした時はどうしようかと思った。
人を一人抱えたままトイレに走る羽目になり、頼むから今は起きないでくれと切に願うという、サリタスのどたばたは、寝ていたイスルは知る由も無い。
今は涼しい顔で受け答えしているが、結構大変だった。
とはいえ、好きな相手を腕に抱えて眠るのは幸せだったので、その辺でチャラである。
「そうですか? ありがとうございます」
サリタスの言葉にたじろいで、イスルはじわっと頬を赤くする。
こういう顔を見ると、昨晩の苦労も弾け飛ぶ。
サリタスはふふと笑い、イスルの髪についている寝癖を引っ張る。
「君も寝起き? 可愛いな」
「うっ、また寝癖がついてますか? ええと、サリタスも着替えて下さい。こちら、近衛騎士団から届きました」
備え付けのテーブルと二脚の椅子に、着替えが積まれて置かれていた。
急な任務で泊まりこみになることも少なくないので、近衛騎士団の待機室には、それぞれの着替えが置いている。恐らくレダ辺りが気を利かせて運んできてくれたのだろう。
「……俺、そんなに人の出入りがあるのに寝てたの?」
普段なら、イスルが起きた時にすでに目が覚めただろうに、驚きだ。
「ええ、ぐっすりでしたよ」
「いつもは眠りが浅いから、意外だ。君の傍だとよく眠れるみたい」
「それならいいんですけど」
照れて返すと、イスルもテーブルの上の着替えを取り上げる。
イスルはあっさり返すが、サリタスにとっては驚きだ。神経質なところがあるので、慣れない他人の気配が傍にあると眠れなくなることが多い。イスルだとむしろ居心地が良いから、相性が良いのだろう。
「僕も着替えますね」
「うん。……ん? 着替え?」
サリタスが特に考えずに頷いた時、イスルは詰襟の白い上着を脱ぎ始めた。サリタスの目の前で。木綿の肌着と、隠れていた白い肌が露わになり、サリタスは慌てて目をそらす。また頭痛を覚えた。
「君さあ、何でそんなに無防備なの? 俺の理性を試してるわけ?」
「え? 下は履いてますけど」
「そういう問題じゃないっ」
首を傾げたイスルは、よく分からないと言いたげに首を横に振る。そして眉間に皺を寄せた。
「本当、都会の人って面倒くさいですね」
それはこちらの台詞だと、サリタスはぴきりとこめかみに青筋を浮かべた。
この辺の感覚の違いだけは、どうしても噛みあわないのがもどかしい。
「あ、タオルがある。それならシャワーを浴びようかな。すみませんがサリタス、先にシャワーを使いますね。ラナが出てくるまでに済ませないといけないので」
「ああ……」
サリタスは溜息混じりに頷き、それなら自分も後でシャワーを使おうと、着替えずにテーブルの傍の椅子に腰かける。
しばらくして、イスルは奥のシャワー室から、濡れた髪をタオルで無造作に拭きながら出てきた。膝丈まである詰襟の上着だけの格好で。生白い足でぺたぺたと部屋に入ってくる。
「イスル、俺の話、全然聞いてないだろ」
「次はなんですか」
心から鬱陶しそうに見られて、サリタスは心が折れそうになった。
「……ズボンはどうしたの?」
「あのズボン、ちゃんと乾いてから履かないと、肌に張りついて上手く履けないんですよ。だからこうして足を乾かしているだけです」
着心地は良いんだけど、ズボンだけは素材がいまいちなんだよなあとイスルはぼやく。
サリタスの向かいの席に座ると、タオルで髪を拭う。髪が濡れているのが新鮮で、白い肌が赤く染まっているのがなんとも艶めかしい。
サリタスは衝動的なものを、左手の甲をつねって耐えた。この小鳥を逃がしたくないので、慎重に囲いこむ作戦中である。我慢だ、我慢。
「あ、シャワー室、どうぞ。今日の朝ご飯、何でしょうね。宿舎のごはんっておいしいから楽しみです」
「ああもう……!」
のほほんと食事の話をし始めたイスルに、サリタスは頭を抱え、今回は説得を諦めた。
男同士だ、イスルが平然としているように、普段ならばサリタスも全く気にしない。
だが相手が好きな人というだけで、ものすごい威力があるらしい。
無造作に素足を出していると、色気があるなんて初めて知った。
それをいちいち説明するのは気恥ずかしすぎる。
サリタスは着替えとタオルを引っ掴むと、シャワー室へ入っていった。
応援ありがとうございます!
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