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第25話 記憶の迷宮と失われた約束
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王都アルテミスの巨大な城壁が視界に入ったとき、トウマは思わず口笛を吹いた。
「やっぱり王都は違うな」
石造りの高い城壁に囲まれた都市は、まさに王国の中心にふさわしい威容を誇っている。城壁の向こうには立派な塔や建物群が見え、活気に満ちた喧騒が風に乗って聞こえてきた。
門番に身分証を提示し、城内に足を踏み入れる。石畳の大通りには商人や冒険者、貴族らしき人々が行き交い、露店が軒を連ねている。
「久しぶりの大都市だな」
トウマは軽やかな足取りで冒険者ギルドを目指した。王都のギルドは他の街とは規模が違う。三階建ての堂々とした建物で、多くの冒険者たちが出入りしている。
ギルドの扉を開けると、馴染みのある喧騒が迎えてくれた。
「おや、トウマさんじゃありませんか」
受付嬢のカーラが驚いたような表情を見せる。彼女は以前にも何度か顔を合わせたことがある、ベテランの職員だった。
「よぉ、カーラ。元気にしてたか?」
「ええ、おかげさまで。それにしても、また随分と久しぶりですね」
カーラは苦笑いを浮かべた。
「確か前回は、『三日で戻る』と言って出発されたのに、結局一ヶ月も帰ってこなかったとか……」
「あー、あの時は色々あってな」
トウマは頭を掻いた。確かに、王都を離れる時はいつも予定より長くなってしまう傾向があった。
「それで、今回はどのような依頼をお探しですか?」
「古代遺跡の調査があるって聞いたんだが」
「ああ、それでしたら……」
カーラは書類を取り出して確認する。
「『封印された記憶の迷宮』の調査依頼ですね。報酬は金貨五十枚。ただし、これは非常に危険な依頼でして……」
「記憶の迷宮?」
「はい。王都から北東に半日ほどの場所にある古代遺跡です。最近になって封印が弱くなってきて、中から奇妙な魔力が漏れ出しているんです」
カーラの表情が真剣なものに変わる。
「調査に向かった冒険者たちが、記憶を失って戻ってくるという報告が相次いでいまして……」
「記憶を失う?」
「ええ。皆、自分の名前や過去のことを全く覚えていない状態で発見されるんです。幸い数日で回復しますが、迷宮の中で何があったかは誰も覚えていません」
興味深い話だった。トウマの冒険者としての血が騒ぐ。
「面白そうじゃないか。受けるよ」
「本当に大丈夫ですか?これまでに挑戦した冒険者は全員……」
「大丈夫だ。俺を誰だと思ってる?」
トウマは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「分かりました。では、こちらが詳細な資料です」
カーラから受け取った資料に目を通す。遺跡の場所や、これまでの調査結果などが記されていた。
「それと、トウマさん」
「ん?」
「今回は本当に気をつけてください。記憶を失うということは、自分が誰かも分からなくなるということです」
カーラの心配そうな表情に、トウマは軽く手を振った。
「心配すんな。すぐに戻ってくるよ」
――――――
王都を出発してから二時間ほど経った頃、街道脇で奇妙な光景を目にした。
「あれは……」
道端に一台の荷車が止まっており、その周りで老人と少女が困っているようだった。荷車の車輪が外れて、動けなくなっているらしい。
「まぁ、少し手伝うくらいなら大丈夫だろう」
トウマは足を向けた。予定通り遺跡に向かうつもりだったが、困っている人を見過ごすわけにはいかない。
「大丈夫か?」
「あ、冒険者さん!」
少女が振り返る。十五歳くらいだろうか、栗色の髪を三つ編みにした愛らしい顔立ちの娘だった。
「実は車輪が外れてしまって……」
「じいさんは大丈夫か?」
老人の方を見ると、杖をついて立っているが、顔色があまり良くない。
「すみません、お手を煩わせてしまって」
老人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいって。ちょっと見せてもらえるか?」
