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第五章 1
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少し前に姉、フリーダには一度手紙を書いていた。
王子の警護の様子はもちろん、自分が侍女付になったこと、そのモニカとの心地よい関係、頑固でも冗談好きなダウソン、規律にうるさくても、実は女性には甘いマーリング、そして利発で、若さ特有の好奇心にいつも瞳を輝かせているヨシュア。今までの騎士団生活とはまるで違う城での日常。今や自分の闘う相手は、慣れないドレスや靴やレディに要求される慣習に加えてミカの気まぐれであることなど、二枚の上質な便せんはすぐに文字でいっぱいに埋め尽くされた。さすがにミカと体の関係を持ったと記さなかったものの、ミカのことを書く時には体がほんのりと熱を持った。そして、一言だけ、城では意中の人と顔を合わせることが出来た、としたためておいた。
今日もミカは朝食をとった直後からヨシュアと執務室に篭っていた。たった十日の間にも、書類の束はそのかさを増しながら今か今かとミカの帰りを待っていたのである。
からりとした秋晴れの庭に、今はフィングス・ローズに代わってダリアやサルビアが風にそよと揺れている。
アストリットは執務室の前の庭のベンチに座り、先ほどマーリングから受け取った姉の手紙を開いた所だった。
そこには父のこと、騎士たち、レヴァンのことなど親しみのある名前と日常が簡単に書かれてあり、多忙なマーヴェリックと進めている結婚式の準備や、ドレスの仮縫い、新居への家具選びの様子が事細かに語られていた。最後に、アストリットの想い人が城に従事する者とは思いもよらなかったと素直な驚きと、その名前を自分だけに密告しても許されるのではないかと冗談まじりに記されてあった。手紙は「会いたい」と締めくくられていた。
――会いたい。姉上に会って今の想いを全て聞いてもらいたい。
それはなにもミカに対する自分の想いだけではなく、二度もその姿を自分の前に晒した大胆な刺客のこと、その意図するもの、単なる愉快犯か、その目的はミカの命のみか、政治絡みの陰謀か。
一人で抱えるにはあまりにも問題が大き過ぎた。考えだすと、その糸はすぐに絡まってしまう。誰かに話したかった。言葉にして頭を整理する必要があった。そして、その聞き役は姉以外に思い浮かばなかった。そうだ。今度、殿下に頼んでみよう。一日だけでも暇をいただければ。いや、半日でもいい。姉の意見を聞く機会をいただこう。
しかし、姉に会ったとてやはりミカとの情事を話すことは出来ない。
アストリットは溜め息をつき、手紙を元の通り封筒に仕舞った。
「アストリット、相席してもよろしいでしょうか」
澄んだ鈴の音のような軽やかな声に、考え込んでいたアストリットは慌てて振り向いた。
「ヨシュア殿……」
声の主をみとめると、彼女は飛び上がるように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「やめてください、アストリット」
微笑みながら近づいて来た彼は、顔を上げたアストリットの手を取りその指先に口付けた。その紳士然な行為も、ヨシュアがするとあどけなさが際立ち、彼女の頬は緩んでしまう。そして、『大尉殿』から『アストリット』と呼び名は変わっているのに気がついた。
「座りましょう。今日はアストリットの喜ぶものを持って来ました」
並んで座ったヨシュアは手にしていた本を差し出した。受け取った騎士の目が輝く。それを見た第二王子はしてやったりという様子で目を細めた。
「これは、カターニ先生の新しい本ですね」
「そうです。ぼくが学会から帰って来たらすぐに渡そうと思っていたのに、急に兄とバスーラへ行ってしまわれるなんてひどい仕打ちです。いや、これはあなたを責めているのではありませんが、せっかくアストリットと本の話が出来ると楽しみにしていたのに、お預けなんて……。がっかりしました。兄の帰城を待ちわびる一日がこれほど長いと思ったことはありませんよ」
唇を尖らせるヨシュアを可愛いと思わずにいられない。それも自分に会いたかったと打ち明ける素直さが微笑ましかった。
不満を吐き出したヨシュアはすぐに本に話題を移した。アストリットに譲った哲学の新書ばかりではなく、彼が今までに読んだ、さまざまな分野の本。それらのほとんどはアストリットも既読であった。なかには恋愛小説も含まれていて、二人はお互いの恋愛観に意見をぶつけたり、または共感したりと話は尽きなかった。
