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3巻

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 4


 エヴァンの前に置かれている剣は、新品同様に真っ直ぐ伸びており、刃はどこから眺めようと均一な輝きを誇っていた。家紋はその中で一層際立っている。

「これはお見事ですね」
「何かあればいつでも来てください」

 剣を手に取り眺めるエヴァンに、男はそれだけ告げると席を立った。礼儀として渡しに来たようだが、仕事はおそらく山積みなのだ。呑気のんきに世間話をしている暇はないだろう。
 一方、エヴァンは剣を腰に佩くと店を出て、早速鉱山へと駆けていく。営業時間の都合上、取りに来るのがぎりぎりになったのだ。のんびりしていては、始業に間に合わなくなる。

「綺麗になって、よかったですね」
「そうだね。でもこの剣も、いつまで持つのだろうか」
「大丈夫ですよ、きっと孫の代まで持ってくれます」
「そうだといいけれど」

 にこにこしているセラフィナに向けていた視線を、自分の腰元に落とす。そこにあるのはダグラス家の家紋。どこに行こうと何に変わろうと、ダグラスの名はいつまでもついてくる。
 権利を得るということは、縛られるということでもある。エヴァンは領地を離れてから、これといった出来事はなかったのにもかかわらず、自身が貴族だと意識させられることが多くなった。しかし、それもすぐに意識の彼方に消えていく。

「今日も、何事もなく一日が過ぎていくといいね」
「はい。ですがエヴァン様には、もう少し好奇心や冒険心があってもよい気がします」
「そんな瞳を輝かせた少年みたいなのは、俺じゃないよ」
「全く、その通りです」

 そうしたやり取りをしているうちに、鉱山に到着した。
 挨拶やら入坑前の準備やらを済ませたとき、まだ始業時間には少々早かった。しかし何もせずにいるのもどうかと思われて、エヴァンは肺一杯に新鮮な空気を吸い込むと坑道へと歩き出した。
 と、そこに声がかかった。振り返ると、鉱山の管理者が心底面倒そうに告げる。

「今日はお偉いさんが来るそうだから、粗相そそうのないように。なに、来たらとりあえず頭を下げておけばいい。なんか言われたら、『ははーッ』とかしこまっておけばいい。くれぐれも、厄介ごとだけは起こすなよ」
「はい、承知いたしました」

 エヴァンとセラフィナは頭を下げてから、くるりと向きを変えて、暗い穴の中へと進んでいく。
 お偉いさん、と言った割に彼の態度はぞんざいだった。何かあるのだろうかと勘繰かんぐるも、そもそも来たばかりのエヴァンはこの国の内情については知らない。
 それでも何となく想像がついたのは、逆に彼の情報が限られていたからか。

(ああ、エルフがどうこう言ってたっけ。ならば、あくまでのお偉いさんなのだろう)

 ドワーフの敬意の対象ではないだけだ。そう考えると、至極しごくくだらないことのように思われて、エヴァンはげんなりとする。
 とはいえ、すべきことは単純明快、坑内に出没した魔物を狩るだけ。それだけでいいのだから、汗みずくになって働いている鉱夫たちには申し訳ないように思われる。しかし、ともすれば食い殺されるのだから、彼らから不満が出ることはない。
 丸一日何もないこともあれば、十体近く出現することもあり、動向には全く見当がつかない。それゆえに、エヴァンも気負いすぎないよう考えていた。
 今日も敵を狩るだけである。剣に手を添えると、家紋が炎に照らされ、煌めいた。


 トマーシュ・ホラークは馬車に揺られながら、にこやかな表情を貼りつけていた。その仮面の下では、緊張と不安がないまぜになっている。
 馬車の窓から見える光景は、彼が生まれ育った土地とはおもむきが異なる。辺りには野山が残されているのだが、風土の違いを感じずにはいられない。
 実際にはそれほど距離はなく、大きく気候が変わることもないため、彼の先入観が大きな要素を占めていたに違いない。しかし、そうでないところもある。
 まず、自然が残されているといっても、その関係性が大きく異なる。エルフたちは自然にできるだけ手を加えずありのままを残しながら恵みを享受きょうじゅする考えなのに対し、ドワーフたちはできるだけ人の手を加えて、生産性を高めることをよしとした。
 それゆえに、トマーシュの目に映っている自然が不自然に見えるのも仕方がない。