トウマは荷車を調べた。車輪を留めていた金具が破損しているらしい。
「これは……直すには部品が必要だな」
「そんな……」
少女の表情が曇る。
「でも、応急処置なら何とかなるかもしれない」
トウマは持っていたロープを取り出した。器用に車輪を固定し、何とか動けるようにする。
「これで近くの村までは持つだろう」
「ありがとうございます!」
少女が嬉しそうに笑う。
「ところで、どちらに向かわれるんですか?」
老人が尋ねる。
「北東の方にある古代遺跡だ。『記憶の迷宮』って呼ばれてる場所だ」
老人の表情が変わった。
「記憶の迷宮……あの場所に?」
「知ってるのか?」
「ええ、私の故郷のすぐ近くにある遺跡です。でも、あそこは危険な場所だと……」
老人は心配そうに眉をひそめる。
「最近、おかしなことが起きているそうですね」
「ああ、調査の依頼を受けてきたんだ」
「そうですか……」
老人は何かを考えるような表情を見せた。
「冒険者さん、もしよろしければ、一つお話があります」
「何だ?」
「実は、記憶の迷宮には古い言い伝えがあるんです」
老人が話し始める。
「昔、その遺跡は『約束の神殿』と呼ばれていました。大切な人との約束を永遠に保つために作られた場所だったそうです」
「約束の神殿?」
「はい。しかし、ある時から人々の記憶を奪うようになった。なぜそうなったのかは分かりませんが……」
少女が祖父の話に頷く。
「おじいちゃんがよく話してくれるんです。神殿には、忘れられた大切な約束が眠っているって」
「忘れられた約束か……」
トウマは興味深そうに聞いていた。
「冒険者さん、もし神殿の中で何かを見つけたら……」
老人が言いかけて、首を振る。
「いえ、すみません。老人の戯言です」
「気にするな。参考になった」
トウマは老人と少女に別れを告げて、再び遺跡への道を歩き始めた。
――――――
夕方近くになって、ようやく目的地が見えてきた。
「あれが記憶の迷宮か……」
森の中にひっそりと佇む石造りの遺跡は、古代の神殿のような威厳を持っていた。しかし、周囲には不気味な静寂が漂っている。鳥のさえずりも聞こえない。
遺跡の入り口は大きなアーチ状になっており、その奥は暗闇に包まれていた。アーチの上部には古代文字で何かが刻まれている。
「『永遠に忘れじ、心に誓いし約束を』……か」
トウマは古代文字を読み上げた。確かに、老人の言った通り約束に関する場所のようだ。
魔力を込めた光石を取り出し、慎重に遺跡の中に足を踏み入れる。
石造りの廊下が続いており、壁には古代の壁画が描かれていた。幸せそうな人々の姿、そして何かを誓い合う場面が描かれている。
「約束の神殿、か」
奥に進むにつれて、不思議な感覚に襲われ始めた。頭の中に霧がかかったような、ぼんやりとした感覚だ。
「これが記憶に影響する魔力か……」
しかし、トウマは歩みを止めなかった。長年の冒険で培った精神力で、魔力の影響に耐えながら進んでいく。
やがて、大きな円形の部屋にたどり着いた。部屋の中央には台座があり、その上に水晶のような球体が浮かんでいる。
「あれが遺跡の中核か?」
水晶球からは淡い光が放たれており、それが部屋全体を照らしていた。しかし、その光を見ていると、頭の中に様々な映像が浮かんでくる。
見知らぬ人々の記憶が、断片的に流れ込んでくる。恋人同士の約束、親子の約束、友人同士の約束……数え切れないほどの約束の記憶だった。
「これは……」
トウマは驚愕した。水晶球の中には、この神殿を訪れた人々の約束の記憶が蓄積されているらしい。
そして、その中に一つの記憶が鮮明に浮かび上がった。
一人の若い女性が神殿の前で誰かを待っている。彼女は美しい銀髪を持ち、悲しげな表情を浮かべていた。
『必ず戻ってくるって、約束したのに……』
女性の声が頭の中に響く。
『でも、私は信じてる。あなたは約束を守る人だから』
映像が変わる。同じ女性が、今度は神殿の中で水晶球に向かって語りかけている。
『私の記憶を預けます。彼が戻ってきた時、思い出せるように』