しばらくして、ヨシュアはにっこりとアストリットに微笑みかけた。
「恋愛小説なら私よりもミカの方が読んでいますよ。兄とこういう話をされれば楽しいこと請け合いなのに。実際、あなたが王室に来てから兄は随分と変わりましたよ。穏やかになったというか、休暇の後はまた特別、表情も柔らかくなって……アストリットが何かしたのですか?」
彼女はヨシュアが冗談を言って自分をからかっているのだと思った。アストリットの前ではいつも仏頂面を見せているミカのどの辺りが変わったと言うのだろうか。
穏やかな表情など微塵も見たことがない。
しかしヨシュアはそれが自分のせいだと勘ぐっている。私が殿下に一体何をしたかなど……いや、むしろされたのは私の方で……。ぽっと頬に熱が浮かぶ。
「本当ですよ。ミカはああ見えてどうしてロマンチストなんです」
年下の王子殿下は騎士の顔に浮かんだ不審を読んで言った。
「そして、これも信じられないかもしれませんが、誰よりも慈悲深い」
ヨシュアの顔からは笑みが消えていた。
「サルエリ事件のことはあなたもまだ記憶にあるはずだ。サルエリ伯爵の家を一人の泥棒が襲った事件です。その件では捕まらなかったものの、その後のつまらない窃盗で捕まった犯人の、サルエリ家強盗殺人の罪は明らかなのに、確かな証拠が無く、さらに犯人が無実を証明したため裁判にかけられることになった。しかし国選弁護士誰もが彼の弁護を拒否した。それでも裁判は行われなくてはいけないがために、国は弁護士を指名した。その弁護士が優秀だったためか、泥棒の強運のせいかわからない。彼は有罪にはなったが、死刑を免れた。しかしそれで話はめでたし、というわけではなかった」
ヨシュアは言葉を切り、アストリットに眼差しでその先を促した。彼女は当時の調査内容を記憶に呼び起こしながら話を受け継いだ。
「その後、彼を弁護した弁護士の館に火がつけられました。結局その放火魔は捕まりませんでした。目撃者さえいなかった。そして、そんな災難を受けたにも関わらず、国選弁護人の報酬などたかがしれているのに、金のために泥棒の味方をした薄汚い男と、街中の人々から罵られ、その弁護士一家は追われるように街を出て行ってしまった……」
「そのことがあったから、兄は今度のロレンツォの件で自ら手を汚したのです。ロレンツォを襲った一味は、現行犯逮捕ではなかった。仮に彼らが『たまたまあの屋敷の近くを通った』と主張したら、状況証拠を取り出してみても、やはり裁判にかけられるはずです。盗んだものを証拠にしても、せいぜい窃盗罪で裁かれるだけ。そうすると……わかりますね。サルエリの事件の二の舞になれば、国民の憤りは弁護士に一気に向くのは十分考えられることです……善良な心を持ったことで責められる……」
アストリットは脳裏に浮かび上がった、森での出来事を振り払うように強く頭《かぶり》を振った。
「それでも、殿下は『遊びを本気でした』とおっしゃったのですよ。殿下にとってはやはり遊びでしかなかった……!」
「違います。いいですか、兄は常に何事にも本気です。彼は本気で彼らを斬った。自身の信念に嘘偽り無く行動した。そして『遊び』と言ったのは、そんな彼の信念を責めたあなたに対して後ろめたさを感じた咄嗟の言い訳なのでしょう。でも、その『遊び』も本気であることはあなたに伝えたかった」
「そんな……正気の人間の考えることではありません」
「そこまで彼を動かした何かがあるのだと思います」
ヨシュアは、アストリットの心の奥を探るようにじっと見据えた。
「アストリット、あなたと部下があの賊を捕らえたと聞いています。その時あなたはどう思いましたか? 『殺してやりたい』とは思いませんでしたか? 荒らされた館の中で、命を絶たれた幼い子供の死体を目にしても、あなたはあの者たちの無実を信じましたか?」
彼女は一瞬息をするのを忘れた。その残酷な記憶に胸がきりきりと痛む。思わず顔を伏せた。
「……心に思うのと、実際に行動を起こすのとは違います……」
それが本心でないことは自分が一番よくわかっていた。
もし許された立場なら、ミカのしたように、きっと自らの剣で盗賊どもの息の根を止めていただろう。ミカを詰った自分の言葉は建前であった。そして第二王子への返事は拙い悪あがきであった。それでも言わずにはいられなかった。
