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3.箱庭
26.箱庭での暮らし
しおりを挟むガラス越しに穏やかな日の光が差し込む。見上げた先には、高精度モニターによって造られた天井があり、抜けるような青空が映し出されている。この街では見られなくなった青色は、ひどく眩しく映った。何処までも続く青に目を細めながらベッドから身体を起こしたノルは、もぞり、と隣で身じろぎする気配を感じた。気配のあった方へ視線をやると、枕に埋もれた赤毛が目に入る。燃えるような色のそれの持ち主は、まだ眠りの世界にいるようだった。長い睫毛は伏せられ、毛布に覆われた身体はゆったりと呼吸を繰り返している。ノルは日の光に照らされる赤毛をしばらく見つめていたが、やがてそれにも区切りを付けて身を起こした。未だ目覚めの気配がないそれへ毛布をかけ直してやり、ひょこひょこと右足を引きずりながら、そのまま寝室を後にした。
朝起きて一番にノルがすることは決まっていた。キッチンへ向かい、食料のストックが足りていることを確認してから、朝食を作りにかかる。キッチンはノルの背丈に合わせて作られているから、台を使う必要はなかった。配給袋を開き、そこから乾燥豆と培養肉の端切れ、それから乾パンと粉末卵を取り出す。最初に鍋に乾燥豆と培養肉をスープ仕立てにする。次に小鍋に蒸気を立て、パンを柔らかくしてから香草油を一滴たらして蒸す。その間に粉末卵を溶かしてから空気を含ませてふわりと焼き上げる。スープ鍋に数少ない香草を放り込んでやると、たちまちキッチン中に食欲を刺激する香りが立ち込めた。そろそろか、と考えながら、ノルは合成乳をミルクパンへ入れると火にかけた。十分にミルクが温まったら、マグカップへ注ぐ。
ミルクを注ぎ終えたところで、タイミング良くキッチンに近づく気配を感じて、ノルの三角耳がぴくぴくと動いた。
「……起きたのか」
「ん……」
まだ眠たげに目を擦りながら寝室から現れたのはエット、ノルの番だ。
「ミルクがあたためてある」
「ノルのは?」
「これからだ」
「じゃあ、手伝う」
「いい、もう終わる」
わざわざエットの手を煩わせるまでもないだろう――そう判断し、断りを入れるとエットは少しだけ不服そうな表情をした。わざわざキッチンの様子まで見に来たが、支度がもう終わることを悟ったのだろう、渋々、といった様子でマグカップを持ってダイニングへと去っていった。
ほどなくして、二人分の朝食が出来上がった。
「……エット、少し手伝ってくれるか」
「! うん!」
ノルの様子を窺いながら、ミルクをちびちびと飲んでいたエットの耳がピンと立った。ノルの役に立てるのが嬉しくて仕方がないと言った様子だ。
「皿を出して、運んでくれ」
「わかった」
フライパンを傾け、エットが用意してきた皿へスクランブルエッグを盛り付け、それから柔らかくしたパンと、別の器には乾燥豆と培養肉のスープを掬い入れてやる。それらをステンレス製の盆へ移し、それぞれ食卓へとついた。
「いただきます」
「……いただきます」
エットに続いて、ノルも食事前の挨拶をして、二人は朝食に取りかかった。
「ノル。このスープ、味付け変えたか?」
「ああ、この間の配給で新しいスパイスとハーブを手に入れてな。試してみた……美味いか?」
「うん。ノルの作るのはなんでも美味しいけど、これは……なんだろう、凄くいい香りがする」
「ローズマリーだ」
機嫌良くスープを口にするエットを眺めながら、ノルもスープを口にした。
「ん。悪くないな」
「『悪くない』じゃない……美味い。こっちのミルクも。少し甘くて、優しい感じがする」
「そっちに入れたのはディルだ」
「ん。これも美味い」
「そうか」
気遣いなどではなく、本心からの言葉なのだろう。エットの赤い尾が機嫌よさそうに揺れているのを見て、ノルはほっと息を吐いた。しばし、カチャカチャと食器の擦れ合う音だけが食卓を支配した。エットはノルの用意した朝食を食べるのに夢中で、ノルはそんなエットの様子をひどく穏やかな眼差しで見つめている。
こんな時間がずっと続けばいい――それが、ノルの望むたったひとつの望みだ。しかし、この箱庭ではそんなささやかな願いさえ、叶えられないことも知っていた。
「今日は、月曜だ」
「……そうか」
重々しく口を開いたノルに、エットは僅かに食事の手を止めて答えた。
「もう、一週間経ったのか」
エットの耳が小さく揺れる。表情こそ変化はないものの、先ほどまで揺れていた尾の先がわずかに丸まり、食器を握る手に力がこもったように見えた。ノルはその変化に気づきながらも、淡々と匙でスープを口へと運んだ。
「大丈夫だ」
スープを咀嚼してから、放ったひとことに、エットはノルの顔をじっと見つめた。なんてことのないように放たれたそのひとことは、まさにこれからのことを『なんてことない』ことだと言いたげだった。
「そうだな」
ノルの様子に、エットは静かに頷く。
「大丈夫だ」
まるで二人の会話を嘲笑うかのように、どこからかカシャリ、と軽い音がした。
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