そして、女性の姿が薄れていく。彼女は自分の記憶を水晶球に託して、消えてしまったのだ。
「そういうことか……」
トウマは事情を理解した。記憶の迷宮は、大切な約束を守るために作られた場所だった。しかし、約束を破られた悲しみや、待ち続ける人々の想いが蓄積され、いつしかその負の感情から人々の記憶を奪うようになってしまったのだろう。
水晶球に近づくと、さらに多くの記憶が流れ込んでくる。戦争で離ればなれになった恋人たち、故郷を離れた家族、二度と会えなくなった友人たち……皆、約束を胸に神殿を訪れ、そして記憶を託していったのだ。
「みんな、誰かを待ち続けてるんだな」
トウマの胸に、切ない気持ちが湧き上がる。
その時、水晶球が強く光った。そして、一人の男性の記憶が鮮明に浮かび上がる。
『エリアンナ、待っていてくれ。必ず戻ってくる』
男性は銀髪の女性——エリアンナに約束していた。しかし、彼は戦争で命を落とし、二度と戻ることはなかった。
そして、エリアンナは彼を待ち続け、最後には自分の記憶を神殿に託して消えてしまったのだ。
「切ない話だな……」
トウマは水晶球を見つめながら呟いた。
しかし、このままでは他の冒険者たちも記憶を失い続けることになる。何とかしなければならない。
「どうすればいいかな……」
トウマは考えた。水晶球を破壊すれば、魔力の影響は止まるだろう。しかし、それでは蓄積された記憶も失われてしまう。
その時、ふとあの老人の言葉を思い出した。
『忘れられた大切な約束が眠っている』
「そうか……」
トウマは水晶球に手を触れた。そして、心の中で語りかける。
「エリアンナ、聞こえるか?」
水晶球が反応し、エリアンナの姿が薄っすらと現れる。
『あなたは……』
「俺はトウマ。冒険者だ」
『冒険者さん……なぜここに?』
「みんなの記憶を取り戻しに来た。でも、その前に聞かせてくれ。君の約束って何だったんだ?」
エリアンナの表情が悲しみに曇る。
『彼と一緒に、平和な世界を作るって約束したんです。でも、彼は戦争で……』
「その約束、まだ果たせるんじゃないか?」
『え?』
「君が記憶を託したこの場所で、多くの人が苦しんでる。君の約束を果たすためにも、みんなを助けてやってくれないか?」
エリアンナは驚いたような表情を見せた。
『でも、私はもう……』
「君の想いは確かにここにある。それなら、まだ何かできるはずだ」
トウマの言葉に、エリアンナの表情が変わった。希望の光が宿る。
『……そうですね……彼との約束を果たすためにも』
エリアンナの姿が光り始める。
『皆さんの記憶をお返しします。そして、この場所を本当の約束の神殿に戻しましょう』
水晶球が眩しい光を放つ。そして、蓄積されていた記憶が解放されていく。
トウマは目を閉じて、その暖かい光に包まれた。
――――――
気がつくと、トウマは神殿の外に立っていた。夕日が森を染めており、鳥たちのさえずりが聞こえる。
「戻ったか……」
神殿を振り返ると、以前とは雰囲気が変わっていた。不気味な静寂ではなく、穏やかな静寂に包まれている。
入り口のアーチを見ると、古代文字が変わっていた。
『永遠に続かん、心に誓いし愛と平和を』
「約束を果たしてくれたんだな、エリアンナ」
トウマは小さく微笑んだ。
神殿の中に入ると、水晶球はまだそこにあったが、今度は暖かい光を放っている。そして、水晶球の前に手紙が置かれていた。
『冒険者様へ
ありがとうございました。あなたのおかげで、私は本当の約束を果たすことができました。
この神殿は、今度こそ真の約束の神殿として、人々の大切な約束を守り続けます。
どうか、これからも多くの人を助けてください。
エリアンナより』
「礼をいうのはこっちのほうだよ、ありがとうな」
トウマは手紙を懐にしまった。
神殿を出ると、夜の帳が降り始めていた。今夜は野宿になりそうだが、清々しい気持ちだった。
「さて、明日は王都に戻るか」
空を見上げると、満点の星が輝いている。きっとエリアンナも、どこかで彼と一緒に見ているだろう。
「約束か……大切なものほど、長い時の中でその想いを縛り付けてしまうものなのかもな」
