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4幕 家守の鏡
2 花見の席で
しおりを挟む(※一応、三幕のネタバレを少し含みますので、ご注意ください。)
季節はめぐり、七璃国の北部に位置する白家や黒家でもすっかり雪が溶け、春爛漫の暖かさになった頃。
白碧玉と白天祐は連れだって、黒家での花見の宴席に参加していた。
「黒宗主、お礼が遅くなりまして申し訳ありません。黄家での件、多忙な時期にも関わらず、ご子息をお借りして助かりました。心ばかりの品を用意いたしましたので、ぜひともお受け取りいただきたく」
黒家の宴席といっても、身内だけの小規模なものだ。
碧玉は外出先では珍しく、仮面を外して、本来の姿で黒宗主である黒輝にあいさつをした。
白碧玉は、世間では先帝からのいじめの末に賜死を言い渡されて、毒杯をあおって死んだことになっている。後から追いかけてきた天祐が、いちかばちかで、浄火を使って体内の毒を浄化したおかげで、なんとか一命をとりとめたのだ。死刑にされたのに生きているのがばれるのは都合が悪いので、普段は仮面で顔を隠し、遠縁の雲銀嶺という架空の家の青年を名乗っている。
「天祐、何をぼんやりしている。謝らぬか!」
「ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした、黒家の皆様!」
碧玉が肘で小突くと、左横にいた天祐は慌てて謝った。
現在は義弟である天祐が白家の宗主だ。天祐は碧玉にとっては従兄弟にあたる。叔父と下女の間に生まれたのだが、母を出産で亡くし、叔父は幼少期に病気で亡くした。叔父と仲の良かった碧玉の実父は、天涯孤独となった天祐を憐れんで、直系に迎え入れたのだ。天祐は生まれついての天才的な道士で、宗主となるのはまったく問題ない。ただ、経験不足なので未熟な面はあった。
こうして天祐に謝罪させているのは、天祐が黄家で起きた美女画の怪という事件が原因だ。美女画の描かれた天女が碧玉にそっくりだったため、死後も碧玉が黄家を祟り、先々代の黄宗主と正室を殺したと悪評を立てられたことに腹を立て、単身で抗議をしに行った。
そこで美女画にいた幽鬼をとっさに体に封じるという危険な真似をし、幽鬼に体を乗っ取られかけて記憶があいまいになるという失敗をやらかした。碧玉が紫曜とともに黄家に潜入して、どうにか解決できたから良かったようなものだ。
碧玉と天祐のやりとりを見て、黒輝は困ったような微笑みを返す。
「白家には大恩があるゆえ、やっとお返しできたというのに……。このような土産をいただいてはかえって気まずい」
「その件は、黄家に乗りこむにあたり解消したと、黒公子に宣言しております。白家は受けた恩には報いますので、どうかお気になさらず」
「そこまでおっしゃるなら、ありがたくいただきます」
貴族というのは面倒なもので、一度は受け取りを断り、再度すすめられたら、ようやく受け取るという回りくどい礼儀がある。普段ならばただの形式的なやりとりだが、今回ばかりは、お互いに心からの気遣いをしての会話だ。
輝が礼物を受け取ってくれたので、碧玉の肩の荷が下りた。義弟が迷惑をかけたので、義兄として気をもんでいたせいだ。
「黒宗主、すっかり晴れ晴れとしたお顔になられましたな。ご健康を取り戻されて、うれしく思います」
「あなたがたが、九尾の件を解決してくれたおかげだ。ああ、これでは話が堂々巡りとなるので、この辺りにしておこう。今日は花見を楽しもうではないか」
黒家の庭には緑の敷物が敷かれ、その上に茶几や座布団が配置されている。桃の花が満開で、見事なものだ。
「この桃の木は、夫人が嫁いできた時に、記念して植えたのだよ。あちらは紫曜が生まれた時で、そちらは雪花が生まれた時のものですな」
眼光鋭く厳然とした趣のある輝だが、意外と子煩悩でもあるらしい。家族の祝い事のたびに、桃の木を植えたという話を聞いて、碧玉は胸の内が温かくなった。
「九尾に荒らされずに済んでよかった」
「ええ、本当に。そうそう、今日は私の細君と娘がもてなしたいと、楽を演奏してくれるのだそうだ」
輝の後ろに控えていた黒宗主の正室である桃春麗と、長女の雪花が微笑んでお辞儀をし、ゆったりとした足取りで、演台のほうへ向かう。長男で後継者である紫曜は、雪花の肩を軽く叩いて、がんばれと応援した。
「さあ、お二人とも、こちらへ。紫曜もこちらに来なさい」
仲の良い兄妹の様子を微笑ましそうに見ていた輝は、紫曜も手招いて、宴席へ誘った。
