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4幕 家守の鏡
二、 深山へ / 8 迷子の娘
しおりを挟む日が暮れると、桃家の使用人が宴の準備が整ったと呼びに来た。
「それでは、行って参ります。灰炎殿、銀嶺のことを頼んだぞ」
「お任せを」
天祐は心配そうに言い、灰炎は拱手をして頭を下げる。
「桃家の邸内で悪さをする者がいると思うのか。大げさにしないで、行ってきなさい」
「はい」
碧玉に促され、盛装に身を包んだ天祐はとぼとぼと居室を出ていく。淡い黄色と紺を上手く使った優美な衣だ。白家のように白い衣服を着ていると目立つため、天祐はいたって普通の――しかし布は上等の服を着ている。
白い衣というのは、本来は葬式の時に着るものなので、いくら白家が修行者として白を愛用をしていようと、宴の時くらいは相手への礼儀を考えて違う衣服を選ぶのだ。
碧玉は窓から天祐や配下がぞろぞろと歩いていくのを見送ると、灰炎を振り返る。
「夜はさすがに冷えるようだ。雪瑛はどこだ」
「はい、主様。わたくしはぬくぬくですよ」
部屋の隅で丸まっていた雪瑛がぴょこんと頭を上げ、どや顔でこちらにやってきた。やかましいが、雪瑛は暖をとるのにちょうどいい。碧玉は雪瑛を抱き上げ、膝の上にのせた。
灰炎はその様子に笑みをこぼす。
「はは、窓を閉めましょう。丘の上にあるので、風が通るようですね。火鉢もお持ちいたします」
「うむ」
碧玉が頷くと、灰炎はあっという間に窓を閉め、火鉢を運び入れて、上等な炭に火をつけた。
「では夕餉をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
灰炎はとっくに料理の仕込みを終えているようで、そう言って退室した。碧玉は手持ち無沙汰になり、雪瑛に話しかける。
「雪瑛、お前は得体の知れぬ視線のようなものを感じるか?」
「視線ですか? うーん、分かりません。結界のせいで、ざわざわして落ち着きませんけれど」
「ああ、白明鏡の破邪の力によるものか。お前が私の下僕でなければ、門の内には入れなかっただろうな」
「そうですねえ、無理に入ろうとすると、下級妖怪なら体が燃えちゃうと思います」
雪瑛はぶるりと震えた。碧玉は満足して頷く。
「ああ、そうだろう。白明鏡は、ご先祖様の手による大作だからな。あれほどの法具は、軽々しく作れるものではない。桃家の先祖への親愛がうかがい知れるというものだ」
「そうなのですか。どれほどすごいのかよくわかりませんが、主様がうれしいと、雪瑛もうれしいです!」
雪瑛はにこっと目を細めた。
「あ!」
そこで、雪瑛は突然声を上げ、碧玉の膝の上に立った。
「主様、外から泣き声が聞こえます。小さな女の子みたいですよ」
「女の子だと?」
碧玉は雪瑛を床へ下ろすと、先ほど灰炎が閉めたばかりの、両開きの窓を押し開けた。雪瑛の言う通り、少し離れた居室の傍を、二つのお団子結びをした幼女が泣きながら歩いている。
「……はあ、しかたがないな」
碧玉は牀頭に置いていた仮面をつけると、灰炎を呼ぶ。
「灰炎、提灯を持て」
「えっ、外出ですか? 夕餉はどうなさるんですか」
灰炎はちょうど湯気を立てる土鍋をのせた盆を運んできたところだった。灰炎がいったん盆を几にのせるのを横目に、碧玉は窓の外を示す。灰炎は目を丸くした。
「あれは……どう見てもこちらのご息女のようですが」
「なぜ泣いているか知らぬが、私が母屋まで送ってくる」
「いえ、そのようなことは私が」
とんでもないことだと返す灰炎に、碧玉はため息まじりに答える。
「灰炎、鏡を見てから申せ。熊のような知らぬ男に突然話しかけられれば、幼い子どもでなくても警戒する」
「うっ、それはそうですが!」
「来るなとは言っていない。従者として、提灯持ちをせよ。雪瑛、お前も来るのだ。子どもには動物を渡しておけば泣き止むだろう」
「わたくし、そういう扱いなんですか⁉」
碧玉のぞんざいな言葉に、雪瑛は毛を逆立てる。
「なんだ、気に入らぬか?」
碧玉がじろりとにらむと、雪瑛は縮こまった。
「はぁーい、雪瑛はがんばりますぅ」
それでいいと、碧玉は頷いた。
碧玉が居室の外に出ると、桃如花はとうとうしゃがみこんだところだった。
「うええん、にーに、どこぉ」
ぐすぐすと泣いている如花の言葉を拾い、碧玉は首を傾げる。
