凪の潮騒

水戸けい

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「ワシの名は、奥村朝一という」

 あぐらをかいた膝の前にこぶしを置いて、奥村の爺様は頭を下げた。

「私は、伊佐だ」

 上がった顔に、親しみを込めた笑みが浮かんでいた。シワの一つかと思うほどに目を細めた奥村の爺様が、ちらりと徳を見る。渋る顔をする徳に、薄く目を開いた奥村の爺様の眼光の鋭さに、はたから見ているだけだというのに息をのんだ。はっとした徳が頭を下げて立ち上がり、そそくさと退室すれば襖が閉じられる。奥村の爺様と差向いになれば、懐から杯を取りだした爺様はそこに茶を注いで、酒のように飲み干した。そうしてもう一杯注ぐと、私に差し出してくる。受け取り、同じように飲み干せば満足そうに頷かれた。杯を返し、それをまた満たした爺様は、口を付けずに杯を持つ手を膝に乗せた。

「伊駒宗近様は、それはそれは争い事が嫌いなお方であった」

 ぽつりと、自分に語りかけるように爺様が声を出す。思い出の中に沈んで行こうとしている姿に、爺様の持つ父様の物語を目の前で広げられているのだと背筋を伸ばした。

「幼いころより、無口な方でなぁ……剣術の腕も、なかなかなものだった。細かいことにはこだわらず、このじじにも気遣いをしてくださる優しい方だった」

 ほんのりと爺様の口に、寂しげな淡い笑みが乗った。

「意志の強いお方でな、自分が正しいと思ったことは、はきと口にのぼせた。だが、それが間違いだったとわかれば、こだわらず誰に対しても謝罪をした。――そのような方であったから、民にも慕われていてなぁ…………釣りが趣味で、漁村に赴いては漁師らの手ほどきを受けておられた」

 ふ、と村人と接する父様の姿が思い起こされる。むっつりと押し黙った父に、そっと畑のものや山のものを届けてくれた村人たちは、どのような気持ちでいたのだろう。

「そんな方だからか、身分などを気にせずに想いのままに求めた女と、ねんごろになった」

 爺様の声が岩のように硬くなり、つばを飲み込む。

「女は子を授かった。こちらは若気の至りだろうと、めかけを持ったとしても問題は無いだろうと、そのように受け止めていた。だが、あのお方は違った。ただの村娘を伊駒家の正妻として迎えると言った」

 諦めたように首を振り、長い息を吐いた爺さまは背を丸めて茶を口に含んだ。吐き出した息の分、爺様が縮んでしまったように見えた。

「誰もが、反対をした。士分の正妻に村娘など受け入れられるはずがない。側室にすら、おこがましい身分の女であるのにと、批判の声が上がった。そして誰かが、女がそそのかして言わせたのだろうと決めつけた。誰もが、そうだと調べもせずに納得をした。そんな女は処分をすればいいと、そういう話になった」
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