「お兄様、そろそろ到着します。そのようなお顔をされていては、エルフの王は何と恐ろしいお方か、と噂されてしまいますよ」
「そんなに、恐ろしい顔をしていたか?」
「ええ。まるで戦争に赴くかのように」

 彼の妹、カリナは上品に笑う。
 トマーシュを知らぬ者が見れば、彼は笑顔だと誰もが思うだろう。しかし、かねてから彼の後ろをくっついていたカリナからすれば、仮面の下の表情など透けて見えるも同然だった。
 トマーシュは妹に心配をかけさせるようでは、と表情を改める。カリナが頼れる兄を求めていたのに対し、トマーシュも頼れる兄であろうとつとめてきた。それが王族たらんとする今の彼を作り上げてきたとっても過言ではないだろう。
 馬車はやがて鉱山に辿り着いた。これまでいくつかの街で顔見せを行ってきたが、最終的な目的地は、華やかさとはかけ離れていた。
 とても貴族たちが行く場所とは思えない鉱山がなぜ目的地になったのかというと、ドワーフたちの領地にはこれといった観光地がないからだ。互いの文化の受け入れを名目としているため、鍛冶といえば鉱石、そしてドワーフ側の嫌がらせもあってこうなった。
 トマーシュもカリナも、そんなことは知らない。薄々うすうす勘づいてはいるものの、議会に参加していない彼らには、権謀術数渦巻く政治の場は少々難しいものであった。
 近衛兵が「殿下、到着いたしました」と馬車を止める。トマーシュは馬車を降り、カリナに手を貸す。容姿に優れた二人のさまは絵になるものだったが、周囲は土と岩ばかりの鉱山だからかえって異質に見えるだけであった。
 それから周囲に十名ほどの兵を伴って、坑内に足を踏み入れる。

「殿下、お気をつけください」
「ああ、わかっている。そう気にするな、よもや化け物が出ることもあるまい」

 湿度や暗さ、そして足音の反響など、子供ならば泣き叫びそうな環境でも、彼が表情を変えなかったのはさすがといってもいい。常に人々の指針となるのが王族としての資質なのだから。
 そうして奥へと進んでいく中、ドワーフたちの奇異の視線が突き刺さる。このような仄暗ほのぐらい坑内であったためか、彼らの瞳には妙な仄暗さがあった。掘削の音が響く中、エルフとドワーフの物言わぬ視線が交錯する。それでもトマーシュが浮かべるのは変わらない笑顔の仮面だった。
 程なくして、坑内がにわかに騒がしくなった。


 鉱山の管理者は、思わぬ人物の来訪に戸惑いを覚えていた。彼の前に立つのは歴戦の将、ヘルベルト・ボチェク。武人としての強さや猛々たけだけしさだけでなく、徹底した民への思いやりも持っており、チェペク共和国内では名が通っていた。
 そんな豪傑ごうけつと呼ぶに相応しい者が、なぜここへ。その疑問に対する答えは、彼自身が既に持っているものだった。

(あのエルフ様が、なんかやらかしやがったのか?)

 すぐにそう思うのは、彼が初めからその来訪者に対していい感情を抱いていなかったからだ。そもそも、国からの依頼であるため仕方なしに受けたのであり、余所者を自分の城とも言える坑内に入れたくはなかった。
 が、そんな思いなどは微塵みじんも見せず、てのひらが焼き切れそうなほどにをして用件を伺う。

「こちらへは、どのようなご用件でいらっしゃいましたか?」
「うむ。実はここにぞくが紛れ込んだ、という情報を仕入れてな」
「はて、当方ではそのようなことは」
「で、あろう。直々じきじきに下されためいである。いまだ他の誰にも知られてはおらぬ」

 管理人は一瞬、この中に入っていった者たちの姿を思い返そうとしたが、自身より頭二つ分は大きな男の威圧感と力強い物言いに、考えるまでもなく納得してしまった。
 準備を終えたらしい彼の部下が足並みを揃えてその後ろに整列する。その数は百人近い。千人近い隊を率いたこともあるヘルベルトにしては少ない方だ。
 しかし、練度の高さは雑兵ぞうひょうとは比べ物にならない。どうやら精鋭のみを引き連れてきたらしい。