黒家の母娘による古箏の演奏は、穏やかで抒情豊かだった。用意されていた黒領産の銘酒もおいしく、酒肴も美味だ。
紫曜はご機嫌に笑う。
「いやあ、今日は佳き日だな。桃花は美しく、またそれに負けない美人が勢ぞろいと来た。目が潤ってしかたがない」
「ああ、そうだな。桃夫人と雪花殿の麗しさは、花さえもかすませる」
碧玉が紫曜の言葉に頷くと、春麗と雪花がさざめくような笑い声をこぼす。
「まあ、お上手だこと」
「ありがとう存じます」
お世辞だと分かっていても、春麗と雪花は頬を赤らめて照れている。
「やめろよ、碧玉! 母上と妹を口説くなよ。そもそもお前が真顔で褒めると、目に毒だ!」
紫曜が慌てて、横から言った。
「私は美しいものを愛でる感性くらいはある。天祐もそう思うだろう?」
「そ、そこで俺に話題を振るんですか? やめてくださいよ。この後で俺が同意しては、本音だろうと嘘くさく聞こえるではないですか」
碧玉に問われ、天祐は動揺している。
情けなく打ち明ける様子に、あちらこちらから笑いが起きた。
「ふふ。お褒めいただき光栄ですわ。さあ、どうぞ。お茶もご用意しております」
雪花が侍女に指示して、碧玉の茶几に爽やかな香りのする緑茶を用意させた。
「雪花殿、かたじけない」
酒よりも茶を好んでいる碧玉は、ありがたく緑茶を味わう。一方、天祐は黒家の銘酒を気に入ったようだ。
「紫曜殿、こちらの銘酒、美味しいですね。まろやかで飲みやすいです」
「おお、さすがは天祐殿。目利きでいらっしゃる。青領ほどではないが、黒領も美味い酒を作れるのだ。清らかな水の湧く山があちこちにあるのでね。とはいえ、運ぶのは労力がかかるため、少量しか作れぬのだが」
「では、とっておきを出していただいたのですね。お気遣いがうれしいです」
「どういたしまして」
自慢の品を褒められた紫曜は、からからと笑っている。天祐と酒杯をかわして、乾杯をした。
二人のやりとりを眺め、こうしていると天祐もただの好青年なのだよなあと、碧玉は不思議な気持ちになった。それというのも、天祐は碧玉に不利益があると、途端に冷酷な面を見せて、非情な真似もするのを知っているせいだ。
「我が妻と娘よ。どうか私のことも忘れないでくれ」
客に気をとられている妻子に、輝が笑いながら、構ってくれと話しかける。
「嫌だわ、あなたったら。忘れるわけがないでしょう?」
「そうですよ、お父様」
春麗と雪花は、輝の茶几に近づいて、和気あいあいとおしゃべりに興じ始める。
それを横目に確認すると、紫曜がわざとらしく咳払いをした。
「なあ、ところで、天祐殿。黄家での件で、あなたは私に借りを作ったと思うのだが……」
「黒紫曜、いったい天祐に何を言うつもりだ。また親戚の争いを仲裁でもしてきたのか?」
紫曜の不穏な切り出しを警戒し、碧玉はすぐに口を挟む。
「仲裁ではない! そもそも碧玉には言っていないぞ」
「お前が何かと面倒事を持ちこむから、先に釘を刺しているのではないか」
「そっ、それはそうだが。とにかく話を聞いてくれ!」
分が悪いと踏んだのか、紫曜は声を張り上げた。天祐が苦笑をして、碧玉を制す。
「兄上、ひとまずお話を聞きましょう。俺が紫曜殿にご迷惑をおかけしたのは、事実ですから」
「ふん」
気に入らないものの、碧玉はくいっと顎を振って、紫曜に先を促す。紫曜は会話に本腰を入れる姿勢をとった。
「ごほん。私の母上が、桃家の出身なのは知っているな? 桃家が薬草の扱いに優れ、優秀な医者を多く輩出していることは有名だと思う」
「ええ。医者、薬師、学者などを出しているだけでなく、領地には薬草園もあるとか。桃家が運営している薬堂で扱っている薬草は質が良いと聞きますね。兄上のために、家臣に命じて膏薬を買いに行かせたことがあります」
天祐は思い出すようにして言った。
(私の傷痕を治すために、良い薬があると聞けば取り寄せていたが、桃家の薬堂のものもあったのか)
碧玉は旅に持参した膏薬を思い浮かべた。
以前、天治帝からのいじめの標的になり、何かと理由をつけて、鞭で打たれたことがある。背中と足のふくらはぎが多かったせいで、碧玉の体には古傷が残っていた。天祐はその痕跡を消し去りたいと言って、薬の情報に耳ざといのだ。
紫曜は話を続ける。
「その桃家だが、実は当代の後継者である息子は、乱暴者で評判が良くなかった。だが、直系の男が彼しかいなくてね。しかたがなく、後継者として育てていたのだ、と。その桃家の若君が、ある時、病気をして治ったら、性格がすっかり優しくなったという噂がある。まるで別人になり代わったかのようだとも言われているよ」