そんなアストリットの横顔を見ていたヨシュアの瞳に憐れみが滲む。彼は、本の上に置かれた彼女の手の上にそっと自分のを添えた。暖かく、娘のように柔らかな手だった。
「あなたがミカをきちんと見てあげなかったら、兄は可哀想だ。あなたが彼の第一王子という衣装だけを見て、ミカ・フォン・オールソンその人を見れないというのなら、それはあなたはミカ本人を見たくないということだ。そして、相手をきちんと見ないと言うことは、あなた自身を見ないことと同じだ。可哀想に。あなたは自分にさえ公平ではない。あなたはミカが何者か知りもしなければ、自分が誰かもわかっていない」
その言葉に打たれたように顔を上げ、ヨシュアを見た。
「そんなあなた自身からあなたを救い出せるのは、ミカしかいないのですよ」
「それは、どういう……」
彼女の狼狽に気がつきつつも、ヨシュアはその質問を躱《かわ》した。
「兄こそ王に相応しいのです。素早い判断力。兄は善良な市民に引き金を引かせないで自分で引いてしまう。全ての責任を被る自己犠牲の人なのです。聞いてご覧なさい。悪党どもを斬りつけたときの気持を。そこには罪の意識がなかったかどうか」
「そんな……。そんなことを尋ねて、答えていただけるでしょうか」
ほとんど縋るような眼差しをヨシュアに向けていた。若き王子は力強く頷いた。
「もちろん、兄は答えてくれます。本当に知りたいと思えば本人に聞けばよいのです。簡単ではありませんか。それなのに誰も、誰一人として兄に何も尋ねようとしない。遠巻きに見て口をつぐんでいるだけだ。兄は待っているのです。自分と、きちんと対話したいと思う者を。自分の考えを、気持を聞いてくれる者を。ミカは全てを受け入れる器を持つ人です」
アストリットは探るようにヨシュアの顔を見つめた。
「こちらでしたか……ヨシュア様、そろそろお戻りになられた方が」
振り向けば、ダウソンがやや遠慮がちに数歩ほど後ろに控えていた。
「ああ、つい長居してしまいました。兄には少し外の空気を吸ってくると言って抜け出して来たのです。兄が来ないうちに行かねば。きっとミカは私の居場所をすぐに嗅ぎ付けるに決まっていますからね。それではまた、アストリット」
王室の離籍の挨拶にしては、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってヨシュアは老執事と供にやがて庭木の向こうへ姿を消した。
王子の警護の様子はもちろん、自分が侍女付になったこと、そのモニカとの心地よい関係、頑固でも冗談好きなダウソン、規律にうるさくても、実は女性には甘いマーリング、そして利発で、若さ特有の好奇心にいつも瞳を輝かせているヨシュア。今までの騎士団生活とはまるで違う城での日常。今や自分の闘う相手は、慣れないドレスや靴やレディに要求される慣習に加えてミカの気まぐれであることなど、二枚の上質な便せんはすぐに文字でいっぱいに埋め尽くされた。さすがにミカと体の関係を持ったと記さなかったものの、ミカのことを書く時には体がほんのりと熱を持った。そして、一言だけ、城では意中の人と顔を合わせることが出来た、としたためておいた。
今日もミカは朝食をとった直後からヨシュアと執務室に篭っていた。たった十日の間にも、書類の束はそのかさを増しながら今か今かとミカの帰りを待っていたのである。
からりとした秋晴れの庭に、今はフィングス・ローズに代わってダリアやサルビアが風にそよと揺れている。
アストリットは執務室の前の庭のベンチに座り、先ほどマーリングから受け取った姉の手紙を開いた所だった。
そこには父のこと、騎士たち、レヴァンのことなど親しみのある名前と日常が簡単に書かれてあり、多忙なマーヴェリックと進めている結婚式の準備や、ドレスの仮縫い、新居への家具選びの様子が事細かに語られていた。最後に、アストリットの想い人が城に従事する者とは思いもよらなかったと素直な驚きと、その名前を自分だけに密告しても許されるのではないかと冗談まじりに記されてあった。手紙は「会いたい」と締めくくられていた。
――会いたい。姉上に会って今の想いを全て聞いてもらいたい。
それはなにもミカに対する自分の想いだけではなく、二度もその姿を自分の前に晒した大胆な刺客のこと、その意図するもの、単なる愉快犯か、その目的はミカの命のみか、政治絡みの陰謀か。