「では、これより内部を調査させていただく。鉱員たちには一旦外に出てもらうがよろしいか」

 有無うむを言わさない気迫があり、当然、頭を下げていた男は二つ返事で受け入れた。
 こうして、ヘルベルト・ボチェクは坑内へと足を踏み入れることになった。
 それからは一瞬のことだった。兵たちを自分の手足のように自在に動かし、坑道から次々とドワーフたちを吐き出させていく。暗い坑内に金属音が響き渡る。
 そして数刻と経たぬうちに、坑道は空っぽになった。


 トマーシュ・ホラークが冒険者たちと顔を合わせているときのことだった。魔物が出没する可能性があるため、彼らが案内を申し出ていたのである。その好意を無下むげにする理由もなかったので、トマーシュは了承して従っていた。
 そして今、彼らは坑道の突き当たりにいた。鉱山モグラが作った穴ではなく、計画通りに進められた最奥だった。それゆえに岩盤はしっかりしており、崩落の危険性は今のところない。
 だというのに、トマーシュは空間が揺れているように感じていた。「何かあるのか」と問おうとした彼の瞳に、銀色が映る。
 トマーシュたちへと突き進んでくる十数の全身鎧は、彼も何度か目にしたことのあるドワーフの兵団のものだった。深くかぶった兜で彼らの表情は見えず、抜身ぬきみの刃だけがやけに強烈だった。
 護衛しに来たわけではないのは明白だった。近衛兵たちはすぐに異変に気がつき、その集団に対して剣を構え、突撃に備えて前面を厚くする。

「殿下、お下がりください!」

 ならず者たちの変容に慌てることなく対処できるのは、実力で選ばれた証左しょうさであり、そして主君への高い忠誠の表れでもあった。
 が、攻撃は予想外のところから起こった。これまで案内していたみすぼらしい冒険者たちが、近衛兵たちに加勢する動きを見せた後、急に彼らへと切りかかったのである。

「貴様!」

 近衛兵の一人が叫んだ。隣の同胞の首が落ちるのには一瞥いちべつもくれなかった。決して彼が非情だったからではなく、その意志をぐ覚悟があったからだ。それよりもトマーシュを守らねばならない。
 侵食領域を広げた近衛兵の一人は、無数の石の刃を生成し、冒険者たちへと撃ち出した。胸部と急所のみを重点的に補強しただけの古びた鎧は次々と撃ちぬかれ、剥き出しになっていた腕は肉がこそげ落とされて骨が覗いた。
 が、数人の犠牲者の向こうから飛び出した冒険者が、その近衛兵に襲いかかる。そして容赦のない一撃が首を刎ねた。
 ごろり、と男の首が、地に落ちた。顔は怒りに染まっており、死してなお、みついてきそうなほど歯を食いしばっている。
 そして近衛兵とドワーフの兵団が衝突する。近衛兵たちは並の兵士相手ならば圧倒できる実力の持ち主で構成されていたが、それでも数の差には抗うことはできなかった。
 一人、二人と近衛兵たちは倒れていくが、誰一人降伏することはなく、やがて武器を持たない二人だけが取り残された。
 周りには、いくつもの首が転がり、物言わぬ遺体が打ち捨てられている。エルフのものも、ドワーフのものも、等しく赤に染まっていた。トマーシュはカリナを抱きしめたまま、襲撃者の隊長格らしい男を睨みつける。
 カリナは青ざめ全身を戦慄わななかせており、恐怖に打ちひしがれ、今にも泣き出しそうであった。だからトマーシュまでわめらすわけにはいかなかった。

「このような行い、決して許されるものではないぞ」
「ええ、十分承知しております。このまま従っていただければ、殿下には危害を加えません。ついてきていただけますか」

 口調こそ丁寧だったが、それは暗にお前が従わなければ妹の方に危害を加えるぞ、というおどしであった。そしてトマーシュはカリナを前にして、さらなる抵抗などできなかった。そうしたところで、何も変わらないことくらいは知っている。
 金属がこすれ合う音といくつかの足音が響く中、誰一人言葉を発しなかった。そしてトマーシュ・ホラークとカリナ・ホラークは人質となり、ヘルベルト・ボチェクの手に落ちた。
 このことはすぐさま議会に届けられることとなり、やがて国中で噂されることになる。のちの世まで伝えられることになるヘルベルトの乱、その勃発ぼっぱつであった。


