白家の冷酷若様に転生してしまった

夜乃すてら

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1巻

1-3

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     ◆


 素晴らしい一日だった。
 ゆうを終え、青柳室で風呂に入りながら、青炎が見せてくれた鳳凰を思い返し、碧玉は感嘆のため息をつく。

「宗主様の鳳凰は、お見事でございましたね」

 碧玉の髪を洗う手は丁寧ながら、灰炎もほうけている。門弟らはぼーっとしていて使い物にならないだろう。それも、今日限りは許される。

「父上が式神を見せてくださることなど滅多にない。私もあんな大物を作り出せるようになりたいものだ」
「碧玉様はすでに白虎を作れるのですから、すぐに追いつきますよ」
「お前の口は調子がいいようだな」
「本当のことです」

 灰炎は未来のことなのに、自信たっぷりに言い切った。

(いいや、書物での自分は無理だった。この辺りが限界なのだ)

 碧玉は十五歳の頃から、道士としての力量が伸び悩み始める。一方で、天祐は才能の芽が出て、成長していく。そして碧玉を追い越して、その先に進んでいくのだ。
 それを見ていた碧玉は、義理の弟に、父の愛だけでなく後継ぎの座まで奪われるのかとおびえ、その怒りを憎しみに変えていった。それまで気に入らない下女の血を引く子だったのが、碧玉の居場所を強奪する悪者に見えるようになる。
 そしてこのわいしょうな碧玉という男は、そこで身をわきまえればいいのに、父が築いた権力を自分の力量と思いこんで、せんおうを始めるというわけだ。

「私など、つまらぬ存在だ……」

 考えていたことが、うっかりと口から滑り落ちた。灰炎が驚いて、碧玉の髪を握りしめる。

「おい」
「はっ、申し訳ございません」

 洗い終えたと見てとって、碧玉は風呂おけの中で立ち上がる。ざばりと湯がしたたり落ちた。
 立て掛けられた階段を下りると、灰炎の手から木綿もめんの布を受け取り、碧玉はさっさと水気をぬぐう。それから下着のを穿き、白いないをぞんざいにる。

「碧玉様、当主に必要なのは、道術だけではございませんぞ」

 灰炎が小さな声で、迷いながら言った。

「忘れたのか、灰炎。白家は祓魔業を生業なりわいとしている。家長は誰よりも強くなければならんのだ」

 ただの事実を口にしたつもりだったのに、灰炎の顔は苦渋にゆがんでいる。
 碧玉は不思議に思った。

「なぜ、お前が気にむ?」
「碧玉様のお心を晴らすことができず、心苦しいばかりです」

 大の男がしょんぼりと肩を落としている。それが熊でも、落ちこめば可愛く見えるものらしい。

「私は気にしてはおらぬ。ただ、お前には話しておこう。いずれ天祐に家督をゆずるつもりだ」
「なっ」
「あやつにはそれだけの才がある。私は知っている。今まではどうしても認めたくなかった」
「それはそうでございましょう! しかし、いまだ天祐殿がどうなるか分かりません。決めるには、時期尚早かと」

 灰炎はひかえめに訴えた。
 碧玉は書物の知識からそうだと知っているが、確かに、今の段階では天祐の才能はあらわになっていない。周りには素地のありそうな門弟程度に見えているはずだ。

「……そうだな。ではあの者が十五になるまで、保留としておく。――ところで、灰炎。炭はどうだった?」

 急に話が変わっても、灰炎はなんのことかすぐに理解した。

「黒雲室には、そもそも炭は届けられておりませんでした。そのぅ……」
「何を言いよどむ」
「緑夫人のご命令だそうです。真冬ならばともかく、この時期に天祐殿に炭を与えるなどもったいない、と」
「そうか」

