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第四章 決意
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決闘の後、信じられぬほどすんなりと、明江の民は寧叡たちを受け入れた。むろん、皆が皆、そうだったわけではない。しかし決闘の興奮と、その後の大宴会が、甲柄から移住してきた者たちの持っていた、寧叡の傲岸な過去の振る舞いに対する嫌悪を、やわらげたのは確かだった。
烏有は、自分の知らないうちに育ち、成長をしていく明江を、ひとり歩いていた。蕪雑に話を持ちかけてから、まだ1年と経っていない。それなのに、だだっぴろい平原には船着場ができ、宿が建てられ、畑が生まれ、住居ができた。工夫たちを客と定めた行商人がやってきて、仕事があると知った他所の工夫等が、それに続いて現れた。またたく間に人口はふくらみ、そのうち住みたいと言い出す者が現れて、家が造られ市が立ち、道の整備が地図に定めた区画どおりに進んでいく。
通常の土地が村となり、国となっていくのにかかる年月の、10倍ほどの速さで明江は成長していた。
「烏有!」
蒸し饅頭を売っている店の前で、袁燕が手を振っている。烏有は笑みを浮かべて、足を向けた。
「ひとりなのかい」
「烏有も?」
首肯すれば、袁燕は「そっか」と言って蒸し饅頭をひとつ追加と、店の男に声をかけた。
「お腹がすいているのか」
「烏有のぶんだ」
「僕の?」
「あれ。嫌いだったっけ」
「いや」
「じゃあ、一緒に食おうぜ。俺っちのオゴリだ。遠慮すんなよ」
支払いをする袁燕に、烏有は微笑を浮かべた。彼だけが、変わらないまま現状になじんでいる気がした。
蒸し饅頭を受け取った袁燕が歩きだす。烏有も続いた。
「どこに行くんだ」
「どこにも。ただ、このあたりを適当に歩いているだけだよ」
「新しい店とか、ドンドンできてってるもんな。さっきの店もさ、昨日までは空っぽだったんだ。建物ができたなぁって思ったとこだったのに、もう商いがはじまっててさ。ビックリしたぜ」
ほらと袁燕が蒸し饅頭のひとつを、烏有に渡す。受け取った烏有は、湯気の立つ蒸し饅頭を見た。
「どんな味なのか試しておいたら、後で聞かれたときに、教えてやれるからな」
「誰に、何を聞かれるんだ?」
「誰かにだよ。俺っち、あっちこっちウロウロしてるからさ。明江のことなら、俺っちに聞けば、だいたいわかるって思ってる連中がいるんだよ。でさ、そんなふうに期待されてんだったら、応えてやんなきゃってところかな。新参者は誰に頼ればいいか、わからないだろうし。俺っちになら、いろんなことを聞きやすいだろうからさ」
「なるほど」
「烏有も、そうなんだろ」
「え」
「どんなふうになってってんのか、歩きまわって確認してるんだろ。そんで、蕪雑兄ぃたちと会議して、あれこれ決めるんだろ?」
烏有はあいまいな笑みを浮かべ、立ち並ぶ店々に目を向けた。看板もできていない店が多い通りは、それでも人でにぎわっていた。誰もが明るい未来を信じ、いきいきとしている。
「僕は、そんなつもりで歩いているんじゃないよ」
「じゃあ、どっか見る予定の場所があんのか? ああ。でもさっき、行き先は決まってない、みたいなことを言ってたよな。もしかして」
袁燕が声を落としたので、烏有は耳を近づけた。
「聞かれたら困る場所に行くから、ごまかしたのか?」
烏有の唇に苦笑が乗る。
「そうじゃない。本当に、行くあてもなく歩いているんだ。することもないから、暇つぶしだよ」
「暇つぶし」
確認をするように、袁燕が繰り返す。烏有はうなずいた。
「俺っちに、なんかを隠しているとかじゃ、ないよな」
「隠して訪れなきゃならない場所なんて、あるはずがないよ。袁燕は、ここに何もないころからの、付き合いじゃないか」