トウマは星空を見上げながら、そんなことを考えていた。風が頬を撫でて、どこか懐かしい気持ちになる。焚火を眺めながら、その日の夜は静かに更けていった。
「やっぱり王都は違うな」
石造りの高い城壁に囲まれた都市は、まさに王国の中心にふさわしい威容を誇っている。城壁の向こうには立派な塔や建物群が見え、活気に満ちた喧騒が風に乗って聞こえてきた。
門番に身分証を提示し、城内に足を踏み入れる。石畳の大通りには商人や冒険者、貴族らしき人々が行き交い、露店が軒を連ねている。
「久しぶりの大都市だな」
トウマは軽やかな足取りで冒険者ギルドを目指した。王都のギルドは他の街とは規模が違う。三階建ての堂々とした建物で、多くの冒険者たちが出入りしている。
ギルドの扉を開けると、馴染みのある喧騒が迎えてくれた。
「おや、トウマさんじゃありませんか」
受付嬢のカーラが驚いたような表情を見せる。彼女は以前にも何度か顔を合わせたことがある、ベテランの職員だった。
「よぉ、カーラ。元気にしてたか?」
「ええ、おかげさまで。それにしても、また随分と久しぶりですね」
カーラは苦笑いを浮かべた。
「確か前回は、『三日で戻る』と言って出発されたのに、結局一ヶ月も帰ってこなかったとか……」
「あー、あの時は色々あってな」
トウマは頭を掻いた。確かに、王都を離れる時はいつも予定より長くなってしまう傾向があった。
「それで、今回はどのような依頼をお探しですか?」
「古代遺跡の調査があるって聞いたんだが」
「ああ、それでしたら……」
カーラは書類を取り出して確認する。
「『封印された記憶の迷宮』の調査依頼ですね。報酬は金貨五十枚。ただし、これは非常に危険な依頼でして……」
「記憶の迷宮?」
「はい。王都から北東に半日ほどの場所にある古代遺跡です。最近になって封印が弱くなってきて、中から奇妙な魔力が漏れ出しているんです」
カーラの表情が真剣なものに変わる。
「調査に向かった冒険者たちが、記憶を失って戻ってくるという報告が相次いでいまして……」
「記憶を失う?」
「ええ。皆、自分の名前や過去のことを全く覚えていない状態で発見されるんです。幸い数日で回復しますが、迷宮の中で何があったかは誰も覚えていません」
興味深い話だった。トウマの冒険者としての血が騒ぐ。
「面白そうじゃないか。受けるよ」
「本当に大丈夫ですか?これまでに挑戦した冒険者は全員……」
「大丈夫だ。俺を誰だと思ってる?」
トウマは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「分かりました。では、こちらが詳細な資料です」
カーラから受け取った資料に目を通す。遺跡の場所や、これまでの調査結果などが記されていた。
「それと、トウマさん」
「ん?」
「今回は本当に気をつけてください。記憶を失うということは、自分が誰かも分からなくなるということです」
カーラの心配そうな表情に、トウマは軽く手を振った。
「心配すんな。すぐに戻ってくるよ」
――――――
王都を出発してから二時間ほど経った頃、街道脇で奇妙な光景を目にした。
「あれは……」
道端に一台の荷車が止まっており、その周りで老人と少女が困っているようだった。荷車の車輪が外れて、動けなくなっているらしい。
「まぁ、少し手伝うくらいなら大丈夫だろう」
トウマは足を向けた。予定通り遺跡に向かうつもりだったが、困っている人を見過ごすわけにはいかない。
「大丈夫か?」
「あ、冒険者さん!」
少女が振り返る。十五歳くらいだろうか、栗色の髪を三つ編みにした愛らしい顔立ちの娘だった。
「実は車輪が外れてしまって……」
「じいさんは大丈夫か?」
老人の方を見ると、杖をついて立っているが、顔色があまり良くない。
「すみません、お手を煩わせてしまって」
老人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいって。ちょっと見せてもらえるか?」
トウマは荷車を調べた。車輪を留めていた金具が破損しているらしい。
「これは……直すには部品が必要だな」
「そんな……」
少女の表情が曇る。
「でも、応急処置なら何とかなるかもしれない」
