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3巻
3-1
しおりを挟む美女画の怪
一、天祐、行方知れずとなる
黒領の天声山は雪で凍てつき、ふもとにある龍拠では、白い霧がたなびいている。その名の通り、龍が巻きついているような様だ。
龍拠は黒家の本拠地であり、その主らが住まう屋敷を、白碧玉は訪ねていた。
月の光を編んだような白銀の髪を上半分だけ結い上げ、銀製の冠でとめている。そこから鎖が伸びて、額に青い玉を垂らしていた。淡い水色の深衣に、袖が広い白い羽織をまとっている様は、碧玉の美貌もあいまって、仙人のように浮世離れして見えた。
「それで、碧玉」
なかなか口を開かない碧玉に焦れて、黒衣に身を包んだ青年が切り出す。その声音には、幼馴染らしいからかう調子がにじんでいる。
「このたびの急な訪問はどういうことだ? お前、この前の九尾の件が片付いた後は、今後はそうそう私達とは会わないだろうと言っていなかったか?」
黒漆が美しい茶几の対面で、黒紫曜が明るい紫の目を細めてにやりとした。紫曜は碧玉と反対の色をまとっている。黒い髪を頭の上半分だけ結い上げ、銀の冠でまとめており、紫の深衣の上に黒い毛織物を羽織っていた。印象的なのは、左目の下に縦に二つ並んだほくろだ。
「まあ、お兄様ったら、そう急かさずともよろしいでしょうに。遠方よりいらっしゃったご友人なのですから、まずはおもてなししなくては。若様、お茶をどうぞ」
この応接室は母屋から独立した造りになっており、小さな水屋が備えられている。そこで紫曜の妹である雪花が手ずから青茶を淹れ、年配の侍女が紫曜と碧玉の前に運んできた。
上等な茶葉特有の素晴らしい香りが、応接室に漂った。
雪花は湯気の向こうで、楚々とした微笑みを浮かべた。つややかな黒髪を上半分だけまとめ、冬によく似合う白梅のかんざしを挿している。白と薄青の襦裙は少女らしく、彼女の凛とした美しさを飾り立てていた。
「急な来訪にもかかわらず、気遣いに感謝する。いただこう」
碧玉は茶杯を手に取り、茶を味わった。ふくいくたる茶の香りで、碧玉の切れ長の青い目元がゆるんだが、すぐさま元の仏頂面に戻る。
昔ならばともかく、すでに隠居している碧玉は、東隣の領地である黒家にはほとんど訪れないだろうと、本気で思っていた。
碧玉の生存は公には隠しているが、数ヶ月前にあった黒家での九尾退治事件をきっかけに、黒家の一部の人間にはばれている。
事件の顛末は次のようなものだ。
黒家の宗主である黒輝が、美女に化けた黒い毛を持つ九尾の狐――実際は男――の術中にはまり、その美女を側室として迎えた。この九尾は、黒家の先祖に封じられた妖狐で、その封印を完全に解くために、黒家の血縁者の精気を集めていたのである。
結局、九尾が黒家に仕える使用人の母子を殺したことをきっかけに、正体が暴かれた。
そして、碧玉達の活躍により、再び封じることに成功したのだ。
以前、黒家で宴を開いた際に地震が起きて、結界術に長けた黒家の者以外はほとんど亡くなる事件があった。その時、黒輝は親友であった白青炎――碧玉の父と妻の緑翠花を亡くし、さらに客の多くも犠牲になったことを気に病んでいた。その心の隙を九尾に利用されたのだが、碧玉が正体を明かして励ましたことで、ようやく立ち直れたのである。
そういうわけで、黒家は白家に恩義を感じており、碧玉が身を隠していることも秘密にしてくれていた。
現在の碧玉が堂々と協力を求められる、貴重な他家というわけだ。
気まずくてなかなか用件を切り出せないでいたが、意地を張っていてもしかたがないと口を開く。
「……実は、天祐が行方知れずになった」