「そっか。……そうだよな。うん、そうだよな」
ホッとしたように、袁燕が「そっか、そっか」と繰り返す。
「袁燕?」
「え。あはは。いやぁ……。なんか俺っち、置いてかれてる気がしててさ。そんで、なんつうのかなぁ、ええっと……、ああ、そうだ! あっちの空き地で話をしようぜ。もうちょっと食うモンと飲むモンを買ってさ」
「ああ」
ふたりは目に止まった店で竹筒に入った茶と、串に刺さった焼き魚を購入し、市を抜けた先の空き地に向かった。
「ここなら、ゆっくりできるな」
これから建設に使われるであろう、木材が積まれている。そこに腰かけた袁燕が、烏有を隣に誘った。
並んで腰かけ、市を目に映す。
「こうして見るとさぁ、途中から夢の世界で、こっち側が本当の状態みたいな気がするんだよな」
袁燕の声は、平坦に沈んでいた。
「だってさぁ、ちょっと前まで、なぁんもなかったんだぜ。俺っち、思いっきり走り回ったの、覚えてるもんな」
「ああ、そうだね。はじめて土地を見にきたときを、思い出したよ」
「蕪雑兄ぃが、国を造るんだって言い出して。烏有に騙されてんだって、言う奴がいて。そんで土地を見てくることに、なったんだっけか」
「まあ。だいたい、そんな感じだったね」
「あのころはさぁ、兄さんってば、ちっとも烏有を信用していなかったんだよな」
「当然だよ」
「でも、土地を見た後では、説得に力を貸した」
「剛袁のひと言で、場の空気が一変したね」
「そんで、蕪雑兄ぃがひとりひとりに声をかけて、やることになったんだよな。……あんときさぁ、村を造るって考えればいいって、兄さんが言っていただろ。そんならできそうだなって、俺っちも思ったんだ。ていうかさ、国を造って府にするなんて、できっこないって思ってた。……なんか、ごめんな」
「どうして、あやまるんだい」
「だってさ、烏有は頭がよさそうなのに、俺っちよりバカなこと考えてんなぁって、半分、あきれてたんだよ。だからさ、ごめん」
「いや」
烏有は小さな笑みを漏らして、首を振った。
「僕も、ここまで早く現実のものになるなんて、思ってもみなかったよ。具体的なものにしてくれたのは、剛袁のひと言だ」
袁燕が誇らしそうに、照れ笑いを浮かべる。
「兄さんは、すごいだろ」
「ああ、すごい」
「俺っちも、早く兄さんみたいに、ちゃんとした言葉遣いとか文字とかを覚えて、立派な細工師として豪族とかの注文を受けられるように、なんなきゃなぁって、ずっと思っていたんだ」
「ああ。だから剛袁を、兄さんと呼んでいるのか」
「兄ちゃんだと子どもっぽいし、でっかくなったとき、格好つかないからさ。そこだけは、ちっせぇころから言われてたんだ。なかなか、直せねぇからって」
「そうか」
「うん。……でも、兄さんが牢に入れられちまって、山に逃げて、これからずっと山ン中で死ぬまで暮らすのかなぁって思ってたんだ。細工師になるのも、もう無理かなってさ」
袁燕が足を投げ出し、深いため息を吐く。
「逃げたのは剛袁だけで、袁燕はいままでどおりに過ごせたんじゃないのかい」
「ん……、まあ、そうなんだけどさ。連絡役ができるの、俺っちくらいだったから。兄さんを見捨てるみたいなこと、したくなかったし。細工師の夢より、そっちのが大事だからさ」
困ったような袁燕の笑みに、烏有はかける言葉を見つけられなかった。しんみりとした空気が漂い、それを振り払うため、袁燕はことさら明るい声を出した。
「父さんの工房は、もうこっちにできてんだ。店と工房、いっしょにしちまおうって、あの通りにあるんだよ」
「それは、気がつかなかったな」
「まだ看板もないし、品がそろってないから、開けてねぇんだ。いっぱい商人が流れてきているからさ。なくなっちゃあ困るってんで、場所だけ確保したんだよ。それにいまは、大工の手伝いもしてるしな」
