Ocean

リヒト

文字の大きさ
上 下
3 / 10

Ocean 3

しおりを挟む
結局そのままソフト部の練習に付き合わされた俺は、久しぶりに菜花の投球を見て舌を巻いた。

ひょえー。これ、90km/hは出てるよな。

さすがエース。コントロールバッチリだ。

このクソデカいボール下から投げて、これはほんとにすごい。


『おまえ硬球上で投げたら120くらいイケんじゃね?』


「そんないかないでしょ」


『もったいねぇなぁ。ほんとにやめんの?』


「うっさいな。あんたはどうなのよ」


『俺もう内定もらってっから。趣味程度には続けるよ』


「え…… 就職すんの?」


『んー。◯◯◯◯スポーツ。

おまえも用具仕入れに行ったりしてんだろ?

GMから“野球部門やらすから来い”って言われてんだよね』


「…… ふぅん」


野球で大学に行ったとして、このあちこちイカレた身体では、大学レベルの選手として活躍できる望みはない。

それならさっさとやめちゃって、自分の経験や知識を活かしてウエアとか用具の方で競技全体を支えていきたいって思ったから、独自に商品開発もしている会社——ガキの頃からの馴染みのスポーツ用品店の店長伝てに、コネ採用で本社就職を決めたんだ。

まずは金貯めて、その後で、大学にはスクーリングで通い色々資格を取ろうと思ってる。

理由は、中2の弟だ。

あいつは既にJAPAN入りしてるくらい飛び抜けたバッティングセンスを持つ有望な外野手で、身体は多分まだまだデカくなるし、これからうんと伸び代がある。

身体も頑丈で今のところ大きな怪我も無く、俺なんかより才能のあるあいつを、行けるとこまで行かしてやりたい…… もうちょっとストイックにやればプロも夢じゃねぇから、きっと。


俺はといえば、当初はプロ目指して私立の強豪校に入れてもらったものの、背は168cm止まりな上に故障が多く戦線離脱しがちで、特に芽の出ないまま多分ピンチに動じない性格だけを買われて、年功序列に従って試合に出させてもらってきた。

母ちゃんが何も言わないからウチの経済状況はよく知らねぇけど、ウチで一番頭の良い末っ子も進学を控えてること考えたら、俺みたいな出来の半端な長男にこれ以上無駄金使わせるのは勿体無い。

だから、趣味以外で野球やるのはこの夏で終わりにするつもりで、“最後なんだからもうぶっ壊れてもいいや”って意地でカラダ張ってきた。

卒業したらバリバリ働いて家に金入れていくらかでも弟達の学費サポートしたり、母ちゃんの代わりに試合の送り迎えもやってくつもりでいたけど…… こんな状況じゃ、その身体に戻れるかどうかも怪しいもんだよなー。



昼でソフト部の練習が終わると、女子達は集まってかしましく話をしながら、昼飯も食わずに甘味巡りに行くらしい。


「そういえば菜花、基樹君フッたんだって?」


あら、やっぱしあいつフラれたんかい。

なんて予想通りの結果に安心しちゃってる俺、クソだな。

思いながら、繰り広げられる女子トークに耳をダンボにする。


「ウソ⁈もったいなー!せっかくなんだからお試しで付き合ってみたらいいのに~」


「“好きな人いるから”って断られた、って聞いたよ?

誰なん?そんな、基樹よりイイ男って」


「誰だれ⁈ウチの学校⁈ 何年⁈何コース⁈」


いやマジか。誰だよ、そいつ。

菜花の横顔を窺うも、微妙な笑みを浮かべたまま、見えてる筈の俺のことは無視して歩いてる。


「カワイソー。じゃあ□□なんか告る前からもう望み無いじゃん」


「あはは、そゆこと本人に言っちゃう~?」


「だってあいつ分かり易いから。

もうみんなにバレてるよ。なのっちのこと、ずっと目で追ってるもん」


「わー片想い辛ぁー。分かるー」


「あんたのは次元の壁に阻まれてるから完全に望み無いでしょ」


「ね。だから辛いのよ。あっちの次元いけたらなー」


「モブ子が何か言ってるー」


「モブ子じゃねーよノブ子だよ!あっちの世界じゃ主人公よ?モテちゃってモテちゃってそりゃあもう大変なんだから~」


「てかさ、なのたん、あの◯◯大行った先輩とは結局どうだったんよ?」


「…… あはは、どうだったんでしょうねー」


「いつだか助手席乗ってんの見たよー?あの後どこ行ったのかなー?」


「ナノは経験豊富だからねー」


曖昧な笑いで躱す菜花の背中で、俺は愕然としてた。

こいつ、モテるとは知ってたけど、俺の知らないとこでそんなことになってたとは……。

“経験豊富”…… だと…… ?