白天祐。碧玉の義理の弟の名である。本来は碧玉の叔父の息子――従兄弟だったのだが、天祐は出産の際に母を亡くし、父まで幼少期に病ではかなくなった。碧玉の父・青炎は、弟である青祥と仲が良かった。それで青炎は甥のことを憐れんで、養子として迎え入れたのだ。
これまでに様々な事件があり、今は天祐が白家宗主となり、隠居している碧玉が陰で政務を支えている。
「は? 行方不明?」
紫曜は、ぽかんと口を開く。傍にいる雪花と侍女も、驚いて口元に手を当てた。
「……美味い」
碧玉は紫曜の間抜け面をちらと一瞥し、再び茶を飲む。
「まあ、ありがとうございます」
碧玉の褒め言葉に、雪花が礼を言う。紫曜が茶几の上に身を乗り出した。
「いやいや、のんきに茶を堪能している場合か! 白家の宗主が行方不明とは大事だろうに」
「だから私がこうして自ら、黒家まで出向いたのではないか。だが、それと茶の良さを味わわぬのは別のこと。このような素晴らしい茶に失礼だろう」
碧玉の主張を聞いて、紫曜は我慢しきれずに口元をほころばせる。
「ああ、これは黄領の特に良い茶でな。褒めてくれたのは素直に嬉しいが……。はあ、お前のお茶好きは相変わらずだな」
「茶は私の数少ない気晴らしだ。菓子の取り合わせも素晴らしい」
碧玉のつぶやきに、雪花はにっこりしている。
「あいにくだが、碧玉」
「銀嶺だ」
「お前が雲銀嶺という仮の名を使っているのは知っているが、ここにいるのはお前の事情を知っている者のみだ。本名で構わぬだろう?」
「外では碧玉と呼ぶなよ」
碧玉は釘を刺すと、紫曜に続きを促す。
「黒家には天祐殿は来ていないぞ」
「ああ、知っている」
「探しに来たのではないのか?」
「私は出向いたと言った。紫曜、天祐は恐らく黄領にいるはずだ」
紫曜は茶杯に視線を落とし、一瞬の戸惑いを見せたものの、すぐに碧玉のほうを見た。
「この茶の黄領か? なんだ、居場所は分かっているんじゃないか」
「そうだな」
碧玉はお茶をもう一口飲むと、茶杯を受け皿に戻す。
「紫曜、最近、黄家の先代の宗主と正室が立て続けに亡くなったのは知っているか?」
「え? ああ、そうだな」
紫曜は急な話の転換をいぶかしむ様子を見せつつも、顎に手を当てて視線を左上にやり、思い出そうとしている。
「宗主の葬式には私が、正室の葬式には母上が、黒宗主の名代として参列したぞ。父上はまだ遠出できるほどの体調ではないからな。そういえば、葬式の場では、天祐殿には会わなかったが……」
それがどうしたのかと、紫曜は問う。
「ああ、天祐は黄家を嫌っているから、使者を立てて済ませたと聞いている。それはひとまず横に置いておいて。二人が亡くなった原因を聞いているか」
「急病と聞いていたが……まさか違うのか」
紫曜がけげんそうに問う。
「それは表向きの理由だ。白領には、こんな噂が流れてきた。白碧玉の怨霊にとり殺された、と」
応接室に沈黙が落ちた。
三人の視線が碧玉に集まる。紫曜が好奇心を隠せない様子で確認する。
「まさか、本当にお前が殺したのか?」
「言うと思った。馬鹿ではないか。現宗主ならともかく、どうして私が先代の宗主をわざわざ暗殺せねばならんのだ。好色が過ぎて、場末の女郎屋で梅毒にかかり、隠居させられた愚か者だぞ」
そう言って碧玉は鼻を鳴らす。もし恨みがあったとしても、放っていても死にそうな者に、わざわざ手出しはしない。
「現宗主というと、黄夏礼殿か。お前がそこまで言うほど、仲が悪かったか?」
紫曜の問いに、碧玉は大きく頷く。
「昔は黄公子のことなど興味はなかったが、宮廷の件で嫌いになった。あの男の姉は、天治帝の正室だ。黄公子はなぜか私を昔から嫌っていた。妃らの悪意に便乗して、嫌がらせをしてきたのだ」