 エヴァンはセラフィナと二人だけで坑道の最奥にいた。鉱山モグラの掘った穴の中を単独で探っていたのである。その理由は鉱員たちから、「多少はちょろまかしてもいいから安全を確認してこい」という指示が出たということだ。
 要するに鉱員たちは、自分たちが同行するのは危険で嫌だが、人が集まるのを待っていて進行が遅れ、後でどやされるのも避けたかった。
 エヴァンとしても不都合は感じなかったので、さっさと探索を進めてしまった方が楽である。暫く坑内にいたこともあって、危険そうなところは何となくわかるようになっていた。
 今、彼の目の前には、中型の鉱山モグラの死骸しがいがあった。周囲に誰もいないため、遠慮なく魔法をぶち込んだ結果、あっさりとくたばったのだ。
 が、残ったのは魔石だけで、エヴァンは嘆息する。そして魔石をふところに突っ込むと、探索を終えて来た道を引き返す。

「しかし、こうも何もないと、働き損な気がしてしまうよ」
「エヴァン様、本来の依頼では、貰えないものなのですから、そのようなこともないでしょう」
「それはわかってるけどさ。それより他の冒険者たちは何をしているのやら」

 エヴァンは彼らの姿を思い返す。腕は確かだったが、どことなく冒険者らしからぬ仕草が目立っており、ときおり姿をくらますこともあった。エヴァンは集団行動を好む方ではないが、それで迷惑をかけられてはたまったものではない。
 ようやく鉱山モグラの作った穴から抜け出たとき、坑道の向こうから叫び声が聞こえてきた。そして金属が交わる音も。
 どうしたものかと思うも、依頼に関係することであれば、何をやっていたのだとしかられかねない。エヴァンはさほど急ぐでもなく、そちらに向かって歩き始めた。
 だが次の瞬間、向こうから全身鎧に身を包んだドワーフたちが現れた。彼らはエヴァンの姿を見て戸惑とまどったようだったが、すぐに無表情に戻って告げる。

「投降してもらおうか。手荒てあらな真似はしない」

 エヴァンは相対している男たちの姿をざっと確認すると、素直に両手を上げた。
 敵の数は十を超える。それも熟達した兵であるようで、戦っては無傷で切り抜けられまい。それだけならまだいいが、おそらく他にも兵は大勢いるだろう。エヴァンたちを捕縛するために来たわけではなさそうなのだから。

「剣を渡して貰おう。その棒もな」

 先頭にいた男が告げると、エヴァンは剣帯からさやごと剣を外すと、龍の牙と共に相手の方へと放り投げた。セラフィナも彼にならって、槍を相手方に渡す。
 それで何事もなく終わるかと思われたが、男は剣に視線を落とすと上官らしい男に何事かを呟いた。上官の男は眉をひそめたが、やがて思い出したように顔を上げる。
 エヴァンは何やら嫌な予感がしていた。あの剣にはダグラス家の家紋が入っている。
 果たして、それは現実となった。