このプルっプルの唇を、ぽよんぽよんのおっぱいを、…… ぬあぁぁっどこまでか考えたくもねぇけど好きにさせたヤツが居るってのか……⁈

誰だよそいつ、誰なんだよ、あぁん⁈

俺が見つけ出して取り憑いて…… 生涯菜花の幸せの為に貢献し続けないと死ぬ呪いかけてくれるわ‼︎



クレープ食ってアイスラテ飲んでたこ焼き食ってアイス食ってようやく解散した女子ソフト部と別れて家に着くと、菜花はサンルームの物干しからテキトーに下着を取り、真っ直ぐに風呂場へ向かう。

その前にトイレに寄ろうとドアに手を掛けた菜花、チラッと俺を振り返る。


「見たらコロスから」


『おまえ…… 今死にかけてる人間にそゆこと言う?』


「何言ってんの、ヒロなんかコロしても死なないでしょ」


『…………。』


いやコロしたら死ぬと思うぞ、普通に。

まぁ、菜花にコロされるんならいっか。

どうやってコロしてくれんのかなー。楽しみだなー。


「後ろ向いて。何か喋ってて。

…… 音聞いたらほんとコロすからね」


『へーい』


そーいや俺、ションベンもウンコも出ねぇな。

ま、ユーレイがウンコしてる話とか聞かねぇからな…… しないもんなんだろう。


なんてことを思っていると、ゴソゴソと下を脱いでる気配。

慌てて何か喋ることを考える。

つってもこの場面で喋ることなんて……。


『あー、あー。テステス、テステス。只今マイクテスト中。

…… あーいーうーえーおーかーきーくーけーこーさーしーすーせーそーたーちーつーてーと…… えーと、あかさた“な”だ。なーにーぬーねーのー…… なーにーぬーねーのの次は? 』


「は行でしょ!」


『はーか。はーひーふーへーほー、…… はーひー…… まーみーむーめーもー、やーゆーよー…… なぁ、まだぁ?』


「何でもいいから喋ってて!五十音じゃなくていいから!」


『つーか親居ねぇの?おまえベンジョで一人で喋ってて変に思われね?』


カラカラとペーパーを巻き取る音。


「…… 二人でお兄ちゃんとこ行ったから。

明後日の夜まで帰って来ないよ」


『あ、そ』


関東に住む菜花の5歳上の兄貴にこの春子どもが生まれたってのは、母ちゃんから聞いて知ってた。

菜花の両親は、旅行がてら初孫に会いに行ったんだろう。

…… ってことは。

今夜俺、菜花と二人きり……?


ジャーっと流す音がして、


「はい、お待たせしましたー」


スッキリ感が声に出てるな。おめでと。

実はショロショロ可愛いらしい音が聞こえちゃってたことは、俺の胸の内にしまっとくわ。



風呂場の脱衣所に入ると、またしても見たらコロすと脅された俺は、菜花の後ろで、鏡とは反対にある洗濯機の方を向いて立ち、俺の身体越しに練習着やストッキング、ソックスが投げ入れられていくのを眺める。

…… 暇だ。


『なぁ、…… ちょっとだけ見ていい?』


「っダメに決まってんだろがァ!」


きゃー、“ろ”のとこ舌回っちゃってるよー?

やだー菜花ちゃんコワーイ。

ちょっとからかってみただけなのにィー。


『えー』


一応ガッカリした声を出してみせながらも、昨夜見た菜花の裸を思い出して反芻してる俺。

もうあれ焼き付いちゃってるから、静止画でも動画でも何回でも脳内再生自由よ?

でも、黙って覗き見るのと菜花の方から見せてくれるのとじゃ、価値も意味合いも全然違ってくるよなー。

“見て♡”って見せてくれるなら、そりゃあもう…… “それ以上のこともOK♡”ってことでしょ。


「そんな見たいもんなの?」


『うん。見たい』キリッ。


菜花がゴソゴソと服を脱いでる気配に、期待が高まる。

え?何?もしかしてそれって…… ?