「夏礼殿はどうして無事に生きているんだ? 先帝はもちろん、当時の妃は全て、天祐殿の策で皆殺しにされただろう? お前に嫌がらせをしていたのなら夏礼殿だって危ないはずだ」
「天祐が殺したのは、私が賜死を受けた時に居合わせた者達だ」
「そういうことか。運良く生き延びたのだな」
「私自身、あれのことなど忘れていたが、黄家の妙な噂のせいで思い出したところだよ」
碧玉は白家の仕事にばかりかまけて、他人のことに興味がない。こんなことでもなければ忘れたままだったはずだ。
「その噂は面白おかしくこう呼ばれている。『美女画の怪』……とな」
「美女画? 男のお前とは、なんの関係もないではないか」
紫曜の指摘に、碧玉は決まりが悪くなって黙りこむ。自分の口から説明するのが嫌になり、後ろに控えている側近の灰炎を呼んだ。
「灰炎」
「は。黒家の若様、僭越ながら、主君に代わりまして私が説明いたします。その美女画というのは、とある刺繍師を手に入れるため、碧玉様が女装した時の姿を絵にされたものなのです」
「「「……は?」」」
今度は紫曜だけでなく、雪花と侍女の声もそろった。
碧玉は彼らから目をそらし、開いた窓の向こうで、雪がちらちらと降る様をじっとにらんだ。
◆
あれは白雲の地に、雪が降り始めた頃だった。
天祐が珍しく乱暴な足音を立てながら、碧玉の住まう離れにやって来た。静けさを好む碧玉は、当然のように眉をひそめて注意する。
「なんだ、天祐。騒がしい」
「失礼します。うっ、すみません。どうしても腹が立ってしまい……」
高い背を縮めるようにして、天祐は謝った。黒髪を一つに結い上げて銀の冠でまとめ、白家らしい白の衣に、藍色を合わせている。天祐は常に剣を携え、まるで武官のような、動きやすそうな格好を好んでいる。髪の色こそ黒ではあるが、その明るく輝く瞳は、白家の血縁者に多い青色をしている。
「緊急事態か」
「いいえ。……俺にとっては緊急事態ですが、白家には問題ありません。いや、どうだろう。家臣が暴動を起こさなければ」
碧玉は茶几に移動し、向かいに座るように促す。
「要領を得ぬ。ひとまず座りなさい」
「はい」
「お茶をどうぞ、天祐殿。今日は寒いので、生姜の砂糖漬けを用意してございますぞ」
茶几の傍には火鉢が用意されており、灰炎は熱々の渋い茶と菓子を給仕する。天祐はお茶を飲むと、離れを見回す。
「兄上、寒くはありませんか。火鉢をもっと運ばせましょうか」
「不要だ。私も道士として鍛えている身、それほど寒さはこたえぬゆえ。確かに以前に比べれば弱くなったが、最近は落ち着いている」
「必要でしたら、いつでもおっしゃってください」
「うむ」
碧玉は鷹揚に頷いた。
道士は普段から修業をして、霊力が体を循環するように鍛えている。そのせいか、気温変化への耐性は高いのだ。白家が北部にあるのは、昔からこの地に修業場が多かった流れによるものだ。
「それで、何を怒っている」
「黄家の連中に腹を立てているのです」
「ふむ。確か、最近、先代の宗主と正室が立て続けに亡くなったな。お前は使者を立てただけで、葬式には顔を出さなかったはず。どちらかといえば、礼を欠いたのは天祐のほうではないのか」
天祐は首を横に振る。
「葬式に出なかったことで、俺に嫌味を言ってきたわけではありません。そもそも、兄上を死に追いやったのは先のクソ帝で、その正室が黄家出身だった。こちらが欠席する理由は、あちらもよく分かっているはずでしょう」
そういえばそうだったなと、碧玉は天治帝の正室のことを思い出す。碧玉に直接嫌がらせをしてきたのは側室だったが、側室の無礼を咎めない時点で、正室が黙認していたことを意味する。