「悪いが事情が変わった。なに、命を取るわけではない。これより同行していただく」

 小隊長の男が告げると、エヴァンの頭には目の前にいる男たちを切り裂いて状況を突破する未来が浮かんだ。今は剣などなくとも、生成魔法で代わりの何かを生み出すことは容易い。だから過剰な自信を抱いてしまったのだと、エヴァンは慌ててその考えを追い払った。
 が、彼が大人しく従っているのは、ひとえにセラフィナに危害が加えられていないからである。彼女に傷一つでもつけられれば、エヴァンは今にも飛びかかり、敵の眼球を抉り出し、その喉を掻くことだろう。
 エヴァンは一見、無表情であるが、兵たちがセラフィナに近づくと刃の如く鋭い視線を投げかけるものだから、彼らも二人から距離を取るようになった。
 それから誰一人口を聞かず、坑道内をひたすらに進んでいく。先ほど聞こえた喧騒けんそうもどこへ行ったのやら、これといった物音は聞こえない。
 やがて本来の坑道――計画通りに進めてきた道だが、鉱山モグラの掘ったものを利用したために使われなくなった最奥――に行きつく。暫く進んでいった突き当たりには、仮設の処理設備が設置されており、排泄はいせつ、ごみの廃棄はいき、といったものはそこで行えるようになっていた。
 とはいえ、坑内ではそこらで脱糞だっぷんする者も多く、適当な穴を掘って埋めてしまえばそうそうわかるものではない。そうした行為が黙認される中、わざわざそこで排泄しようとする者は多くないのだろう。使われている形跡はなく、消臭用の石灰せっかいは手つかずのままだった。
 そうした場所に連れてこられたからには、すぐに出してもらえることはあるまい。しかし急に命を取られることもなかろう。
 どうしたものかと思いつつも、エヴァンはこれまで歩いてきた坑道の地図を思い描いていた。鉱山モグラの穴を利用しているため、一本道ではなく所々分岐点がある。それゆえに、敵も全てを守ることはできないはず。多少の人数ならば、突破して地上への道を辿ることも可能だろう。
 が、今はまだそのときではない。敵の力がわからない以上、迂闊うかつに出ていって一太刀で切り殺されてしまっては元も子もない。
 そしてそこには、エルフの青年と少女がいた。少女を抱きかかえている青年は恋人だろうか。エヴァンは二人の仕草しぐさを一つも見逃さぬようにして、状況把握に努める。
 たまたま坑道内に居合わせたという線はないだろう。エルフはこちらでは滅多に見ないし、何より坑内が似合う姿ではない。
 衣服は血や土で汚れているものの、鮮やかな色合いの布地で作られており、そこらの平民たちとは一風異なる。とはいえ、エヴァンが見たエルフというのは、ワッカ共和国内にいる者たちであり、彼らの故郷での様子など知る由もなかったのだが。
 兵は暫し留まるよう告げると、数名の見張りを残して離れていった。
 エヴァンは兵から離れ、エルフたちの近くにどっかと腰を下ろす。隣に座ったセラフィナは、エヴァンがじっと自分の顔を覗き込んでいるのに気がついた。

「セラ、大丈夫?」
「はい。ですが、エヴァン様の剣が失われてしまわないか、心配ですね」
「滅多なことには使われないと思うよ、一応は他国の貴族だからね。しかしこれが原因で、戦火が広がらなければいいけど」

 巻き込まれたとはいえ、自身の取った行動の結果に関して、エヴァンは他人事のように言う。それはエヴァンが、自分とセラフィナが生き残ること以外、さして興味がなかったからだろう。

「貴方は、どのような経緯でここへ? いえ、詮索せんさくするつもりはないのですが」

 エルフの青年が告げると、エヴァンはあたかも初めて彼に気がついた、という素振そぶりを見せながら答える。

「貴族の身ではあるものの四男坊でして、相続とは無縁。そこで冒険者として旅をしていたところ、たまたま坑内で働くことになったのです」

 エヴァンはたまたま、という部分を強調した。エルフの男が興味を持ったのは、おそらく貴族という単語だ。貴族である以上、国の何らかの利権に関わっていると思われた可能性が高い。
 そこでまずは警戒心を解くべく、偶然この場に居合わせたのだと強調したのである。その目論見もくろみは上手くいったようで、男はトマーシュ・ホラークと名乗った。エルフの王族の子孫らしい。

(ならば、どうせ種族間のいがみ合いだろう。俺はいずれ解放される可能性がある)

 と、エヴァンは判断する。もちろん、口封じに殺されて埋められる可能性もゼロではないが、ドワーフたちが愛国の士ならば、他国との軋轢あつれきを生む行為を率先して行うことはあるまい。
 それからエヴァンはトマーシュと少し話をした。

「この国はドワーフとエルフ、二つの種族により成り立っておりますが、国が合併したのは十年ほど前のこと。いまだ諍いの火種はくすぶっております」

 彼はその身分からか、直接的な言及を避け、他愛もない話を織り交ぜながら、状況を話す。日頃セラフィナとしか会話していないエヴァンはもどかしくて仕方がなかったが、表面上は上手くやってみせる。