「…… ん。見てもいいよ」


『えっ』


振り返った俺の目に、バスタオルに身を包んだ菜花が映る。

剥き出しの肩と深い胸の谷間、キュッとくびれた腰からお尻にかけての魅惑のライン、すんなりと伸びた長い脚。

菜花が挑発的な笑みを浮かべながら、胸元に挟んだタオルの端にゆっくりと手を掛ける。

…… ゴクリ。

生唾を呑む。


バッ!とタオルが翻ると、そこには菜花のタンクトップを胸の上まで下ろしたハーフパンツ姿が……。


「ジャーン!バカが見~る~♪」


『…………。』


無言で目を瞬いてる俺を見てケタケタ笑い始める、菜花。

そんな可笑しいか。可笑しいんだろうな、俺の顔。

涙目になって咽せるほど大笑いしてやがる。クッソ……。


ふふん。別にいいもんねー。

俺は昨夜、おまえのおっぱいからパンツのマン筋まで見ちゃってるしー。

自分で乳首触って気持ち良くなってたのも知ってるしー。

背面座位で風呂にも入ったしー。

って、今日もあれ、出来んのかな?

おぅふ…… 想像したら勃ってきちゃった。


「いつまでガッカリしてんのよ。

ほれ、さっさと後ろ向く!

シャワーで済ますから、後ろ向いて待ってて」


『へぇへぇ』


「ほんとに見ないでよ⁈」


『見ねぇからさっさと入れよ』


…… 長げぇんだからよ。


ちっ。なんだよ。

一緒に湯船に浸かるの回避されてんじゃねぇか。

触れないにしても色々…… 耳元で言葉攻めにする妄想して楽しもうとかちょっと考えてたのに…… 残念無念。



菜花が風呂からあがると、もう夕暮れ時だ。


だからおまえ風呂長げーんだよ、特にあがってからがよ……。


げんなりしてる理由は、菜花の長過ぎるグルーミングタイムのせいだけじゃない。

このクソ暑い中、俺なんでグラコンなんか着てんだろ。

汗はかいてんのかかいてねぇのか分かんないけど、暑いか寒いかは十二分に分かるから、余計に気持ち悪い。

真夏日にシャカシャカした防寒着で、菜花の下着姿見せ付けられながら風呂場に2時間とか…… っとに、何のガマン大会だよ。


台所に明かりを点け、母ちゃんが置いてってくれたという冷凍のオムライスをチンしてる菜花。


俺が自由の身なら、あるものでササっと飯くらい作ってやれるのになー。

あ、俺、料理は得意よ?

その他家事も一通り出来るし、大工仕事や電気関係、水回りのトラブルだってある程度は対応出来る。

一家に一台、置いてもらって損はないと思うぜ。


ひとりテーブルに着く菜花を斜め後方から眺めながら思う。


こいつ、午後からあんだけ炭水化物摂ってたのによく食うなぁ……。

そういや俺、全然腹減らねぇな。

性欲は普段にも増して増進してるけど。


「分けっこする?」


見ればオムライスにケチャップでハートなんか描いてる菜花。

そういうとこはおままごとしてた頃と変わんない可愛い女の子なのな。

俺にはすぐ拳出るのに。


『んー、…… いいよ』


多分俺、食えないから。


代わりにと言っちゃ何だけど、菜花が指に付いたケチャップを舐める舌先に集中してる俺。

あぁ、いいなソレ…… 股間にクるわ。


じっと見られてることに気付いた菜花、


「食べたい?」


うん。食べたいな。てか食べられたい。

って、あ。そか、飯の話な。

俺、のぼせてんのか、アタマ大分イカれてんな。


『いやいいって。いいから食えよ』


菜花、斜め後ろに居る俺に向かってスプーンを突き出す。


「あーん」


いいっつってんのに。

それ間接キスになるけどいいのか?…… いいんだな?