「だが、お前は正室も呪い殺したではないか。ばれたのか?」
「いいえ! 証拠など残しておりません。そもそも、今回の件は兄上が悪いんですよ。刺繍師のために女装などするから!」
「ぐっ。ごほっげほっ」
ちょうど茶を口に含んだところだった碧玉は、思い切りむせた。
「ああ、すみません。大丈夫ですか」
天祐が茶几を回りこみ、碧玉の背をさする。碧玉の咳が落ち着いたのを見計らい、灰炎が口を挟む。
「いったい主君の女装と黄家に、なんの関係が?」
女装の件は、黒家での九尾の狐退治後に訪れた町で、明明という刺繍師を商人から買い取るためにとった作戦だ。商人が銀髪好きだったので、碧玉が女装して誘惑し、明明を嫁にとるのをやめさせようと目論んだのである。
その時の碧玉は風邪を引いて変に気分が高揚していたから、奇抜な作戦に出たのだが……
「大ありだ、灰炎殿! あの麗しい姿を見た絵師が美女画を描いて、黄家の親戚に売ったのだ。そしてその親戚は、黄家の好色翁に美女画を献上した」
天祐がしかめ面で説明している横で、碧玉は気分が悪くなって、袖を口に当てる。
「先代の黄宗主のことか? 色狂いで梅毒にかかり、息子に隠居させられた愚か者の?」
「うげえ。それは何がなんでも絵を取り戻しませんと」
今にも吐きそうな顔をして、灰炎が言った。だが、天祐の話には続きがあるようだ。
「ええ。それだけでも許しがたいのに。その美女画から幽鬼が出てきて、先代と正室を祟り殺したというんです! 兄上にそっくりな美女なので、白碧玉の怨霊だと噂になっていて……民はなんと言っていると思います? 『美女画の怪』ですよ!」
天祐は憤然と言って、自身の膝をこぶしで殴りつける。
碧玉と灰炎は顔を見合わせた。
「その絵が私の女装姿を描いたものならば、的を射ているではないか」
「好色男に主君の絵が渡るなど気持ち悪いので、お亡くなりになって、嬉しいくらいですよ」
碧玉は納得し、灰炎は喜ばしいことだと胸を撫でおろす。天祐は更に声を荒らげる。
「そういう問題ではありません! 宮廷での件があるというのに、黄家の連中は、死した兄上の名声にすら鞭打とうとしているのですよ! 許せません。俺は黄家に行って、真相を調査してきます!」
「真冬だというのに、このような雪の中をわざわざ黄家まで行くのか?」
「ご安心を。火授祭までには戻ります」
天祐は堂々と宣言した。
火授祭とは、年始に行われる白家の祭事だ。先祖の神官が天帝から浄火を授けられたといわれている日のことで、白家の宗主が自ら祭事を執り行う。そして、領内では、あちらこちらで市が開かれ、一年で最も盛り上がる日でもあった。
碧玉としても、家族の団欒の日でもある火授祭は、天祐と過ごしたい。だが、そんなことよりも雪の中はるばる黄家まで行くという、天祐の身を案じて質問している。ただ、それを懇切丁寧に説明できるほど、碧玉は素直ではない。
兄の心、弟知らずというのか。天祐は碧玉の問いの意味に気づいていない。
「というわけで、荷作りは青鈴に任せているので、俺は今のうちに兄上を存分に補充しておきます!」
「は?」
突然、天祐に抱え上げられ、碧玉は間の抜けた声をこぼす。その隙に、灰炎がささっと茶器と菓子を盆に回収し、退室の礼をして離れを出ていく。
「それでは失礼します」
「おい、待たぬか。灰炎!」
あっけにとられていたせいで、碧玉が灰炎を呼び止めた時には、すでに戸が閉まっていた。我が側近ながら、逃げ足が速すぎる。天祐はしみじみと感心した様子でつぶやく。
「灰炎殿は本当によくできた使用人ですね。空気を読めるのは良いことだ」
「お前が唐突なだけだろう!」
碧玉が文句を言ったところで、天祐は聞いていない。そのまま牀榻に運ばれ、押し倒された。