トウマは持っていたロープを取り出した。器用に車輪を固定し、何とか動けるようにする。
「これで近くの村までは持つだろう」
「ありがとうございます!」
少女が嬉しそうに笑う。
「ところで、どちらに向かわれるんですか?」
老人が尋ねる。
「北東の方にある古代遺跡だ。『記憶の迷宮』って呼ばれてる場所だ」
老人の表情が変わった。
「記憶の迷宮……あの場所に?」
「知ってるのか?」
「ええ、私の故郷のすぐ近くにある遺跡です。でも、あそこは危険な場所だと……」
老人は心配そうに眉をひそめる。
「最近、おかしなことが起きているそうですね」
「ああ、調査の依頼を受けてきたんだ」
「そうですか……」
老人は何かを考えるような表情を見せた。
「冒険者さん、もしよろしければ、一つお話があります」
「何だ?」
「実は、記憶の迷宮には古い言い伝えがあるんです」
老人が話し始める。
「昔、その遺跡は『約束の神殿』と呼ばれていました。大切な人との約束を永遠に保つために作られた場所だったそうです」
「約束の神殿?」
「はい。しかし、ある時から人々の記憶を奪うようになった。なぜそうなったのかは分かりませんが……」
少女が祖父の話に頷く。
「おじいちゃんがよく話してくれるんです。神殿には、忘れられた大切な約束が眠っているって」
「忘れられた約束か……」
トウマは興味深そうに聞いていた。
「冒険者さん、もし神殿の中で何かを見つけたら……」
老人が言いかけて、首を振る。
「いえ、すみません。老人の戯言です」
「気にするな。参考になった」
トウマは老人と少女に別れを告げて、再び遺跡への道を歩き始めた。
――――――
夕方近くになって、ようやく目的地が見えてきた。
「あれが記憶の迷宮か……」
森の中にひっそりと佇む石造りの遺跡は、古代の神殿のような威厳を持っていた。しかし、周囲には不気味な静寂が漂っている。鳥のさえずりも聞こえない。
遺跡の入り口は大きなアーチ状になっており、その奥は暗闇に包まれていた。アーチの上部には古代文字で何かが刻まれている。
「『永遠に忘れじ、心に誓いし約束を』……か」
トウマは古代文字を読み上げた。確かに、老人の言った通り約束に関する場所のようだ。
魔力を込めた光石を取り出し、慎重に遺跡の中に足を踏み入れる。
石造りの廊下が続いており、壁には古代の壁画が描かれていた。幸せそうな人々の姿、そして何かを誓い合う場面が描かれている。
「約束の神殿、か」
奥に進むにつれて、不思議な感覚に襲われ始めた。頭の中に霧がかかったような、ぼんやりとした感覚だ。
「これが記憶に影響する魔力か……」
しかし、トウマは歩みを止めなかった。長年の冒険で培った精神力で、魔力の影響に耐えながら進んでいく。
やがて、大きな円形の部屋にたどり着いた。部屋の中央には台座があり、その上に水晶のような球体が浮かんでいる。
「あれが遺跡の中核か?」
水晶球からは淡い光が放たれており、それが部屋全体を照らしていた。しかし、その光を見ていると、頭の中に様々な映像が浮かんでくる。
見知らぬ人々の記憶が、断片的に流れ込んでくる。恋人同士の約束、親子の約束、友人同士の約束……数え切れないほどの約束の記憶だった。
「これは……」
トウマは驚愕した。水晶球の中には、この神殿を訪れた人々の約束の記憶が蓄積されているらしい。
そして、その中に一つの記憶が鮮明に浮かび上がった。
一人の若い女性が神殿の前で誰かを待っている。彼女は美しい銀髪を持ち、悲しげな表情を浮かべていた。
『必ず戻ってくるって、約束したのに……』
女性の声が頭の中に響く。
『でも、私は信じてる。あなたは約束を守る人だから』
映像が変わる。同じ女性が、今度は神殿の中で水晶球に向かって語りかけている。
『私の記憶を預けます。彼が戻ってきた時、思い出せるように』
そして、女性の姿が薄れていく。彼女は自分の記憶を水晶球に託して、消えてしまったのだ。
「そういうことか……」
トウマは事情を理解した。記憶の迷宮は、大切な約束を守るために作られた場所だった。しかし、約束を破られた悲しみや、待ち続ける人々の想いが蓄積され、いつしかその負の感情から人々の記憶を奪うようになってしまったのだろう。