 白家では、母が父に次ぐ権力者だ。祖父母が生きていればさとしただろうが、すでにいため、彼女には誰も逆らえない。

「では、こうしよう。私の炭から取り分けて、天祐の部屋に持っていけ」
「え?」
「兄が弟に分けたのならば、母上の命令にそむいたことにはならぬ」
「……よろしいのですか?」

 灰炎が問うのは、翠花の不興を買うのではないかという意味だ。
 碧玉はふっと口端を吊り上げる。

「母上は私には甘いゆえ、問題ない。念のため、書きつけをやろう。見とがめられたら、母上にお見せするがよい。お前を巻きこむ気はない」

 あの優しい母でも、時に残酷な顔を見せることがある。碧玉へのいらちを、下僕に向ける想像をするのは容易たやすい。

「は。ご配慮に感謝を」

 灰炎は拱手こうしゅすると、碧玉に飲み物を用意してから青柳室を出ていった。


     ◆


 一週間が過ぎ、午後のゆるやかな日差しが差しこむ中、碧玉は自室で帳簿つけに没頭していた。
 領地の運営管理の練習のため、青炎から門弟が使う備品の管理を任されている。前年の帳簿と見比べ、分からないことがあれば算術の教師に質問し、竹簡ちっかんに記す。一月ひとつきごとにまとめ、青炎の許可を得た後、紙の本に清書するという作業を繰り返している。

「よし、今のところは予算内でおさまっている。順調だな。少し紙の消費が増えたのが気になるが……」
「それはしかたがありませんよ。皆、あれから式神の術を練習しているのです」

 部屋に控えている灰炎の口添えに、碧玉は「ああ」と納得した。

「父上の素晴らしい式神を見れば、あのようになりたいと思うのも当然だな」
「皆は碧玉様の白虎びゃっこにもれておりましたし、似たような位置にいる天祐殿に負けたくないと、意地になっているようです」
「天祐にか……まあ分からぬでもないが」

 天祐は十一歳だ。門弟の年齢は、十代から四十代と幅広い。年上の者からすれば、いくら直系の養子に迎えられたとはいえ、天祐の才能を脅威に感じるのは当然だ。何せ、碧玉自身が無意識に天祐を嫌っていた理由が、そこにあるほどである。

「紙は貴重だ。無駄にされては困る。一人が一週間に使える枚数を制限するとしよう」
「それはよいお考えかと。そうすれば、もっと丁寧に練習するでしょう」

 上限を何枚にするべきかと、碧玉が灰炎と話し合っていると、ピチチと小鳥の鳴き声がした。碧玉が窓辺に目を向けると、三日ほど前から現れるようになったすずめがとまっている。冬の羽毛のため、ふくふくとした白い雀だ。つぶらな黒い瞳がこちらを見つめている。

「また来たのか」
「おや、ふくら雀ですか。愛らしいものですな」

 熊のような大男のくせに、灰炎は小さくて可愛いものを好んでいる。女の好みも同じらしく、もし嫁を世話してくれるなら、小柄で目が大きく、よく働く女がいいと、常々口にしているほどだ。

「灰炎、何かえさはないか」
「ちょうど豆を持っています」
「まさか、いつも鳥の餌を持ち歩いているのか?」
「いえいえ、小腹がいた時に食べるおやつですよ」

 豆の入ったきんちゃくを、灰炎が碧玉に差し出す。碧玉は粗末な麻布の巾着を受け取り、った大豆を三粒つまんで、窓辺に置く。雀は小さなくちばしでつまみ、うれしそうに「ピチチ」と鳴いた。

「若様が鳥をお好きとは知りませんでした。いかがですか、お部屋で飼われては。雀の白変種は貴重ですよ。ああ、そういえば、緑家の領地には美しい色の羽を持つ鳥がいるそうです。そちらでもよろしいですね。ご親戚に融通を頼んでみられては?」
「いらぬ。私は小動物には好かれぬからな。これは珍しい一羽だから、餌をやってみただけだ。ここまで近づいても逃げぬとは、よほどのうつけらしい」
「また素直ではないことを……」