「兄上、他領では雪深い道を行かねばなりませんが、来月の半ばまでには帰りますから」
「黄家のことなど放っておけば良かろう」
「いいえ、駄目です。白領と黄領の間には黒領があるのに、黒領を通ってここまで噂が流れてきているのですよ。黄家のクソ野郎がわざとそうしたに決まっています。あいつは兄上より年上のくせに、大人げなくも兄上を敵視していたのを、俺は知ってるんですよ」
碧玉は天祐の情報網を侮っていたことに気づいた。
「私が黄夏礼に嫌われていることを、よく知っていたな」
「黄家といえば芸術。七璃国の民は『美の黄家』と呼んでいます。そして、世にも珍しい石生みの異能の持ち主です」
黄家では芸術や詩などが盛んで、琥珀壁と呼ばれる険しい山に囲まれた町を本拠地としている。彼らはそこで採れた石から絵の具や宝飾品を作り、美しい芸術品を天帝に献上していた。その才を認められ、石生みという異能を与えられたのだ。
そのため、素晴らしい芸術品を作り出し、祭壇に供えて天帝に報告すると、石や宝が手の平の中に現れるようになった。その石や宝石を売って糧にして、金のかかる芸術に従事してきた。彼らは高い美意識から礼儀作法や服飾、典礼にも詳しいので、宮廷で指南役をしている者も多い。
そういうわけで、若くして帝になった先の天治帝を支えるために、黄家出身の妃が正室に選ばれたのだ。
「あのクソ野郎は美に執着するあまり、兄上を目の敵にしていました。敵を知るために、他家についてはよく調べたので分かっているんですよ」
「私が歯牙にもかけてなかったゆえに、余計にあの男が怒りを燃え上がらせたこともか?」
「兄上のその冷たさは格好いいと思います!」
天祐は目を輝かせて、碧玉を褒めた。碧玉は夏礼の姿を思い浮かべる。あまり興味がなかったせいで、記憶がぼんやりしている。
(会えば嫌味を言うくせに、私が無視すると余計に怒る、妙な男だったな)
芸術家というのは、あのような変人ばかりなのかと思った記憶がある。
「それで黄家を調査したところで、あの男が素直に謝るとは思えぬが。民が噂したことで、自分のせいではないと言うだろうよ」
「だとしても、黄家に噂を流した者がいるはずです。探し出して、寺で土下座させてやります」
息巻く天祐を、碧玉は呆れをこめて眺める。
(こういう時の気の短さには、白家の血を感じるな)
碧玉は自分と天祐が従兄弟であることを再認識した。
「私が天祐と共に行くというのはどうだ?」
「兄上とはいつでも共にいたいですが、寒い中を旅させるのは忍びないので、どうか白家でお過ごしください」
「分かった。まったく、言い出したら聞かぬ奴だな」
こうなると、天祐は生来の頑固さを発揮して、碧玉の言うことを聞かない。黄家の連中がどうなろうと知ったことではないが、気にかかることはある。
「黄家を嫌うのは構わぬが、変に恨みを買う真似はするでないぞ」
「兄上、心配してくれるのですか。嬉しいです」
天祐は笑みを浮かべると、碧玉に口づけた。
◆
まさかそのまま牀榻に直行するとは思わなかったので、碧玉は毛織の羽織や厚手の衣を重ね着していた。
それを一枚ずつ丁寧に脱がせながら、天祐は碧玉に口づけする。ふいに天祐の右手が焦れったそうに動き、碧玉の髪をまとめている紐を解いた。ぱらりと銀糸のような髪が落ちる。
それにつられるように、碧玉は天祐の冠を外す。こうして髪に触れるのは、家族や近しい世話人くらいなので、天祐は嬉しそうに表情を緩めた。こちらに体重をかけないように配慮しながら、額からこめかみ、耳へと口づけの雨を降らす。
「兄上」
「んん」
耳殻を甘噛みしながら、天祐はささやいた。吐息が刺激になり、碧玉は思わず赤子がむずかるような声を漏らし、わずかに眉をひそめる。