一人で抱えるにはあまりにも問題が大き過ぎた。考えだすと、その糸はすぐに絡まってしまう。誰かに話したかった。言葉にして頭を整理する必要があった。そして、その聞き役は姉以外に思い浮かばなかった。そうだ。今度、殿下に頼んでみよう。一日だけでも暇をいただければ。いや、半日でもいい。姉の意見を聞く機会をいただこう。
しかし、姉に会ったとてやはりミカとの情事を話すことは出来ない。
アストリットは溜め息をつき、手紙を元の通り封筒に仕舞った。
「アストリット、相席してもよろしいでしょうか」
澄んだ鈴の音のような軽やかな声に、考え込んでいたアストリットは慌てて振り向いた。
「ヨシュア殿……」
声の主をみとめると、彼女は飛び上がるように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「やめてください、アストリット」
微笑みながら近づいて来た彼は、顔を上げたアストリットの手を取りその指先に口付けた。その紳士然な行為も、ヨシュアがするとあどけなさが際立ち、彼女の頬は緩んでしまう。そして、『大尉殿』から『アストリット』と呼び名は変わっているのに気がついた。
「座りましょう。今日はアストリットの喜ぶものを持って来ました」
並んで座ったヨシュアは手にしていた本を差し出した。受け取った騎士の目が輝く。それを見た第二王子はしてやったりという様子で目を細めた。
「これは、カターニ先生の新しい本ですね」
「そうです。ぼくが学会から帰って来たらすぐに渡そうと思っていたのに、急に兄とバスーラへ行ってしまわれるなんてひどい仕打ちです。いや、これはあなたを責めているのではありませんが、せっかくアストリットと本の話が出来ると楽しみにしていたのに、お預けなんて……。がっかりしました。兄の帰城を待ちわびる一日がこれほど長いと思ったことはありませんよ」
唇を尖らせるヨシュアを可愛いと思わずにいられない。それも自分に会いたかったと打ち明ける素直さが微笑ましかった。
不満を吐き出したヨシュアはすぐに本に話題を移した。アストリットに譲った哲学の新書ばかりではなく、彼が今までに読んだ、さまざまな分野の本。それらのほとんどはアストリットも既読であった。なかには恋愛小説も含まれていて、二人はお互いの恋愛観に意見をぶつけたり、または共感したりと話は尽きなかった。
しばらくして、ヨシュアはにっこりとアストリットに微笑みかけた。
「恋愛小説なら私よりもミカの方が読んでいますよ。兄とこういう話をされれば楽しいこと請け合いなのに。実際、あなたが王室に来てから兄は随分と変わりましたよ。穏やかになったというか、休暇の後はまた特別、表情も柔らかくなって……アストリットが何かしたのですか?」
彼女はヨシュアが冗談を言って自分をからかっているのだと思った。アストリットの前ではいつも仏頂面を見せているミカのどの辺りが変わったと言うのだろうか。
穏やかな表情など微塵も見たことがない。
しかしヨシュアはそれが自分のせいだと勘ぐっている。私が殿下に一体何をしたかなど……いや、むしろされたのは私の方で……。ぽっと頬に熱が浮かぶ。
「本当ですよ。ミカはああ見えてどうしてロマンチストなんです」
年下の王子殿下は騎士の顔に浮かんだ不審を読んで言った。
「そして、これも信じられないかもしれませんが、誰よりも慈悲深い」
ヨシュアの顔からは笑みが消えていた。
「サルエリ事件のことはあなたもまだ記憶にあるはずだ。サルエリ伯爵の家を一人の泥棒が襲った事件です。その件では捕まらなかったものの、その後のつまらない窃盗で捕まった犯人の、サルエリ家強盗殺人の罪は明らかなのに、確かな証拠が無く、さらに犯人が無実を証明したため裁判にかけられることになった。しかし国選弁護士誰もが彼の弁護を拒否した。それでも裁判は行われなくてはいけないがために、国は弁護士を指名した。その弁護士が優秀だったためか、泥棒の強運のせいかわからない。彼は有罪にはなったが、死刑を免れた。しかしそれで話はめでたし、というわけではなかった」
ヨシュアは言葉を切り、アストリットに眼差しでその先を促した。彼女は当時の調査内容を記憶に呼び起こしながら話を受け継いだ。
「その後、彼を弁護した弁護士の館に火がつけられました。結局その放火魔は捕まりませんでした。目撃者さえいなかった。そして、そんな災難を受けたにも関わらず、国選弁護人の報酬などたかがしれているのに、金のために泥棒の味方をした薄汚い男と、街中の人々から罵られ、その弁護士一家は追われるように街を出て行ってしまった……」
