ミューズ ～彼女は彼らの眩しい人～

第二章 紗栄子・高１

10 イキイキ

「蓮、彼女できたんだってね。」
　紗栄子にそう言われて、蓮は、思いのほか自分が動揺していることに気付かされた。
　別にギクッとする必要なんかないのに。
「ああ、うん。つうか、教えてないのによく知ってるな。」
「こないだ拓海が言ってたよ？」
　練習後、蓮のフォームについて気になることがあったので、紗栄子が話しかけた瞬間。話が一通り済んで、ついでのように紗栄子が言ったのだった。
「彼女、可愛い？」
「ああ、うん。まあまあ。」
「やだ、もっと嬉しそうにすればいいのに。照れてる？」
「や、照れてるわけじゃねえよ。つうか、おまえも彼氏作れば。マネージャー業、余裕出てきたんじゃねえの。」
「余裕なんか出てきてないよ。限界ギリギリ手一杯だったのが、ほんの少しマシになっただけだよ。」
　紗栄子は、くいっと右側に首を傾ける。
「だから好きな人作る余裕ないし。今みたいにさ、蓮のフォームがもっとこうなったらいいなあとか、考えてる方が充実しちゃってるしね。」
「充実ねえ。」
「誰かに‘付き合おうよ’とか言われたら別かもしれないけど。そんなこともないし。」
　紗栄子の言葉を聞いて、蓮はある人物の顔が浮かんだ。
　紗栄子と同じクラスの、野球部員。紗栄子に彼氏がいるのかどうか、探りを入れてきた男。
　でも結局、彼も軟派な男で、すでに別に彼女を作っているらしい。もちろん蓮の例もあることだし、その相手が本当に好きな女の子かどうかは別だと思うが。
「まあ、紗栄子が楽しいならそれが一番だよな。」
「うん。」
　紗栄子と蓮が会話を交わしている一方で、拓海は顔をしかめていた。
「この位置なのよね。この位置まで肩が動かないと。」
　礼子は懸命に、拓海の手を取って動かしている。両肩の柔軟性が足りないという話らしい。
「家での自主トレメニュー、早急に作るわ。」
「家での、って…。」
　‘そこまで指示される筋合いないです。’
　そう思ったが、拓海はかろうじてやめた。それでも、何らかの反論をしようとして踏みとどまった気配は隠せない。
「あなたは速く強くなりたくないわけ？」
「…もちろん、速く強くなりたいです。」
「じゃあ、喜んだらどうかしら。」
　そんな、押し付けがましいことを言われても―――。
　表情が見えないように、拓海は頭を下げた。
「はい、ぜひよろしくお願いします。」

※

「拓海、だいぶ柔軟になってきたみたいだな。」
「いや、肩かたいって言われたし。」
「違うよ。礼子先輩に対する態度の話だろ。」
「ははっ。」
　メッセージが届いたので、拓海は立ち止まってケータイをチェックする。差出人だけ確かめて、すぐにしまう。
「いまんとこ、礼子先輩に言われて直したことは確実に効果が出てるからな。なんか癪に障るけど、聞いとかないとな。」
「癪に障る、か。じゃあずいぶん頑張って頭下げたんだな。」
「いやむしろ、頭下げて表情見えない方がマシかなって。」
「ふうん。」
　ダラダラと歩く二人の横を、自転車の音がすり抜ける。
「お疲れ―。」
「タラタラ歩いてんじゃないわよー。」
　久美子に茉莉だ。
「うるせえよ。」
「お疲れ。」
　今日は二人で帰ったようだ。紗栄子の姿が見えない。
「今日、紗栄子にアドバイス受けてた？」
「ああ、うん。しっかりしてきたな、あいつ。」
　その蓮と話した内容を、紗栄子は今まさに礼子に相談している。だから帰りが遅くなっていることを、二人は知らない。
「好きなやつ作るより、部活のこと考えてる方が楽しいって。いや、充実してる、って言ってたな。」
「へえ。素晴らしいマネージャーだな。」
「な。礼子先輩や春菜先輩もそれぞれすごいけど、紗栄子は紗栄子らしくいいマネージャーになると思う。」
　―――ずいぶん嬉しそうに紗栄子のこと話すなあ。カノジョのこと話す時よりイキイキしてんじゃん。
　拓海はその言葉を言うことはやめて、蓮の話に付き合うことにした。