「大工の手伝い? 細工師がか」
「あれこれと、細かい作業がいったりするからさ。細工物を売るよりも、そっちのほうが先だろうって」
「なるほど」
「そうやって、移住してきた連中も、国造りをがんばってんだよなぁ」
さみしげにつぶやいた袁燕は、ごまかすように笑顔を作る。
「なんか、ちょっとグチっぽくなっちまうんだけどさ。聞いてもらっても、いいか?」
「ああ。そのために、僕を誘ったんだね」
無言でうなずいた袁燕が、食べかけの蒸し饅頭をガツガツとたいらげ、お茶を飲んでひと息ついてから、目に力を込めて語りはじめた。
「のけ者になってるっていうか、置いてけぼりをくらってる気がするんだ」
「え」
「気のせいだって思うんだけど。けどでもやっぱり、そうかもしれないって、グルグルして、モヤモヤして、気持ちが悪くてさ。それもあって、あちこち歩きまわって、ここのこと、全部を知っているような顔をして、聞かれたら答えられるようにしてるんだ」
笑顔のまま、袁燕は泣き出しそうな目になった。
「会議とか、ぜんぜん、わっかんねぇからさ、役に立たないってのは、わかってんだ。俺っちは連絡係をするのが、合ってるってのも。あの中じゃ、俺っちが適任だからさ。けど、それを理由にして、大事なことを決めるとき、追いやられてんじゃねぇかって、そうじゃないってわかってんのに、そうなんじゃないかって、ちょっとだけ、思っちまったことがあってさ。そしたら、どんどん止まんなくなっちまって……。情けないよなぁ」
瞳を潤ませて笑う袁燕の手が、震えている。烏有は彼の手に自分の手を重ね、しっかりと目線を重ねて口を開いた。
「僕もだよ」
「えっ」
「僕も、似たような思いを抱いている。だから、ひとりで歩いていたんだ」
呆然とする袁燕に、烏有はさみしい笑みでうなずいた。
「でも……だって、国を造ろうって言い出したのは烏有だし、会議だって参加してるし、蕪雑兄ぃの相棒なんだろ」
「相棒か……。そうは言ってくれるけど、はたしてそうなのかな」
「烏有。烏有はなんで、そんなふうに思うようになったんだ」
袁燕が烏有の手を握り返す。
「前に、袁燕が教えてくれただろう。ケンカをして理解し合う、ということを」
「うん」
「寧叡との決闘は、そういうことなんだと、蕪雑が言っていた」
「ああ、うん。蕪雑兄ぃは寧叡がやって来たとき、そう思ったんだろうなって、なんとなく、わかったよ」
「僕はちっとも、わからなかった。あの後、蕪雑が僕の部屋にきてくれてね。うまく説明ができないと言いながら、それでも伝えようとしてくれたんだ。蕪雑は僕が、怒っていると思ったらしい。それで、玄晶にどうすればいいのか、聞いたと言っていた」
「聞いたっていうか、蕪雑兄ぃが困ってたから、声をかけたっていうか……。ううん、まあ、聞いたってことになるのかな。烏有、すっげぇ顔して出ていったからさ」
「あの時は、すまなかった」
「いいよ。俺っちは話し合いが終わってから、あそこに行ったから、よくわかってなかったし」
「僕が去ってから、説明は受けたのかい」
ふたりは手を離し、感情に流されすぎぬよう、意識を暗い部分からそらしつつ、会話を続けた。
「うーん。蕪雑兄ぃが、寧叡は居場所を探してんじゃないかって言ったから、それでなんとなく、わかっちまったって感じかな」
「……そうか」
烏有の声が沈む。
「でもさ、烏有はケンカをしたことが、ないんだろ? だったらさ、わかんなくっても、しょうがないって」
あわてた袁燕が、なぐさめようと早口になる。
「玄晶も、立場はおなじだよ。それでも、理解をしているようだった。いや、理解をしていたからこそ、蕪雑が決闘を申し込んだときに、それを撤回させようとはしなかったんだ。……それが、どうしようもなく、くやしかった。蕪雑の説明で、実感とまではいかないけれど、納得はできていたんだ。それなのに僕は、疎外感のためにあんな態度を取ってしまった」