(いがみ合っている、小競こぜいが続いている、と言えばいいだろう。俺が知りたいのは、敵の規模、目的、指揮官、援軍の可能性、政治への関連といったものであり、世間話なんかではない)

 しかしそうした中にも光る情報があるかもしれないと、エヴァンは耳を傾ける。もちろん、監視の目がある以上、迂闊なことは口にできないのだが。
 やがてカリナがトイレに席を立ったとき、トマーシュがここに来た経緯を語った。エルフとドワーフの友好のためだったそうだが、ヘルベルト・ボチェクなる将に襲われて虜囚りょしゅうの身になったのだと。

(ヘルベルト・ボチェク……知らんな)

 少なくとも、他国にも名を知られている人物でないのは確かだった。
 数多の兵を味方にできる影響力を始めとして、何より高い戦闘能力がある人物が首謀者ならば逃亡など不可能になってくる。見つかったらすぐさま殺されるような賭けに出るほど、エヴァンは豪胆な性格をしてはいない。
 しかし一介の将が起こしたものならば多少は救いがある。と、エヴァンが思考を加速させたところでカリナが戻ってきて、話は振り出しに戻った。いまだ怯えているらしく、彼女を落ち着かせるのにトマーシュは必死であった。
 同性のセラフィナがいることが、多少は不安を和らげたのかもしれない。彼女は女性でありながら、エヴァンより余程豪傑である。宮廷住まいの姫君には、さぞ心強いに違いない。
 姫という立場の者であれば、その侍女たちにいくさ心得こころえのある者がいてもおかしくない。だが、女性の騎士はどの国でもそうそう見られるものではない。膂力りょりょくや気性の問題などがあるからだ。
 しかしセラフィナはそれらの問題を全て解決していると言ってもいい。偶然か、あるいは天性のものなのか、その柔肌からは想像できないほどの膂力と、一度敵を前にすれば必ずや討ち取らんとする豪胆さを持ち合わせている。しかし男勝おとこまさりというわけでもなく、少女らしい淡い思いを抱いたり、英雄の恋物語に心を躍らせたりもする。
 エヴァンはこの少女がいてくれることに感謝しつつも、ときおり、なぜこのような幸運が自分のところに舞い降りてきたのかと疑心暗鬼にならざるを得ないほどだった。
 とにかく、そんなわけでセラフィナは姫君にとって珍しい人物だったに違いない、カリナは彼女の話に引き込まれていた。

「……というわけで、エヴァン様はおっしゃられたのです。あらゆる手段を使ってでも領主に成り上がり、お前らを断罪する、と」
「まあ、何という御覚悟なのでしょう」

 いつの間にやら、話はセラフィナ自身のことからエヴァンのことに移っていたらしい。しかしエヴァンとしてはそう言われると面はゆい。

「私などよりカリナ様のお父上の方が、よほど素晴らしい御覚悟をお持ちでしょう」

 話をらすべく、咄嗟とっさに出た言葉だったのだが、カリナは花咲くような笑みを見せる。

「私カリナの誇れるものがあるとすれば、それはお兄様とお父様を家族に持ったことでしょう。いつもこの上なく温かな愛情を注いでくださいました」

 と、彼女は恍惚こうこつにも近い表情で、その有様を思い浮かべた。それが事実なのか、あるいは彼女がこの状況下で作り上げた夢想なのかはわからない。しかし、彼女が父を信頼していることは確かだった。
 が、エヴァンがそこに見出したのは、美しい家族愛でも理想の家族像でもなく、勝利への一歩だった。
 援軍が来る。あるいは、そのまま要求を呑み、解放してくれるかもしれない。
 エヴァンは一つずつ、情報を集めていくことに専念した。