クッソ…… なんならおまえの指ごと喰ってやろうか。


思った瞬間、菜花の座っている椅子が傾き手元が揺れて、スプーンの上のライスが床に落ちる。


「あっ⁈…… あーもう~。もったいな!ヒロぉ~!」


『俺かよ』


ティッシュで俺の足元の床から米粒拾ってるお尻。

薄い生地に浮かび上がるパンツのラインを見てると、菜花がふと思いついたように尋ねる。


「ねぇそれ、何センチあんの?」


『…… 14.5?』


ジロリと睨め上げられて、慌てて言い直す。


『にっ、27だ、27』


足のサイズな。うん、分かってるよ。

…… あー、野郎同士の会話のノリで話しちゃダメだな。

女の子にしたらセクハラだもんな、こういうの。

反省反省。


「何これデカっ!」


菜花、しゃがみ込んで俺の裸足の足をマジマジと見て、指先でつついてる。

地味に感じちゃうからやめろそれ。


『…… 普通だろ』


確かに身長の割にはデカいかもだけど、普通だと思う。

チンチョーの方も恐らく標準値内だ。


「いつの間に、何食べてそんなデカくなった訳?」


『嫌味か。幅あるからデカく見えるだけでギリ70ねぇよ。

別に…… 飯も普通だし』


何故か悔しそうに見上げてくる、菜花。

中学までは菜花より低かったけど、俺今は多分10cmは超せてんじゃねぇかな。

体重は恐らく、菜花の倍くらいある。

背は多分もう伸びねぇから、実は最近ちょっとだけ飯の量減らしてた。

傷めてる膝腰への負担考えると、今はもうちょい絞りたいんだよな…… 筋肉は落としたくないからプロテインは続けてるけど。


「お腹減らないの?」


『ん。全く減んねぇな』


「…… 栄養の点滴してるとお腹減らないらしいよ。血糖値保たれるから」


『あ、そうなん?な~る……』


納得いくようないかないような。

それ、本体の話だろ。

つーか俺はもうすっかりこっちのが本体のような気がしてるんだけど……。



菜花が洗濯物と洗い物を片付けて二階に上がると、タイマーがセットしてあったらしく、寒いくらいにエアコンが効いてる。

はあ~涼し~!ってベッドの上に仰向けになり、伸びをしてる菜花の隣で、くっついてる俺も当然横になる。

と、何故かまた俺が素っ裸になってることに気付いて、菜花が慌ててバッ!って背を向ける。


『…… なぁ、』


返事はない。

けど、意識がこっち向いてるのは分かる。

肘枕で菜花の方を向き、午後いっぱい気になってたことを直球で投げかける。


『おまえ好きなヤツって誰なん?』


「…… うっさい」


『や、なに?聞いただけだろ』


「黙れ変態。ろしゅちゅ…… 露出狂」


言えてない上にそんなこと言われましてもね。


『俺、なんか知んねぇけど自分の意志で服着れねぇんだもん、仕方ねぇだろ。

いつどんなカッコになるか予測不能なんだよ』


「…………。」


菜花、何か考えてるな。

そうなんよ、俺、自由に見えて結構不自由な身分なんよ?

分かってよ。


『で?誰なんだよ?』


話を戻されると、途端にまた不機嫌になる気配。

…… 小っちゃい耳。可愛いな。パクってしたい。


「~~~バカ!ドンカン!ムッツリスケベ!ホーケー!」


全部当たってるにしても酷でぇ言われようだ。

つーかしっかりちゃっかり見てんのな、おまえ。


『あのな。言っとくけど、俺のは包茎じゃねぇから。

普段皮被ってっけど、勃起すればちゃんと剥けっからな』


「…… それ仮性包茎ってやつじゃん」


布団に顔を埋めてくぐもってる菜花の呟きを聞いて、“経験豊富”の四文字が頭に浮かぶ。


クソぉ…… どんなチンコか知らねぇけど比べんなよな。

今冷房で縮んでっからこのサイズだけど、俺の、伸縮率スゲーから。

是非とも起動時をご披露したいもんだ。


『ゆーて日本人成人男性の8割方が仮性包茎らしいぞ?

ちなみにおまえの好きな俳優で歌手の〇〇も、いつぞやラジオで仮性包茎カミングアウトしてたから。

皮オナ好きとか、やっぱアイツこっち側の人間』


「…… 要らんわそんな情報‼︎」


半ば本気で怒ってる菜花。


あ。突然だけど閃いた。


『思ったんだけどさー、もしかしてこれ、おまえのせいなんじゃね?』


「あ、あたしのせい⁈」


菜花の意識が俺の下半身に向けられるのが分かる。


『いや、その話じゃなくてよ。

この…… 俺が、なんかユーレイみたくなっちゃってること』


「…… 何でよ!」


『んー。

なんつーか…… 俺、おまえに引っ張られてる気がすんだよね。

ほんとは召されかけてんのに、無理矢理繋ぎ止められてるって言うか』


菜花、何か思い当たるところがあるみたいで、真顔になって考えてる。


そうだよ、元はと言えば俺、おまえに呼ばれてここ来たんだよ。

あの時おまえの声が呼び止めてくれなきゃ、確実に“上”行ってたもん。


『だからコレ、“おまえが見たい俺”なんじゃねぇかなーって。

今日おまえ、俺の裸見たいって思ってたろ』


「はぁ⁈」


『お陰で俺、半日産まれたままの姿で居たんだぞ』


「しっ、知らないし‼︎

大体あたし、後ろに居るあんたのことなんか見てなかったでしょうよ……」


憤慨しながらも想像したらしくププッてなり、ゲラゲラ笑い始める。


『おまえさーそやって笑ってっけどさー。

お陽さま輝く青空の下でな?