「烏有」
「袁燕と、おなじだね」
烏有が笑うと、袁燕がクシャリと顔をゆがめた。
「なんで、烏有がそんなことを考えなきゃ、いけないんだよぉ」
涙声になった袁燕が、くやしげに唇を震わせる。
「どうして袁燕が、泣きそうになっているんだ」
「なってないよ」
「なっているじゃないか」
「なってないっ!」
ふくれた袁燕が、烏有の手の中の蒸し饅頭にかぶりついた。
「あっ」
そのまま奪って、ムシャムシャと食べてしまう。
「烏有がいなかったら、俺っちは細工師になる夢を、捨てたまんまになってた。俺っちだけじゃない。いろんな奴が、明江ができてよろこんでるんだ。烏有はぜったいに、必要なんだよ」
「それを言うなら、袁燕だってそうだ。袁燕がいなければ、計画の連絡はもっと手間取っていたよ。移住だって、袁燕のおかげで細かなやりとりができたから、すんなりと計画通りに進めたんだしね」
ふたりはじっと見つめ合い、同時に頬をゆるませた。
「えへへ」
「ふふ」
袁燕がヒョイと立ち上がる。
「烏有の蒸し饅頭、食べちまったからさ。おわびに茶屋でなんか、おごらせてくれよ」
「いや。まだ魚があるから、かまわないよ」
「いいから。おごりたいんだよ! 烏有は皆と交流をしていないから、どんだけ明江がありがたがられてるか、わかってねぇんだ。それになんか、俺っちだけがモヤモヤしてたんじゃないんだってわかって、ちょっとうれしかったし。聞いてもらった礼を、させてくれよ」
にぶいなぁ、とつぶやかれ、烏有は腰を上げた。
「そういうことなら、ありがたく受けさせてもらうよ」
「うん。そこの茶屋の娘がさ、すっげぇかわいいから。ビックリすんなよ」
はやくはやくと袁燕に手を引かれる烏有は、癒されきらない悲哀を抱えつつ「それは楽しみだね」と答えた。
烏有は、自分の知らないうちに育ち、成長をしていく明江を、ひとり歩いていた。蕪雑に話を持ちかけてから、まだ1年と経っていない。それなのに、だだっぴろい平原には船着場ができ、宿が建てられ、畑が生まれ、住居ができた。工夫たちを客と定めた行商人がやってきて、仕事があると知った他所の工夫等が、それに続いて現れた。またたく間に人口はふくらみ、そのうち住みたいと言い出す者が現れて、家が造られ市が立ち、道の整備が地図に定めた区画どおりに進んでいく。
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「烏有!」
蒸し饅頭を売っている店の前で、袁燕が手を振っている。烏有は笑みを浮かべて、足を向けた。
「ひとりなのかい」
「烏有も?」
首肯すれば、袁燕は「そっか」と言って蒸し饅頭をひとつ追加と、店の男に声をかけた。
「お腹がすいているのか」
「烏有のぶんだ」
「僕の?」
「あれ。嫌いだったっけ」
「いや」
「じゃあ、一緒に食おうぜ。俺っちのオゴリだ。遠慮すんなよ」
支払いをする袁燕に、烏有は微笑を浮かべた。彼だけが、変わらないまま現状になじんでいる気がした。
蒸し饅頭を受け取った袁燕が歩きだす。烏有も続いた。
「どこに行くんだ」
「どこにも。ただ、このあたりを適当に歩いているだけだよ」
「新しい店とか、ドンドンできてってるもんな。さっきの店もさ、昨日までは空っぽだったんだ。建物ができたなぁって思ったとこだったのに、もう商いがはじまっててさ。ビックリしたぜ」
ほらと袁燕が蒸し饅頭のひとつを、烏有に渡す。受け取った烏有は、湯気の立つ蒸し饅頭を見た。
「どんな味なのか試しておいたら、後で聞かれたときに、教えてやれるからな」
「誰に、何を聞かれるんだ?」