 碧玉が白い指先を向けると、雀はその手に飛び乗った。碧玉は目を丸くする。

「愚かな子ほど可愛い」
「え?」
「この言葉の意味が、初めて分かった」
「若様、分かりにくく喜んでいらっしゃるのですな?」

 小さな命を傷つけないように、左手の指先で、そっと頭をなでる。雀は気持ち良さそうに目を細めた。碧玉の口元が自然とゆるむ。

「若様と白雀は絵になります」

 灰炎は感じ入ったようにため息をつき、あろうことか拝み始めた。

「やめよ」

 眉をひそめたところに、緑翠花の侍女が先触れに現れる。
 碧玉は白雀を窓枠に置いてから、ちゃづくえのほうに移動した。
 灰炎が急いで茶を用意したところで、緑翠花が現れる。彼女は春を思わせる淡い桃色と緑を合わせたじゅくんを着ていた。絹のせんさいころもは、天女のように優美だ。

「碧玉、いったいどういうことです」

 普段はおっとりと優しい顔を、緑翠花はいらちに染めている。
 碧玉は席を立ち、母に向けて拱手こうしゅをして礼儀を示す。緑翠花が対面に座ったのを見届けると、座布団に正座をした。

「どういうこと……とは?」

 碧玉はとぼけた。碧玉が天祐に炭を分けたことが、緑翠花に伝わったのだろう。思ったよりは遅かった。

「お前は賢い子です。分かっているでしょう? なぜ、あの者に炭を分けるの。下女の血を継ぐいやしい子よ。もう春なのだから、炭がなくとも凍死などしないわ」
「私は父上の意に従ったまで」
「これまでは、わたくしの心をんでくれたでしょう?」
「おのれの幼稚さを悟りました」
「……なんですって?」

 緑翠花のりゅうがピクリと動く。
 それは遠回しに、彼女をもおとしめる言葉だったのだから、気分を害して当然だ。
 碧玉は背筋を伸ばし、堂々と母に意見を口にする。

「天祐は四歳も年下です。それに加え、下女の子である前に、叔父上の子でもあります。母上は私に、従兄弟をしいたげる、心の狭い男になれとおっしゃるのですか」

 緑翠花は紅を差した唇を、きゅっと引き結ぶ。気まずい沈黙が落ちた。

「母上、私は天祐に優しくして、可愛がるつもりはありません。ただ、兄として――いずれ家長になる身として、公正にあろうと決めただけです」
「炭を分けるのは優しさでは?」
「いいえ。家族の生活基盤を整えるのは、当たり前のことです。そもそも、白家の直系として扱うのでしたら、あのようにおざなりにするのは体面がよくないかと。義弟には白家の者に見合った礼儀作法と教養を与え、衣食住もそれなりにすべきでは? 今の天祐を世人が見れば、白家の者は道徳心がないと思われるでしょう」

 またもや緑翠花の眉がピクリと動く。彼女は富裕の家の出だけあって、体面と礼儀を第一に置いている。世人の評価という言葉は、彼女の心のきんせんに引っかかったようだ。

「私は皆に、母上のことを、『下女の血を引くおいに対して、寛容で心配りのできる優しい女性だ』と思っていただきたいのです」

 しおらしい態度で言う一方、碧玉は内心で舌を出している。
 よくもまあ、ぺらぺらと口が回るものだと、我ながら感心した。
 何もかも、将来、碧玉がこうむる被害を遠ざけるためだ。碧玉だけが態度を変えても、根本的な解決にはならない。白家の二番目の主人が緑翠花である限り、彼女が天祐をかたきにすれば、配下はそれにならうからだ。