女子達が集まってスポーツで爽やかに汗流してる前でだぞ?

見えないにしてもあり得ねぇだろ』


「あはっ、ありえな…… んぐっ…… がはっ……‼︎」


また咽せてる。

ほらほら、小っちゃい頃みたいに喘息出てきたんじゃねぇか?

喉ヒューヒューいわして…… おまえヒトの不幸、笑い過ぎだから。


『“見える人”から見えちゃったときのこと考えるとさー、外出たときフルチンでいんのもどうかと…… おまえ何かテキトーに着せてくんね?』


「だからなんであたし⁈

んもぉ…… ほんと知らないからぁ……、」


納得いかない、って顔しながらもちょっとは俺の言葉に思い当たる節があるらしく、菜花が目をパチクリした途端。

ほらな。

俺、試合用のユニフォーム着てるし。

つーかヘルメットにスロートガード、プロテクター、レガース、キャッチャーミットにスパイクも…… って、全部俺の愛用してるメーカーのだし、しかも普段の練習用のじゃなくて試合のときのバリッとした一張羅じゃねぇか…… 細部まで再現度高けぇな、おい。


菜花がくるりと寝返りを打ち、こっちを向く。

思い浮かべたことを確認するみたいに俺の姿を上から下まで眺めて、驚きつつも満足気にしてる。

…… 俺、防具フル装備でベッドに横になることがあるとは思わなかったわ。


『何もマスクまで被せることねぇだろうよ』


キャッチャーマスクの網目越しに菜花と目が合う。

う…… なんかニマニマしてる。

面白がってんな、コイツ。
 

『あ、つーかこれ、思いっきりウチの校名のロゴ入ってんじゃねぇか。

こんなカッコで街うろついてんの見られてみろ、学校に電話行くぞ』


「あははは!あはははは!」


この分じゃ背中も“OKADA”ってネームと背番号“2”、入ってるよな。

菜花の観察眼、記憶力、フツーにすげーわ。


俺の解釈に納得いったのかどうかは分かんないけど、菜花、なんか楽しくなってきたみたいだ。


「じゃあねぇ、……」って悪戯っぽく菜花が呟くと防具一式が消えて、俺、七分丈のトレパンとアンダーシャツ姿になる。

首にタオル掛けてて、足元は何故か素足にサンダル。

なんなんだよこのハンパな感じは…… あ、これ、練習の後シャワー行くときの格好だわ。


『おまえの“見たい”基準、分かんねんだけど……』


「何かご不満でも?」


『いや別にご不満はねぇよ。でも…… どうせならもうちょいカッコいいのが…… 』


顎に人差し指を当てて「うーむ」って真剣に考えてた菜花、閃いた!って顔でパッと表情を明るくすると、ピーンと指を立てる。

その瞬間、俺、今度は制服姿になる。

とは言ってもブレザーにネクタイじゃなくて、衣替え直後の、長袖のワイシャツを肘まで捲って襟元のボタン2個開けてる、着崩した昼休みスタイル。

ご丁寧にも、校内履きの踵潰してるとこや暑くてスラックスの裾を膝まで捲り上げてるとこまで再現してくれてる。

…… ほんと良く見てんな。


『これ?…… おまえの“カッコいい俺”のイメージ、こんななの?』


なんだかよく分かんねぇけど恥ずかしそうに俯いている菜花。

まぁ、何であれ素っ裸で居るよりはマシってもんだ。


『な?やっぱそうだろ。

これ、“おまえが覚えてる俺”なんだよ。

だからもしかしたらさー、……。

おまえが俺のこと“殴りたい”って思って殴れたんだから、“触って欲しい”って思ったら、俺からもおまえに触れんじゃね?』


菜花はキョトキョト目を動かしながら何か想像したようで、俺と目が合うとカーッと顔を赤らめ、両手で頬を押さえてる。


『…… おまえ今何かエッチなこと考えたろ』

 
ぶんぶんぶん。

真っ赤になって首を振る菜花。


『俺に触って欲しいの、どこよ?』


「…… っ⁈ …… 」


何を想像したのか、頬を押さえてた両手にぎゅうーって力入って、糸みたいな目になってる菜花。

何だその顔。

半笑いになる俺だけど、菜花は本気でテンパってるみたいだ。

隠れSの血が騒ぐ。


『今考えたこと、言ってみ?』


「…… だっ、だかっ…… そ…… んにゃっ……」


『あ、それともナニか?