「ニーニとはなんだ。人の名前か?」
「主君、幼子が兄を表現した言葉ですよ。確かに、主君の周りは大人ばかりで、耳馴染みがございませんでしょうな」
灰炎の言う通りで、碧玉は生まれた時から、年長者に囲まれていた。幼児が傍にいたこともない。
「そこの娘、何を泣いている。怪我でもしたか」
碧玉が声をかけると、如花はビクリと震えた。
「あ……はわ……」
提灯の明かりでも分かる。如花はこちらを見て怯えた。仮面をかぶった長身の男と、熊のような男の組み合わせでは怖がるなというほうが無理である。
「ふむ。雪瑛、行け」
「はーい」
碧玉にけしかけられ、雪瑛は如花に歩み寄る。雪瑛は如花の前で渾身のかわいい顔を作って、「クゥン」と甘え鳴きをした。
「わあ……、狐さん?」
如花は雪瑛に小さな手を伸ばし、恐る恐る触れる。その白い毛並みにうっとりして、雪瑛を抱きしめた。
「かわいい!」
「ギュッ」
幼女とはいえ、手加減なしに抱きしめられた雪瑛は、聞いたことのない声を出した。
「さすがだ、雪瑛。灰炎、あれは狐だが、猫被りというのか?」
「さ、さあ、どうでしょうか。それより雪瑛がかわいそうですよ」
小動物を愛する灰炎は、如花の前にしゃがみこんだ。
「お嬢様、どうか手を緩めてください。その子が苦しそうにしています」
「あっ。ごめんね、狐さん」
如花の手が緩んだ隙に、雪瑛はするりと逃げ出した。灰炎のほうに飛び跳ね、あっという間にその肩の上へと避難する。
如花はそれを残念そうに見上げた。
碧玉は如花が落ち着いたようだと判断し、ひとまず名乗ることにした。
「桃家の姫君、私は白家の食客で銀嶺という。そちらは灰炎、そこの狐は雪瑛だ。ひとまず……もしや怪我をしているのか?」
碧玉は努めて優しく話そうとしたが、慣れていないのでつっけんどんになった。それでも誠意は伝わったようで、如花はもじもじと打ち明ける。
「いえ、怪我はしていません。にーにが……お兄様が出かけるのが見えたので後を追いかけたら、いなくなってしまいました」
碧玉達は視線をかわした。つまり迷子だ。
「今日は母屋のほうで宴が開かれると聞いている。あなたの兄君は、そちらに参加しようとしていたのだろう。使用人はいないのか」
「お休みなさいと言って、部屋を出ていきました。今日は忙しいって」
「……なるほど」
如花を世話していた使用人は、如花を寝かしつけ、宴の準備を手伝いにいったのだろう。
「まさかと思うが、あなたの兄君はわざと置いていったのか?」
「違うもん! 如花が見かけて、追いかけただけだもん。にーには前みたいに意地悪じゃないの。とっても優しいんだよ!」
どうやら如花を怒らせてしまったようだ。如花は小さな体を強張らせて、碧玉をねめつけた。どう見たって子猫の威嚇だったが、桃家の子女をいじめたと誤解されては面倒なことになる。
碧玉はしかたがなく謝った。
「私が悪いことを言ったようだ。しかし、兄君はとても立派に見えたが、前は意地悪だったのか?」
せっかくなので、ついでに情報収集をすることにした。
如花はこくんと頷く。
「うん! 家守様に毎日お祈りしたんだよ。お兄様に優しくしてほしいって。そしたらね、えっと……この間ね、急にお兄様が倒れて、起きたら優しくなってたの! お薬が効いたってみんな言ってるよ」
「ほう」
碧玉は内心でにやりとした。
桃家の薬が効いたというのは、真実らしい。これで無駄足を踏まずに済む。
「そのヤモリ様っていうのはなんです? 壁に張りついてるトカゲのことですか?」
灰炎が口を挟んだ。
「家を守るって書いて、家守様! もうっ、なんにも知らないんだね。如花が教えてあげる!」
如花はぷんすかし始め、歩き始めた。数歩進んで止まり、泣きそうな顔で振り返る。
「如花のお部屋……どこ……」
迷子だと思い出したようだった。
泣いたり怒ったりと忙しい幼女である。
「母屋まで連れていこう」
当初の予定通り、碧玉は如花を母屋へ送り届けることにした。
途中、如花の小さな足には遠すぎたようで、如花が疲れたとぐずり始めたものだから、しかたがなく碧玉が抱き上げて運んでやるはめになった。
顔が怖いから嫌だと如花に拒否された灰炎のほうは、静かに落ち込んでいた。
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