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第2章 届かない想い

城を飛び出す決意②

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 王族居住区を1歩出て、貴族達へ貸している部屋が続く回廊。
 それを抜ければ、執務室がずらりと続いている。

 すぐ手前にあるのが、フレデリック様の執務室だけど、この廊下の一番端に、わたしの執務室がある。

 まるで心の距離と同じく、フレデリック様の部屋とわたしの部屋は、現実も離れている。

 第1王子の妃の公務は、この国中の貴族達から上げられる、「報告書」と「要望書」の振り分けだ。

 貴族達の報告に不備がないか確認し、報告内容に間違いがあれば突き返す。

 報告内容に間違いはないのに、何となく抱く違和感は、報告内容を誤魔化していることもある。
 そういうときは、以前の報告や、隣の領地の報告などを照らし合わせてから、第1王子へ回す。

 そこでも振るいにかけられて、国王陛下が承認するわけだ。

 貴族達から税金の減額や、公共工事の「要望書」が届いた場合は、それを要求するにあたって、妥当かどうかを判断する。

 内容や予算、前例をよく見る必要があり、それなりに骨が折れる作業となる。

 もちろん、一番初めに確認する作業が、届けられる報告の数も、調べる内容も多い。
 そのため、わたしと第2王子、王妃殿下の3人で、初動の決裁を受ける公務を担当している。

「トミー事務官おはようございます。あのー、今日の仕事はどこかしら? まだ、箱に入っていないようだけど」

 今日の仕事を片付けて、屋敷へ帰ろう。

「あっ、あのう……、王妃様が体調を崩しておりまして、この先3日程度の療養が必要らしいのです。アリーチェ妃殿下に大変恐縮なお願いですが、王妃様の公務はアリーチェ妃殿下へお願いすべきと王城事務官達全員一致の見解でして……。妃殿下は仕事が早いからと、王妃様の仕事を渡されて、持ってきてしまったのです。……お引き受け頂いてもよろしいでしょうか」

 もう、城を去ろうとしているときに、そんなことを言われて少し躊躇った。

 だけど王妃様のことを考えれば、3日くらい構わないかと、自分の都合は取り敢えず考えるのを辞めた。
 
「構わないわ、どうせ仕事以外にすることもないし」
 トミー事務官の手元を見て、迂闊に返答したことに気付いた。
 ちゃんと確認すれば良かったと思ったときには遅かった。

 トミー事務官の右手にある書類が、わたしのいつもの決裁の量だ。
 それを、ポンと箱へ入れたトミー事務官。

 そして、申し訳なさそうに、彼が左手に握っていた、同じくらいの書類が重ねられた。
 適当に返事をしたら、今までにない量の仕事を抱え込んでしまった。

「……助かります」
 ぼそっと呟いたトミー事務官。
 そうよね、わたしが引き受けるとトミー事務官も巻き込まれるものね、そんな複雑な顔になるわけか。

 子爵家の当主でもあるトミー事務官。
 彼ぐらいの年齢の男性は、頭の上にどれだけ髪があるかで大分印象が違う。
 わたしの父は、ふさふさとした白い髪が乗っている。

 だけど、トミー事務官の頭は随分と涼しい。
 おかげで、頭の汗を直接ハンカチで拭くこともできてしまう。
 そのしぐさがかわいいし、他の事務官に押し付けられた仕事を断れなかった彼の性格も、なんか憎めない。

**

 執務室の外の廊下からは、仕事を終えた貴族達が、それぞれの屋敷へ帰る足音が響き、いつもなら、公務を切り上げている時間だと気が付いた。
 この時間になり、やっと、トミー事務官が申し訳なさそうに置いた書類が片付いた。
 いつも以上に急いで仕事をしたけど、まだ、わたしが毎日こなしている量の書類は、箱に残っている。

 申し訳ないけど、もう少しだけトミー事務官には、わたしにお付き合いいただくことにした。
 そもそも彼が持ってきた仕事でもあるから仕方ない。
 そう思って、再び公務に没頭する。

 しばらくして、この執務室を訪問するノックが部屋に響いた。それで、集中していた糸が切れた。

 書類に目を通すのに夢中になり、気が付かなかったけれど、もう、大概の貴族達は仕事を終えているようだ。
 廊下から響いていた足音は、すっかり聞こえなくなっていた。

 ノックの音で、わたしの気持ちは少しだけ浮かれてしまった。

 わたしがまだ仕事をしていると聞きつけたフレデリック様が、来てくれたのかと思ったからだ。

 だけど、そんなことは起きるわけもなかった。
 夢を見るのも大概にすべきだと、瞬時に打ちのめされる。

「アリーチェ妃殿下へ、侍女がお食事を持ってきていますよ」
 執務室へ、わたし付きのクロエが、藤でできたバスケットを抱えてきている。
「もうそんな時間。トミー事務官は仕事を終えて良いわよ! 欲しい資料は全部集めてもらったから、後はわたしが見るだけで、何とかなるから問題ないわ」

 申し訳なさそうに、遠慮する事務官を説得して、何とか帰ってもらった。
 彼にも待っている家族がいるのだから、ボケッとわたしを見てるのは可哀そうだ。

「アリーチェ様は放っておくと、自分のことは後回しになさるから。軽く食べられるものを厨房で作ってもらいましたよ」
 開いてくれたバスケットには、色とりどりのサンドイッチが入っていた。
「うわぁぁ、美味しそう。急いで食べちゃうから」

 わたしのお気に入りは、イモにバジルを混ぜた具材を挟んだ、緑色のサンドイッチ。
 ここは豪快に一気に頬張った。
 鼻に抜けるバジルの爽やかな香り。
 うーん、美味しいぃ~。

「アリーチェ様、そんなに口に入れるからリスみたいになってますよ。もう、どんな食べ方をしているんですか!」
 口をあんぐりと開けて、遠慮なしに呆れた顔をしているクロエ。
 淑女らしくないと言いたいのだろうけど、そんなのは誰も見ていない、自分の執務室であれば関係ない。

 そう言ってやりたいのは山々だけど、口に頬張り過ぎて何も言えない。

「もう、アリーチェ様ってば、慌てないで、ゆっくり食べてください」
「――ふぅ~、今日の担当がクロエで良かった。最近わたしに付いてくれる子だと、こんなところは見せられないもの」
「それは、喜んでいいのか分かりませんが、まだ城に慣れていないカレンがアリーチェ様のこんな姿を見れば幻滅しますからご遠慮くださいね」

 わたしのここでの暮らしは、もうすぐ終わりを迎えるから、そんな心配はいらないのだけど、静かに笑っておいた。

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