「兄上って耳が弱いですよね」
「うるさい。そのような場所、普段は誰も触らぬだろう」
「触れる者がいるほうがまずいですよ。俺が暴れてもいいんですか?」
「まったく……」
かわいい弟の顔でいたいけな態度をとってみせる天祐に、碧玉は呆れた視線を向ける。
「冗談のつもりで、本気だろう。お前が暴れては困る」
「うぐっ」
碧玉はもっともらしいことを言う兄の顔をして、天祐の肩を軽く小突いた。まったく痛くないだろうに、天祐がわざとらしくうめく。二人して、そのおかしさに笑いをこぼす。たまにはこんなふうにじゃれあうのも悪くはないが、天祐という狼がこれだけで止まるわけがない。天祐は顔を碧玉の首筋に寄せ、ぺろりとなめた。
「あっ」
ゾクリと肌が粟立ち、声をこぼす。天祐はそれに気を良くしたのか、碧玉の首筋に、ちゅっちゅっと口づけを続けた。
そうしながら、天祐は碧玉が身につけている最後の一枚――中衣をはだけさせると、現れた素肌をするりと撫でた。肌に触れられた瞬間は、碧玉は天祐の指先の冷たさに身をすくめたが、怒っていただけあって天祐の体温はいつもより高く、すぐに肌になじんだ。
「脱がせぬのか?」
天祐は碧玉の内衣をはだけさせただけで、取り去る様子がない。碧玉が問うと、天祐は首を横に振る。
「もう少し体が温まってからにしますよ。火鉢はありますけど、部屋が冷えています。俺の留守中に寝こまれては困りますから」
天祐は過保護なことを言うが、どうせこの男に抱かれた翌日は、寝所から出られずに寝て過ごすはめになる。碧玉の頭に、そう言って茶化してやろうかという考えがよぎるが、風邪を引かせたくないという意味だと分かってはいるので、余計なことは言わないでおいた。
「ああ、この前つけた痕が、もう消えている」
天祐は少し残念そうに言って、碧玉の左の鎖骨に噛みついた。にぶい痛みがした後、天祐がその痕をいたわるようになめた。そして、そのまま下にずれて、胸元の肌をきつく吸う。
「んっ」
少し癪だが、甘い痛みをもたらされるのにも碧玉はすっかり慣れた。
剣だこのある硬い指先が、碧玉の胸の飾りに触れる。やわやわともんだり、突起をつまんだりされるうちに、胸がじんと痺れてきた。最初の頃は胸では何も感じなかったのにと、体の変化に戸惑う。
「あっ」
胸の飾りをやわく噛まれ、碧玉の声に甘さが混じった。天祐はしばらく胸を愛撫すると、ふっと笑う。
「ああ、兄上の白い肌に、紅梅が咲きましたね」
「……うるさい」
詩的に表現されると、逆にいたたまれなくなる。碧玉とて、羞恥を感じないわけではないのだ。天祐が碧玉の顔を覗きこんだ。
「ふふ。顔も赤い。恥ずかしいですか?」
「当たり前だろうが」
天祐の右の親指が、碧玉の下唇に触れる。このどうしようもない気持ちを逃がそうと、碧玉はその親指に噛みついた。
「……っ」
びっくりした様子で、天祐がこちらを凝視する。
「な、なんだ」
碧玉が天祐の指を甘噛みしたままもごもごと問うと、天祐の目がすわった。
(……まずい)
碧玉は自分がやらかしたことを悟った。
「兄上、あんまりかわいい真似をしないでください。今日は余裕がないので」
天祐は右手の親指をゆっくりと引くと、手早く衣の上を脱いだ。たくましい裸体がさらされる。それから碧玉の下着を脱がせた。新雪のような白い足が現れる。天祐はごくりと喉を鳴らすと、碧玉の膝に手をかけ、性急に割り開く。
体への愛撫もそこそこに、天祐は牀榻脇にある小さな几の引き出しを開け、香油を取り出す。中身を手に垂らして、碧玉の秘めた場所に触れた。
「……っ」
手の平で温めた香油でも、冷たいものは冷たい。その刺激でぴくりと碧玉の足が揺れた。