「誰かにだよ。俺っち、あっちこっちウロウロしてるからさ。明江のことなら、俺っちに聞けば、だいたいわかるって思ってる連中がいるんだよ。でさ、そんなふうに期待されてんだったら、応えてやんなきゃってところかな。新参者は誰に頼ればいいか、わからないだろうし。俺っちになら、いろんなことを聞きやすいだろうからさ」
「なるほど」
「烏有も、そうなんだろ」
「え」
「どんなふうになってってんのか、歩きまわって確認してるんだろ。そんで、蕪雑兄ぃたちと会議して、あれこれ決めるんだろ?」
烏有はあいまいな笑みを浮かべ、立ち並ぶ店々に目を向けた。看板もできていない店が多い通りは、それでも人でにぎわっていた。誰もが明るい未来を信じ、いきいきとしている。
「僕は、そんなつもりで歩いているんじゃないよ」
「じゃあ、どっか見る予定の場所があんのか? ああ。でもさっき、行き先は決まってない、みたいなことを言ってたよな。もしかして」
袁燕が声を落としたので、烏有は耳を近づけた。
「聞かれたら困る場所に行くから、ごまかしたのか?」
烏有の唇に苦笑が乗る。
「そうじゃない。本当に、行くあてもなく歩いているんだ。することもないから、暇つぶしだよ」
「暇つぶし」
確認をするように、袁燕が繰り返す。烏有はうなずいた。
「俺っちに、なんかを隠しているとかじゃ、ないよな」
「隠して訪れなきゃならない場所なんて、あるはずがないよ。袁燕は、ここに何もないころからの、付き合いじゃないか」
「そっか。……そうだよな。うん、そうだよな」
ホッとしたように、袁燕が「そっか、そっか」と繰り返す。
「袁燕?」
「え。あはは。いやぁ……。なんか俺っち、置いてかれてる気がしててさ。そんで、なんつうのかなぁ、ええっと……、ああ、そうだ! あっちの空き地で話をしようぜ。もうちょっと食うモンと飲むモンを買ってさ」
「ああ」
ふたりは目に止まった店で竹筒に入った茶と、串に刺さった焼き魚を購入し、市を抜けた先の空き地に向かった。
「ここなら、ゆっくりできるな」
これから建設に使われるであろう、木材が積まれている。そこに腰かけた袁燕が、烏有を隣に誘った。
並んで腰かけ、市を目に映す。
「こうして見るとさぁ、途中から夢の世界で、こっち側が本当の状態みたいな気がするんだよな」
袁燕の声は、平坦に沈んでいた。
「だってさぁ、ちょっと前まで、なぁんもなかったんだぜ。俺っち、思いっきり走り回ったの、覚えてるもんな」
「ああ、そうだね。はじめて土地を見にきたときを、思い出したよ」
「蕪雑兄ぃが、国を造るんだって言い出して。烏有に騙されてんだって、言う奴がいて。そんで土地を見てくることに、なったんだっけか」
「まあ。だいたい、そんな感じだったね」
「あのころはさぁ、兄さんってば、ちっとも烏有を信用していなかったんだよな」
「当然だよ」
「でも、土地を見た後では、説得に力を貸した」
「剛袁のひと言で、場の空気が一変したね」
「そんで、蕪雑兄ぃがひとりひとりに声をかけて、やることになったんだよな。……あんときさぁ、村を造るって考えればいいって、兄さんが言っていただろ。そんならできそうだなって、俺っちも思ったんだ。ていうかさ、国を造って府にするなんて、できっこないって思ってた。……なんか、ごめんな」
「どうして、あやまるんだい」
「だってさ、烏有は頭がよさそうなのに、俺っちよりバカなこと考えてんなぁって、半分、あきれてたんだよ。だからさ、ごめん」
「いや」
烏有は小さな笑みを漏らして、首を振った。
「僕も、ここまで早く現実のものになるなんて、思ってもみなかったよ。具体的なものにしてくれたのは、剛袁のひと言だ」
袁燕が誇らしそうに、照れ笑いを浮かべる。
「兄さんは、すごいだろ」
「ああ、すごい」