触られるより触ってみたいってか。

いいぜ、触りたいとこ触ってくれても。

ただし、俺気持ち良くなっちゃったら最後までおまえが責任持って面倒見てくれよ?』


「…… なっ…… 何勝手に変な想像してんのよーッ‼︎ /////」


あ、図星?


この至近距離では鋭い角度で繰り出された右フックを避け切れず、咄嗟に菜花の腕を掴む。


細っこいなぁ。余裕で指回って重なるもん。

力強いとは言え、やっぱ女の子だ。

…… って、アレ?俺、掴めてる⁈

菜花も同時に気付いたみたいで、真っ赤になりながらもハッとしてる。

けど、引っ込みが付かないのか左の拳も出してきて結局両腕を俺に捕まえられ、力で敵わずにぐぬぬ~ってますます赤くなってる。

当ったり前だ。

俺素手でリンゴ割れるようになったし、今、ベンチプレス80kg挙げてんだぞ。

ガキの頃と同じく、力で勝てると思うなよ。


『…… やっぱ触って欲しいって思った?』


急に力が抜けた菜花の腕を離してやりながら確認すると、からかわれたと思ったのか、耳まで真っ赤にして俯いて、悔しそうに呟く。


「もうっ、……っ!」


『あー。“死ね”っつったべ今』


「言ってない」


『言ったね』


「言ってないってば!言う訳ないじゃん!そんな……」


『“ほんとのこと”?』


菜花が凍り付く。

酷でぇこと言ってる自覚はある。

けど、俺も散々嫌なこと考えてて自棄になってくるよね、いい加減。


『まぁね。言われなくても俺、多分死ぬけどね』


「…… 嫌だ」


『だってさ、このまま戻れなかったら、』


「嫌だってば‼︎

言わないでそーゆーこと‼︎ 冗談でも」


冗談でもなんでもないことは、菜花も分かってる筈。

あの記事の日付けからして、俺が意識を失ってから明日でちょうど一週間だ。

多分脳みその大事なとこがイッっちゃってるから自発呼吸が無く、人工呼吸器で命を繋いでもらってる状態なんだろう。

意識はここにあるにしても、回復の見込みもなくただ弱っていくだけの身体を、一体いつまで生かしといて貰えばいい?

それで最期、誰が満足すんの?

親父もお袋も、自分達から息子の生命維持装置を“もういいから止めてくれ”とは言えないだろう。

決断を迫られたとき、答えを出すのは多分、親父。

仕方ないとは言え、不慮の事故で息子を失う以上の苦しみを一生背負わせてしまうことになる。

それならいっそ、俺が自分から…… “飛ぶ”のがいいだろ。


『チクショー…… 俺、童貞のままで死ぬのかー。

いっぺんくらいしてみたかったなー 』


「…… いいよ、しても」


菜花が目を伏せたまま、神妙な面持ちで呟く。

しんみりした雰囲気を払拭しようとした筈が、菜花は俺の言葉を真摯に受け止めちゃったみたいだ。


俺がさっき“おまえのせい”って言ったのは、“おまえのおかげ”って意味だったんだけどなー。

何の責任感じてんのか分かんねぇけど、俺がこうなったのはまるっきり自業自得で…… 多分この世に未練があり過ぎて逝けずにいるだけだよ。

俺にとっては嬉しい申し出ではあるけど、まさか大事な幼馴染に身体を差し出させる訳にはいかねぇだろ……。


思い詰めたように目を瞬いてる菜花。

昼間の女子トークの内容が衝撃的過ぎて午後いっぱいモヤモヤしてた俺だけど、冷静になって考えてみたら、コイツに男と遊ぶ暇なんてなかった筈だ。

俺らの年頃の例に漏れず色々オベンキョしてて耳年増なだけで、さっきの反応からしても、間違いなく……、


『おまえさ、…… したことねぇんだろ?