「……まあ」

 緑翠花は目をうるませた。

「碧玉、いつの間にか立派になって。まさかわたくしのことをそんなふうに思ってくれていたなんて、考えもしなかったわ」

 彼女はちゃづくえを回りこみ、碧玉をそっと抱き寄せる。

「あなたの孝行心、うれしく思います。息子のあなたがそこまで言うのだもの。母として理解を示さなければ。わたくしも、わざわざあの者に優しくはしませんが、できるだけ公平になるように努めましょう」

 感銘を受けた緑翠花は、玉のような涙をこぼしてほほんだ。碧玉の胸に温かいものが満ちる。緑翠花にはこんなふうに幸せそうに笑う姿がよく似合う。

「母上はご無理をなさらないでください。義弟のことは、父上と私が対処するとお約束いたします。母上の手は、決してわずらわせません」
「分かりました。それでも、困った時は相談にいらっしゃい。可愛い碧玉」

 幼子にするように、緑翠花は碧玉のひたいに口づけを落とす。
 それからの緑翠花は一転して、にこにこと上機嫌になる。侍女に菓子を持ってくるように言いつけ、しばらく碧玉と談笑を楽しんでから自分の部屋に帰っていった。
 緑翠花が去ると、一仕事を終えた碧玉はほっと息をつく。

「なんとか説得できたな」
「若様、ご立派におなりで……」

 灰炎まで感激しているので、碧玉は鬱陶うっとうしく思った。

「灰炎、お前はいちいち面倒くさいな」
「もう少し私に優しくしてくださっても、ばちは当たらないと思いますよ?」

 灰炎は文句を言いながら、茶器を片づける。碧玉が窓辺に目を向けると、白雀しろすずめはすでにどこかに飛び去っていた。

「碧玉様、窓から見える庭に、餌台えさだいや巣箱を置きましょうか」
「いらぬ。どうせもう来ない」

 白雀を惜しいと思うのは、碧玉が小動物に好かれないからだ。恐らく、碧玉の性格や意地の悪さを、小動物は見抜いているのだろう。

「では、豆菓子だけ用意しておきますね」

 白雀を構いたいのは、灰炎のほうに違いなかった。



   二、気質はそうそう変わらない


 碧玉の予想に反して、白雀しろすずめはたびたび顔を見せた。
 碧玉よりも灰炎のほうが白雀のおとないを喜んで、碧玉の許可をとり、庭に餌台えさだいと巣箱を用意した。その上、たかよけまで設置しようと言い出すので、碧玉は呆れつつも許可を出す。滅多と懐かない小さな鳥が碧玉の居室の庭で死ぬのを見るのが、嫌だっただけだ。
 あれから、碧玉は天祐の生活を陰ながら整え、それ以外は自分の修練や勉学にいそしんだ。
 あの書物での碧玉ときたら、白雲の地で暴政を敷いていた。これから数年以内に両親を亡くし、年若くして家長となったために、足りないことが多かったせいだ。かんげんに惑わされ、自分勝手に振る舞って、最後はあの死に方をした。
 凄惨せいさんな死を避けたいなら、することは限られる。
 一つ、天祐と仲違いをしない。二つ、自己研鑽けんさんに励む。三つ、周りとの和をたもつ……と考えたが、三つ目は碧玉の性格的に無理に思えた。
 周りと親しくなく、むしろ厳しくあってもしたわれる君主はいる。公平でいて、領内に気配りして衣食住を整えてやればいいのだ。
 民に交じって笑い合うほど親しくしなくても、良き君主にはなれるはずだ。

(公平とは何か。評価が正しくあるべきだな)