「俺っちも、早く兄さんみたいに、ちゃんとした言葉遣いとか文字とかを覚えて、立派な細工師として豪族とかの注文を受けられるように、なんなきゃなぁって、ずっと思っていたんだ」
「ああ。だから剛袁を、兄さんと呼んでいるのか」
「兄ちゃんだと子どもっぽいし、でっかくなったとき、格好つかないからさ。そこだけは、ちっせぇころから言われてたんだ。なかなか、直せねぇからって」
「そうか」
「うん。……でも、兄さんが牢に入れられちまって、山に逃げて、これからずっと山ン中で死ぬまで暮らすのかなぁって思ってたんだ。細工師になるのも、もう無理かなってさ」
袁燕が足を投げ出し、深いため息を吐く。
「逃げたのは剛袁だけで、袁燕はいままでどおりに過ごせたんじゃないのかい」
「ん……、まあ、そうなんだけどさ。連絡役ができるの、俺っちくらいだったから。兄さんを見捨てるみたいなこと、したくなかったし。細工師の夢より、そっちのが大事だからさ」
困ったような袁燕の笑みに、烏有はかける言葉を見つけられなかった。しんみりとした空気が漂い、それを振り払うため、袁燕はことさら明るい声を出した。
「父さんの工房は、もうこっちにできてんだ。店と工房、いっしょにしちまおうって、あの通りにあるんだよ」
「それは、気がつかなかったな」
「まだ看板もないし、品がそろってないから、開けてねぇんだ。いっぱい商人が流れてきているからさ。なくなっちゃあ困るってんで、場所だけ確保したんだよ。それにいまは、大工の手伝いもしてるしな」
「大工の手伝い? 細工師がか」
「あれこれと、細かい作業がいったりするからさ。細工物を売るよりも、そっちのほうが先だろうって」
「なるほど」
「そうやって、移住してきた連中も、国造りをがんばってんだよなぁ」
さみしげにつぶやいた袁燕は、ごまかすように笑顔を作る。
「なんか、ちょっとグチっぽくなっちまうんだけどさ。聞いてもらっても、いいか?」
「ああ。そのために、僕を誘ったんだね」
無言でうなずいた袁燕が、食べかけの蒸し饅頭をガツガツとたいらげ、お茶を飲んでひと息ついてから、目に力を込めて語りはじめた。
「のけ者になってるっていうか、置いてけぼりをくらってる気がするんだ」
「え」
「気のせいだって思うんだけど。けどでもやっぱり、そうかもしれないって、グルグルして、モヤモヤして、気持ちが悪くてさ。それもあって、あちこち歩きまわって、ここのこと、全部を知っているような顔をして、聞かれたら答えられるようにしてるんだ」
笑顔のまま、袁燕は泣き出しそうな目になった。
「会議とか、ぜんぜん、わっかんねぇからさ、役に立たないってのは、わかってんだ。俺っちは連絡係をするのが、合ってるってのも。あの中じゃ、俺っちが適任だからさ。けど、それを理由にして、大事なことを決めるとき、追いやられてんじゃねぇかって、そうじゃないってわかってんのに、そうなんじゃないかって、ちょっとだけ、思っちまったことがあってさ。そしたら、どんどん止まんなくなっちまって……。情けないよなぁ」
瞳を潤ませて笑う袁燕の手が、震えている。烏有は彼の手に自分の手を重ね、しっかりと目線を重ねて口を開いた。
「僕もだよ」
「えっ」
「僕も、似たような思いを抱いている。だから、ひとりで歩いていたんだ」
呆然とする袁燕に、烏有はさみしい笑みでうなずいた。
「でも……だって、国を造ろうって言い出したのは烏有だし、会議だって参加してるし、蕪雑兄ぃの相棒なんだろ」
「相棒か……。そうは言ってくれるけど、はたしてそうなのかな」
「烏有。烏有はなんで、そんなふうに思うようになったんだ」
袁燕が烏有の手を握り返す。
「前に、袁燕が教えてくれただろう。ケンカをして理解し合う、ということを」
「うん」
「寧叡との決闘は、そういうことなんだと、蕪雑が言っていた」
