凪の潮騒

水戸けい

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 悔しそうに、幸正が顔を歪める。

「なぜ、村のむすめの命を救うために医者を出し、薬を用意し、看護をすることを許したのだと思うかと…………」

 言葉を詰まらせた幸正の頬に手を伸ばす。手のひらに唇が触れて、手首に口づけられて、抱きしめられた。頬を寄せ合い、ぬくもりを、存在を確かめるように抱きしめあう。

「あの場で――披露目の場で姿を見るまでは、信じきれなかった。宗也様が代理だと言う事は聞いていた。その理由も、知っていた――家中の誰もが、知っている。そして今から、宗也様の横には伊駒家の本当の嫡子が座るという事を、聞かされていた。そして、現れたのは間違いなく、伊佐だった。…………アンタだった」

 腕に力がこもる。息苦しいのに、もっと強く――抱きつぶされるほどに強く――――。そう望むままに私も体中の力を込めて、幸正を抱きしめた。

「伊佐――伊佐、このまま、どっかに行っちまおう。――――誰にもアンタを渡したくねぇ。港まで走って、海に出て、どっか遠いところで…………」

「幸正……」

 それはとても魅力的に響いた。けれど、出来ないという事を二人とも知っていた。遠くに行くための舟は二人では動かせないことを、漁村で育った私も他国へ渡る船を見てきた幸正も、知っている。

 叶わないことを口にする事で、想いの深さを示してくる幸正が愛おしくて、甘苦しく絞られる胸からあふれるものを伝えたくて、全身を寄り添わせた。心まで重なるようにと、願いながら――。

 そうして抱きしめあいながら、酔いのような熱がゆっくりと冷めるのを待って体を離し、床に落ちている小刀に目を向ける。

「――伊佐が、自刃をしたのかと思った」

 手を伸ばした幸正が、鞘の中に木刃を収めて家紋を見つめた。

「鉄刃でなく、よかった」

 そっと返された父様の形見を両手で受けて抱きしめる。――父様は、どうしてこれを残していたのだろう。本当は、いつか帰る気でいたんじゃないだろうか。

「伊佐」

 顔を上げると、額に口づけられた。

「俺に、もっと力があれば――」

 悔やむように声を絞る幸正に、微笑みながら首を振る。部屋の中に差しこむ光は、透明から茜色に移ろうとしていた。――もうすぐ、迎えがやってくる。
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