水晶球に近づくと、さらに多くの記憶が流れ込んでくる。戦争で離ればなれになった恋人たち、故郷を離れた家族、二度と会えなくなった友人たち……皆、約束を胸に神殿を訪れ、そして記憶を託していったのだ。
「みんな、誰かを待ち続けてるんだな」
トウマの胸に、切ない気持ちが湧き上がる。
その時、水晶球が強く光った。そして、一人の男性の記憶が鮮明に浮かび上がる。
『エリアンナ、待っていてくれ。必ず戻ってくる』
男性は銀髪の女性——エリアンナに約束していた。しかし、彼は戦争で命を落とし、二度と戻ることはなかった。
そして、エリアンナは彼を待ち続け、最後には自分の記憶を神殿に託して消えてしまったのだ。
「切ない話だな……」
トウマは水晶球を見つめながら呟いた。
しかし、このままでは他の冒険者たちも記憶を失い続けることになる。何とかしなければならない。
「どうすればいいかな……」
トウマは考えた。水晶球を破壊すれば、魔力の影響は止まるだろう。しかし、それでは蓄積された記憶も失われてしまう。
その時、ふとあの老人の言葉を思い出した。
『忘れられた大切な約束が眠っている』
「そうか……」
トウマは水晶球に手を触れた。そして、心の中で語りかける。
「エリアンナ、聞こえるか?」
水晶球が反応し、エリアンナの姿が薄っすらと現れる。
『あなたは……』
「俺はトウマ。冒険者だ」
『冒険者さん……なぜここに?』
「みんなの記憶を取り戻しに来た。でも、その前に聞かせてくれ。君の約束って何だったんだ?」
エリアンナの表情が悲しみに曇る。
『彼と一緒に、平和な世界を作るって約束したんです。でも、彼は戦争で……』
「その約束、まだ果たせるんじゃないか?」
『え?』
「君が記憶を託したこの場所で、多くの人が苦しんでる。君の約束を果たすためにも、みんなを助けてやってくれないか?」
エリアンナは驚いたような表情を見せた。
『でも、私はもう……』
「君の想いは確かにここにある。それなら、まだ何かできるはずだ」
トウマの言葉に、エリアンナの表情が変わった。希望の光が宿る。
『……そうですね……彼との約束を果たすためにも』
エリアンナの姿が光り始める。
『皆さんの記憶をお返しします。そして、この場所を本当の約束の神殿に戻しましょう』
水晶球が眩しい光を放つ。そして、蓄積されていた記憶が解放されていく。
トウマは目を閉じて、その暖かい光に包まれた。
――――――
気がつくと、トウマは神殿の外に立っていた。夕日が森を染めており、鳥たちのさえずりが聞こえる。
「戻ったか……」
神殿を振り返ると、以前とは雰囲気が変わっていた。不気味な静寂ではなく、穏やかな静寂に包まれている。
入り口のアーチを見ると、古代文字が変わっていた。
『永遠に続かん、心に誓いし愛と平和を』
「約束を果たしてくれたんだな、エリアンナ」
トウマは小さく微笑んだ。
神殿の中に入ると、水晶球はまだそこにあったが、今度は暖かい光を放っている。そして、水晶球の前に手紙が置かれていた。
『冒険者様へ
ありがとうございました。あなたのおかげで、私は本当の約束を果たすことができました。
この神殿は、今度こそ真の約束の神殿として、人々の大切な約束を守り続けます。
どうか、これからも多くの人を助けてください。
エリアンナより』
「礼をいうのはこっちのほうだよ、ありがとうな」
トウマは手紙を懐にしまった。
神殿を出ると、夜の帳が降り始めていた。今夜は野宿になりそうだが、清々しい気持ちだった。
「さて、明日は王都に戻るか」
空を見上げると、満点の星が輝いている。きっとエリアンナも、どこかで彼と一緒に見ているだろう。
「約束か……大切なものほど、長い時の中でその想いを縛り付けてしまうものなのかもな」
トウマは星空を見上げながら、そんなことを考えていた。風が頬を撫でて、どこか懐かしい気持ちになる。焚火を眺めながら、その日の夜は静かに更けていった。
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