「そのことがあったから、兄は今度のロレンツォの件で自ら手を汚したのです。ロレンツォを襲った一味は、現行犯逮捕ではなかった。仮に彼らが『たまたまあの屋敷の近くを通った』と主張したら、状況証拠を取り出してみても、やはり裁判にかけられるはずです。盗んだものを証拠にしても、せいぜい窃盗罪で裁かれるだけ。そうすると……わかりますね。サルエリの事件の二の舞になれば、国民の憤りは弁護士に一気に向くのは十分考えられることです……善良な心を持ったことで責められる……」
アストリットは脳裏に浮かび上がった、森での出来事を振り払うように強く頭《かぶり》を振った。
「それでも、殿下は『遊びを本気でした』とおっしゃったのですよ。殿下にとってはやはり遊びでしかなかった……!」
「違います。いいですか、兄は常に何事にも本気です。彼は本気で彼らを斬った。自身の信念に嘘偽り無く行動した。そして『遊び』と言ったのは、そんな彼の信念を責めたあなたに対して後ろめたさを感じた咄嗟の言い訳なのでしょう。でも、その『遊び』も本気であることはあなたに伝えたかった」
「そんな……正気の人間の考えることではありません」
「そこまで彼を動かした何かがあるのだと思います」
ヨシュアは、アストリットの心の奥を探るようにじっと見据えた。
「アストリット、あなたと部下があの賊を捕らえたと聞いています。その時あなたはどう思いましたか? 『殺してやりたい』とは思いませんでしたか? 荒らされた館の中で、命を絶たれた幼い子供の死体を目にしても、あなたはあの者たちの無実を信じましたか?」
彼女は一瞬息をするのを忘れた。その残酷な記憶に胸がきりきりと痛む。思わず顔を伏せた。
「……心に思うのと、実際に行動を起こすのとは違います……」
それが本心でないことは自分が一番よくわかっていた。
もし許された立場なら、ミカのしたように、きっと自らの剣で盗賊どもの息の根を止めていただろう。ミカを詰った自分の言葉は建前であった。そして第二王子への返事は拙い悪あがきであった。それでも言わずにはいられなかった。
そんなアストリットの横顔を見ていたヨシュアの瞳に憐れみが滲む。彼は、本の上に置かれた彼女の手の上にそっと自分のを添えた。暖かく、娘のように柔らかな手だった。
「あなたがミカをきちんと見てあげなかったら、兄は可哀想だ。あなたが彼の第一王子という衣装だけを見て、ミカ・フォン・オールソンその人を見れないというのなら、それはあなたはミカ本人を見たくないということだ。そして、相手をきちんと見ないと言うことは、あなた自身を見ないことと同じだ。可哀想に。あなたは自分にさえ公平ではない。あなたはミカが何者か知りもしなければ、自分が誰かもわかっていない」
その言葉に打たれたように顔を上げ、ヨシュアを見た。
「そんなあなた自身からあなたを救い出せるのは、ミカしかいないのですよ」
「それは、どういう……」
彼女の狼狽に気がつきつつも、ヨシュアはその質問を躱《かわ》した。
「兄こそ王に相応しいのです。素早い判断力。兄は善良な市民に引き金を引かせないで自分で引いてしまう。全ての責任を被る自己犠牲の人なのです。聞いてご覧なさい。悪党どもを斬りつけたときの気持を。そこには罪の意識がなかったかどうか」
「そんな……。そんなことを尋ねて、答えていただけるでしょうか」
ほとんど縋るような眼差しをヨシュアに向けていた。若き王子は力強く頷いた。
「もちろん、兄は答えてくれます。本当に知りたいと思えば本人に聞けばよいのです。簡単ではありませんか。それなのに誰も、誰一人として兄に何も尋ねようとしない。遠巻きに見て口をつぐんでいるだけだ。兄は待っているのです。自分と、きちんと対話したいと思う者を。自分の考えを、気持を聞いてくれる者を。ミカは全てを受け入れる器を持つ人です」
アストリットは探るようにヨシュアの顔を見つめた。
「こちらでしたか……ヨシュア様、そろそろお戻りになられた方が」
振り向けば、ダウソンがやや遠慮がちに数歩ほど後ろに控えていた。
「ああ、つい長居してしまいました。兄には少し外の空気を吸ってくると言って抜け出して来たのです。兄が来ないうちに行かねば。きっとミカは私の居場所をすぐに嗅ぎ付けるに決まっていますからね。それではまた、アストリット」
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