「ああ、うん。蕪雑兄ぃは寧叡がやって来たとき、そう思ったんだろうなって、なんとなく、わかったよ」
「僕はちっとも、わからなかった。あの後、蕪雑が僕の部屋にきてくれてね。うまく説明ができないと言いながら、それでも伝えようとしてくれたんだ。蕪雑は僕が、怒っていると思ったらしい。それで、玄晶にどうすればいいのか、聞いたと言っていた」
「聞いたっていうか、蕪雑兄ぃが困ってたから、声をかけたっていうか……。ううん、まあ、聞いたってことになるのかな。烏有、すっげぇ顔して出ていったからさ」
「あの時は、すまなかった」
「いいよ。俺っちは話し合いが終わってから、あそこに行ったから、よくわかってなかったし」
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ふたりは手を離し、感情に流されすぎぬよう、意識を暗い部分からそらしつつ、会話を続けた。
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「……そうか」
烏有の声が沈む。
「でもさ、烏有はケンカをしたことが、ないんだろ? だったらさ、わかんなくっても、しょうがないって」
あわてた袁燕が、なぐさめようと早口になる。
「玄晶も、立場はおなじだよ。それでも、理解をしているようだった。いや、理解をしていたからこそ、蕪雑が決闘を申し込んだときに、それを撤回させようとはしなかったんだ。……それが、どうしようもなく、くやしかった。蕪雑の説明で、実感とまではいかないけれど、納得はできていたんだ。それなのに僕は、疎外感のためにあんな態度を取ってしまった」
「烏有」
「袁燕と、おなじだね」
烏有が笑うと、袁燕がクシャリと顔をゆがめた。
「なんで、烏有がそんなことを考えなきゃ、いけないんだよぉ」
涙声になった袁燕が、くやしげに唇を震わせる。
「どうして袁燕が、泣きそうになっているんだ」
「なってないよ」
「なっているじゃないか」
「なってないっ!」
ふくれた袁燕が、烏有の手の中の蒸し饅頭にかぶりついた。
「あっ」
そのまま奪って、ムシャムシャと食べてしまう。
「烏有がいなかったら、俺っちは細工師になる夢を、捨てたまんまになってた。俺っちだけじゃない。いろんな奴が、明江ができてよろこんでるんだ。烏有はぜったいに、必要なんだよ」
「それを言うなら、袁燕だってそうだ。袁燕がいなければ、計画の連絡はもっと手間取っていたよ。移住だって、袁燕のおかげで細かなやりとりができたから、すんなりと計画通りに進めたんだしね」
ふたりはじっと見つめ合い、同時に頬をゆるませた。
「えへへ」
「ふふ」
袁燕がヒョイと立ち上がる。
「烏有の蒸し饅頭、食べちまったからさ。おわびに茶屋でなんか、おごらせてくれよ」
「いや。まだ魚があるから、かまわないよ」
「いいから。おごりたいんだよ! 烏有は皆と交流をしていないから、どんだけ明江がありがたがられてるか、わかってねぇんだ。それになんか、俺っちだけがモヤモヤしてたんじゃないんだってわかって、ちょっとうれしかったし。聞いてもらった礼を、させてくれよ」
にぶいなぁ、とつぶやかれ、烏有は腰を上げた。
「そういうことなら、ありがたく受けさせてもらうよ」
「うん。そこの茶屋の娘がさ、すっげぇかわいいから。ビックリすんなよ」
はやくはやくと袁燕に手を引かれる烏有は、癒されきらない悲哀を抱えつつ「それは楽しみだね」と答えた。
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記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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