 感情に振り回されているようではいけない。
 道術においては、気の流れを整える修練として、瞑想めいそうを重要視している。碧玉は精神を整えるために、早朝に起きて、必ず一刻は瞑想を行うことにした。
 それから朝食をとって、体術や剣術の稽古をする。他には後継ぎのための勉学をして、道術についての書を読みふける。そうしながら、毎日短時間だけ、浄火の扱いを磨く。
 初めのうち、急に性格を改めて大人しくなった碧玉を、白家の人々は恐々と見守っていた。それが勤勉実直な青炎のように生活するのを見て、ようやく警戒が解け、安心したようだ。
 碧玉が前世の記憶を思い出してから一月ひとつきもすると、周りは碧玉に親しげにあいさつするようになった。
 下位の者となれ合いはしないため、碧玉は頷きだけで返すことが多いが、たまに声をかけることもある。それが「反抗期が終わって丸くなった」と評判だ。
 十五歳の時点で書物について思い出してよかったと、碧玉があんしたのは言うまでもない。

「灰炎、散策に行く」
「それはいいですね。町の者も喜びますよ」

 碧玉が町に散策に行こうと思ったのは、前回、封魔の壺から出てきた怨霊を退治して以来だ。そろそろ碧玉の噂も落ち着いただろう。

「父上にはすでに許可を取っている。行くぞ」

 小遣いを入れた財嚢ざいのうふところに収め、碧玉はすたすたと青柳室を出ていく。灰炎がうれしそうについてきた。
 いくらか歩いて門が見えたあたりで、碧玉は灰炎をちらと見やる。

「そんなに町歩きが好きならば、休みをとって、自由に遊んできてはどうだ?」
「月に二度の休みには、しゅろうであれこれと食べておりますよ。私は若様の傍仕そばづかえなのですから、傍にいるのは当然です」
「月に二度しか休みがないのか? 他の者は?」
「たいていが、月に一度か二度ですよ」
「……知らなかった」

 碧玉は重々しくつぶやいた。思い出すのは、前世の薄らぼんやりした記憶だ。あそこでは過労死というのが問題になっていたではないか。

「せめて週一にできないか、探ってみよう」
「ええっ、その分、給料が減るのでしたら困ります」
「そんなわけがあるか。月に二度しか休まないとは……お前達は働きすぎだ」

 眉をひそめる碧玉を、灰炎は不思議そうに眺める。

「ええと、若様? 普通はできるだけ働かせようとするものですし、どこも仕える立場はこのようなものですよ」
「周りがそうだから、げいごうせよと? それは違う。よいか、おおやけの者が休みをとるようにすれば、周りもそれにならうのだ。であるから、この地で上の立場である我が屋敷から改めねばならない。父上にも相談する」
「はあ。給与に響かないのならば、休みが増えるのはありがたいことですが……」

 そんなに深刻になることだろうかと、灰炎は首をひねっている。
 前庭に出ると、門弟らがいっせいに動きを止め、碧玉に拱手こうしゅした。碧玉は頷いて、手ぶりで修練に戻るように示す。そして、ふと近くにいる男に目をとめた。

「お前」
「は、はい、何か粗相をいたしましたか?」

 年長の男は急に呼ばれたことにおびえながら、こちらにやってくる。

「門弟はいつ休みをとっている?」

 男は何をかれたのか分からないという様子で、数秒、ぽかんとした。灰炎がせき払いをしたことで我に返り、おずおずと答える。

「私どもに休みなどはございませんよ。修業者ですから」
「なんだと、お前達は休まないのか?」
「ええ。衣食住を与えていただき、道術や剣術などの教練をしていただけるだけでなく、雑用のお代としていくらかいただけるのですから、ありがたいことです」

 碧玉は灰炎を凝視する。碧玉が無言のまま驚きをあらわにしていることに、灰炎は苦笑した。

「若様、いくらか寄付することで教えてもらえる所が多いのですから、ここは良心的ですよ。青炎様のお心配りのおかげです」
「そうか……そういえば仏門でもそうだな」

 例えば身分の高い者が寺に入るとして、寄付金が多ければ優遇されるものである。そういった者の多くは、小さな領地を所有していていくらか収入があるため、寺の生活でも悠々自適に過ごすと聞く。