そういうのは、大事に取っとけって。

ほんとに好きなヤツに言えよ』


「…… だから言ってるじゃん…… 」


消え入りそうな声。

どうせだから、聞こえないフリをする。


『おまえには絶対幸せになって欲しいんだよ。

看護師になったら、医者とかゲッチュ出来るチャンス、いくらでもあんじゃん。

いいヤツ見つけてそいつの子ども産んで、歳とって孫とか曾孫とかにいっぱい囲まれて、最期には“良い人生だったなぁ”って、大往生して欲しい。

だから、…… 』


言い掛けた口を両手で塞がれて、ムグッてなる。

 
言うなってか。

せめて言い訳ぐらいさせろよ、俺今、精一杯後悔してんだから。


“だから俺、見守るって決めてたのに”……。


菜花の手のひら、柔らかくて小っちゃいな。

俺を見つめる瞳に涙いっぱい溜めてんの、愛おしくて、哀しくて、泣けてくる。


「ヒロが居なかったら、大往生なんか出来ないもん。

ずっとあたし、後悔して生きてくことになる。

…… ヒロはどうなの?」


菜花の手のひらが口元を離れ、俺の両頬を優しく包むのを感じながら、菜花の黒目がちな瞳から透明な雫が溢れるのを眺める。

夢みたいに綺麗な泣き顔に、既視感を覚える。


「好きよ」


菜花の顔が近付いて、息が止まる。

ためらいもなく触れてきた唇の柔らかさに、やっぱこれ夢かな、ってちょっと思う。


「大好き。ヒロ……」


コツンと俺の額に菜花の額が寄せられ、鼻先に震える呼吸が伝わってくる。

目を閉じると、菜花の感情に呼応するように、しょっぱい想いが喉の奥から押し寄せる。


何の為に意地張って痩せ我慢してきたんだよ、俺。

こんなことなら、早いとこ告って付き合っときゃ良かった。

一緒に観たい映画、聴きたい音楽、行きたい場所、食いたいもんもいっぱいあったのに。


ヒーローか何かならカッコ良く、最後まで何も言わずにヒロインの幸せを願って去るんだろう。世界を救う為に。

けど俺、普通の高校生だ。

世界を救うなんていうデカ過ぎる使命や大義名分がある訳でもなく、超カッコ悪い理由で、多分近い内にこの世から消えてなくなる。

いずれ菜花の中に記憶を残すことになるのなら、昔と変わらない情け無いヤツのままでいい。

その方が、…… おまえも前に進めるだろ。


『俺も…… 好きだよ』


伝えるつもりの無かった感情。

言葉にしてしまうと同時に、ぶわっと溢れ出す。

カッコもクソもなくなってみて、これが俺だよ、って思い出す。

負けた。完敗だ。


『…… 大好きだよ、菜花ぁ……!』


菜花が身体を少し上にずらして俺の頭を両腕でぎゅっと胸に抱き抱え、いい子いい子するみたいに伸びかけのボーズ頭を撫でる。

俺は菜花の細っこくてしなやかな身体にしがみつきながら、胸に顔を埋めて、みっともなく声をあげて泣く。


そうだよ、俺、ずっと菜花が好きだった。

大好きなのに、あんなこと言って…… 後悔してたから、自分でも忘れたフリしてたんだな。

ズルいよな、俺……。


ずっと封印してた記憶の中、6年生の菜花は、既に完璧な美少女だ。


「大人になったらあたしのこと、お嫁さんにしてね」


「…………。」


「…… ヒロ?」


「俺、…… 多分菜花とは結婚できないよ」


「どうして?」


分かりきったことだろ。

チビで痩せっぽっちで泣き虫で、野球ヘタクソで、イケメンでもなく頭がいい訳でもないカッコ悪い俺が、菜花と結婚出来る訳ないよ。

美人でスタイル良くて勉強も運動も出来る、菜花となんか……。


「なんでよ⁈ 約束したじゃない、“ずっと一緒にいようね”って。

“僕と結婚してくれる?”って…… 、ヒロが言ったんだよ?忘れたの?」


忘れる訳ないじゃないか。

でも…… あの頃とはもう違うんだよ、俺たち。


「…… ごめん」


ごめん。

だって俺、どう見ても菜花と釣り合わないよ。

こんな俺をダンナにしたんじゃ、菜花がかわいそうだ……。


「…… ヒロの嘘つき!…… 大っっっ嫌い‼︎」


初めて見た菜花の泣き顔。

クシャクシャに歪んでても、綺麗だった。

大嫌いって言われた筈なのに全然嫌われた気はしなくて、むしろ痛いくらいの想いと悲しみが伝わってきたから、俺も悲しくなって、泣いた。


菜花を泣かせてしまった。

傷付けてしまったのか…… 俺が?

菜花の将来を思って言ったことだったのに、まさかこんなに悲しませてしまうなんて。


すぐに後悔したけど、言い訳の言葉が見つからず、泣きながら去っていく菜花の後を追いかける勇気もなくて……、

それからもう、2人きりでは会うことがなくなったんだ。


それから俺は、あの時の自分の言葉の意味と、日が経つにつれて深まっていく後悔の原因について、何度も考えた。


菜花の為に……?

いや、自分のプライドの為だろ?