 5


 チェペク共和国議会は荒れに荒れていた。「今すぐヘルベルト・ボチェクを討つべきだ!」とある者が叫べば、「トマーシュ殿下を見殺しにする気か!」と非難の声が上がる。
 そこまで纏まりがないのは、この議会がドワーフとエルフ、二つの種族で構成されているからだけでなく、具体的な解決策が見つからなかったためだ。
 ヘルベルト・ボチェクが要求してきたのは、戦乱によりエルフたちに切り取られたドワーフの領土全ての返還である。それは大昔にエルフの領土だったものをドワーフたちが奪い、そして生活を移したところも含まれているので、かなりの大きさになる。
 どちらもチェペク共和国の領土であるため、国外の者からすればおかしな要求に見える。しかし、そこに疑問を抱く者は国内にほとんど存在していなかった。ここにいる者たちとて、互いに敵対種族と見なしているも同然なのだから。利権を奪い合っている点を見れば、いまだに戦争を続けていると言える。
 とはいえ、互いに強く出ることは叶わなかった。
 ドワーフたちには同族――それも大軍を指揮する将が乱を起こしたという引け目がある。未然に防ぐことができなかったことへの追及はまぬがれられないだろう。
 エルフたちにとってみれば、まんまと裏切られた形になる。彼らの敬愛する王族が捕縛されたのだから、怒り狂ってもおかしくはない。しかし、だからこそ身柄の確保が第一であり、攻め込んでしまえとは言えなかったのである。
 八方塞はっぽうふさがりに思われる状況で、とりあえず食料の差し入れなどを行い、結論を引き延ばすことでひとまずの合意に至った。
 エヴシェン・ホラークの中では、火山より激しい怒りと渓谷けいこくよりも深い悲しみがないまぜになっており、表情はえない。むしろその程度で済ませていることこそ、称賛にあたいする。彼ほど子に愛情を注いでいる者であれば、憤死ふんしするか、あるいは絶望に打ちひしがれていても無理はない。
 が、彼はまだ希望はあるのだと信じていた。エルフたちの領土などくれてやればいい、とは思うものの、それでこの問題が解決するとは言いがたい。難癖をつけて要求が増やされたり、あるいは「捕虜を渡した途端に裏切るのではないか」と他国への亡命の助成を求められたりするかもしれない。そうなれば、いずれこの国に災禍さいかをもたらす可能性だってある。
 国が亡びるということは、王族もまた同じ運命を辿るということでもある。帰る場所がないのでは、彼とてどうしようもない。
 そうして憂う者たちに、予想だにしない情報が飛び込んできた。息せき切らしながら駆け込んできた兵が、彼らへの礼もそこそこに叫ぶ。

「ヘルベルト・ボチェクの使者によると、ハンフリー王国の貴族も捕らえたそうです!」
「なんだと!?」

 場が一斉にどよめいた。ハンフリー王国は最近、盟主討伐を名目として、度々チェペク共和国の国境まで迫っていた。それを捕らえたならば何もおかしいところはない。が、報告によれば、鉱山内でとらわれたとのことだった。
 普段であれば、「こちらをらすためのうそに過ぎん」と一笑に付すところだったが、今回はそう言い切れない事情があった。十日あまり前、ハンフリー貴族が越境を求めてきた、という情報が入っていた。
 ただ観光しに来た貴族であったのだが、その者がよもやこのような結果をもたらすとは、誰一人想像できなかった。

「ええい、次から次へと」

 一人が唸るように声を上げる。これでは、ハンフリー王国にこの国へ攻め入るための大義を与えてしまう。が、あるいはそれこそがヘルベルト・ボチェクの狙いだったのかもしれない。決断を素早く促せば、対抗策を取られずに済む。時間が経てば、どれほどヘルベルトに忠誠を誓った兵たちとて焦りが生じ始めてくるのだから。
 内乱に乗じて攻め入られれば、この国は一たまりもないだろう。そもそも、そうした状況を回避するためにチェペク共和国という国が設立されることになったのだ。
 エヴシェン・ホラークは、顔も姿も知らないそのハンフリー貴族とやらに内心で毒づいた。

(貴様のせいで、二人は……!)

 それは八つ当たりにも近い感情だった。しかし、そのことに気づかぬほど、彼は冷静ではなかった。状況が悪化すればするほど焦りはつのり、愛すべき息子と娘が既に殺されているのではないかと不安に襲われる。やり場のない感情はぽっと出の被害者にも及ぶことになった。
 そうして盛んに意見――罵倒ばとうにも似た雑言ぞうごんが飛び交う中、幾人かは焦りを表情に貼りつけながらも、その下では冷静なままであった。


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