「その桃家の若君は、紫曜の従弟ではないか? 会ったことくらいあるだろう」
まるで他人事のようだといぶかしむ碧玉に、紫曜は首を横に振る。
「いや、桃安殿には会ったことはないよ。あちらのほうが年下であるし、黒領からは桃領は少し遠くてね。そもそも桃家の直系は、ほとんど領から出てこない。薬草の世話で忙しいからな」
「だが、宮廷の侍医をしていなかったか?」
「あれは分家や門弟だよ」
「黒家と似たような家風だな。……ところで、天治帝に仕えていた側室にいたのは?」
「そちらも分家のはずだ。もちろん、必要な行事には宗主は出席するが、子息子女は滅多と出てこないんだ。我が母上もそうなんだが、薬草を育てていれば満足という気質のようでね。直系に近いほど、交流に不向きだ」
紫曜の返事を聞いて、気まずそうにしていた天祐は、安堵の息をついた。碧玉を賜死に追いこんだ天治帝とその妃らに、天祐は呪物を送りつけて、祟り殺したのだ。元はあちらが悪いとはいえ、さすがの天祐でも、目の前にいる紫曜の親戚だと思うと気になるらしい。
「話を続けるぞ? まるで別人のように性格が落ち着いたという噂を聞いて、黒家のほうの親戚から相談をされたんだ。桃安を治した薬があれば、自分の家の乱暴者も落ち着くんじゃないか、と」
「ふむ。読めたぞ。その薬を手に入れてほしいと嘆願されたのだな? まったく、皆の兄貴を自称するから、上手く利用されるのではないか」
碧玉は鼻で笑い、この幼馴染をからかうことにした。
「私が予想してやろう。その親戚はこう言ったのではないか? 『どうかお願いいたします。桃家とゆかりのあるお母上をお持ちの若様にしか、頼めないことなのです! 我が家を救うと思って、どうか!』……どうだ?」
紫曜は絶句した。
「お、お前……! なんでそんなにそっくりなんだ! まるで会話を傍で聞いていたみたいじゃないか」
「誰が盗み聞きなどするか。貴様が助けてという単語に弱すぎるだけであろうが」
馬鹿馬鹿しいことだと、碧玉は冷たく返す。
そんな碧玉を、天祐は目を輝かせて熱く見つめる。
「兄上、なんと素晴らしい演技力でしょう。何をされてもお上手で、弟として鼻が高いです」
「天祐殿? こんなことを褒めなくていいと思うが……」
紫曜がぼそぼそと言ったが、天祐には聞き流された。
「それで、どうなったのだ」
碧玉が続きを話すように促すと、紫曜は居住まいを正してから口を開く。
「ああ、それで、私も頼まれたからと桃家に交渉したんだよ。だが、貴重な薬草を使っているからと断られてしまってね。それでも粘りに粘って、約束を取り付けたんだ。自分で桃領にある霊山〈深山〉に薬草を採りに行ったら、薬を作ってくれると!」
「桃家もかわいそうに。しつこくて嫌になったのだろう」
「もちろん、桃領の貴重な薬草なんだ。ちゃんとお礼はするさ!」
碧玉の皮肉に対し、紫曜は礼儀は示すと宣言した。
「許可をしてくださったのなら、採取しに行けばいいのでは?」
天祐が首を傾げると、紫曜はそこが問題だと訴える。
「ただの霊山ではないんだ。謎かけをする虎の妖怪が棲んでいるんだよ。答えを間違えたら、食われるんだ。おっかないだろう? だから、問答無用で追い払える強い道士に手伝ってほしいというわけだ」
「つまり、俺に護衛をしてほしいと?」
「いや、護衛はしなくていい。ただ、妖怪退治を頼みたいんだ。私だってある程度は妖邪の相手くらいはできるんだが、ここの虎は格が違うんだよ」
「俺は構いませんが……」
天祐は困った顔をして、碧玉の顔色を伺う。
「天祐が行くならば、私もついていくぞ。黄家での件で、こやつに単独行動をさせると、厄介なことになると学んだばかりだ。不安でしかたがない」
すると、紫曜の表情がぱあっと明るくなった。
「おお、では、引き受けてくれるのか! 二人がいれば千人力だ! いやあ、助かった。よし、気が変わらぬうちに、契約書を交わそうではないか」
「落ち着け、紫曜。花見の宴席中に、ばたばたと騒々しい」
宴を飛び出していきそうな紫曜を止め、碧玉はうんざりしてため息をついた。
厄介だと分かっているのに、気が付けば紫曜の頼み事を引き受けるはめになっている。思えば昔からこんな感じだった。
(これだから腐れ縁というのだ……)
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