「分かった。修練に戻りなさい」
「はい。失礼いたします」

 拱手こうしゅをして、男は修練に戻る。
 碧玉はあごに手を当て、考えこんだ。

(緊急時でもないのだし、月に一度くらいは休みがあってもいいのではないか? これも要相談としておくか)

 現時点で甘い処遇であるなら、青炎と話し合うべきだろう。

「いったいどうされたのですか」
「筋肉というのはな、灰炎」
「え? はい」
「毎日鍛えていじめ続けるより、三日鍛えて一日休んだほうが効果が出やすいものらしい」
「そうなのですか?」
「休日はともかく、修練の内容は調整すべきかと考えていた」
「若様は聡明でいらっしゃいますなあ」

 灰炎が感嘆交じりにため息をつく。ふと気づくと、修練場にいる門下生らがこちらに注目していた。尊敬のこもった眼差しに碧玉が眉を寄せると、慌てて目をそらして修練に戻る。

「行くぞ」
「はい」

 なぜか苦笑している灰炎を引きつれ、前庭を抜けて門に差しかかったところ、門番が鋭い声を上げたのが聞こえた。

「天祐殿、そちらを通ってはなりませぬ」
「え?」

 師父に当たる門弟と連れ立って、外から帰ってきたばかりの天祐は、おっかなびっくりと立ち止まった。

「白家の規則で、直系の……正室の子息子女しか正門を通れない決まりです。あなたは脇門を通らねばなりません」
「そうなのですか。知りませんでした」
「まったく、白家の方ならば、規則くらい把握していただかないと困ります」

 門番は意地悪く笑った。
 その一部始終を見た碧玉は、頭痛を覚える。

(他の使用人を片づけたと思えば、また湧いて出る。どうしてこう、弱い者いじめを好む者ばかりなのだ。……あれか、似た者が集まっているのか?)

 自分自身こそ、性格が悪い男代表だと思い出して、碧玉は我ながら嫌気がさした。
 素直な天祐は意気消沈して首をすくめ、脇門のほうへ回る。まるで雨に打たれた子犬のようだ。

「おい」
「こ、これは若様!」

 門番は慌てた様子で、拱手こうしゅをした。天祐と連れの門弟もあいさつをする。

「確かにお前の言う通り、家規により、直系の子息子女が正門を通り、側室の子は脇門を通るように書かれている。しかし、この天祐は正室の子でこそないが、直系として迎えられた養子だ。つまり、直系として扱えという意味である。今後は止める必要はない」
「左様でございますか。間違えたのは私のようです。申し訳ございません」

 門番は深々と頭を下げる。

「楽にせよ。直系に養子が入ることなど滅多にない。今後も対応が分からなければ、さいを通して質問するように」
「は。かしこまりました」

 これだけ釘を刺しておけば、この門番は悪さをしないはずだ。規則を陰湿ないじめに使う根性は気に入らないが、大それたことをしたわけではない。

「天祐」
「はい!」

 碧玉が名を呼ぶと、天祐は背筋を正した。

「正門を通りなさい」
「は、はいっ」

 緊張したおもちで、天祐は正門をくぐる。門弟は脇門を通り、天祐のそばに戻った。

「この者の言うことも一理ある。今後、家規を覚えるように。直系としてふさわしくあるようにと、父上がお前にも教育をつけると話しておられた。精進しょうじんしなさい」

 碧玉がそのように青炎に進言したというのが正しいが、わざわざ話すつもりはない。
 天祐は期待に目を輝かせる。

「俺も勉強をさせてもらえるんですか?」
「天祐、礼儀正しい者は、おおやけの場では俺などと言わない。私事ではともかく、『私』を使うように」
「申し訳ありません、兄上。そうします」

 それを言うならば「そのようにいたします」だと小言を口にしたくなったが、碧玉はぐっと我慢した。細かい礼儀作法は、これから教師に叩きこんでもらえばいいだけだ。


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