天祐はまるで碧玉をあやすように、頬に口づける。そうしながら、指先をつぷりと中に入れてきた。
何度行為を重ねようと、この感覚には慣れない。碧玉が眉を寄せたのに気づいたのか、天祐は碧玉自身に左手で触れた。香油で濡れた手でゆっくりと竿を上下にこすられると、反応してしまう。そちらに碧玉が気をとられている間に、天祐は中を丁寧に解していく。
「……くっ。同時はやめよ」
碧玉はたまらずにうめく。
兆し始めた碧玉自身の亀頭を、天祐がぐりぐりと親指の腹で刺激しながら、中の良い場所をぐっと押したせいだ。
天祐は碧玉自身から手を離すと、代わりに中を責め立てた。
「うあっ、あっ、ううっ。――あ?」
あと少しで達するというところで、中から指が抜かれる。
碧玉が恨みがましい目で見たせいか、天祐は困ったように笑う。
「言ったでしょう? 今日は余裕がない、と。どうせなら、俺ので達してください」
「あっ」
天祐は下衣を緩め、すっかり起き上がっている陽根をさらした。そして碧玉の足をぐいと開かせると、陽根に香油をまとわせてから、碧玉のほうへ腰をぐっと押しこんできた。指よりも太くて熱いものが、碧玉の中に入ってくる。十分にほぐされているので痛みはないが、この瞬間の圧迫感には息がつまる。
天祐は浅い所で陽根を抜き挿しする。良い場所に当たるせいで、碧玉の意識はあっという間にそちらにさらわれた。
最初のうち、天祐はゆっくりと腰を動かしていたが、突然碧玉の腰をつかむと強く揺さぶり始めた。
「ひっ。あ、あっ、急に……っ」
「はあ。兄上の中は気持ちいい」
急にその昂りで責められた碧玉は天祐の肩に爪を立てながら、思わず閉じた目を開ける。天祐は悦に入った赤い顔をして、こちらをらんらんとした目で見つめていた。一瞬、碧玉は猛禽類ににらまれた鼠の気分を味わった。
「ああっ」
奥を強くえぐられ、碧玉は悲鳴を上げる。強い刺激から無意識に逃げようとする腰を、天祐はがしりとつかんで引きずり戻す。勢いをつけて腰を打ちつけられ、肌が鳴った。
「兄上、逃げないでください」
「うう……」
のけぞった碧玉の喉を、天祐が甘噛みする。
「朝まで離しませんから」
視線と声に執着をじりじりとにじませて言うと、天祐は碧玉の喉をなめ、身を起こす。そして碧玉の腰を押さえて、強く腰を振り始めた。
「あ、あ、やめっ。――っ。あああああ」
先ほど達しかけていた碧玉の体は、やすやすと高みに上らされた。奥を強く突かれ、碧玉はたまらず達する。
そしてそれに遅れて、天祐も碧玉の中へと精を放った。その刺激にも、碧玉は身を震わせる。
(……そんなに嫌ならば、行かなければよいだろうに)
雪深く険しい時期に、家族が――いや、恋人が旅立つのを見送りたい者などいるのだろうか。
碧玉は心に不満を抱えながら、天祐の背をぎゅっと抱きしめた。
そんなふうに一夜を共にして、天祐は明け方に白家を出発した。大きな鳥に変化させた式神の背に乗り、門弟を一人だけ連れていった。
それから二週間後。結局、門弟だけが白家に帰ってきて、天祐が行方知れずになったことを報告したのだった。
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婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
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公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
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