光を集めて輝く花のような菜花の隣に立つと、みっともない自分が余計にも情けなく思えてくるから。

単純に、俺に勇気が無いせいだ。

自信持って『好きだ』って言えるくらいの努力もしてないクセして、何のプライドだよ。


自分の不甲斐なさに、俺は奮起した。

俺、もう泣かない。泣いてる暇なんか無い。

好き嫌いしないで何でも食べて身体大きくして、筋トレ頑張って強くなって、走り込みで今よりもっと瞬発力と持久力上げて……、うんと練習して野球上手くなる。

ただキャッチングとかスローイング、バッティングが上手いだけじゃだめだ。

頭脳でリードして配球で試合の流れを作ってくことが出来るくらいの、頼りになる“扇の要”にならなきゃ。

その為には勉強も頑張って、色んなこと幅広く深く考えられるようになって、みんなから信頼されて尊敬されるくらいの人間にならないと。

プロ野球選手になって、大金持ちになって、そして……『結婚してください』って菜花に言う‼︎

菜花は絶対、俺のこと好きだから。

それまで、きっと待っててくれる。

多分、ずっと好きでいてくれる……。


そんな希望を持てたも、中学までの話だった。

菜花はソフト部に入ってすぐにピッチャーの頭角を表し、二年の初めにはエースとして地区代表の座に君臨していた。

高校に入ってからは、左投げが珍しいこともあって、“美人過ぎるサウスポー”なんてニュースや雑誌に取り上げられてたりもしてたな。

勉強の方も、忙しいながらもコツコツ頑張ってたようで、テストの成績は常にトップクラスに居た…… 数学以外では。

菜花、同級生はもちろん上級生からも下級生からもびっくりするくらいモテてた。
 
美人なのは元からだけど、色んなこと頑張ってるから、生き生きと輝いて見えるんだと思う。

…… 対する俺は、英検や数検、苦手な漢検も受けてみたり、生徒会に入ったりして自分なりに色々頑張ってたにしても、相変わらず中身にも外見にも自信が持てないままだった。

野球に限っては技能面で個人表彰なんか受けちゃって、ちょっとは自信が持てるようになり、勢いで野球の名門校に入ってみたところが、周りは全国から集まった神童、怪童、とんでもないバケモノばっかで、俺はただのカエルだったことを思い知った。

“井の中の蛙、大海を知らず”のカワズだ。

大海って名前は、親父が海の日生まれの俺に“大海を知れ”と願ってつけてくれたものだってのに。

『何事にも、常に謙虚にな』

親父がいつも言ってた言葉を痛いほど噛み締めるハメになって、漸く気付いた。

ちょっと頑張って成績残せたからって、調子乗ってたな、俺。


それからは人一倍…… いや3倍くらいの努力を積んできたつもりだ。

小学校時代、チビで胸骨が見えるくらいガリガリで、監督から“洗濯板”とか言われてた俺は、よく食べよく動きよく寝るを実践した結果、中学時代背が20cm近く伸びてヒョロヒョロになり、周りからは“ワリバシ”とか“ナナフシ”とか呼ばれるようになった。

残念ながら高校に入ってから身長の伸びはピタリと止まってしまったけど、それをカバーする為に飯吐く程食って脇目も振らず鍛えまくって、今じゃ“ゴリマッチョ”とか“ガチムチくん”って言われるくらいの立派なキャッチャー体型になったぞ。

本来の目的だった野球こそ怪我に泣いてイマイチな感じだけど、みんなを盛り立てて纏めることに尽力してきたお陰でリーダーとして認められ、2年の春からずっと公式戦ではメインのキャッチャー、秋からは部長に推薦され、名門野球部の顔役を任されてきた。

勉強だってやってないフリして頑張って、ガチでやってる特進のヤツらには敵わないまでも、毎回30番以内には食い込んでるよ。


どうよ?

菜花、見てっか?

どっかで見ててくれてる筈のおまえのこと、ずっと意識してやってきたんだぜ。

おまえに追いつく為、おまえに見合うカッコイイ男になる為に、今まで必死こいて色んなこと頑張って来たんだよ。

この夏に懸けた想いは、半端じゃなかった。

先輩達から託され仲間たちと誓った勝利の約束を果たすことが出来たら、俺、少しは自信持っていいんじゃないかな。

もし、その時までおまえが俺のこと見ててくれたら。

俺、今度こそおまえに……。


って、どっかで思ってた。

……それが、、、


何でこんなことになっちゃったんだよ。

俺の人生、これからだってのに。

まだまだやりたいこと沢山あるのに。

こんなとこで終わりたくねぇ。



…… 死にたくねぇよぉ……‼︎



しおりを挟む

処理中です...